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大陸の西の涯に住む龍と妹の話

大陸の西の涯に住む龍と妹の話 雨の月

作者: ユウリ

大陸の西の涯、道のない険しい山脈のさらに先。海を臨む断崖の上に、切り株のような形のちいさな館がありました。


王都への買い出しの帰り、龍の背に乗って、雨を迎えに行くことになりました。

王国に雨の月がやってきます。


“白銀の龍の背に乗って”の続きになりますが、これだけでも楽しんでいただけると思います。

王城からの帰り。少し日の傾きかけた空高くを、白銀の龍が横切ってゆく。

赤銅色の髪をおさげにした少女、ノカは龍の背から前方をじっと見つめていた。肩には少女の髪と同じ毛色の小さい猫、ニコが乗っている。

「お兄ちゃん、雲の中を飛んでほしい。」

聳え立つ山脈の手前で、ノカが白銀の龍‥‥ルーシェに告げる。

「了解。」

龍が高度を合わせて雲の層へ向かう。

雲へ突入した瞬間、視界が真っ白になった。水の粒が周囲を満たして薄青色に、薄紫色に、鈍く明滅している。ノカが、人の目には映らないものに眼を凝らす。

「レイン。」

決して大きくない、囁くような声。

「レイン、おいで。」

龍の背でゆっくりと立ち上がって両腕を前に伸ばす。開いた両腕の間に雲がゆるゆると凝ってくる。

「一緒に帰りましょう。」

少しずつ濃淡を重ねるようにノカの両手の間にノカと同じくらいの姿が浮かび上がってくる。

水色に輝くサラサラの髪、長い睫毛に縁取られた菫色の大きな瞳。右の目尻の下に小さく濃い青の雫のような紋様がある。透き通るように白い肌に、桃色のふっくらとしたくちびる。

ノカの両腕がその姿をかるく抱き締めると、少年の指先が宝物に触れるようにノカの頬に触れる。ノカの額に額を合わせると、長い睫毛を伏せた。

「フォノルーシュカ、ずっと待ってた。」

小鳥の囀りのように高くてきれいな、甘い声。

「ぼくの、フォノルーシュカ。会いたかった。」

花が綻ぶように笑って、ノカの額にキスを落とす。

「レイン、きてくれてありがとう。」

ノカがレインを見つめてにっこりと笑った。

ノカの肩で見ているニコが苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「ノカ、雲から出て山を越えるぞ。」

ルーシェがレインを感じ取って声をかける。

ノカが貼り付いているレインから手を離すと龍の背に座り直す。レインはノカの後ろにくっついた。

「レイン、ノカにべたべたくっつきすぎ。」

ニコがノカの肩から後ろを向いて不満げに言った。

「眷属様、まだノカにくっついてたの?いつでもぼくが代わってあげるのに。」

レインがさっきとは別人のように冷たい声で答える。

龍がスピードを上げて一気に山を越えた。

「俺様の背中でケンカするんじゃない。仲良くできないなら振り落とすぞ。」

ルーシェが楽しそうに笑いながら言った。レインはニコのことなど忘れたように、ノカの背に顔を埋めてニコニコしている。彼が嬉しそうに頬を擦り付ける度に、レインからふわふわと新しい雲が生まれてくる。

ニコが小さくため息をついて前を向いた。ずいぶん久しぶりだから、今は見逃してやることにする。

「レイン、くすぐったいよ。」

ノカが耐えきれずにけらけらと笑いながら言った。


***


山脈を越えて、切り株の形の館が小さく見えてくる。陽が傾いた空は夕焼けで、もくもくと湧いてきた雲がオレンジ色に、桃色に、染まっている。

「ルーシェ様、ノカと先に降りますね。」

ニコが告げてノカの肩から下りると、赤銅色の大きな豹の姿になる。ノカがニコの背に乗ると、レインがノカと手をつないだ。館のまえをよこぎる瞬間、ニコがふわりと龍の背から降りた。ノカと手をつないだレインも一緒に地面に降り立つ。

ノカがニコの背から下りると、レインがノカの顔を覗き込んでにこりと笑った。ノカと繋いだ左手を離さないままに空を見上げてなにかを確認する。右の手のひらを上に向けて、自分の口元に近づけて‥‥。

レインが目を伏せてふうっと掌の上を吹くと、ぐわっと雲が生まれた。みるみるうちに空一面に広がって、辺りが薄暗くなる。ノカの頬にぽつん、と大粒の雫が当たった。

真っ黒の雲からパタパタパタ、と間断なく雨粒が落ちてくる。

「あはは、すごーい!」

ノカが空を見上げて、雨にうたれて笑うと、レインにぎゅっと飛びついた。

「もうびしょ濡れだね。冷たくて気持ちいい。」

ノカが楽しそうに声を上げて笑った。

「ノカ、雨が好き?」

レインが雨に打たれながら首を傾げる。

「雨、好きだよ。雨の月も好き。レインちゃんが大好きだよ。」

ノカとレインが笑いあって、館の前の草むらを走り回っておいかけっこをはじめる。豹のニコも後ろからついて回る。

館から出てきたルーシェが、外で走り回る二人と一匹を見つけて苦笑する。

「若いやつらは元気だなあ。」


***


すっかり日が落ちて真っ暗な中、ようやく二人と一匹が館に帰ってきた。今湖から上がってきたというくらいびしょ濡れだ。

「ハイハイ。バスタオルかぶってそのまま風呂に入っておいで。」

茶を飲みながら本を読んでいたルーシェが用意してあったバスタオルを頭からかぶせる。

「ルーシェありがとー。」

「神龍様ありがとー。」

ノカに続けて風呂に向かうレインの服の後ろ衿をルーシェが掴んで持ち上げた。

「まてまて、ノカと入るのは却下だ。」

「なんでですか、一緒に入った方が早く済みますよ。」

ルーシェの顔を見て平然と言ってのける。

「なんででも、ダメー。ニコもしばらくはレインと入ろうか。」

当然のようにノカについていくニコにきっぱりと言うと、ニコが愕然とした顔でルーシェを見た。

「お前が一緒に入ったらレインを止められないだろ。」

ニコが抗議するようにニャーニャー鳴いてみせる。

「普通の猫のふりしてもダメだから。ノカ、さっさと入っちゃいな。」

「はーい。お先にー。」

ノカが風呂のドアをパタンと閉めた。

「ボクはいつもノカと入ってるのに‥‥」

ニコが恨みがましい眼でルーシェとレインを見る。

「そんな事言うならこれから全面的に禁止。」

「眷属様そんなにノカの裸見たいの?サイテー。」

「それはレインでしょ。ボクはノカの眷属なんだからどこでも一緒なんです!」

「という建前。ホント最低。」

ニコがシャーっと威嚇すると、レインも掌にバチバチと雷をまとわせる。

「コラ、家の中で攻撃するな。お茶を入れてやるから仲良く座ってろ!」


ノカが鼻唄を歌いながらお湯に浸かっている。ざばっと頭まで潜ってから顔をあげる。お湯はほんのり柑橘のような香りがした。

「はー、あったかい。」

冷えきった体が温まって、体に入っていた力がほどけて、心からホッとする。風呂の向こうから怒っているようなルーシェの声が漏れてきた。

「しばらく賑やかだね。」

レインと何をしよう?いっぱい遊びたい。考えるとにこにこしてしまう。


***


みんな風呂から上がって、ルーシェが仕込んでいたシチューで晩ごはんを食べる。

「おーい、ノカ?」

シチューを口に運びながらカクン、と首を傾けるノカにルーシェが呆れて声をかけた。散々雨のなかを走り回って疲れて、風呂で温まって落ち着いて、すでに半分眠っているようだ。

「ノカは眠っていても可愛いなあ。」

レインがにこにこしながらノカの顔を見ている。

「寝てないよお‥‥。」

ノカが目を擦りながらパンをちぎってシチューに浸けて口に運んだ。もぐもぐ、と噛んでとまって、またもぐもぐもぐ、と動き始める。

レインがパンをちぎってシチューに浸けるとノカの口元に持っていった。

「はい、あーん。」

ノカが少し首を傾げて、でも寝ぼけたまま口を開ける。レインが口にパンを押し込んだ。もぐもぐ。レインがうっとりとノカを見ている。

シチューをペチャペチャと舐めていたニコがノカに近づいていって、ノカの手にすりっと顔を擦り付ける。

ノカがニコを見て、パンをちぎってシチューに浸けるとニコの口元へ持っていく。ニコがぱくっと食べて、ノカの指先をペロペロ舐めた。

「眷属様、ノカの食事の邪魔しないでください。」

ノカの向こうからレインがニコを睨み付けると、ニコがべーっと舌を出す。

「レインはノカに餌付けしないで。」

左右の睨みあいに挟まれているノカは、やっぱり半分眠っていてカクンカクンしている。

「ほんと仲良いなお前らは。見てて飽きないわ。」

ルーシェがパカパカと葡萄酒を飲みながら言った。

『一緒にしないでください。』

二人がルーシェを向いて息ぴったりに言うので笑ってしまう。

ノカはついにテーブルに突っ伏して寝息を立てはじめていた。

「さて、ノカはそろそろ限界の様だから俺様がベッドまで運ぶとしよう。」

お互いに睨みあっていたレインとニコがぐるんと振り返ってルーシェを睨み付ける。

「そんな顔をしたって君たちの背の高さでノカを抱えて2階に上がるのは少し無理があるだろ。」

レインはノカとほぼ同じ背の高さだし、ニコは猫だ。

「2階のでっかいベッドに寝かしとくから食べ終わったら仲良くみんなで寝ればいいさ。」

ルーシェがゆっくり立ち上がってノカの椅子を引くと、ノカを軽々と抱き上げた。

「神龍様も一緒に寝るんですか?」

「俺は下に行ってゲームするし、自分の寝床で寝るから巻き込まないでくれ。」

興味ないというように手をヒラヒラさせて階段を上がっていく。

「むしろニコは夜のお散歩しないのかい?」

「しないです。絶対館からでません。」

ニコが即答する。

「それじゃふたりに任すから俺が駆けつけなきゃならんようなことはするなよ。」

ルーシェは後ろ姿でそれだけ言うと2階のとびらを開けて入っていった。ニコとレインがすごい早さでご飯を食べはじめる。


***


サァーーー

雨が降る音が聞こえる。ノカはぼんやりとした頭のどこかでその音を聞いている。ふい、と瞼を持ち上げると、枕の向こう側に丸まって眠っているニコが見える。いつもと同じように。

「?‥‥なんか‥‥暑い。」

がば、と起き上がろうとして起き上がれないで枕に逆戻りしてしまう。反対側を見るとレインが腕に巻き付いている。

「そうか、レインちゃんがいるんだった。」

ノカが嬉しそうに笑ってからレインをべりべりと剥がして起き上がった。剥がされたレインがパチパチと瞬きして目を覚ます。

「ノカ、おはよう。」

レインがまだ寝ぼけているような声で告げて体を起こすと、ノカにぎゅっと抱きついて頬にキスをした。

「レインちゃんおはよう。」

ノカもレインの頬にキスをする。その声を聞いてニコがぴょんと飛び上がって起きると、そのままノカに飛びついた。

「ノカおはよう!」

ノカの肩に飛び乗ったニコがノカの頬をペロリと舐める。ノカがニコのふわふわの顔を頬にすりつけた。

「レインちゃん、服を一緒に選ぼう。」

ノカがレインと手を繋いでベッドから下りる。レインが目を擦りながらのろのろとついていく。

「ノカ早起きだね。ぼくまだ眠い‥‥」

「でもレインちゃんとお揃いの服を着たら、楽しいでしょう?」

ノカが言うとレインが嬉しそうににこにこしてノカにくっつく。

「ノカとお揃いがいい。可愛いの着たい。」

レインがノカの脇腹に頭をつけると、ノカがレインの頭をぽんぽんと撫でた。

「眠いなら寝てればいいのに‥‥」

ニコがぶつぶつと呟きながらついてくる。さっきまで寝ていた部屋を出て、隣のノカの部屋の扉を開ける。片隅のクローゼットを開けると服がたくさん詰まっていた。

「レインちゃんの髪は水色だから、かわいい藤色がいいかな?シックな黒と赤のチェック?元気なレモン色も似合いそう。」

あれも、これもと、クローゼットの中から引っ張り出す。

「これがいい。」

レインが沢山の服の中からひとつ選び出した。白いセーラー衿に青のラインが入ったワンピースと、お揃いのセーラー衿のシャツとハーフパンツ。とても爽やかで涼しげだ。

「かわいいね。きっとレインちゃんに似合うよ。」

ノカがレインの選んだ服を手にとってニコニコ笑いながら言う。

「ぼく着替えてくるね。」

レインが服を持って部屋を駆け出していく。


ノカがワンピースに着替えると、コンコン、とノックの音がして着替えの終わったレインが入ってきた。

「みてみてー。ぼくかわいい?」

ノカの前で嬉しそうにくるんと回ってみせる。四角くて大きなセーラー衿と青いタイが、動きに合わせてふわんと舞った。菫色の大きな瞳と水色の髪が真っ白のシャツによく似合っている。

「レインちゃんかわいい!」

ノカが頬を薔薇色にして褒める。お揃いの大きなセーラー衿に、膝までのワンピース。胸元にブルーのタイがついていて、可愛いけれどシンプルでノカの緑の瞳にもよく映える。

「ノカの方がもっと可愛い。さすがぼくのお姫さま。」

レインがうっとりと見て、やっぱり飛びついた。

「髪を編むからこっちに座ってね。」

ノカが言うと、レインが嬉しそうにソファーに座った。ノカのまだ小さい手がレインの髪を梳かし始める。水色の髪で櫛がサラサラとすべる。整った髪をふたつに分けて、三つ編みに編んでゆく。

「はい、できた。」

ノカが鏡を見ながらレインの頭に白い帽子をかぶせた。

「じゃあノカの髪はぼくが編むね。」

レインがソファーから立ち上がってノカに席を譲る。ノカの赤銅色の髪を梳かして、ふたつに分けると器用に編みはじめた。

「レインちゃん髪を編むの上手になったね。」

ノカが鏡の中のレインを見ながら言った。

「ノカの髪を編みたくて練習したからねー。」

レインが得意気に笑う。髪を編み上げて、最後に白い帽子をかぶせる。

「はい、完成。お揃いだね。」

鏡の前に並んで見ると、お揃いの服と帽子、お揃いのおさげがお人形さんのようにかわいらしい。

鏡の横でふてくされているニコが二ャーと鳴いた。

「ニコにも今日は白いリボン結んであげるね。」

ノカがにっこり笑ってニコを抱き上げた。

「‥‥あんまりきつく結ばないでね。」

ニコがふん、と横を向いて言った。でもどことなく嬉しそうに見える。

「眷属様、気に入らないなら無理につけなくていいんですよお。」

「ノカとお揃いのリボンを結ぶだけでレインとは関係ない。ボクは毛色も瞳の色もノカとお揃いだしね。」

ニコがレインに向かってべーっと舌を出した。

「ニコー。じっとしてないと結べないよ。」


***


ノカとレインがお揃いの青いエプロンで仲良くキッチンに立っている。フライパンの中ではハムが香ばしく焼けている。

「レインちゃん、卵割れる?」

「やったことない。」

ノカが卵をコンロの横でコンコン、と叩いてパカッとフライパンの上で割る。

「やってみる?」

「やってみる。」

レインが恐る恐る卵を手にとってコンコンと叩いた。

「もうちょっと強く。」

ノカに言われてもう一度叩く。

「そしたらその割れたところからパカッと。」

ノカがレインの手を取ってフライパンの上で割ってみせる。卵がキレイに割れてハムの上に乗っかった。

「おお、割れた。」

レインが嬉しそうに言って、次の卵を手にとって取る。

「あとふたつ割ってね。」

コンコン、パカッ。コンコン、ぐちゃっ。

「ああっ、1個つぶれちゃった‥‥。」

レインが情けない顔でノカを見る。

「大丈夫、大丈夫。つぶれたっておいしいよ。」

ノカがスープを仕上げながら言った。

「ニコ、お兄ちゃん起こしてきてくれる?せっかくだからみんなで食べたいなあ。」

ノカが後ろのテーブルで器用に皿を用意しているニコを振り向いてお願いする。

「はーい。叩き起こしてきます。」


ニコが小さい猫の姿でタタタッと階段を下りて地下のルーシェの寝床へ向った。龍の大きさに合わせた距離を行くと、イビキが近づいてくる。

広い寝床へたどり着くと、白銀の龍が小山のように丸まって眠っていた。奥の部屋の扉は開けっぱなしで、黒いガラスの板に“げえむ”の絵が映し出されているのが見えた。床には葡萄酒の瓶が転がっている。

「ルーシェ様、ノカとレインが朝ごはん用意してるんで起きてください。」

ニコが光輝く鱗をツンツンつついて普通に呼んでみるが、ルーシェはピクリともしない。ニコが豹の姿にかわる。

「がおーー。」

両手で揺らしながら軽く吠えてみる。

「‥‥んー、ちょっと待ってこれ釣ってから‥‥」

ルーシェが翼をわずかに動かしてぶつぶつと言う。

「ルーシェ様、朝ですよー!」

ニコの姿がみるみる大きくなって、白銀の龍の頭に手が届いた。グラグラと揺すって、

グオォォオ‥‥

一声吠えると、洞窟全体に軽く地響きがおこる。白銀の龍がビクッと飛び上がってバカッと口を開けた。

「ルーシェ様、ストップ。攻撃しないで。」

でっかい口から特大のブレスが吐き出される直前で、プスン、とおさまった。先走って放たれた炎をニコがすいっと避ける。ルーシェが辺りを見回して目を瞬かせた。

「ごめんごめん、勇者が寝込みをを襲いに来たかと思った。」

「なんでですか、来ませんよ‥‥。」

ニコがしゅるしゅると小さい猫に戻りながら返す。

「昨日も夜更かししたんですか?」

隣でしゅるしゅると人の姿に変わっていくルーシェに問いかける。

「そうそう。雨が降ってたからシーラカンス釣れないかと思って。」

「また意味不明なことを‥‥。」

ルーシェは少し寝ぼけている頭を一振すると、黒髪を指で軽くすいてひとつにくくった。

「顔洗ってから行くわ。」

ルーシェが額の三本の角を撫でながらニコに言う。

「もうできてると思うんで、早く来てくださいね。」

ニコが軽やかに身を翻して階段を上って行った。


ルーシェが階上に上がると、食卓にはスープとハムのおいしそうな匂いがしていた。

「おはよう、ノカ。」

妹の頭を撫でて、おはようのキスをする。

「ルーシェ、おはよう。」

ノカが立ち上がって、ルーシェの頬にキスをした。

「お兄ちゃん、見て見て!レインちゃんとお揃いなの。かわいいでしょ?」

レインも立ち上がってノカと手を繋ぐと、嬉しそうににっこりと笑う。

「おお、これは可愛い。よく似合ってふたごみたいだね。さすが俺様の妹。」

ルーシェはそう言ってノカの頭をぽんぽんと叩いた。ノカがルーシェを見上げて嬉しそうに笑った。

「ハムと卵も、レインと一緒に焼いたんだよ。」

「うんうん。おいしそうだね。さっそく頂こうか。」

ルーシェが席につく。

「ボクの卵だけつぶれてるんですけど。」

ニコがじとっとレインを見る。

「ごめんねー。ぼくのお姫様や神龍様に潰れた卵出すわけにいかないから。」

レインがとってもいい笑顔で答える。

「どっちもおいしいよ。ニコ、私の卵と交換する?」

ノカが屈託のない笑顔で自分の皿を差し出す。

「ノカは気にしなくていいんだよ。ボクが責任もってレインの失敗作を食べるからね。」

ニコがノカに言ってからにんまりと笑ってレインを見た。

「久しぶりに潰れたやつを食べたいから、いいの。」

ノカがさっさと皿を取り替えて、卵をぱくっと食べる。

「ノカ優しい。もう、大好き。」

レインが頬を染めて隣からノカを抱き締めた。

「レインちゃん、食べにくいよ。」

ぎゅうぎゅうと締めつけられて、ノカが抗議する。

「もー、ノカはレインに甘すぎる!」

ニコが牙を剥き出してフギャーッとわめいた。ノカの向こうでレインがべーっと舌を出す。

「君たちなんなの、朝から面白すぎるわ。‥‥で、今日は何をする予定なんだい?」

ルーシェが笑いながら聞いた。

「何をしよう?」

ノカがワクワクしながらレインを見る。

「紫陽花が咲いたから、ノカと一緒に見に行きたいな。」

レインが少し考えてから、雨が降る窓の外を眺めて言った。

「雨のお散歩だね。」

ノカがニコニコして答える。

「デートだよ。」

レインがノカの顔を覗き込んでにっこり笑った。

「ボクも絶対ついていくからデートじゃないし。」

ニコがノカの肩の上から口を挟む。

「傘とブーツってどこかにあったかな?」

ノカが口に出して考える。

「見たことはないけれど、上の方に行けばどこかにあるんじゃないか?」

ルーシェがあくびをしながら答えた。


***


「さて、それじゃあ傘とブーツを探しにいこう。」

ノカはそう言うと、2階から上に向かって階段を登りだした。レインとニコが続く。

2階の天井を越えると、幅のある螺旋階段がどこまでも上に続いていて、壁には一面に色も形も大きさもバラバラの棚が並んでいる。本が並んでいたり、人形が詰まっていたり、カラフルなジャムの瓶が並んでいたり。服がかかっていたり、掃除道具がつまっていたり、植木鉢が積んであったり。扉がついていたり、ガラスの引戸がついた棚もある。棚と棚の間には紙が積んであったり、箱が並んでいたりする。上を見上げるとどこまでも続いていて、薄明かりの先はよく見えない。

「なんか色々いっぱいあるね。」

レインもキョロキョロと辺りを見回す。

「どこにあるかさっぱりだけど、どこかにあると思うんだけど。」

ノカはどんどん登ってゆく。

大きさも形も色もバラバラの卵。積み上がった鍋にフライパン。何かの粉や結晶が詰まった瓶。大小様々のランタンの大群。

「ノカー、傘とブーツ、あったよー。」

ちょこちょこと走り回っていたニコが少し上の手すりのあいだから顔を出して叫んだ。

「‥‥やるなあ。」

レインが悔しそうに呟く。

「ニコの方が、私よりよく知ってるの。」

のかがクスリと笑った。だからレインが気にする必要はない、と伝える。

ニコの所までたどり着くと、ざっと30足はある色もサイズもバラバラのレインブーツが棚に詰まっていた。その斜め上くらいには傘がずらっとバーに掛かっている。

「これは迷っちゃうね。」

ノカが目をキラキラさせて傘を広げはじめる。金と銀のキラキラの粒が集まって雲の模様を描いた赤い傘、冬の星が瞬く夜空のような紺色の傘、向こう側が透けてみえる透明の傘。次々に開いて、感嘆の声を上げる。

「うん、レインちゃんにはこれが似合うと思う。」

ノカが選んだのは薄青から藤色の綺麗なグラデーションの傘だった。濃淡の斜がかかったように細かい模様が刻まれている。レインの後ろに射しかけると、レインの水色の髪に馴染んで美しく映える。

レインが嬉しそうに傘を受け取って、くるくると回してみせる。

「ノカにはこれを差してほしいな。」

レインが細い柄の光沢のある水色の傘を開いた。

銀の雨が重なる線で刺繍されている。

「すごく綺麗。」

ノカが傘を受け取ってうっとりと見つめると、レインが自分の三つ編みを手にとって傘の橫に並べてみせる。

「ぼくの髪の色と同じでしょう?」

レインが頬を染めてノカを見つめる。

「本当だ、おんなじだね。レインちゃんの髪、とっても綺麗。」

ノカがレインを見てにっこりと笑った。

「ハイハイ、じゃあブーツはこれでいいと思うよー。」

ニコがうんざりした顔をしながらも器用にちょうど合いそうなブーツを棚の上の方からくわえてきた。

「ニコ、ありがとう。」

「眷属様ありがとう。」

ふたりが息ぴったりに感謝の言葉を言うので、ニコがフンッと顔を背ける。

「ニコ、おいで。」

ノカが拗ねているニコを手を広げて呼ぶ。ニコがタタタッとノカの腕の中に飛び込んだ。


***


外は小雨が降り続いていた。薄青や薄紫の雨の粒が辺りに満ちて明滅している。

ブーツを履いて傘を差したノカとレインが並んで砂利の上を歩いてゆく。傘に雨が跳ね返ってパラパラと音を立てる。ノカが鼻唄を歌っていた。

紫陽花(あじさい)、きれいだね。」

ノカが鼻唄を斜面を覆うように咲いている紫陽花の間を歩いてゆく。雨の下で鮮やかに咲いている花はぼんやりと薄紫色の光を発している。

ノカがすうっと手近な紫陽花に手を伸ばして花に顔を近づけると、ふう、と軽く息を吹きかけた。

花の光が膨らんで、合わさって、ノカの前に小さな像を形作ってゆく。

「ノカ、まだ呼ぶの?」

肩の上のニコが渋い顔をする。

「小さいし、今だけだよ。」

ノカがニコに答えると、ノカの見つめていた手のひらの上にお人形サイズの小さな薄紫色の女の子が乗っていた。

「あじさいちゃんだね。」

レインがノカの手を覗き込んで言う。

女の子は嬉しそうにニコニコすると、一礼して、ノカの頬にキスをした。

「ありがとう、あじさいちゃん。今年もとってもキレイね。」

ノカがにっこりと笑いかける。女の子は嬉しそうに真っ赤になって、ふわふわと浮かび上がった。紫陽花のあちこちから、わわわ、きゃあきゃあ、と嬉しそうな歓声がさざ波のように満ちる。

「ノカ、冷えてる。あんまり頑張りすぎちゃだめだよ。」

ニコがノカの首に頭を擦り付けて、呟くように言った。

「いつもありがとう、ニコ。」

ノカが傍らのニコを見てにっこりと笑った。ニコが諦めたように小さくため息をついた。

ノカが、レインが、ニコが、楽しそうに笑いながら紫陽花の間を縫ってあるいてゆく。


***


水をを湛える湖の上を渡り、輝く海に降る雨を眺め、夜闇を舞うホタルと遊んで。

小麦粉をこねてお菓子を焼いて、2階よりも高い木に登って、地下の洞窟を探検して。

楽しい毎日は、飛ぶように過ぎていった。


***


その朝は、久しぶりに雨の音が聞こえなかった。

ノカの頬をふわふわの毛がくすぐる。ノカがくすくす、と笑って目を覚ました。

ノカが寝転がったままニコの首をかりかりと掻いた。

隣を見ると、いつも貼りついているレインがいなかった。ゆっくりと体を起こす。部屋を見回すと、レインが窓に手を当てて曇り空を見つめていた。

ベッドから降りると、ゆっくり歩いてレインの後ろに立つ。

「レインちゃん、おはよう。」

ノカがレインの肩を叩いて、横から顔を覗き込んだ。

レインの伏せられた睫毛(まつげ)がふわりと瞬く(またたく)

「おはよう、ノカ。」

振り返ったレインの微笑みが、儚く見える。

ノカがゆっくりとレインの肩に手を伸ばして、抱き締めた。

「今日も、レインちゃんはかわいい。」

顔を伏せているので、レインの表情は見えない。

「昼頃に、雨が降るよ。」

レインが柔らかい、綺麗な声で言った。


***


「ノカ、雨のお散歩に行こうよ。」

昼ごはんを食べ終わってソファーでくつろいでいる時に、レインが言った。お人形の様にきれいな顔で微笑む。今日はふたりはフリルがたくさんついた赤と黒の市松模様のスーツを着ていた。

眠そうにしていたニコが顔を持ち上げる。

「今日はどこまで行こうか?」

ノカが嬉しそうに笑ってレインに返す。

「あんまり遠くまで行くなよ。」

ルーシェがレインの頭をぽんぽんと叩いた。レインがされるままになっている。

玄関に、黒のフリルのついた傘とブーツが並んで置いてあった。

ノカの左手が、レインの右手を引く。

小川に沿って歩いてゆく。ブーツが水溜まりを踏んで、ぱしゃんと水が跳ねる。後ろからニコがついてくる。鈍く光って満ちていた雨の気配が、ずいぶん薄くなっている。

「ずっと一緒にいられたらいいのに。」

レインがぽつりと呟いた。


雨を落とす曇り空が少し割れて、光の帯が降りてくる。

辺りが静寂に包まれている。

「わかってるし、大丈夫だよ。ぼくはフォノルーシュカが、たくさん笑うのがいい。」

レインがしっかりとした穏やかな声で言った。頬に落ちる雫を、左の手のひらで拭う。

わかっている。世界の有り様が変わってしまったら、たくさんのものが失われる。何より、大切なフォノルーシュカが悲しむ。


明るくなった雲が少しずつ広がって、隙間から青空がのぞく。光の帯が無数に伸びて、降りてくる。

空の端からぼんやりと七色の光の橋が伸びてきた。

「‥‥きれいな、虹。」

レインの菫色の大きな瞳にも、七色が映り込む。

七色は次第にはっきりとして、空を横切って進んでゆく。

「ノカ、いつでもぼくを呼んでね。すぐに飛んで行くから。」

レインがにっこりと笑うと、繋いでいたノカの左手を引き寄せて両手で包み込んだ。

「レインちゃんも、寂しくなったら遊びに来てね。」

ノカもにっこりと笑って、右手をレインの手に添える。

レインがうつむいて、添えられたノカの手にくちづけた。

「そんな事言ったら毎日でも来ちゃうんだから。」

クスクスと笑い合いながら言う。

レインがふい、と顔を上げてノカの肩の小さな猫に目をやった。

「眷属様。ぼくのフォノルーシュカとずっと一緒なんだから、しっかり守らないと承知しないからね。」

「‥‥わかってるよ。」

ニコがフンッと橫を向いて目をそらす。

レインの希薄になってきた足が、ふわふわと浮かんで地に着いていない。水色のおさげがするするとほどけて背中に広がってゆく。レインの足元の大きな水たまりには青空と虹が映り込んでいて、まるでレインが空の真ん中に浮かんでいるようだ。

「ノカ、大好きだよ。」

レインが告げると、サーっと薄青の姿が空に溶けていった。うっとりとした甘い声だけが辺りに漂っている。レインがいなくなったあと、半円を描く虹の少し下に、もうひとつ虹が現れた。


***


「お帰り、ノカ。」

館の扉を開くと、ルーシェがいつかの夜のようにテーブルでお茶を飲んでいた。

ノカがトボトボとルーシェの隣に歩いてくる。

ルーシェの橫で、うつむいている。

「レインが行っちゃいました。」

ノカが呟く。ルーシェがノカの頭をぽんぽん、と叩いた。

「ずっと一緒だったから、寂しくなるね。」

やさしい声で言って、うつむいたままのノカの髪を優しく撫でる。

「よくがんばったね、ノカ。」

髪を上げると、ノカは静かに泣いていた。

ルーシェがゆっくりと立ち上がってノカを持ち上げると、膝の上に座らせる。

「もう子供じゃないから、ひとりでも大丈夫だよ。」

ノカが頬を拭いながら言う。

「ノカは俺の妹なんだから、大人しくお兄ちゃんに慰められなさい。」

ルーシェの手がノカの涙をぬぐう。

「フォノルーシュカがいる限り、レインはいなくならない。他のみんなも、いなくならない。」

ルーシェがゆっくりと、ノカに言い聞かせるように告げる。

床でじっとしていたニコが、ノカの膝の上にフワリと飛び乗った。

「ボクがずっといるから。」

ノカの手に体を擦り付ける。

窓から明るい陽射しがさしこんできて、ルーシェの、ノカの肩に降り注ぐ。

ノカはニコを抱き上げて、ルーシェににっこりと笑って見せた。

つたない文章ですが、読んでくださってありがとうございます。

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