Puppenspieler
からから、からから
そんな音を立てながら、古びた自転車が道を進む。
薄汚れたボロボロの黒いマントが風に揺れて、ほつれた糸から解放された布切れが空に飛ばされた。
ふらりとした足取りで前へ進む人影の先には少しずつ家が現れて、その先が村であることを示していた。
その時。
人影の目の前に、ころころとボールが転がってきた。
風にあおられたボールは少しだけ速度を増し、人影の足に当たって止まる。
自転車がキッという音を立てて動きを止め、人影がそっとボールを拾おうとしゃがみこむ。
すると、村の方向からぱたぱたという足音が聞こえてきた。
「あっ………おじさん、とってくれてありがとう!」
「………嗚呼、君のボールだったのか………」
くりくりとした黒い目で人影を見上げて、小さな少年はふわりと笑う。
男はぼそぼそとした低い声でそう告げて、すっとボールを差し出した。
ぎゅっとボールを抱きしめた少年は、ふと男の横に佇む自転車を指さして、不思議そうな顔で言った。
「おじさん、その自転車なにがついてるの?」
男の古びた自転車には荷台に汚れた木箱が括り付けられていて、少年の指先はしっかりとその箱に向かっていた。
すっとフードが揺れて、男の視線が木箱に移る。
服の下で、男がふっと笑ったような気がした。
「……これは、私の仕事道具なのさ。」
「おじさんの、仕事道具?クワとかカマ?」
「いいや。私は人形芝居をしているんだ。」
少年にこちらに来るよう手招きをして、男は箱の金具を外す。
背伸びをして箱を覗き込んだ少年の瞳には、赤い紐につながれたたくさんの人形が映りこんだ。
箱の中には他にも村や森といった背景画も入れられていて、少年は思わず手を伸ばす。だが、その腕をぱしりと男にとめられた。
その時、少年は男の目を見た。
真っ赤な、血走った目。
思わず少年はびくりと震えた。
「ご、ごめんなさい………」
反射的に謝る少年の手をゆっくりと離しながら下ろし、男は言った。
「いや、いいんだ。だが、この子達は私の大事な仕事道具だからね。安易に触らないでおくれ。」
「はぁい………」
「………だが少年。折角だ。一つ、見ていかないかい私の人形劇を。」
少年は、男の口元が少しだけ歪んだように見えた。
恐怖が増す。
だが、少年は男からどこか抗えない雰囲気を感じ、首を縦に動かした。
その様子を見て満足気に笑った男は準備を始める。
木箱を立て、背景の描かれた厚紙を差し込む。まるで紙芝居が始まるかのように観音開きのふたを開けば、そこには一つの村があった。
「そうだ少年よ。君の名前は、なんというんだい?」
すっかり箱の中の舞台に見とれていた少年に、男は声をかける。
ふっと顔をあげた少年は、警戒心のかけらもない緩んだ表情で答えた。
「キンダー、っていうよ!」
「ふむ、キンダー、か。私の名はツェルトだ。今宵、この物語が終わるまで是非我が人形劇を楽しんでいってくれ給えよ、キンダー。」
芝居がかったそんなセリフで、ツェルトは言った。
「ところでキンダー。人形劇がどのようなものか知っているかな?」
「ううん。」
キンダーが首を横に振ると、ツェルトは二体の男女の人形を取り出して舞台に入れた。
彼の手の中には×の形をした木組みが二つあり、そこから伸びる赤い糸は中の人形の腕や足や顔につながっている。
「この木組みを動かして人形を動かし、物語を進めるんだ。もし、この糸が切れてしまえば、人形は動けなくなってしまう。この糸はね、彼らの生命線なんだ。」
「へぇ……すごく難しそう。」
「ああ。最初はとても大変だったよ。でも、とても楽しいのさ。」
ふっと笑い、ツェルトは人形を動かす。
男女の人形は右へ左へと動き、一回転。仰々しく手を胸に当てお辞儀した。
ぱちぱちと小さな拍手が起こる。
「すごぉい!まるで生きているみたい!」
「ありがとうキンダー。そこまで言ってくれるなんて、私は嬉しいよ。きっとこの子達も喜んでいるよ。」
フードの隙間から時折見えるツェルトの赤い瞳が嬉しそうに細くなる。
彼は人形を持ち替え、言った。
「それじゃあ始めようか。」
Drahtpuppe、と流暢な発音で呟くと、ツェルトは人形を動かしながら語り始めた。
彼の村の言葉で【操り人形】という意味の、物語を。
ーーー
この世界は、誰もが「一つだけ」魔法を持っている。
何でも灯りに変える魔法や、水を氷に変える魔法など、たった一つだけ不思議な力を持っていた。
だが、この少年は違った。
この世界では、六歳になると教会に向かい、神から自らの魔法を知らされる。
しかし、この少年はなかったのだ。
本来、恩恵を与えられる時にはその子供の体が淡く光るのだが、少年の体は光らなかったのだ。
少年の両親は嘆いた。
自分の息子がまさか魔法を持たない子供だったなんて。
この世界で魔法を持たない人間は蔑まれる対象となる。神の恩恵さえも与えられない可哀そうな人間として。
少年の持つ白く美しい髪。
両親は何度も何度も頭を撫でてくれていた。
その日から少しずつ、撫でられることも褒められることも、無くなってきた。
少年が魔法を持たない人間だということは、あっという間に村中に広がった。
元々そこまで大きくない村だ。家の四、五件隣くらいはお隣さんのような付き合いの村だった。
少年も、生まれた場所が悪かった。
村に一つの小さな学校では「雑草」と呼ばれいじめられた。
前までは羨ましがられていた白い髪も透き通るような青い目も、嫌悪の対象となった。
道を歩けば指をさされくすくすと笑われる。
そのうち、少年は外に出なくなった。
両親は、彼の妹を連れていつの間にか消えていた。
少年は一人ぼっちになっていた。
がらんどうとした家の中で、少年は細々と生きていた。
せめての情けという風に、辛うじて残されていた食料で食いつなぎ、少年は人形を作り続けた。
見つからないように、そっと森へ行き、森の動物を見つけては人形を作った。
豚、牛、羊、鷲、梟、カラス、狼、鹿。
そのうち、がらんどうとしていた家の中には、たくさんの動物の人形が溢れるようになった。
カーテンで窓を閉じ、外界との接触をすっかり絶った少年から生気は消えた。
青い瞳からは光が消え、白い髪はぼさぼさになっていった。
だが、手は止めなかった。人形は増えていった。そのうちに、人間の人形も出来た。
家の中には鮮血のように赤い、糸が広がり、蜘蛛の巣のようになった。
ご飯の回数も減り、二日に一回、四日に一回、一週間に一回となっていた。
一方、村の人々は少年のことをすっかり忘れ、少年の家は「近づいてはならない場所」となり、誰も近づこうとはしなくなった。
少年の両親はいつの間にか村を離れ、行方不明となっていた。
どんどん朽ち始めていくその家は、年を重ねるごとに怖さが増して、ここ数年に生まれた、事情を知らない子供たちは、「お化けが出る家」と気味悪がった。
それに、時折村の人間が行方不明になる事件も重なり、ますます人は寄り付かなくなっていた。
だが、ある、夜のことだった。
がたり、と音がして家の扉が開いた。
そこから現れたのは、ひょろりとした一人の男だった。
彼はずるずると何かを引きずっていた。
闇夜でよく見えないが、彼は赤い糸でその「何か」を引きずっているという事は確かだった。
すっかり眠りについた村の道を、彼はゆっくりと歩んでいく。
少し開けた村の広場に着くと、彼はぴたりと足を止めた。
そして、引きずっていた「何か」を自分の足元に持ってくると、彼は大きく手を振りあげ、高らかに告げた。
「『行け』」
がさがさに掠れているその声は、なぜかとても夜の空に響いて聞こえた。
その瞬間、びくりと「何か」が震え、直立した。
それは、少年が作り続けた無数の人形たちだった。
「『殺さず、生きたままここに連れてこい』」
彼の血走った赤い目が、ぎらりと猛々しく光り輝く。
人形たちはその言葉に従い、ゆらり、ゆらりと動き始めた。
その時の村人たちの恐怖は計り知れない。
眠っていたら、突然動物の人形に外へ連れ出されるのだから。
もがこうとしてもがっしりと掴まれ逃げ出せない。
彼らはなされるがまま広場へと連れていかれた。
そこには、一人の男がいた。
雑に作られた黒いフードマントを目深にかぶり、指先からは赤い糸が伸びていて、自分たちを連れてきた動物の様々な体の部位と繋がっている。
そこには、恐怖があった。
すべての動物の人形と村人が広場に集まると、人間の人形が村人たちを赤い糸で縛り始めた。
逃げ出そうとしてもぐるりと囲まれた動物たちに阻まれ、動くことはできない。
最前列にいた一人の男が叫んだ。
「お前………雑草だろ!!まだ生きてやがったのか!」
すると、ふっと鼻で笑う声が聞こえ、男がゆっくりと叫んだ男に近づき、ぐいっと顔を覗き込んだ。
そこで男は男の…少年だった彼の顔を見た。
すっかりやつれた青白い顔。真っ白だった髪は黒く染まっており、何より恐怖を掻き立てたのは彼の血走った赤い瞳だった。
「雑草は案外強い生命力と生き残るすべを知っているものなのだよ、人間。」
にやりと笑う彼はかすれた声でそう言った。
思わず固まった男を満足気に見下ろして、彼は少し後ろに下がり、先ほどより大きな声で叫んだ。
「今、お前たちの前に立っているのは『神』である!私はこの世に生ける生物、その全ての命を自在に操ることができるのだ!お前たちには十五年前、勝手に私は魔法を持たない人間だとし、勝手に雑草などどあだ名をつけた!これは、神に対する侮辱である!」
よって、と言葉を区切り、男は高笑いをする。
それによって、村人の恐怖は最高潮になっていた。
泣き叫ぶ子供たち、それを慰める母親。そして、静かにそれを見下ろす赤い糸でつながれた動物たち。
ぎらり、と赤い瞳が輝き、狂気に染まった叫び声が闇にこだました。
「この世界に、生まれたことを………差別したことを、後悔するがよい!!!」
村人たちを、ぼんやりとした赤い光が包み、彼らの記憶は途絶えた。
ただ彼らの耳には、幼いころからあまりに差別されすぎた悲しき青年の高笑いだけが残っていた。
光が収まると、男は冷たい冷酷な視線を地面に向けて呟いた。
「人間なんて……脆い生き物だなぁ………」
動物たちを使い、地面に散乱した人間の形をした人形を拾わせる。
彼はその間に、手近な家で身の丈に合った自転車を見つけ、そこに木箱を乗せて荷台に括りつけた。
村の入り口にからからと自転車を並走させて向かいながら、彼は楽しそうに鼻歌を歌う。
すっかり人の気配が消えた村に取り付けられた灯り代わりのたいまつが、寂しそうに地面に落ちて、その灯を消した。
ーーーーー
「彼がどこに行ってしまったのかは、誰も知らない。彼は、今も人形と共にどこかを歩いているのかもしれない………」
かたん、と木同士がぶつかり合う音が、キンダーを現実へと戻した。
少しだけあっけにとられていたキンダーだったが、物語が終わったことに気づくと大きな拍手をツェルトに送った。
「すごい!すごいねツェルトおじさん!本当にあったお話みたいだ!」
「そこまで言ってくれるなんて嬉しいなぁ。ありがとうキンダー。」
嬉しそうに微笑み、ツェルトは箱の中から徐に赤い糸を取り出した。
「指を出してごらん。」
「え?」
「沢山褒めてくれたキンダーに、私から小さなプレゼントだ。」
糸をキンダーの小指に巻き付け、糸を切る。
リボン結びで結ぶと、まるで指輪の様に糸はおさまった。
不思議そうに糸を見つめるキンダーに、ツェルトは言った。
「これは、お話の中で男が人形を作る時に使っていた糸さ。」
「えっえっ!?なんで!?」
「はっはっは!勿論冗談さ。こういう小道具があると面白いだろう?」
楽しそうな笑い声をあげ、ツェルトはキンダーの頭を撫でる。
少しだけ困惑げに糸を見ていたキンダーだったが、ぱっ、と顔を上げて笑った。
「そうだね!ありがとう、ツェルトおじさん!」
どういたしまして、と言ってから、ツェルトは片付けを始めた。
だが、ふと手を止めて、じっと片付ける様子を見ていたキンダーに言った。
「そうだ、キンダー。物語の中に出てきた少年の持つ魔法は何だと思う?」
ふいに投げかけられた問いに、キンダーはうーんと唸った。
彼自身はどんな空気にも溶け込んでしまう、という不思議な魔法を持っているのだが、少し悩んだ末キンダーは答えを出した。
「人形を操る魔法……?」
「50点だ、少年。」
ふっ、と笑い、キンダーの顔を覗き込んだツェルトは、不気味な笑顔を浮かべて言った。
「【操り人形】」
「……え?まりお、ねっと……?」
その瞬間、キンダーの視界を淡い赤い光が包む。
その奥でフードをとったツェルトが微笑んで立っていた。
「生物の体の一部に赤い糸を結べば、術者の意思でそれを人形へと変える。そして、自在に操ることができる、【魔法】だよ。少年。」
黒い髪、その先は雪のように白かった。
赤い瞳、右目は透き通るような青色だった。
赤い光が収まるころ、ボールが風に吹かれころころと転がっていく。
ツェルトはゆっくりと「それ」を拾い上げた。
「やっぱり、子供は騙されやすいものだな。本当に。」
木箱の中に、キンダーによく似た人形を放り込み、ツェルトは古くなった自転車を押して村の入口へ向かう。
日暮れまではあと数刻ほどだろう。
そろそろ準備を進めるか。
雑に作られた黒いフードを再びかぶり直し、ツェルトはゆっくりと村に入った。
「あっ、あの!旅の方!」
すると、栗色の髪を振り乱し、一人の女がツェルトのもとに駆け寄ってきていった。
「栗色の髪で、これくらいの身長の、青い服を着た男の子を見かけませんでしたか!?息子なんですが、全然帰ってこなくて……」
目に涙を浮かべながら、女はうつむく。
ツェルトはフードを被ったまま、静かに言った。
「いえ、見かけませんでしたね。………ああ、でも、もしかしたら、」
道化師にでも、攫われたのかもしれませんね。
Puppenspieler ドイツ語で人形使い