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『自分史における絶対的価値』

『自分史における絶対的価値』



労働出来ない人は、生きれているのなら、無理して労働しなくても良い。生きていること自体が、働いていることだ。精神と神経と身体が、活動しているのだから、それは、働いている、働いていない、という現象に捉われず、ただ、生きている、或いは、生き延びているということだ。

しかし、ただ、食べて寝るだけでなく、生産的な芸術活動が其処にあれば、自分の場合は、もっと生きている現象になっていると感じている。それは、時間が経てば経つほど、自分史として、自己内に残っていくし、外に出れば、其処の場所が、自分史の生きる場所になる。



しかし、働いてお金を得て、社会生活を送ることもまた、正しいことではある。もっと言えば、その人にとって、正しいこととなる。正しさとは、人それぞれなのであって、外見も内面も異なる我々なのだから、違った正しさを抱くのは、恐らく当たり前のことだろう。

悟った様に生活していても、その概念を超える現象というものは、人に降りかかってくるものなので、自分史を超える価値観が、世界にはあるということだ。宇宙にもあることだ。しかし、その苦痛をも自分史に手に入れれば、自分の自分史は絶対的価値を持つことになる。



確率という数的現象があるが、これは自分ではどうしようもない。病魔や、事故や、自然の攻撃、我々はそれに耐えているのである。耐えることは、それを黙認していることだから、どうにかするには、自分がどうにか動かなければならない。

数列という数的現象もあるが、これは、順番に人が偉くなり、順番に死んでいくということだ。それでも、自分史は抵抗する。抵抗して、そこに、絶対的価値を提起する。その後、規定された現象は、自分史に取り込むことで、自分史の絶対的価値は、絶対として君臨するだろう。

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