病
「こりゃ、大したことはないな。ただの魔力消費による暴走発熱だ」
静寂の支配していた寝室に俺の安堵の溜息が響いた。
時刻は昼を過ぎていた。
リリィが倒れたことで、俺は急いで村の医者ヤーブイーシャさんを呼び、リリィを診察してもらったのだった。彼が昼飯を食っている途中で無理矢理連れてきたもんで、その態度はあまり良いものではないが、流石はプロだ。診察中は真面目そのものだった。
「魔法を覚えたての冒険者がよくかかる、魔法の度の過ぎた使用による体の中での魔力生成器官の発熱なんだが、お嬢はエルフの血が入ってるようだが……エルフには本来このような症状は出ない」
「リリィはハーフエルフだからか?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
聴診器を外し、めくっていた服を直してくれたヤーブイーシャさんにカップに入ったお茶を渡した。一口飲むと彼は続ける。
「二、三日で発熱も治るだろう。食欲が湧かなくても栄養はしっかり取らせろ。流動食でも良いし、それが気持ち悪いってなら普通の飯でいい。なんせ熱を発することで体内のエネルギーがどんどん消耗されているからな。普通の風邪とは違げーんだ。それに大したことはないと言ったが、病は病だからな、舐めてかかるんじゃねーぞ。解熱剤は処方してやるが、どれだけ熱が酷くても用法は守れ。 ……いいな?」
「ああ、分かったよ。ありがとうヤーブイーシャさん」
「飯時に呼ぶもんだからどんな大事かと思えば……ま、大病人では無いならいいがな」
はじめての事だったからな……俺も気が気じゃなかったのだ。しかし重病ではないなら一安心です。はい。
「悪かったって。金は弾むよ」
「お、そうか。じゃあ大人の金の話といこう。ここでする話にしては汚すぎるから、リビングに移動するか」
ヤーブイーシャさんはそう言って俺の腕を掴む。な、なんか妙にがめついな! そんなの後でいいだろ! 俺は今はリリィの側にいてやりたいんだ!
「ヤ、ヤーブイーシャさん、痛いっての! ちょ……」
「ほらほら、来い……アリス、お前もだ」
なんだかわけわかんないぐらいの押しの強さに、有無を言わさず感が溢れている。結局俺の意思を曲げる形でリビングまで連れてこられた。
「なんなんだよ、ヤーブイーシャさん。あんたそんなに守銭奴だったか!?」
「────やばいことになった」
「ええ、マズイわね」
「…………え?」
ヤーブイーシャさんのここに来るまでのニヘラとした笑み混じりの表情が、真面目なものに変わる。そしてそれに追随するようにアリスもまた深刻な表情をしていた。
「ジョン、リリィの体なんだが、確かに症状は大した事はない、発熱が酷いだけだ。しかしその発熱の度合いがマズイ」
「ど、どういう事だよ」
「本来、魔法の暴走発熱なんてのは倒れて寝込んじまう程の症状の出るものじゃない。少しばかり怠くなったり、元気が出ない位のもんなんだ。座り込んで休息を取ればしっかりと回復できるもんなんだよ。しかし今のリリィは違う。汗が滲み、息も荒く、寝込んでしまっている状態。完全に重いケースだ」
なんだよそれ、さっきと言っていることがまるで違う。リリィの前だったから気を使って本当の事をヤーブイーシャさんは言わなかったのかよ。
「まさか治らないってんじゃ……」
「治るさ。しかしその治った後が問題だ。あれだけの熱だ、表面上は回復したように見えても、体内の魔力器官には熱が残っちまうかもしれねぇ。それはマズイ」
「最悪の場合、体内に残った熱が魔力器官を殺して、魔力が練れなくなって魔法が使えなくなるわ」
アリスの冷静な補足説明に俺は息を飲んだ。魔法が使えなくなる?
「ま、い、一時的なもんだろ?」
「一生だバカ。だったら俺たちがマズイことになったなんて言わねーだろ」
ヤーブイーシャさんの断言に俺は狼狽を隠せなかった。
「ど、どうすればいいんだよ! リリィが魔法を使えなくなるなんて!」
「声がでかい。んなこと分かってる。ちゃんと方法はあるからギャーギャー喚くな」
怒られた。してその方法とは?
「あの容体ならあと二、三日で熱は下がる。そん時に魔力器官に内在する熱を発散させる効果のある頓服薬を飲ませればいいだけだ」
なんだ、そんな簡単なことなのかと俺は安心した。
「今飲ませちゃダメなのか? 」
「それをやっても今リリィの体は魔力器官外の熱を放出することに精一杯だから意味がない。究極の意見を言うなら魔力器官っつーのは生きる上では無くても生きていける器官だからな。体はそんな優先順位にしているわけよ」
「な、なるほどー……」
からっきし魔法なんて使えない俺の体内の、魔力器官なんてものは最早腐り落ちているんだろうなと思ってしまった。この際はどうでもいいんだけどね。
「じゃ、ヤーブイーシャさんその頓服薬も処方お願いします」
「ああ、分かった……と、言いたいところだが、ちょうど今は無くてな。グランマの街まで行って買ってこなくちゃならない」
「まじか……」
簡単に解決するものばかりだと思っていたが、予想外のヤーブイーシャさんの言葉に俺はついそう口にした。魔法が使えなくなる体になってしまう可能性が浮上した事で、不安が拭えない今、手元に頓服薬がないという状況そのものが怖くなった。
「安心なさいな。それは私が買いに行くわ」
腕を組んでいたアリスがそう言った。
「アリス」
「私が飛べばすぐだもの。……まぁ今回の件は私が悪いし、その罪滅ぼしと思ってくれたら嬉しいわ」
そう悪びれる彼女。彼女としても負い目はあったようでその様子は心から申し訳なさそうだった。
「いや、助かるよ。悪いなアリス」
「いいの」
そう言うと少しだけ微笑んだ彼女が今は頼り甲斐のある存在に感じた。そんな俺達のやりとりを見つめる気配が……
「な、なんだよヤーブイーシャさん……」
「……いや、俺としてもここまで酷い暴走発熱は初めて見たんだが……お前らはなんかこうなった原因を知っているような気がしてな」
そう疑いの目を向けるヤーブイーシャさん。確かに彼の言う通りだった。ああ、知っているさ。心当たりなら1つだけ馬鹿でかいのがな!
しかしそれを素直に言っていいかどうか判断がつかない俺とアリスは互いに見つめ合い、閉口しうなだれた。二人とも今は言わない方がいいと踏んだのだ。
「……ま、今は言いたくないならいいけどよ」
「すみません、ヤーブイーシャさん」
そう言って彼は診察は終わりだと言うように、またお茶を一口飲んだのだった。
「……じゃあ、さっさと私は薬を買いに行ってくるわ」
帰ってきたばかりなのに再び出かける用意をするアリス。といっても持ち物も大してあるわけでもないけれど。
「薬の名前はヨクナルだ。薬師に言や、すぐに分かると思う」
「分かったわ」
そう言って玄関から出ようとするアリスについていき、俺達も彼女を送ろうとする。そんな時だった。玄関扉が勝手に開いたのだ。いや、扉は壊れてでもいなければ勝手に開く事はない。来客だ。
「あ、よかったやっぱりいた」
と言ってもその顔は見知った顔。アリスの母であった。
「お母さん!?」
「さっきヤーブイーシャさんを連れ出すジョン君を見たからもしかしてと思ったけど……やっぱり戻っていたのね」
綻ぶ顔をするアリスの母。それは何か安堵を思わせた。
「ジョン君、リリィちゃんとはしっかり会えたかしら? 貴方達が飛び立つ瞬間に貴方達にしがみつく彼女を見たから大丈夫だと思うけど……おばさんちょっと軽率だったわと後になって後悔してたの。押し切られたとはいえあんな危険な真似をさせるなんて……申し訳なかったわ」
「あ、いえ、大丈夫です。ちゃんと会えましたし、こうして……ああ、今は寝室なんですけど、あいつも無事なんで安心なさってください」
「ああ、それならよかったわ。 ……リリィちゃん疲れて寝ちゃってるの?」
「ちょっと熱っぽくて……無理が祟ったみたいです」
「あら! や、やっぱり引き止めた方が良かっ─」
「い、いえいえ! アリスのお母さんが悪いわけじゃないのでご心配なく。それにただの風邪みたいなもんです」
ちょっとヤバめだけどな。俺はアリスのお母さんに罪悪感を抱かせたくなくて、そう言った。
「そ、そう……でも申し訳なかったわ。ごめんなさいね」
そう言って彼女は頭を下げた。アリスとは違いお淑やかな雰囲気に大人の女性らしさを感じ、本当に親子か? と思ってしまったのは内緒だ。
「お母さん、そのために来たの?」
アリスとしては他人といる空間で、親がいるとあまり居心地が良くないのか、要件を急かすような口調でそう言う。そうすると、母は思い出したかのように口を慌てたように開いた。
「ち、違うのよ! それもあったんだけど……先程皇帝様から手紙が届いたの! アリス、貴女への召集令状よ」
「え」
「詳しい事は書かれていないけど……とにかく急ぎらしいわ」
「お、お母さん、その手紙は?」
「家にあるわよ」
「そ、そっか……」
なんと言うタイミングだ。これからグランマに飛ぼうと言う時に、召集がかかるとは。しかも皇帝様からとはな。
アリスが俺に振り返り、不安げに見つめてきた。いやいや、流石に止められねーって。
「馬鹿、行けよ。帝からの召集命令だぞ? 行かなかったら罰せられるっての」
「で、でもリリィちゃん……」
「俺が行くから平気だ。 ……アリス、俺達は所詮平民だ、帝と天秤にかけるなんてやっちゃいけないぞ
」
俺の言葉にアリスは苦虫を噛んだような顔をした。
「……ごめんなさい」
そう言ってアリスは母を引っ張るようにして家を出て行った。状況が上手く読み込めていない母の質問を無下にしながら。
「……やばいことじゃなきゃいいがな」
「ああ……そうだね」
ヤーブイーシャさんの言うようにアリスの事も心配だったが今はリリィだ。俺は早速街へ行く準備を始めた。
「よぉ! 元気にしてたか!!」
愛馬ビンタを目にすると俺の喜びは体から溢れ、思わず舎に駆けてしまった。それは俺の愛馬ビンタも同じようで、俺の姿を見ると忙しなく馬舎の中で興奮したように動いている。
早速出してやると嬉しそうに俺の周りを駆け回った。いやー実に3日ぶり位ではあるけれど嬉しいもんだな!あれ、2日ぶり? どっちでもいっか!
って今は喜んでいる場合じゃない。すぐに薬を買いに行かなくては。
「ビンタ! 再会を喜んでいるのは俺も一緒だけど、今回はすぐに出てもらうぞ。リリィがピンチだ。グランマまで大急ぎで頼むぞ」
俺の言葉にビンタは勇敢に「ブルルッ」と鳴いた。頼りになるヤツだよ。
俺は手早く鞍を装備するとビンタに乗る。
「いいかジョン。どれだけ遅くなっても2日後の昼には戻れ」
「大丈夫、薬を買って帰るだけだろ? 今日の夕方には遅くても戻れる」
「何事もなければな。世の中何が起こるか分からん、用心せい。薬の名前は───」
「ヨクナルだろ? ばっちし覚えたよ」
「よし、リリィは俺が見ててやる。なるべく急げよ」
見送ってくれたヤーブイーシャさんからの再三の注意に感謝しながらも俺は、鞄を受け取るとビンタを走らせた。ぐんぐん上がるスピードの中で俺は願った。
時間はあるようで無い。ヤーブイーシャさんの言っていた事は重々理解しているつもりだった。この科学も文化も前のいた地球ほど発展してないこの世界では何事も予想外だ。それでも今は願うしかないのだ。薬を手に入れ無事に戻って来られる事を。




