コーリング
真夜中の空に浮かぶ無数の炎の球体。それはリリィが作り出した魔法であった。
氷円盤と同じように幾多もの炎が一瞬にして現れる様は対峙する者からすれば恐ろしい他なかった。
「────燃えて消えて」
微笑するリリィがそう言い腕を振るう。従う形で火球達は一斉にアリスに向かい飛んで行った。そしてそれに追随するように、氷の円盤達も一斉に動き出した。
四方八方からの攻め。狙われたアリスからすれば地獄のような光景だったはずだ。攻撃したリリィでさえ、凄まじいと自負したのだから。
しかし─────
一瞬にしてアリスの姿が消える。リリィは再び後ろを振り返った。またも韋駄天生による高速移動だ。背後を取った攻撃がくるぞと踏んでいた。けれどもアリスの姿はそこにはなかった。予想とは違う光景にリリィは辺りを見渡すがアリスの姿は見当たらない。
「いったい─────」
どこに行ったという言葉は遮られた。そのリリィの身を置いている氷円盤のぶち抜かれる音と、その打ち抜いた張本人である下から現れたアリスによってリリィの顎に殴打が食らわせられた事によって強制的に言葉など掻き消されたのだ。
とてつもない攻撃力。それによりリリィは上空へと打ち上げられた。
それを追う黄金の光。月夜に照らされ輝くアリスの髪が、彼女を一筋の光としていた。
打ち上げられたリリィは痛みを堪えながらも風の魔法を利用し体勢を立て直すが─────
「ギャッッ────!!」
途端に襲い来る背後からの衝撃と痛み。アリスの高速の攻撃にリリィは今度は地上に向かって吹き飛ばされた。
「調子に乗らないでよ!!!」
またも空中で体勢を整えるリリィ。その顔には余裕はなかった。怒りに任せた炎の嵐が幾つも放たれ上空に向かって飛んでいく。
この広範囲の魔法なら当たるか、迂回してこちらを狙うしかないはず───!!
リリィはそう考え、次に先駆け手元で氷の魔法を練り出す。いくら速いとはいえ、動きさえ見えれば攻撃出来る。それが彼女の考えだった。
「え……」
空駆ける閃光。向かうは炎の嵐。その姿に躊躇など無く、それはまるで稲光のように連続的に屈折しながらリリィの攻撃を回避し、リリィの予想を遥かに上回った動きを見せた。
そして
ドゴォォッッ─────!!
確かにリリィの体内にそんな音が響いた。アリスの蹴りがリリィの腹部を確実に捉えていた。衝撃と痛みになす術のない少女の体。腹の空気は嘔吐物と共に全て吐き出され。あまりの痛みに視界はパチつく。頭には電流が流れたような衝撃が駆け巡り。叫び声などあげられるわけがなかった。
そうして抵抗も出来ずリリィの体は運河の水面に落ちていった。
その様子をアリスはじっと見入る。本気では殺すつもりなどは毛頭なかった。しかし本気で戦わされたのは確かだった。
その証拠にいまだ韋駄天生の魔法を解いていい気が起きなかった。すぐにでもリリィが水中から飛び出して来るのではないかという不安があったからだ。
手加減をしたつもりだが、もしも10秒ほどで彼女が浮かび上がって来なかったら救助に入ろうとアリスは考える。そしてその時は何事も起きる事なく訪れ、10を数え終えたアリスは水面に向かって降りていこうとした。
その時であった。
何やら凄まじい魔力の気配を、遥か上空から感じ取ったのだ。今の今までなかった脅威的な気配に、衝動的にアリスは振り返った。
「な………なによ……これ……」
唖然とするほかなかった。というよりも───
「なんで……なんでこれが……い、いや……そんなわけ…」
自身の遥か上空に浮かぶ存在。それが魔力の正体だった。しかし魔力の強大さもさることながら、アリスが慄いていたのはその『既視感』であった。
星空の下、月明かりが照らす夜空世界。そこには漆黒の翼を広げた巨大な砲が浮かんでいた。しかしその姿は厳格にして荘厳な雰囲気ではなく、漆黒の翼はまるで液体のように滑らかな曲線を描いたような構造をしていて、まるでスライムが翼を模したと表せば分かりやすい形をしていた。そして砲の部分も長い砲身からはドロドロとした液体物が滴り落ち、それは黒い油の様。まるで神々しさとは無縁な姿のその存在は、見るものによっては汚物にしか見えないだろう。
しかしアリスの心中はそれどころではない。
『それ』とは断定は出来ない。けれどあまりにも似ている。自分が命を賭けていた頃に見た、過去の光景。その発せられる魔力の壮大さに気力さえ削がれた事を思い出す。
誰もが絶望を覚えた。その『存在』。雰囲気、形、色、魔力量、それのどれもが似通っていた。
「こ、こんなの……聞いてないわよ……」
突如現れたそれ。いや、『これ』はひとりでに現れたりはしない。誰かが生み出さなければ絶対に現れたりしないのだから。
「『月呑絶叫』なんて……聞いてないわよッ!!」
その魔力から微量ながら感じる色。それは今は水の中に沈む一人の少女の色であった。その少女が生み出した存在なのはアリスには分かっていた。分かっていたが───
認めたくはなかった。こんな禍々しい魔力を一人の少女が──
それも見知った少女が生み出したなどとは─────
『あの日』、魔王との決戦の時に彼が生み出した、足掻きにして最大の魔法。それこそ月の魔法────
『月呑絶叫』なのだから。




