闇
並々ならぬ気迫がリリィを襲う。それは氷の円盤による攻撃を行っているのは自分でありながらも、その攻撃自体を後悔してしまうほどに強力なものだった。
何かやばい。
本能がそう告げる。その時だった。
アリスを襲おうと進む氷円盤の集団の隙間を閃光が駆けた。
「────こっちよ」
「!?」
背後から聞こえた声に振り向こうとするリリィ。しかしその背中を強い衝撃が襲う。
「ぐぅッ!!」
容易く吹き飛ばされ、氷の足場から突き落とされるリリィ。素早く意識を戻し、自分の吹き飛ばされた先に氷円盤を呼び戻す。3つ並べた氷円盤に転がるように着地するリリィ。元いた場所を見ればそこにはアリスの姿があった。
とてつもなく早い移動魔法だ。あんなに高速の移動はそれしかない。
「今のは蹴るんじゃなくて剣で切り裂いても良かったのよ? 私の慈悲でそんな残酷な事はしなかっただけ。つまりは既に勝敗は決していると思わない?」
アリスの言葉にリリィは苦く噛む。
「────炎よ!!」
差し向けた掌の先から蹴鞠程の大きさの火球が飛び出す。それはアリスに向かって飛んでいくが───
「無駄よ」
無鉄刀剣によって彼女が腕を振るう事なくそれは容易く切り払われる。
「そんな直線的な攻撃でどうにか出来るとでも?」
意味のない魔力の消費だと嘲るアリス。しかしすぐに気が付く。その切り払った筈の炎は飛散する事はなく、その切った一本の魔法剣に取り付くとそのまま包み込み、業火によって消滅させたのだ。
────炎嵐!? ……いや、それにしては小さ過ぎる。それにこんな絡め包むような蛇のような動きはしない!
「形がないから……炎の動きさえ自由自在ってわけ!?」
無茶苦茶なやり口だ。無形であるから変幻自在。まるで自分達が必死に覚えた、名のある魔法の数々を否定されたような気持ちになる。炎という現象さえ起こしてしまえば、あとは炎放射や炎嵐を模すだけでそれを可能にしてしまうのだから。それだけではない、工夫だけでこの剣を包む炎のように炎嵐の上位互換の技さえ使えるのだから不公平極まりない。
「だけど────」
アリスの姿が再び消える。先程と同じ現象。それこそ彼女の得意魔法、『韋駄天生』だ。東方の大陸から伝わる魔法の1つ。光魔法の上位魔法。その身体の能力を上昇させる魔法だが、その倍率は並ではなく、全てのステータスを10倍まで上げる事が出来、特に敏捷性は最大出力で55倍まで上げることを可能にする。
正真正銘の最高の強化魔法である。
再びリリィの背後を取ったアリス。殺しはしない。しかし二度と歯向かう事を考えない程度には痛めつけてもいいかもと、上から目線の考えをする彼女だが、それはすぐに撤回する事となる。
「くらいなさい」
「────どうかな」
背中に向けて無鉄刀剣の腹による殴打を食らわせてやろうとふんでいたアリスの正にその剣が、突如巻き上がった炎に飲み込まれ破壊されたのだ。
リリィを守るように包み込み立ち昇る炎の渦だった。ひるむアリスだが、切り替えるように脚に防御魔法を施すと、蹴りをお見舞いする。
が─────
リリィの姿が消えた。いや、消えたわけではない。アリスは何が起きていたかしっかりと目撃していた。彼女が氷の足場から落ちたのだ。その立ち昇る炎によって超スピードで彼女の周りの氷は溶かされ、円形に足元が抜ける。一見すると自身が起こした魔法によるマヌケ行為に見えるがそんなことはない。結果的にアリスの蹴りが空を裂くことになったし、何より落下した真下に別の氷円盤を呼び寄せていたのがその証拠だ。
すぐに追いかけようとするアリスだったがリリィの顔には確信した表情が貼り付けられていた。
「降りちゃったね。私の場所に」
その言葉の意味を理解しようと努めるよりも早かった。アリスが足を預けていた先程までリリィがいた氷円盤。その表面下から突如無数の蔓が生え伸びてきたのだ。
「ッ!!?」
反応するのが一瞬遅れたアリスに逃れる術はなかった。両手足に絡みつく蔓には薔薇のような棘が無数にあり彼女の肌に薄く食い込んだ。
「ああ"っ!!」
痛みに呻いたアリスはすぐさま炎の魔法で焼き切って脱出を考える。
だが──────
「────苦しんで?」
恐ろしい事が起きた。
その四肢に巻き付いていた内の右腕の蔓。それの棘が伸び、アリスの右腕の肉を貫いた。
「─────ッッッ!!!!???」
刺さった棘、それは一本二本ではなく無数であり、その様はまるで鮮血のサボテンのようだった。
「ギャッ────ッアアア"ア"ア"ァァぁッッ!!」
衝撃的な痛みに吠えるアリス。それは精神を揺らがせ、無鉄刀剣が無意識に解除させられるほどだった。たまたま暴風が吹かなければ、空で戦う彼女達の下に広がるヴィヴィリオールの街の人間にもその悲鳴は聞こえていた事だろう。
────たまたま?
「聞こえちゃ駄目だよね? 他の人の眠りを邪魔しちゃうもんね? 大丈夫だよアリス、いっぱい叫んでいいから」
違う。その風さえリリィが起こしたものだったのだ。なんとも恐ろしい考えに至る子である。今、アリスがどれだけ叫ぼうとその声はリリィ以外誰にも届かないのだから。
「ぁ……ぁあ!! 痛い! ッ痛い痛い!! 助けてぇっ!!」
両目から涙を流しながら乞うアリスは、自分でも精神を整え、なんとか炎の魔法を起こそうとする。だがそんな事をリリィが見逃すはずがなかった。
貫いている棘や蔓が次第に土色に変わっていったのだ。目の前で起きていることにアリスは理解が遅れるがすぐに分かった。蔓が岩に変わっているのだと。
変換魔法!?
痛みが激しい中でもアリスは分析し、その答えが出る。炎を水に。氷を岩に。それが変換魔法。主に魔法を得意とする冒険者ぐらいしか使用出来ない芸当にアリスは動揺を隠せない。
一体この子はどれほどまでに────
並みの天才ではない。千年……いや一万年に一人の神童。それでも足りないくらいだ。アリスはそう思った。
「────絶対に殺さないよ? 絶対に殺さないから。人間と私の暮らしをそんな事で棒に振れないもん。だからいっぱい苦しんでね」
悪魔か。そうアリスが思った時だった。今度は左腕に巻き付く蔓に違和感を覚えた。
それは徐々に腕に棘の食い込みが深くなる感覚だった。
「リ、リリィちゃん……?」
「…………」
「何をしているの……ねぇ、何してるのよ!!」
「……ぅんん? ……何が?」
「私の左腕に何をしているのって言ってんのよぉ!! ────ッあ"!!」
プツリとアリスの腕の薄皮を棘が破った。ゆっくりと無数の棘はアリスの腕の中を進行していった。
「痛い!痛い!痛いィィッ!! やめて!やめて!やめて!やめで!やめでぇぇ!!」
ゆっくりと、ゆっくりと、肉の中を突き破っていく蔓の棘。想像絶する痛みにアリスの目の前はチカチカとしだす。気を失ってしまいそうなほど。アリスに限界が迫っていた。
「嫌よ」
「たすげでぇ!! お願い……リリィ、お願いぃ!! お願いしまずぅぅ!!」
「いや」
涙も涎も鼻水も撒き散らしながらも、それでも痛みから逃れられない。ジッと真正面から冷たい目線を向けてくるだけだった。
「私の……負け!! 負けでいいから!! もう嫌だ!! 痛いの嫌ぁ!!ッッアア"ァァ!!」
「それは違うわ、貴女私を甘く見ているもの。 ……違うでしょ? 本当ならこんな拘束なんて解けるんじゃない? 感情を爆発させれば解けるんじゃなくって? アリス……」
なんとも酷い。残酷な物言いだ。本当に目の前に立っている少女はあのリリィ・キャラメリーゼなのだろうかと疑ってしまうほどだ。しかしアリスは乞うのが無駄だと分かると、その意識を一気に爆発させるように整えた。ガムシャラ、何振り構わない、そんな感情の昂りにも似ていた。
そして作り出される一本の無鉄刀剣。それはひとりでに右手の蔓に振り下される。
しかし
まるで鋼鉄の鎧を相手にしているが如く、それは弾き返される。
「ど、どういうこと……」
「凄いでしょ、それ」
蔓自体は細いそれなのにどうしてこんなに強固なのだと慄く。リリィは得意げだった。
「土の魔法と草の魔法を重ねたの。外から見れば、岩にしか見えないよね? でも中は違うの、蔓の皮膜と薄い岩のコーティングを交互に重ねているんだ。大体25層くらいかな……だからこんなに硬いんだー」
化け物か。アリスの顔が蒼白になる。
一体どれだけやればこの域まで行けるのか。そんな絶望に飲まれそうになる。
「……そんなものも見抜けないなんて、おマヌケさんね、アリス」
余裕の顔でリリィが言う。
「所詮凄いのは勇者様だけで勇者パーティーなんてこんなものなのね。がっかりだわ」
知った風な口でそういう彼女。アリスの頭には旅の思い出が、フラッシュバックする。辛いことも楽しい事も全て。
「どうせ、戦いも勇者様任せで、何もしてこなかったんでしょ? 貴女の戦いからはそんな気しか感じられないわ」
……アンタに何が分かる。
「なんて言えばいいのかな……無能とでも言うの? 使えない人? 強いとは程遠いわ」
口を閉じなさい。
「貴女に人間は相応しくない。とっとと、失せて。こんな……弱くて、性格最悪で、情欲に塗れた猿なんか……彼には相応しくない」
あ……あんたが……
「死んじゃえばいいのに」
─────ふざけんな。
突如だった。アリスの周りが一気に暴発するように魔力の嵐が吹き荒れた。それは彼女を拘束する蔓を例外なく吹き飛ばし、氷の足場さえ壊す、慈悲なき爆発。そして彼女の腕の無数の貫いた傷は見る見るうちに治癒していった。
「────殺してやるわ!! リリィ!!」
怒りに塗れた吠えるアリス。
それを見てリリィは小さく言う。
「……やーっと本気になってくれた」
激昂する鬼と冷笑する悪魔。そこには恐ろしき存在がいた。




