愛を知る
リリィ視点のお話です。
むせ返るほどの嫌悪だった。
アリスの命じた足に接吻をすること。願いを1つ聞くこと。そして何より二人きりでヴィヴィリオールに行くということ。
体の奥が、訳の分からない程に重くて……いつもは水だったものが、油になってしまったみたいに気持ちが悪くて……
許せなかった。
だからついていった。嫌な予感がしたから。
覚えたばかりの変身魔法。練習していたネズミへの変身を早速利用するとは思わなかったが、ネズミに化け、人間の背中や、アリスの死角になる所にへばりつき、彼らについていった。
食事をする二人、酒を飲むアリス、介抱する人間をいいことに誘惑するアリスの姿に然程驚きもしなかった。なんとなく彼女がそうする事は読めていたから。
普段の生活からして彼女が人間の事を好いているのは知っていた。たしかに自分と他人との行為を人間に見せたいだとか、虐めるのが好きだとか狂った事は良く言っていたけれど、それでもアリスは人間の事を好きなのは明白だった。
そして人間の方だって、態度や言動からアリスの婚約破棄の事をなんとも思っていないのは事実だろうけど……だからこそ、いつかは彼女の事を受け入れてくっついてしまうだろうと容易に想像出来た。
彼も彼で、アリスに対して時に冷たくしたりするけれど、幼馴染ということもあり、普段は楽しそうだ。そんな彼がもしアリスに迫られ流されて、肉体関係を持ち子供なんて出来てしまえば、責任を感じてお嫁さんに迎えるだろう事は確実だ。
だって人間はそういう人だもん。暮らしていて分かっちゃったもん。
だから人間を気絶させたことに腹は立ったけれど、それには今は目を瞑ってあげる。けれど、彼を無理矢理襲おうだなんて、それだけは許せないよ。
私から彼を持っていく原因だけは潰さないと。
「リリィちゃん、ついてきなさいな」
窓を開けたアリスがそう言って窓の枠に足を乗せた。
夜風が彼女の髪を揺らす。金色の髪が揺れて綺麗だった。それだけじゃない。彼女の体はまるでおとぎ話の女神様のように美しく同じ女の子の私でも状況が違えば見とれてしまいそうになるほどだ。きっと人間もこういう体の女の人は好きだ。
「……その格好のまま出るの?」
「まさか。『防御想像』」
アリスがそう言うと突然白布が生み出されて、アリスの体に纏わりつき、まるでキトンの様に身を包んだ。本当の女神様みたいになっちゃった。
「本来は魔法盾を生み出す魔法だけど、応用でこう言うことも出来るのよ。覚えておきなさい」
得意げにアリスは私に向かって助言を飛ばす。まるで既に実力差は歴然だとでも言うように。
「地上で交えるのはよろしくないわね……リリィちゃん貴女、空は飛べて?」
「飛べたら貴女と人間を二人でこの街には来させてない」
「ああ、そうよね。街に被害を加えないなら空で戦うのが一番だけど……どうしようかなぁ……それなら────」
「大丈夫」
「え?」
「飛ぶことは出来ないけど、空で戦うことは出来るわ」
なんでもかんでも下に見られていたら戦う意味がない。私にだって色々と出来ることがあるのだ。
その意思が伝わったのか、アリスは「そう」とだけ言うとニヤリとして先に窓の外に出て行き、浮かび上がっていった。
……きっと彼女との戦いは生易しいものではないんだろうなと私には分かった。何より私が彼女を本気にさせてみせる。いつも人間にしているみたいに余裕綽々のあんな態度じゃなく、油断すれば私に人間といる時間を全て奪われてしまうと焦る、そんな態度に。
私は窓に手を掛けてベッドに縛られている人間を見た。私に頭を振って、馬鹿なことはするなと訴えかける彼に少し笑ってみせた。
「ごめんね人間。許して」
今はまだその拘束は解かない。きっと解放すれば彼は全力で私達を止めようとするから。それだけはやめて欲しかったから。
私は窓の外に氷を生成する。大きなタイルの様な六角形の氷板。それを風の魔法で浮かせれば、空中の足場の出来上がりだ。
それに飛び乗る。上で軽くトントンと跳ねてみてもビクともしない。これならいけそうだ。私は次々と氷板を生み出し、風で浮かせると、飛び乗り継いでいった。アリスを追うために何枚も作り出して。
既に目下にある人間のいる宿を見下ろした。
人間の事を思う。そうすればこれからある戦いの事を思っても少しも怖くなんてなかった。
ねぇ……覚えている? 私と貴方が初めて出会った時のこと。出会いは唐突だったけど……私にとって貴方はかけがえのないヒーローになったよ。
それから沢山の事を教えてくれたね。楽しい事も大変な事も。私、お母さんが居なくなって久しぶりに誰かと暮らしたけれど、こんなにも幸せだって思えたのは本当に久しぶりだった。口喧嘩もしたけれど、貴方のことを本気で嫌いになんて一度もなったことなかった。
この間は私を安心させる為に貴方が意地を張って何でも屋に戦いを挑んだけれど、私が貴方に対して弱いと思ったことなんて一度もなかったよ。
ヒーローじゃなくてもいいの。私はありのままの貴方が見ていたい。一緒にいたい。
ふざけてて、明るくて、時々卑屈になって、それでも優しくて……そんな『ただ』のジョン・ウィッチで私はいいの。
人間、貴方はきっと知らないだろうけど……エルフにとっての小間使いってね……結局は嫁入りと同義なの。
誇り高いエルフが小間使いになるだなんて……そう言った例え話があるの、きっと貴方は知らないでしょうね。世界を回っていたアリスなんかはもしかしたら知っているんだろうけど。
……結局最初から私はそういう考えの元で貴方と一緒にいたの。勿論最初はそういう感情ってよく分かんなかった。たしかに人間の事は好きだったけれどそれがどう言った好きかは分かんなかった。今自分の中で感じている感情が愛しているって感情なのか、お母さんにも感じていた好きって感情なのか、今も正直分かんないの。
でも……
貴方を思うと、体の内側がキュンとなる。体に触れると熱くなる。見つめられると嬉しくなる。くっついて寝ると幸せで苦しくなる。
これはきっと嫌だって感情じゃないよね?
だから私は貴方がとっても大切なの。
違う
違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う……!!
違うよ! そんなんじゃない!こんなんじゃない!
嘘……嘘嘘嘘!!
足りないよ…!全然足りない!!
こんなんじゃないの!! 私が思っているのはそんな程度じゃない!!
欲しい……欲しいの。人間の全部、何もかもが。
……アリスなんて見ていたらダメよ。幸せになれないから。
……あの石鹸のお店のお姉さん? あの人もダメよ。色気を放ち過ぎている。貴方には悪影響だから。
……街行く有象無象の女の人達なんてもっとダメよ。貴方には不釣り合いだから。
だから私を選んで。勇者様を助ける強くも、大人の魅力もないけれど、想いだけなら絶対に負けないから。
私だけを見ていて欲しい。失いたくないの。見捨てないで欲しいの。私は死ぬのも怖くないから。痛いのも怖くないから。けれど貴方を失うのだけは絶対に嫌。
取り繕ってた私なんて全部嘘。本当は……本当は人間の事を独り占めしたい。
いい子を演じて生活しているけれど、本当は独占したい。
貴方がフォークスなんてヤツと戦った時に実感した。貴方が傷付いて死んでしまうんじゃないかって思った時、私の心が砕けそうになるのを感じたの。
それで分かった。私にとって人間……貴方は全てなの。
ジョン。ジョン…ジョン……ジョン……恥ずかしくて未だに言葉では言えていない貴方の名前。心の中だったら何度だって叫べるのに。
ジョン……貴方がアリスにしていた足へのキス。それを見たとき彼女の脚を切り落としてやりたいと思ったわ。でもそんな事をしたら私が貴方と一緒にいられなくなる。そんなの耐えられない。
ジョン……貴方がアリスに襲われそうになっているのを見てから飛び出したけれど、本当は酒に酔って迫っていた時から彼女の頭を吹き飛ばしてやりたいと思っていたわ。でもそんな事をしたら私は貴方といられない。
だから我慢した。私は貴方を思っているから。軽率な事はしないの。
きっと貴方は私の事、子供みたいに思っているでしょ? 仕方ないよ、貴方からすれば私は子供だもの。
でもね、一番は私。 愛だの恋だのそんな感情は知らないわ。でもジョン・ウィッチ、貴方を一番想っているのは私よ。
いつでも考えてる。ふとしたとき貴方を想っている。貴方を想うと体が熱くなる。触れたくなる。触れて欲しくなる。言葉で語りかけて欲しい。色々な言葉を囁きたい。私の体の全部に触って欲しい。貴方の体の全部に触れたい。貴方の心を私で染めたい。私の体を覗き込んでこの気持ちの全部を知って欲しい。そしてずっと一緒にいるの。
ずっと
ずっと
……ずっと……ずぅーっと
……それだけが願い。
……これが愛なのかな。
だったらダメだよ。
アリスとくっついちゃったら、私はきっと終わりだ。
苦しみでも痛みでも与えてくれていい。ジョン……貴方さえ私の物になるなら何を捧げてもいいわ。
だから決して他の女のモノにはなってはダメよ。
でももしもそれが彼自身の一番の幸せだとしたら………?
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
薄汚れた感情だと、自分勝手な想いだと、どうとでも言ってください。
だとしても私はジョンが欲しい。その一番の幸せも、きっと変えてみせるから。私と一緒にいるのが最も幸せだと思わせるから。だからお願い……私を受け入れて。私のジョン。絶対に誰にも渡さない。
「ねぇアリス────」
月が綺麗だった。
私達は街が見渡せる程に高いところまで上昇していた。
「本気でやってね?」
何を馬鹿なと彼女は笑った。
「はいはい……本気でやります」
彼女は元勇者パーティだ。実力は高いことは当たり前だ。だから私がこう言ったところで、手を抜くに決まっている。
でもいいの……本気を出すしかないとこっちが思わせれば良いんだから。
本気は出しても殺しはしないわ。そんな事をしても私とジョンが不幸になるだけだもの。そんな後先考えない事はしない。
けれど……あぁ……もう馬鹿な事を考えないくらいには体に教えてあげないとね。




