二人の鬼
幻かと思った。白いワンピースの少女が軽く微笑みながら俺とアリスの情事をジッと見つめていたのだ。
しかしこの部屋の空気が一気に変わったことを考えれば、彼女が現実であることがはっきりと分かった。
「な、なんで貴女がここに……」
「いてはダメなのかしら?」
伏し目がちにアリスを見つめるリリィのコバルトブルーの目は淀み、濁っているよう。だが、その奥の方でアリスを撃ち抜くような力強さも見えた。
「貴女がやろうとしている事は、私に見られちゃマズイことなの?」
「そ、そんなことないわ! アハハ……見ていく?」
「見るわけないでしょ? 気持ち悪い」
「…………」
つまらない冗談だとバッサリ切り捨てた。
「変身魔法で鼠に化けて、人間の懐に潜り込んでいたの。貴女達が空を飛んでいる時は背中にへばりついたりしてね。怖い体験だったけど、こうしてアリスの犯罪行為を未然に防げたなら、勇気を出してやって良かったわ。あ、貴女のお母様には言ってあるから心配しなくていいから」
「ついてきたのね……」
「信用出来なかったからね。貴女が人間を狙っているのは分かってた。その変態性を抜きにして、好きで……好きで……たまらないんだなって日頃から見てて分かったもん。だから二人きりっていうのを条件にしてきた時点で何かの実力行使に移すだろうなって思ったの。でそうしたら結果的にこうなってると」
そういうことだったのか。何故ここに彼女がいるのか不思議でたまらなかったが、ついてこられていたとは気付かなかった。いや、もしや飯を食べていた時にいた白い鼠、あれこそがリリィだったのだろう。珍しいもんもいるもんだと思ったが、まさかリリィだったとは。
それにしても変身魔法……リリィがしれっとそう言ったが、それはとんでもなく高度な魔法だ。自分の姿形を変えて、別の物にしてしまうのは難易度が高い。下手をすれば大怪我をすることもあるし、元に戻れなくなる可能性も秘めている。
それを会得してしまうとは彼女の独学も相当な域に達しているのだと分かる。
「……ふふ、そう」
アリスの心理を読んでいたとリリィはきっぱりと言ってしまう。俺にも読めなかったアリスの行動を予測してしまうとは恐ろしい少女だなと感じるが、俺とは逆に、焦燥はすれどアリスはそんな小さな余裕のある笑い方をした。
「で、リリィちゃんは要件は?」
「今すぐ人間を解放しなさい」
「嫌だと言ったら?」
「……なんで?」
自分が登場すれば必然的に止めるだろうと思っていたのだろう。アリスの返答にリリィは少し困ったような表情をした。俺もリリィと同じ気持ちだった。
「ようやく既成事実を作ることが出来る状況なんだから止める方が馬鹿でしょう?」
「わ、私がいるのよ?」
「逆に良いわ」
「え」
「貴方の大切な大切なジョンの童貞が奪われる様を見ていなさい。貴女の目の前で堂々と貰ってあげるわよ」
ニンマリと笑うアリス。子供に対する仕打ちじゃない。自分の欲しいものを手に入れる為なら相手が子供だろうと情事を見せつける程の覚悟だという彼女に俺も恐ろしさを感じる。子供に対してのそれは立派な暴行だぞ!! 俺の息子は彼女から香る匂いにビンビンだから説得力はないけれど。
「そんなの人間が可哀想でしょ! 」
「なーに言ってるのよ、既に私の魅力に期待しているこの男が可哀想なわけがない。その証拠にほら、このパンツの下、どうなっているか分かる?」
俺の下着を指でツンツンするアリスからリリィは顔を逸らした。
「あら、おませさんねリリィちゃん、私が何を言っているのか理解しているのね。だったら話が早いわ……彼もしたいのよ。それを妨害しちゃ私にもジョンにも失礼でしょ? ……このままここにいるか、さっさと出ていくか、早く選びなさい」
俺は全力で首を横に振った。助けてくれと俺は必死にリリィに訴える。
「ほら、ジョンもそうだそうだと言っているわ」
良いように翻訳すんな!! 俺が喋れないのをいいことに!!
「嘘! どう見たって嫌がっているじゃない!」
「そういうプレイってことよ!! 分かっていないわね!!」
「プ、プレイ?」
「そう、あくまで自分は嫌なのに、無理矢理やられて快楽の波に支配されてしまう……そういうのに気持ち良さを感じる人もいるのよ!」
俺は違う!俺は違う! 俺はノーマルだ! 少なくとも初めてはノーマルがいい!
必死に頭を横に振る俺を訝しげにリリィは見た。
「凄く必死よ、人間」
「ジョンも期待で可笑しくなりそうなのね」
独自解釈止めろ! 俺の地位がどんどん下がるだろうが!
「もうふざけないで! あんなの喜んでいるように見えないわ! 人間を連れて帰ります! どいてよ!アリス!」
「嫌だと言ったでしょ?」
ニヒルに挑発的に笑むアリス。リリィの顔が顰める。
「……貴女、本当に嫌。人間の周りの事を散々引っ掻き回しておいて、それがなかったかのように私達の家に来るし、人間の事を馬鹿にしてるし…… もう人間の事、解放してよ。貴女がいたんじゃ彼は前に進めないわ」
別に俺はこいつの事なんて微塵も弊害だとは思ってないが……リリィの目からすればそう見えていたみたいだ。それはきっとリリィが俺に対して優しいからそう見えているのだろう。
「嫌よ。私はコイツが欲しい」
「それは勇者様に捨てられたからでしょ。人生に焦っているだけじゃない。人間にさえ突き放されたら自分は一人だって分かってるから……だから人間が手放せないんでしょ」
「は?」
「依存しているのはアリス、貴女だわ。幼馴染だからなんて言っているけど、貴女にとっての人間は貴女の最後の希望。自分を受け入れてくれる最後の砦なんでしょ? でも貴女は自分に言い寄ってくる他の男がいれば、人間なんて容易く捨てるわ。一方的にね。所詮は滑り止めのようにしか人間を思ってないじゃない。そんな人に人間を好き勝手にはさせない」
リリィの強気の発言。挑発にもとれるそれに、アリスはベッドから降りて、すくりと立ち上がった。
「……私にとってジョンが二番目ですって?」
「ええ、そんな人に人間は渡せない。小間使いとして守らなきゃ。私にとっては人間は一番なんだもの」
リリィの発言とアリスの突如現れた静かな雰囲気に
まるで形勢が逆転したかのように感じた。
「貴女にとって……ジョンは一番」
「私は人間がいなくなったら何処にも行けない。何処にも居場所はない。私は人間と一緒にいたい。人間と一緒なら他に何もいらないわ」
「……それは小間使いだからなの?」
「ええ」
「ひとりの男として好きだからじゃなくて?」
「え……」
「ひとりの雄として見ているわけではないの? 他の女が近寄ってきて、自分の好きな男が取られると不安になっているのとは違うの?」
「……そ、そんなの……そんなのとは違う! あ、貴女が相応しくない人だから、私が小間使いとして、人間には悪影響を与えちゃうと思ったんだもん!」
「────だったら黙ってなさいよ」
俺の背筋にゾクっとするものが走った。それはアリスから突如発せられたまるで恐ろしいオーラ。それはまるで……殺意にも思えた。
「所詮ただの小間使いが、男女の関係に口出し出来るわけがないでしょ? 悪影響? 相応しくない? そんなものは本人達で決めることよ。 外野が……ましてやただの小間使いが介入してこないで頂戴。 ……一番や二番だなんて……知った風な口聞かないで」
憎々しい口調のアリス。そんな彼女は珍しく思った。
「リリィちゃん、貴女退く気はないのよね?」
「……ないわ」
「いいわ、ここで白黒はっきりさせましょうか」
「どういうこと?」
「簡単な話よ。貴女と私で戦って勝った方がジョンにとって相応しい相手としましょう。今まで有耶無耶にしてきた所を今日決めてしまいましょうということよ」
なんということか。おおよそ大人の言っていいことではない。目の前の子供をアリスはこれからボコボコにすると宣言したのだ。
何考えてやがると俺は叫ぶが、それはただの呻きにしかならなかった。
「いいわ」
リリィ!?
まさかの承諾の言葉だった。
「貴女に人間は渡さない。貴女みたいな悪魔に渡してなるもんですか」
「ふん……軽く遊んであげるわよ」
恐ろしい事になってしまった。アリスは言っても元勇者メンバーの1人なんだぞ!? リリィなんかじゃ相手にだってならないと分かる。 殺しはしないだろうがボコボコにされるのが分かっている!
しかしリリィの目は既に闘志に燃えている。二人の少女の間には付け入る隙など皆無であると感じた。
止めなくては大変な事になる! そう思う俺だがクソ雑魚の俺にはそんな力はない! というより……何より今の俺には動く術がなかった。




