終着
「テメェも聞いたことぐらいはあるんじゃないか? 魔力嚥下ってのを」
「……『ブラッドドラゴン』の吐く息を当てられる事によって起こる、固有状態異常の通称……」
「その通り。お前は今その状態になっている」
俺は宣告するように言う。フォークスの肩がびくりと跳ねる。
「ふざけるな!!」
彼の憤る声が響いた。
「ブラッドドラゴンによって起こされる状態異常に僕がいるだと!? ホラを吹くのも大概にしろ! 魔力嚥下は固有状態異常の名の通りブラッドドラゴンの吐息を浴びなくてはその状態にはならない! 僕が……僕が……いつそんなものを浴びたと言うんだ!」
フォークスの言うことはもっともだ。彼の言うように『魔力嚥下』と呼ばれる特殊な状態はブラッドドラゴンと呼ばれるモンスターの吐息によって起こされる特別な状態異常、この場にそのモンスターがいなくては万が一にも起こるわけのない事象であった。だが、フォークスも諦めの悪い男だ。本当はそれがなぜ起こっているのか、彼自身分かっているはずなのに。
「往生際が悪いぞフォークス。優秀なお前なら話の流れでもう分かっているくせに」
「ふざける…な…ふざけるな!ふざけるな!」
「ふざけてなんかいやしない。……さっき浴びた緑色の煙、あの中にはブラッドドラゴンの『口内分泌液』を含まさせてもらった。それによってお前は一時的に『魔力が枯渇している状態になっているってことよ」
「ば、馬鹿な……じゃ、じゃあアンタはブラッドドラゴンの分泌液の採取に成功したと言うのか……? そんなことはありえない! 奴らは上位モンスターだぞ!? 討伐することは難関中の難関、それに倒せたとしても死後五分もしない内に分泌液は腐り切る! 特殊な粘性を持つ故に氷魔法でも冷やせないから保存することも不可能と言われているのに、それをアイテムに仕込めるわけがないだろうが!」
「説明ありがとう! ならば空に浮かぶテメェの無鉄刀剣を見てみな!」
俺はそう言い天を指差す。そこには崩壊を始めている魔法剣の姿があった。次々と、剣を作っているエーテルがほつれボロボロと落ち、まるで綿帽子のように空へ飛んでいった。
もう察しはついていると思うが、俺が上位モンスター、ブラッドドラゴンの分泌液を腐らせることなく採取出来たのは当然『安寧スキル』のお陰である。警戒心を持たぬモンスターと友好的になり、餌付けをしてその餌に毒を盛る事で仕留める。そうすることで現場でアイテムの生成を行うことで、腐らせる事なく『ブラッドドラゴンの分泌液仕込みの煙玉』を作ることが可能になるのだ。必要な器具や準備をブラッドドラゴンのすぐ真横で出来るからこそできる芸当だ。
分泌液一つ採取する為に殺すなど、まさしく外道極まりない行為だが、生きる為の策の一つであり、俺にとっては必要な行為なのだ。それにモンスターならば他の冒険者も慈悲をかけることなくバッタバッタと倒しているので、俺にブラッドドラゴンのみを特別扱いする義理もない。
まさしく俺にしか出来ない『技』と気取らせてもらおう。
「あ……ああ……!!」
崩れた魔法剣を見つめて惨めな声を漏らすフォークス。それは俺の言っていることを認めざるをえないことを証明していた。
「─────魔力の枯れた状態は過去の実験の結果、約10分程続く事が分かっている。フォークス、お前はそれまで立っていられるかな?」
「……何を言っている……攻略屋、アンタに魔法が使えなくなったとして何の問題がある!? 僕には揺るがぬ剣術がある、アンタに遅れをとることなどないのさ!」
「それはどうかな! お前も覚えているはずだ、以前戦った時、突如自分の体がまるで自分の体ではなくなったような感覚に襲われはしなかったか? 力を入れても上手く入らなかったり、簡単に振り解けるはずのワイヤーを振り解けなかったり、まるで別の体を操っているような感覚に」
「……ッ!!」
「それが起こったのは偶然なんかじゃない。俺が起こしたのさ、その摩訶不思議な出来事をな」
「…………」
「そしてそれを今から再現することも可能だと宣告しておこう。どうだフォークス、降参する気になったか?」
俺は最早勝負はついたと言うような口調で彼に語る。正直に言ってもう体は限界だった。血を流しすぎだ、意識を保っているのも厳しくなってきているのは自覚出来た。どうにかして勝負をとっとと決めてしまいたかった俺が、彼に持ち掛けたのは降参、投了だった。所詮こんなものは決闘などではない。命を落とす事もないし、自分の感覚で簡単に勝負を切りやめたっていいのだ。少なくともフォークスにはその権利があった。
「図に乗るな……」
しかし、当然彼が降参するわけもなかった。フォークスを包む氷領域のバリアがボロボロと崩れ始めている。剣を持つ手に力が篭るのが見えた。
「そんなことをするぐらいなら……自分の誇りを自ら穢すぐらいなら……自決した方がマシだ!」
「やっぱし、譲っちゃくれねぇか……」
淡い期待をしていたわけでもないが、簡単には勝利は貰えないのが分かった所で俺もボロボロの体に無理をさせ、気合いを入れる。
自宅に保管していた『単眼悪魔の改造眼』は全て持ってきた。それでもたったの二つだが。そのたった二つの切り札に俺の運命は託されていた。
フォークスの出現していた魔法が全て消え去った。夏を感じる季節風が俺の頬を撫でた時、俺は駆け出す。剣を構えるフォークスへと。
「こい! 攻略屋ぁぁ!! 引導を渡してやる!!」
喚くフォークス、俺はブラックスクイートへと手を右手を突っ込む。
─────全部出し切るなら今だ!!
中から取り出したのは、まるで松ぼっくりの様な形の小さな剣山の塊。その針先をフォークスへ向けるとスイッチを押す。小さな針山が一斉に射出し、彼に向かって飛んでいく。
キキキンッッ────!!
軽い音と共に容易く弾かれる針達。何一つダメージには繋がらない。続け様に懐から手裏剣を取り出す。両手に2枚ずつ計4枚の手裏剣。それを走る勢いに乗せ、放つ。当然の如く弾かれる。やはり下手な飛び道具じゃ負傷させられない。
やっぱり改造眼でステータスをイチにしてからの、接近戦に持ち込むしか……
そんな俺の考えを先読みしていたか、フォークスの足が駆け出す。
流石にその足は魔法が使えなくとも持ち前のステータスによる敏捷性の高さによって、近距離まで一気に詰められた。
振るわれる剣。この距離、素早さでは対応出来ないと予測していた俺は横へと跳び退いた。
「まだまだ!」
その声と共に振るわれる剣にひたすら逃げる。懐や回避不能の位置から剣を振るわれたら一貫の終わりだ。予期せぬ動きや、回避後の立ち位置を予測されないような突飛な行動で撹乱する。フォークスは熟練の剣士と自称している。それならば相手の動きを読むことに長けているはず。俺にとって有効な回避行動になるのは、完全なる回避ではなく、危うさを含んだ不完全な回避にあった。
「……ふざけた…動きをしおって」
それにより一定の距離を保ちながらも俺は間一髪で攻撃を回避していた。なんとか新たな傷は負っていないが、傷の痛みが酷さを増していた。いつまでも避けてばかりはいられなかった。
俺の予測が正しければそろそろ─────
そんな俺の考えと共に一瞬にしてフォークスが詰めた。息を飲むほどの一瞬の出来事。しかし俺の左手には改造眼が握られていた。
掲げられた剣。振り下ろしだ!!
その判断に準じ、俺は握った改造眼を振り下ろされる予測軌道に構えた。
しかし────!!
振り下ろされる瞬間。全てがスローモーションに見えた。それは俗に言う自分の身が危険に晒される時に起こるタキサイア現象であった。俺の脳が危険の予知を計画していた。
その理由はすぐに判明する。
────フォークスの剣の軌道が変わったのだ。縦に降ろされていた剣が突如として左からの奇襲に転じていた。仮面から覗く彼の目がいやらしく歪んでいた。
これをフォークスは狙っていたのだ。俺の反応出来ない位置による二連撃。絶対に当たる回避不能の攻撃だった。
ガィィッッンッッ──!!!
「なッ!」
しかしそれならば俺も同じことよ。驚愕するフォークスをジロリと見た。
「読めてたぜ、その攻撃」
フォークスの剣は俺を切り裂く事は出来なかった。阻まれたのだ。俺の『右手に』持つ『単眼悪魔の改造眼』よって。
俺の右手には既に改造眼が握られていたのだ。左手に持つものとは別の物である。『単眼悪魔の改造眼』の両手持ち、それが俺の最後の戦闘スタイルだった。そしてそれが切り開いたのは攻勢への道程であった。
そうくると思っていた。彼が必ずフェイントを挟んでくると。振り下ろされる斬撃から転じやすいのは左右への振りであるのは過去の経験から分かっていた。問題は左から来るのか、右から来るのかその二択ということ。それならば自ら導いてやればいいだけの話だった。左手を掲げた俺の体は必然的に体の左側が無防備になる。戦い慣れた人間が狙うならば左側であると俺は予測していた。右手による防御の可能性がグンと低くなる為、狙い易いのは明らかだったから。まあ、あくまで予測でしかないから、失敗する可能性はあったが、結果はこの通りだ。
俺の掲げた左腕の脇の下を潜り抜ける様に突き出した改造眼を握った右腕の先は、見事にフォークスの両手剣にぶち当たり、その侵攻を止めていた。そしてこの瞬間、両手剣に自身のステータスが反映されているフォークスの体は、剣から改造眼の効果が伝達し、全てのステータスが1になる!
俺は右手から脱け殻になった改造眼を離す。フォークスの目がその落下していくアイテムを追っていた。俺は素早く右手の指を折りたたんでいく。
彼の動揺した目が語る。
─────なん、だと……!!
俺の右の拳が彼の両手剣を砕いた。
刃の中央から折れ、複数の欠片が飛び散るだけにとどまらず、俺の殴打の威力を殺しきれなかったのか、折れた柄側の剣もフォークスの手から吹き飛ばされる。
徒手となったフォークスは何が起こったのか理解出来ないと立ち尽くし沈黙していた。
「────反撃開始だ」
フォークスと同じような反応を示していた外野が一気に湧き上がった。すっかり劣勢であると思われていたのだろう。俺の敗北が見えているとさえ思われていたに違いない。しかし現実を見てみれば巻き起こったのは俺の拳が奴の剣を打ち砕く光景。意表を突かれたなんてレベルではなかっただろう。
「……く」
「…………」
「くっそぉぉぉ!!!!」
叫ぶフォークス、その顔には悲壮と怒りを混ぜた鬼の顔。振りかぶる右腕。その動きは非常に鈍速だ。容易く避けられる一撃。しかし俺は避けもせず、それを甘んじて受けた。
「ッフ」
フォークスほくそ笑む音。だが、それも一瞬にして消え去る。攻撃力1の殴打、それを顔面に受けた俺に痛みなんてあるわけもなかった。真正面から受けても鼻も額も痛む事もなく、触れられたくすぐったささえなかった。
ゴシャァァァッッ!!
何かが潰れた音が響く。俺の拳に嫌な感覚が伝わる。誰かの顔面に向けてパンチを放ったのはいつぶりだろうか。無傷な俺に動揺を隠せなかったフォークスにお返しの殴打。俺の拳は容易く鼻を砕いた。
「ア、ギャァァァァォァ!!」
呻き仰け反るフォークスとの距離を、俺は一気に詰めた。改造眼の持続時間は20秒程だ、かならずここで終わらせる。
左の改造眼をしまい、徒手となった俺は、自分の人生で一度も使う事はないとタカをくくっていた喧嘩殺法を繰り出す。左ジャブ、右ストレート、ブロー、フック、頭をホールドしてからの膝蹴り、ハイキック、飛び後ろ回し蹴り……過去に培った、肉体で振るう攻撃の数々、そのどれもが信じられないくらいにフォークスに直撃し、インパクトを確実に伝えた。
「ッッゴッバァァッッ────!!!」
吹き飛び草原に崩れ落ちるフォークス。少ない体力を全て出し切り技を振るった俺は息も絶え絶えであった。しかし同時に彼がもう立たない事も確信し安心していた。
「「「オオオオオオオオオッッ!!!!!」」」
歓声が巻き起こる。草原がビリビリと震えた。そして俺の心も。
俺は勝ったのだ!! 誰にも文句をつけられない程に一対一で、タイマンで、正々堂々と!!
俺は片手を挙げて喜びを示そうとした。だが─────
観戦者達が一同にどよめいた。一瞬の疑問は直ぐに答えに辿り着く。そして俺は『その方』へと視線を移した。
息を飲むことに抗えなかった。ボロボロになった体を抱えながら、フォークスは立ち上がっていたのだ。ヒビの入った仮面から覗く片目は赤く充血し、腹部を押さえながらフラフラと立っている。
「嘘だろ……」
その言葉が無意識に零れた。
「────これで……」
フォークスがしゃがれた声で語り掛ける。
「これで……トントンってところか?」
「な……なに?」
「僕の……っ魔法により全身に切り傷を負っているアンタ……なってない喧嘩術でボコボコにされた僕……ようやく……ようやく同じぐらいまで僕にダメージを与えられたんじゃないかい攻略屋?」
「…………」
「好き勝手に殴ってくれたね……お陰でフラフラだ。正直言ってっ……フーッ……気張ってなくちゃ気も保ってられない程だよ。────でもそれはアンタも同じではないかい?」
その通りだ。俺の体は最早傷の口という口から血を流し過ぎている。俺もフォークスの言うように精神が途切れ途切れであることは明白だった。それに加えて慣れない肉弾戦に体は悲鳴をあげている。視界はチカチカと白い光が時折飛び交い、しばらく瞼を閉じれば意識がどこかにぶっ飛ぶ事は分かりきっていた。だからこそこの肉弾戦に賭けていたのに……
結果は、あと一歩及ばずと言ったところだ。
「そのままくたばっときゃ良かったのによ……」
「ハハ……そりゃいい案だ、そうすればアンタが僕を殺したってことで、僕の勝ちになったのにな……」
お互いに分かっていた。次の一撃が最後だ。どちらも耐える体力も精神力もない。攻撃を振るうのも一撃、耐えられるのも一撃。
自ずと俺の口からは笑いが零れた。
「フ、フフフフ、フヒィヒヒヒヒ……」
「ハハ、ハハハハッ、ヒヒィハハハハ……」
俺に合わせるようにフォークスも笑う。お互いの思いがなんとなしに分かる。最早武器も魔法もいらない。武器を持とうが素手だろうが、魔法だろうが偶然だろうが、『一撃』、それで何もかも決まるのだ。
誰が合図したわけでもなく、俺達は地面を蹴る。向かう。一直線上の相手に向かって。
「「アアアアアアアア"ア"───!!!」」
お互いに叫び拳を振りかぶる。太陽の陽を浴びた体が妙に暖かく、それが俺の最後に感じた感覚だった。
俺の頰に強い衝撃が走った─────
心地よかった微睡みから解放され痛々しい現実に俺は飛び込んだ。
「あ!気が付いた!!」
瞼を開けて最初に飛び込んできたのがリリィの顔だった。眉間に少しシワを寄せながら不安げな表情の彼女、俺が雛鳥ならスリコミでこいつを親と思い込むところだ。……こんな冗談を思い付けるなら頭に後遺症はないみたいだ。
「よぉ、リリィ」
「よぉ、じゃないわ! 心配したわよ!」
俺に掛けられた羽毛布団から察するに俺はベッドの上に寝かされているみたいだ。顔に手を当ててみると仮面はつけていなかった。リリィも兎の仮面をつけていない。ここに運ばれて外されたみたいだ。それってヤバイかもな……てか、そうか……勝負は終わったのか……俺は……負けたのか……?
「リリィ……勝負はどうなった? ……ッいて」
「起き上がろうとしないで! ……もう……勝負なんてどうでもいいじゃん……私がどれだけ心配したと……」
「よくない。あれは大事な勝負だったんだ……アイツに勝たなくちゃ……お前に……」
俺は上体を起こして口を閉ざす。危ねぇ!! ここでバラしちゃ意味がない! リリィが俺を守るなんて言い出さないようする為に、俺が一人で誰にでも対抗出来ると見せて心配かけないようにするという魂胆が彼女に知れてしまえばそれこそ台無しだ!
口を紡いだ俺をリリィは訝しむようにジッと見入る。しかし俺が何も言わないと分かると静かに溜め息を吐いた。
「……とにかく目が覚めてくれて良かったわ。勝負は結局引き分けだよ。人間もフォークスとか言うアイツもお互いのパンチが顎に入って一緒に地面に崩れ落ちたんだから。それでここはギルドの休憩所、カムイさんが運んでくれたの……私達以外は入らないようにしてもらってる。素性の事を考慮してくれてるみたいだよ。あと仮面を外したのは私だから安心してね」
そっか……仮面を外したのはリリィだったか。要らない心配だったみたいだ。それにしてもカムイさんには迷惑かけたみたいだな。後で礼を言っておかなきゃ……ってそうじゃない!! まさかのダブルKOかよ……クソ、これじゃ示しがつかない!! もう一度勝負を挑むしかねぇか!
「……ねぇ人間……もう一回勝負しようだなんて思ってないよね?」
ギックゥ! リリィに心を読まれた!!
「そ、そ、そんなわけねーだろぉぉ……おほほほ」
「うそ! 絶対今思ってた!」
「う、う、ううう……うむ…」
「絶対やらせないから! 今度そんな事を思ったら私が人間の相手をしてやるんだから! 何回でもボコボコにしてあげる」
「お前が相手じゃ本末転倒だろ!」
俺のその言葉にリリィがジロリと俺を見た。
「本末転倒……? やっぱり……」
疑いの目を向けるリリィは、にじり寄り、ついには俺の一人で寝るには広すぎるベッドに乗り、ハイハイするように寄ってきて顔を近づけた。
「な、なんだよ……」
「『本末転倒』だなんて言うってことは、人間があの男と戦う理由は『私』にあるってことね?」
「え……あっ」
たしかにそう言う意味合いもあるか……そう思って俺が『あっ』と零したことにより俺はヤバイ!と焦燥する。これじゃまるでそうだと肯定しているようなものっ!
「ふーん……やっぱり…」
ジトーとした目でリリィが見ていた。
「い、いや、あっじゃない!あっじゃない!」
「もう遅いわよ、白状しなさい!」
「な、何を白状しろと!? 俺は悪いことなんてしてねーぞ!」
「なんであんな危ない勝負を仕掛けたのよ! 私が理由なんでしょ! 言いなさい!」
「思い過ごしだろ! 俺は自分の為に戦っただけだ!」
「うそうそうそうそ!! 絶対嘘!凍らせるわよ!?」
「無茶苦茶だろ!」
引かないリリィに俺は絶対言わない誓いを自分自身にするが……
「いでででで!!!」
こいつ、実力行使に出やがった。俺の両ほっぺを引っ張って引きちぎる勢いで俺を攻め立てた。
「言いなさい! ほら!早く!」
「いふ!いふ!いふ〜〜!!」
まあ、そんな事をされちゃ俺も堪ったもんじゃなく結局最後の門は容易くこじ開けられてしまいました。情けなや。
俺が白状し、戦いを挑んだ理由を吐露すると、それを聞いたリリィの顔は困惑の色を含んでいた。目を見開き、口をあんぐりとさせる彼女に俺は顔をぽりぽりと掻いた。
それは呆れだろうか。それとも貶めだろうか。どちらにしても好意的のそれとは違うと思った。
「……もとはと言えばお前の所為なんだからな。お前がフォークス達に報復するだなんて言ったから……」
「で、でも私約束したよ? あの人達には手を出さないって人間と約束したじゃない」
「違う、それじゃどうせまた同じ事が起きる。リリィが俺に代わってやつらに衝動的にでも報復を思い付いたのなら、今後もお前が同じ様に考える事象が起きる可能性だってあるわけだろ?」
「…………」
「それはリリィが俺に対して弱者であり、世間的にみれば低ステータスの下層の存在だと思っているからだろう?」
「いや、そうじゃないよ……私はただ人間の力になりたくて……」
「その言葉自体が、俺を何も出来ないと思っているだろ!!」
部屋がシンと静まる。語気が強くなった自分自身に俺は困惑した。俺の右斜め前のベッドに空いたスペースに女の子座りしたリリィも少しだけ怯えた顔をしていた。
なんだよ、意味わかんねぇ……声を荒げる様な事でもないだろうが……俺少し可笑しいぞ。
「……ご、ごめん……声、でかかった……」
「ううん、大丈夫。なんともないよ」
俺とは対照的に落ち着いた様子のリリィ。そのベッドに座る姿は子供のそれだが、何故だか俺よりも大人びて見えた。
「───人間」
「……ん?」
「傷ついたの?」
「……え」
「私の……人間を守りたいって言った言葉に」
リリィの言葉に、笑って俺はそんな事はないと言ってやろうとした。けれど……何故か俺の体は言葉を紡がない。
その事でなんだか妙に納得した。否定をしようにも胸の内にストンとリリィの言葉が収まった。それこそ俺自身にその『理由』が最初からハマっていたように。そっか……俺、高尚な理由を並べてリリィの為に、誰かの為に戦っていると思い込んでいたけれど……本当は俺自身、悔しかっただけなのかもしれない。
一緒に暮らしていく内に俺にとって大切な存在になっていったリリィに、逆に守られるような事が嫌で……まるで俺自身には力はないと言われているような気がして……それをフォークスにやり返す事で見返してやりたかった。それだけだったのかもしれない。
「傷ついた……のかもな……情けないけど……そうかもしれない」
「……そっか……ごめんね、酷いこと言ってたみたい……」
「いや、違う。俺が大人気ないだけだ……俺……お前を理由にして自分を正当化していただけだ……クソ卑怯な男だ……」
「……人間」
「最低だな……俺」
口にして俺の心には嫌悪と罪悪が積もる。俺はリリィから目線を晒した。彼女の純粋な瞳は俺には毒だったから。
思い返せば餓鬼の様な心情と判断だった。それが今になって反省に変わる。そして同時にリリィがどう思っているかが心配になる。こんな情けない醜態を晒す自分を子供の彼女はどう思うだろうか。所詮大人であっても中身が伴っていないと感じているのだろうか。それも仕方のない事かもしれない……どう思おうと彼女の自由なのだから。
俺は何も言えなかった。これ以上何を喋ればいいのか、もう真っ暗であり、何を言っても自分を貶し蔑むことしか言えない気がして。それをリリィに言ったところで彼女に迷惑をかけるだけで。だったら口を閉ざしていた方がまだマシだと、そう思ったから。
「最低か……」
リリィが噛み締める様に俺の言葉を復唱した。
「まあ、最ではないかも」
どこかで聞いたことのあるフレーズだった。
「でも低ではあるね。私に心配させたんだから」
嬉々として言う彼女に俺は横目で見る。リリィは何故か嬉しそうに笑顔を作っていた。
「……リリィ?」
「ねぇ人間、これで2回目ね」
「……え?」
その意味が分からなくて俺はポカンとする。
「貴方が私の為に戦ってくれたのは」
「なんのこと?」
「2回目は今回の件、で、1回目は私を里の儀式から救ってくれたこと」
「……ああ、それか」
言っていることを理解して頷く。今となっては懐かしい思い出だ。……でもその思い出も今思い返すと俺一人で成したことではない。
「あんなのは俺が救ったにはカウントしないだろ」
「……? どうして? 人間が救ってくれてないなら誰が私を救ったって言うの」
「……お前を救う意思を持ったのは俺かもしれないが、実際に救ったのは俺の実力じゃない。あの時の俺にはグリムがいた。だから俺はそんな決断が出来ただけの話だ。お前に感謝される立場程の事はやってない」
「……うーん、言っている意味がイマイチ分からないなぁ」
困った表情のリリィに俺は少し鬱屈する。クソ、こんな事言っている自分自身に腹が立つ。けれど俺の言葉は止まらなかった。
「……だから! お前を救えたのはグリムのおかげで、俺から生み出した要因はお前を救えた理由に何一つ入ってないってこと!」
「グリムロード様が救ってくれた一因だって言いたいのは分かるけど、人間だって道具を使って戦っていたのを私は見てたよ?」
「これだってそうだ! この道具を作れる様になったのは俺自身の実力じゃない……死んだ友人から教わっただけの受け売りでしかない! 俺が生み出しちゃいないんだよ! あの時あの瞬間に友達の知恵や技術を披露したに過ぎない……俺がやっていたのは所詮猿でも出来る芸当……哀れだよ」
「でも……私を救ってくれたのは貴方でしょ?」
「その決断を『作ったのは』そういう『力のある要因』がたまたま俺にあったからだ。俺以外の他人であればお前をもっと簡単に救えただろうさ」
「でも貴方が私を救ったのよ」
「俺がやらなくてもいつかは誰かがやってたことだ」
そう。あの日あの時偶々俺がリリィを森の中で罠から助けて、その延長線上で里のイかれた儀式をぶち壊すに至っただけであり、本来ならもっと相応しい人間があのワイバーン達を退治していても可笑しくないのだ。
そいつはきっと俺以上に上手くやれるし、俺にはない努力で培った戦闘力を発揮して、魔法やら剣術やらを操り、里を救った筈だ。それこそフォークスのように。自他共に認める力を振るい、華麗に舞い、仕留める。そんな美しい未来もあっただろう。
それを俺が先に手を出して解決しただけだ。誰かが出来たことをやったに過ぎないのだ。何も特別な事なんてない。
俺の心にそんな黒くてうねうねとした感情が渦巻く。俺ってこんな卑屈な人間だったか……?
たしか、一人で暮らしていた事はこんな感情になった覚えはない。リリィだ。リリィと暮らすようになって俺はこんな感情を抱くようになっていたのだ。
ダセェな……なんだよこの感情……でもこれが『事実』だろ? 俺には何も無い。それが真実だ。この『スキル』だってそうさ。神からの同情で貰った、この安全に生きる為の力……貰ったもの、教えてもらったもの、使わせてもらったもの……俺にはそんな物しかない。
いつもはそんな事を知っている上で気にもしないのに……今に限っては違った。考えれば考えるほどに自分の無力さに気が付かされ、それが毒のように苦しめる。止められない連鎖に頭を抱えたくなる。
「フフッ……」
俺を包む世界まで真っ黒な毒に飲まれそうで、侵食されていくように見えた。そんな中で不釣り合いな鈴の音にも似た声が鳴った。
「フフフフフフ……アハハッ!!」
そしてクスクスとしていた笑いが大きくなる。俺の目の前にいたリリィの笑いだった。突然笑い出した事に俺は理解が追いつかず、ポカンとそれを見るしか出来なかった。
「─────おっかしいの〜」
「……はぁ?」
笑い過ぎて目の端に涙を浮かべるリリィは、冗談で言っているわけではないようだ。俺は突然笑われた事に少しの憤怒が湧く。
「何が……何が可笑しいんだよ」
「だって可笑しいよ人間。何を悩んでいるのかと思えば……自分に力がないだなんて……自分自身で生み出した物はないだなんて……酷い傲慢ね」
「はぁ!?」
傲慢!? なんでそんな事を言われなくちゃならない!! 俺の言っていた事を否定するのはリリィの勝手だが、それを傲慢と名指されるのはあまりにも厳酷ではないか!? 俺は言葉を強めて反発しようと思った。
しかし─────
体を起こしていた俺を見ていたリリィが体を崩し、ベッドに横になった。俺の伸ばした右足の太腿辺りを枕代わりにして仰向けに寝る彼女。彼女の頭が俺の腹の方へと向く様に。
「────お前、何して!」
「いいから、心配させた罰よ」
俺は怪我人なんだけどなぁ……。強引に自分の意思を決行するリリィ、下から軽く上目遣い気味に、けれど真っ直ぐに彼女は俺を見ていた。俺の眼下すぐそばに彼女の顔がある。その光景に少しどきりとする。先ほどの彼女の物言いへの反論を飲み込んでしまうほどには。
「ホント……ボロボロね、人間」
「ほっとけ」
「ホント……勝手に救って、勝手に戦って、勝手にボロボロになって、それで最後はじぶんには力がないだなんて、喚くのね……酷いヒト」
「…………」
そういうリリィが少し大人びて見えた。
「分からないかな……そんな危ういから私は貴方を助けたくなるのよ……」
「え……」
助けたくなる……? そんなフレーズに俺は黙ってしまう。 リリィが助けたくなると言ったことが脈略の無さを感じさせる。 彼女の言っている意味が分からなかった。
「いつからかな……貴方の私を見る目が明らかに変わったよね。前は何処か邪魔くさく思っている目線を常に向けてたくせに……今じゃ私を見る時は、いつも何処か危うさと不安を私に抱いているよね?」
俺が? ……いや、確かにリリィの言うように彼女の存在は今では俺の中じゃ大切な物になった。けれどそんな目線を彼女に向けた事はない。それに……
「そんな事はない……だいいち、そんなもんが一々リリィに分かるって言うのかよ」
11歳の彼女にそんな芸当があるとは思えない。ただ大人の真似事をしているだけさ。そうとしか思えなかった。
「分かるよ」
「嘘つけぇ」
「わかる」
妙に強情な物言いだ。
「仮に分かったとして……なんなんだよ。俺はお前をそんな風に見てない」
「ふふん……自分じゃ分かんないんだ」
「それ、こじつけだぞ」
俺がイヤだイヤだと呆れ半分にそう言うが……そんな俺の頰にリリィはそっと手で触れた。
「わかるもの。貴方の考えている事くらい」
なんだ、なんだ、なんなんだ。突然のボディタッチに俺はドギマギする。そんなことをリリィは感じ取らないのか、何食わぬ顔をしていた。
俺の太腿に布団越しに彼女の重さを感じる。でもその重さは嫌じゃなくて、どこか安心してしまう重力感。その重さを失うのが惜しく、悲しくなってしまう程に甘美である。
そして俺の頬を触れる彼女の仄かに冷たい掌。その指先。俺の火照った顔にはその存在感は敏感に反応させる。
ゆっくりと指が俺の頬を伝う。優しいフェザータッチは俺の唇の端まで到達すると、少しだけ下唇をなぞる。
「リ、リリィ?」
俺を見上げるコバルトブルーの彼女の瞳がまるで底のない深海のように見えた。ずっと見ていれば何処までも落ちていきそうな……そんな錯覚をさせる。唾を俺はハッキリ飲む。とても自分の知っている彼女には思えないほどの雰囲気に色々な感情が渦巻く。畏怖、孤独、頽廃、妖艶……幼い子供の醸し出せる『それ』ではない。
俺は少しも動けなかった。分かる。分かる。これこそ魅入られている状態というやつだ。
「────もう、無茶な事したらダメだよ?」
声さえもどこか異なって聞こえる。
「────私もにんげんの言う事は聞くわ。けれどそれは貴方も一緒。どれだけ無力だ、無価値だと貴方が言っても、貴方は私を救った『たった一人』のヒト。グリムロード様の力でも、貴方の大切なお友達の知識の受け売りでもない。私は貴方の『意思』に救われたのよ。誰でもない貴方に。それを誰か代わりがいると言い切るなんて……残酷なヒトね。私達の出会いも誰かに代わってほしいとでも言うの?」
リリィの指先が俺の唇の境に割り込む。唇に隠れていた歯に彼女の指先の感覚が生まれる。
「リリィ……」
彼女の指を払い除けられない。指を噛まないようにする為に、必然的に囁くようなトーンで俺は彼女の名を呼んだ。
いつもの溌剌とした声とは違う。澄んでいて静かな声。いつまでも聞いていたい。その声に包まれて何処までも落ちていってしまいたいような気分にさせる魔性の声に俺は、違和感を感じながらも拒めなかった。
「────代わってほしいの?」
催促するように聞かれた。
「そ、そんな意味じゃない……俺はただ自分が無力だと……それが悔しくて……」
「貴方は無力じゃないわ。そんなこと私が一番良く知っている」
「でも、お前に俺を気遣わせる事になるなら……それは力無き証明だ……」
「馬鹿ね。大切な物を気遣う事は親しき者にのみ許された特権でなくて? それも幸せだと私は思うのだけれど……貴方はそれを奪うのかしら?」
「…………でも俺はお前に誰かを傷付けるような子にはなって欲しくない」
俺の歯を撫でていた手が離れた。口惜しくなる俺の心。その瞬間に俺自身を嫌悪した。気持ちの悪い男の感情だ。こんなもの。
「────もう分かったわよ。それが貴方の望みなら……私はそのようにする。だから貴方も……ね?」
口から離れた手が伝い、首を撫でる。まるで俺は誘導されるように頷いた。
────こいつには歯向かえない。そう確信した。
俺の答えに満足したのか。俺の顔を暫く見つめたリリィはその後にゆっくりと笑みを作った。
そうして俺の首から肩へと手が移り、重さが掛かる。
「よいしょ……」
起き上がるリリィ。太腿にあった安心を与える重さが離れて俺の心には残念な感情が残った。
「ちゃんと約束したからね、人間! 破ったらダメだよ!」
ベッドから降りて後ろ姿から振り返るとリリィには先ほどの雰囲気はなかった。まるでスイッチが切り替わったかのような変貌ぶりにこちらが困惑させられる。自ずと眉が顰む。
「……聞いてる?」
いつもと同じ声の調子の彼女を俺は詮索するように見つめていた。
「リリィだよな……?」
「ええ?」
「お前リリィだよ……な?」
「……何を言っているの。私は生まれてから終始リリィですが?」
まるで侮蔑するように俺に目線を送るリリィ。確かに疑いようもないぐらいに彼女だ。
「いやだって……お前がらしくない事言うから……」
「……もう、何を言っているのよ。私は私。私が何か変な事でも言ったって?」
「いや、変って言うか……いや、その……」
まるで夢を断片的に見ていたかのような感覚。一体なんだったのだろうと、誰も答えてくれないモヤモヤとした残留感を俺は感じていた。
「人間変だよ? なんだかボーッとしてる……あ、熱でも上がってきたんじゃない!? 待ってて私氷枕作ってくる!」
「ちょ、リリィ!」
「いいからいいから!」
何を自己完結しているのか、彼女は俺の制止も聞かずバタバタと慌ただしく部屋を出て行った。
ひとりのいなくなるだけで一気に静まる部屋の中。俺の使っているベッド以外は小さなテーブルと、その上の空の花瓶くらいしか置かれていない簡素な部屋。フッと風が俺の髪を突然撫でる。風上に目をやる。そこには部屋に備えられた観音開きの窓あり、開放されていて、風が舞い込んでいた。見える景色は庭園のようで、草木が夏の風にユラユラ揺れていた。今日は風の強い日のようだ。
……この窓、先程から開いていたんだろうか。風の強い日のクセして、今になってその風を俺は感じ取れていた。
まるでリリィのいた時間は世界の時が止まっていた……そんな錯覚を抱く。俺がそんなにも彼女に集中していたからこその感覚なのだろう。
俺の着ていた服の襟が風に揺らぐ。先ほどリリィに抱いた劣情にも似た感情に俺は吐き気を催す。子供の彼女に、他人のような雰囲気を感じとりながら、畏怖や緊張はあったが、一番に感じていたのは信じられないほどの自分に対し扇動する猥雑であった。
「……クソ、クソ」
ベッドを殴り、頭に手をやる。自己嫌悪に押し潰されそうだった。もっともらしいことを説いておきながら、今俺を支配しているその感情が憎々しく、そんな俺とは対照的に清々しく輝く外の輝きが羨ましかった。
エンヴォィ・フロム・ザ・ヘル 終わり
物語は続きます。




