見守る者
ここも三人称です。
噛威の開始の合図が轟いた時、リリィの心の中は穏やかさを失った。ザワザワと騒ぎ立てる自らの心臓は頭の『冷静になれという』命令を無視し、ドクリドクリと心打つ。
駆け出した『彼』の背中を思わず追いかけてしまいそうになる。自分が分け入ってはいけない世界であるとは理解している。けれどその姿を失いたくない。失ってしまいそうになるこの状況が何よりも怖かった。
「怯えているわね───」
そんな自分の不安に閉ざされそうな心を誰かがこじ開けた。隣から掛けられたその声に釣られて視線を向けると、そこには戦いが始まる前まで『フォークス』の背後にいたであろう少女、『ソフィー』の姿があった。
「貴女」
「…………」
いつのまに隣に来ていたのだろうか。得体の知れない存在の登場にリリィは口を開かない。自身と同じぐらいの身長の彼女。純白の魔女装束に同じ色のマフラー、桃色の髪と瞳。おそらく同性であるだろうが、彼女に対して美しいとリリィは思った。
しかしその素性が分からない以上は安心出来ないリリィは彼女に了解も得ず、『情報開示』の魔法をかけた。
失礼な行為ではあるが、交流するにもこの相手は警戒を解いていい相手ではないと思っていたからだ。だがリリィは自分の魔法による結果に驚愕した。
体力 1
スタミナ 1
攻撃力 1
防御力 1
敏捷性 1
命中率 1
技術力 1
魔力量 1
魔法威力 1
運 1
明らかに可笑しな数値にリリィは動揺する。そしてそれに呼応したかのようにソフィーがピクリと体を震わせた。ジッと向けられる視線にリリィは動けなかった。
「貴女、見たわね今」
「あ…………」
サッと青ざめるリリィ。バレている!どうしてか分からないその一点がとても恐ろしかった。情報開示の魔法は彼女の幼少の頃から得意としていた魔法であり、バレるような要素はなかったと自負していたところがあったのに……何故そんな簡単に看破されてしまったのだろう。もし今リリィが仮面をつけていなければ、その青ざめた顔面が拝めたことだろう。
そんな怯えた子を見るソフィーの目が厳しく細まった。
「中々珍しい魔法を使えるのですね。しかし無礼な子だこと。断りもなく他人の情報を覗き見るだなんて、常識的な躾もされていないのかしら? ま、兎にはいくら躾しようともトイレの場所さえ覚えれないでしょうけど……」
勝気な台詞にリリィは何も言い返せない。
「それに、残念だけれど私のステータスを見ようとしても無駄でしてよ。貴女、瞞着魔法ってご存知かしら? ……その様子だと知らないみたいね。いいわ、教えてあげます。世の中貴女のように情報開示の魔法を操る人間は希少ですが存在します。……けれど冒険者ともなれば、そんな魔法に対抗する魔法は最低限備えてるものでしてよ。情報なんてものは生命線と同義ですからね。それを妨害する策を備えておくのは当然ではなくて? ……相手の開示魔法に対し、偽りの情報を与える魔法。それが『瞞着』と呼ばれる魔法ですわ。覚えておきなさいな」
理解できて? と問う様な視線が向けられるリリィは思わず目を交わすことを止めた。このパック族の女子は明らかに魔法という分野に於いて自分よりも幾分も上座にいると理解したからだ。こんな矮小な自分が何を言い返せるのだろう。そんな気分になった。
それこそ自分にもっと力があれば自分の信頼する『ジョン・ウィッチ』をこんな状況に投じさせることもなかったろうに、自己嫌悪が募った。
「まあ、いいわ。 ねぇ貴女─────あの愚かな攻略屋の仲間でしょう? 聞きたいのだけれど、どうしてあの愚か者は再びフォークスに挑んだのかしら、貴女知っていて?」
ソフィーの問いにリリィは横目で彼らを見る。ジョンの投げたナイフが簡単にあしらわれ、言葉を交わしているところであった。
「─────分からない」
「あら、そうなの。意外ね、てっきり知っているのかと……」
「聞いたけど……教えてくれなかった。でも大切なものを取り戻すとは言っていたけど……」
「……へぇ…大切なものね……」
何か確信めいた口調のソフィーにリリィは目を向ける。自分も疑問があったのだ。それを聞きたくなった。
「あ、あなたのパートナーは……どうして…その……にんげっ…こ、攻略屋の挑戦を受けて立ったの? 別に断っても良かったじゃない」
それはリリィの勝手な思いでもあった。ジョンがフォークスに挑戦を持ち掛けたあの場面で、彼女はどこかフォークスが断ってくれるのではないかという淡い気持ちを持っていたのだ。しかし結果は了承。リリィは八つ当たりにも似た感情をフォークスへと抱いていた。それが歪んでいて酷い感情であると自覚していても、一度でも抱いてしまったのならそれが本心であり、どうしようもないことはリリィ自身理解はしていたが。
「彼は己の心に正義という座標を打ち立てているわ。それに反するものには、どんなものであろうと牙を剥き、爪を立てる。そして攻略屋はその対象ですわ。あの人からフォークスに再戦を挑まなくてもいずれまた刃は交えたでしょうね。それが対象からやってくるとなれば、断る理由もないのでは?」
「ど、どういうこと? 難しい……明確な理由を教えてよ」
「明確な理由……そうね『攻略屋としての在り方。冒険者を食い物にし生業としているその生き方が罪深い』……そんな所かしら。攻略屋は冒険者を侮辱しているらしいわ。彼はそう言っていた」
「なにそれ……そ、そんなの酷いよ……私達が何をしたというの? ただ依頼を受けてそれをこなしているだけじゃない。それの何処が間違っているのよ」
「可愛い子ウサギちゃん、貴女は勘違いしているけれど─────間違いか間違いでないかは他者が決めることよ。そしてフォークスはそれを間違いとし、裁くと決めた」
「なによ! それこそ傲慢じゃない! ただの個人の観点で人を裁くだなんてすごく勝手! 私……あの人が怪我をして帰ってきた時、本当に恐ろしかった……心が張り裂けそうだった。 一体何が正義よ、人を一方的に攻撃するだなんて、そんな正義は聞いたことない!」
思わず声をあげてしまうリリィだが、突如として際立って上がる戦いを観戦する冒険者達の声によってジョン達には届くことはなかった。
高音と眩い光が一瞬場を支配する。ジョンがスタングレネードを使用したのだ。しかし観戦する位置までは音による聴覚妨害の効果は届かなかったし、フラッシュによる視覚妨害も横向きで見つめ合っていたリリィ達には何の効果も齎さなかった。周りの冒険者達はフラッシュの影響を離れていても多少受けたのか、抗議の声をジョンに喚いていた。リリィから視線を外しソフィーの視線が彼らへと向いた。しかしそれはフォークスを案ずるためのものではないようにリリィには見えた。
「──────まあそれも間違ってないけれど……」
「え……」
ボソリと呟いたその声にリリィは耳を疑った。まさか肯定されるとは思わなかったのだ。何故肯定したのかリリィはすかさず問いただそうと思うが、それは叶わなかった。
「貴女の相棒が大切なものを取り戻すって言っていたのなら、フォークスもまた同じことを思って行動しているまで。否定はさせないですわ。彼は確固たる意志をもって戦いを挑み、そして今回も受けただけ」
強い口調で念を押すソフィー。それは先程言った言葉が聞き間違いの錯覚であったと思ってしまうほどのものであった。リリィは口を閉ざす。
「二人の男のどちらが正しいか。結局のところ、この戦いが終わってどちらが最後まで立っているかの問題ではなくて?」
自信家の様にこちらを見るソフィー。確かにその言葉は間違いではない。結局の所自分達が自分のパートナー同士の正当性を語った所で意味はない。それこそ不毛である。今はただ純粋に見守るしかないのだ。
「攻略屋は負けないもの」
リリィはそう言って、少しだけソフィーに寄って並び立ち、再び戦場へと目を向けた。




