歯止め
「そう思わないかソフィー。ヤツの最後の最後までの足掻き、見方によっては根性の座った人間だとするかもしれない。しかしだ、ヤツが僕達に目眩しを行なった後にした行動といえば、敵前逃亡ときた。目の前に怯んでいる敵がいるにも拘らず、戦線離脱したんだぞ? 僕達はたしかに全力でかかって来いと言ったはずなのに、逃げ果せるとは……まさかあの状況で攻撃などしたら卑怯とでも考えたか?」
「……さあね」
やめろ! 俺は直ぐにリリィの元へと戻る。 彼女の目はフォークス達に注がれ一欠片も逸れもしない。
「なめられたものだ。爆発物を投擲してきた時は覚悟が決まったかと思ったが、終わってみれば、ヤツのした事と言えば僕の服を汚したくらい。それだけだった」
「けれど途中で容易に首を絞められたわ。あれは何か可笑しなことを仕掛けられたんではなくて?」
「ふん、終わってみればあれもくだらぬ攻撃だ。やられた時は僕も流石にヤバイと思ったが、何やら未完成の魔法でも使ったのだろう。己の力量も測れずに攻撃を仕掛ける人間に恐る事はない」
彼らは自分達の世界に入っているのか、じっと見つめるリリィに気がつく様子はなかった。今のうちだ。俺はリリィの腕を引いて無理矢理にでも外に出そうとする。しかし、彼女の体はまるで底に杭を打ったかの様にピクリとも動かなかった。
「────次は必ず、この世界から消えたくなる程に罰してやるさ。自分から身を引くって言うまでな」
ゾワリと背中を何かが駆け上がっていった。まるで巨大な猫に裸の背中を舐められた様なそんな感覚である。
俺はその現象の名を知っている。
万人に備えられた絶対的な危険信号。生き物が生きる上で『生』を自覚出来る数少ない瞬間。身を凍えさせる程の悪寒。
虫の知らせというヤツである。それも全身の汗が一瞬にして噴き出すほどの。
俺にしか分からない。俺しか気が付いていない。それは俺が一番近くにいたから。
なりふり構っていられなかった。怪我をした左腕なんて顧みなかった。右手を懐に入れて、持って来ていた金が全て入った皮袋を先程食事を取っていたテーブルの上へと投げ置く。そうして俺はリリィをお姫様抱っこの様に抱え、店外へと走り出した。瞬間リリィが何かを言ったが聞く耳なんて持てない。
「ちょ、お客さん! 代金は!?」
「テーブルの上のやつを全部やる! 美味かったよ!」
店員に向け言い放つ。正確な金を出す程俺には余裕がなかった。
店の扉を押し開け、全力で店を離れる俺、走りながらも何かに引かれレストランを振り返った。そうして俺は走る為の呼吸など忘れて、足は動かしながらも唖然とした。赤いレンガ屋根の店の上空。夜の暗闇の中でもはっきりと見えた。
まるで闇の口。レストランの真上の低い空の位置、嵐の前の雲の如く渦巻き『黒い霧』の様な物質が円を形成していた。そしてそれは次第に巨大になっていく。
何だよアレ!
驚愕に飲まれる俺の心。そんな俺に、神の恩恵か一抹の心当たりが湧いた。そう思い十分な距離まで離れた俺路地への逃げ込むように入った。荒い息を整える前にリリィを降ろしてやった。
しかし俺に飛んできたのは悲痛な声であった。
「何をするのよ人間! どうして私をお店から連れ出したのよ!」
「それはこっちの台詞だ……お前『何か』仕掛けていたな?」
俺の問いにリリィは少しも表情を変えなかった。
「────ええ、そうよ。悪い?」
「…………標的はフォークスか? あの仮面の男だろ」
リリィは答えなかった。しかしそれ故に正解という事を意味していた。
やっぱりリリィはフォークスに対し、攻撃を仕掛けようとしていたのだ。俺が察知した悪い予感の正体はこれだろう。あの冷たい泥の中に沈められる様な感覚。体温までも徐々に奪われていく、まるで『闇』の様な感覚はリリィが出していたのだ。
嫌な感覚の正体を暴いたところで、俺は路地から少しだけ身を乗り出し、先程みたレストラン上空の黒い渦巻きを見た。たしかにまだその不安の具現化の様な霧の渦は残ってはいるが、先程の様に大きくなる様子は無く、徐々に規模が小さくなっていった。思った通りだ。アレはリリィが起こした魔法の一種だったのだ。恐らく術者のリリィが離れた事や、俺と会話をする事で集中が切れた為にそうなっているのだろう。渦巻き自体の正体は分からないが、得体の知れない魔法が使用される前に中断されて良かった。
俺が再びリリィの方を向くと噛み付く様に彼女は声をあげる。
「アイツが人間に怪我をさせた張本人なんでしょ!? アイツ最低よ! まるで自分が正しいみたいな言い方で……しかも今度は必ず人間を懲らしめてやるなんて言ってた! 許せない!」
怒りを露わにする彼女に俺は頭を抱えたくなる。本当に最悪なタイミングでフォークス達に遭遇しちまったもんだ。
「おいおいリリィよぉ……約束はどうした? 俺と約束したじゃないか、報復なんてしないんだろ? 破るのか?」
「破るわ。私がやらなきゃアイツは人間を再び襲うもん。これは貴方の為よ」
俺の為か……
「じゃあさっきの空に浮かんでいた黒い渦はお前が生み出したものなのか?」
「渦? 何を言っているか分からないけど……私、アイツを氷漬けにしてやろうと思った。そうして重りをくくりつけて湖にでも沈めるの。一生上がってこれない様にね」
アレはリリィの起こした魔法じゃなかったのか……? それとも自覚がなかった……? まるでブラックホールなどの類のようなあの魔法…… リリィは氷漬けにしようとしたと言うが、確か氷の魔法を使う場合は闇属性の魔法も同時に併用すると彼女自身が以前に言っていたが、関連性はあるのだろうか。
さまざまな考察が進むが、今はリリィだ。この子自身の怒りを治めなくては。そう思った矢先だった─────
「恐ろしい事を言うなリリィ。そんな事は考えるな。それは人殺しと同義だぞ」
「かまわないわ! それで人間が救えるなら!」
「─────リリィッ!!」
叫ばずにはいられなかった。なんと恐ろしい言葉だろう。そんな台詞を言う彼女の表情もまたふざけや、からかいのものでは無く、本心からそう言っているのが分かったから、俺も衝動的に叫んだ。
俺の声に驚いたのか、リリィはビクリと体を震わせ黙った。俺は膝を折り、彼女と同じ目線になって見つめた。
「……かまわないわけないだろ……人を殺していいわけないだろ! もしそんな事をしてみろ、俺がお前を牢にぶち込んでやる!」
怖かった。そんな言葉を言っているのが俺の知っているリリィだと思えないほど。俺は彼女の肩を揺すりながら言い聞かせるようにした。
そうすると彼女は俯いた。反抗するかもしれない。俺の頭にそんな不安がよぎる。けれどそれだけは……人を殺したっていいなんてことだけは……この子に知って欲しくはなかった。
「……リリィ……俺との約束を守って一緒にいるのと、破ってバラバラに暮らすの、どちらがいい」
リリィは答えなかった。彼女はバツが悪そうにワンピースのスカートをニギニギとする。
「……俺はお前と一緒にいたいと思う。それはお前が良い子だからだ。優しくて素敵な子だからだ。……俺は人を殺しても良いと言うような悪い子とは一緒にいれない。 ……いたくない」
「…………」
「悪い事をしたら、誰だって捕まって牢屋に入れられる。そうなったら悲しいだろ? 俺もリリィがそうなったら嫌だし、悲しい。 ……そんな気持ちになるくらいなら元から一緒にいたくない。 リリィだってそうじゃないか?」
「………ん…」
リリィは少しだけ頷いた。
「だったら約束は守ろう。今日見たアイツには今後何もしない事。いいな?」
「…………」
俺の持ち掛けに彼女は反応しない。
「リリィ?」
「……でも……そうしたら、人間……またあの人に狙われちゃう……今度は……死んじゃうかも…」
口を固く紡ぐリリィ。その目からはポロポロと涙が溢れていた。
「……うぅ……っいやだよ……い"や"だぁぁ…ぞうなぁだらぁ…ぃやだよぉぉ……」
もうボロボロと泣き出す彼女を俺は抱きしめた。殺意も悪意も、全ては俺を思うが故であったのがしっかりと分かったから。幼きリリィが、俺がいなくなると言う不安感から逃れる為には、自らの手を汚すという覚悟に飲まれるしかなかったのだ。
それが分かったから。俺はひたすらに抱き締め頭を撫でることしか出来なかった。
「大丈夫だリリィ。俺はいなくなったりしないよ」
彼女にとっての俺はきっともう親も同然なのかもしれない。耳元で鳴る止まぬ泣き声に俺は彼女が俺をどう思っているのか、本当の意味で分かった気がした。
「俺は絶対にいなくならない」
グズグズと鼻をすすりながら泣く彼女が、頷くのが肩からの感触で分かった。こんな弱々しいこの子を残して死ぬものか。そしてそう思わせない為にも何か証を示さなくてはならない。
俺はどんな事にも負けず、彼女の前から消えることはないと言う証明が。俺にはまだやらなきゃならないことがある。
フォークスのヤツが俺を狙うと言うならば、今度は俺から向かってやればいいのだ。
攻略屋として。リリィの安寧の為。敗北者としての汚名は返上させてもらうとしよう。




