こやつ、もしや神童では?
『火球』、『炎嵐』、『炎放射』……この世界に魔法は数あれど、火属性の魔法に於いて俺がこの目で見たことがある魔法はそれぐらいだ。特に炎放射は中級クラスの技術力のある魔法使いが扱える、激しい炎を対象に多量に浴びせる技なのだが、その名の通りまるで火炎放射器を放つ様なビジュアルであり、側から見てもそれは尋常ではない光景であったことを今でも覚えている。
だが俺の目の前で今起こっている光景はそれを想起させた。
巨大な火球が衝突したモンスター。それまでは俺の知っている『火球』となんら変わりのない効果であった。まあ、サイズは幾分か飛躍しているけども……しかし次に起こったことに俺は目を丸くするしかなかった。
「キィィィッッ!!!」
そう高い呻き声をあげる蟹型のモンスター。悲痛極まり無い声であるが、それもそのはずだった。彼に衝突した火球、それが本来の火球と云う魔法であれば、衝突後纏まった炎は散りじりになってしまうはずだ。勿論対象物に油やガスという引火性のある物があれば二次的なダメージになることもあるだろう。しかし今目の前にいるモンスターにはそんなものは見受けられない。俺もモンスター博士ではないからはっきりとは言えないが、ヤツの体に油の様なものは見えなかったし、ガスも充満しているわけでもない。だいいちガスが出ているなら爆弾を使った時点でもっと大きな爆発が引き起こっているはずだ。
しかしそういった二次的要素がないにも拘らず、衝突した火球の炎は散りじりになることなく、威力で後退させた後、その炎をモンスターへと纏わせていた!
信じられないことだが、炎はまるで蛇やウツボの様にモンスターに巻き付くように延々とその体を這いずり回っていた。
な、なんなんだよこの魔法……! リリィは「炎よ」としか声をかけていないのに、まるで火球と炎嵐が連続して起こされたようだ!いや……炎嵐は火柱が術者の意思に関係なく空に昇るほどの火柱が立ってしまう魔法であり、明確に言えば今目の前で起こされている魔法は、それの対象集中バージョンと言える。起こされた炎が一つの無駄もなく対象を襲っているのだから。
こんな魔法どうやって覚えたんだ!? 俺は驚きリリィを観る。すると彼女が手の平を上にしながら腕を前に差し出しているのが見えた。そして指を『空』で遊ばせるように動かしていたのだ。不規則に、決まりなく、時に滑らかに、嫋やかに、流れるような速さで。
何かを操っている仕草と言うのが相応しかった。俺の発想はすぐに確信に直結する。
操っている……? そうか!そうだよ!リリィはあの炎を火属性の魔法の延長か何かで操っているのだ。あの名前もない魔法はこうして編み出されていると言うことか!
「すげぇぞリリィ!!」
俺は興奮し声をついあげてしまった。やっぱりこいつは魔法の才能があるんだ! 俺には理解出来ない魔法使いとしての才が!
だがその刹那であった。
バシュゥゥゥーーーー
そんな音が立ち、一気にモンスターを包んでいた炎が消えたのだ。
点になる俺の目。モンスターは怯んでいるが死んではいないのは明白であった。
「人間の馬鹿!」
ぽかんとする俺にそんな叱咤が浴びせられた。
「なんでいきなり褒めたりするのよ!」
「え、えぇ!? お、俺は素直に凄いって言っただけで……」
なんだ!なんだ! まるで意味がわからんぞ! 凄いって言ったのがそんなに駄目だったのか? まさか魔法の解除呪文的なヤツが、俺の言葉で発動しちゃった的なヤツゥ? で、でもそんな馬鹿みたいな話はないだろ? ……ないだろリリィさん?
「リリィ、な、なんでそんなに怒ってるんだ? 」
「だ、だから! その……っ! 褒めるとか……なし……」
「な、なんでだよ……」
「……途切れ…る…」
「はぃ?」
「しゅーちゅー…が途切れる……」
「え、なに? もっとハッキリ言ってくれ」
ごにょごにょと言うリリィに俺は混乱する。なにが言いたいってんだよ。
「っ……も、もういい!」
ええ……結局いいんかい。リリィはプンスカ怒った様子で俺を見限るが、俺の視線は既にモンスターへと移っていた。何故ならヤツが、怯みから立ち直り、その多脚により前進を始めていたからだ。
「リリィ!」
「分かってる」
言われなくても分かっていると、リリィも向き直る。その目は既にモンスターに狙いを定めているように挟まっていた。
「─────水、風、闇よ、来たれ!」
リリィが言葉と共に腕を振るった。するとどうだろうか、モンスターの歩む先の地面にまるで結晶の様に輝く『氷』の地面が生み出されたではないか!
ヤツはそれに気がつく事もなく進行し、そしてその領域へと脚を踏み入れた。しかし若干の傾きはあったものの、その体を崩す迄には至らない。ヤバイか!?
俺がそう思った時だった。
「────風よ」
重ねてリリィが告げた台詞と共にそれは起きた。
今更ながら、蟹型モンスターの全長は10メートルはゆうに超える姿であると言っておこう。体重だって背中に背負う岩山から予測するに20トンはありそうだ。
しかしその巨体が次の瞬間には宙で舞っていたのだ。一体何が起きたと我が目を疑いたくなるが、自分の前にいるひとりのハーフエルフがその原因であると最初から分かっていた。
空中で一回転したモンスターはその背から氷上に落ちた。俺が思うにリリィが起こした風の魔法がその巨体を横から襲い、滑る足場との相乗効果ですっ転ばせたのだろう。下手をすれば村の一軒家と同等程の重さはあるであろうモンスターの体制を崩させるとは、当然滑る足場の効果もあるだろうが、凄まじい威力だろう。
俺はまたも驚いた顔でリリィを観るが、彼女が徐に片手を天に挙げているのに気が付いた。
何をしているのだろう。
「─────再度集え、氷結晶の魔力達よ」
先程とは異なる言葉であり、何をするのだろうと俺は見つめるしかなかったが、リリィの挙げた掌の上にその言葉に準ずるように白く輝く冷気が集まるのを観た。それは次第に形を作り、巨大になり、白濁色の空気を沢山含んだ大きな氷柱となったのだ。
そしてリリィの掌の数センチ上で浮いているそれは、まるで歯車が作動するようにゆっくりと回転始める。蟹型モンスターに穂先を向け横回転する様子はさながらドリルのよう。
そのモンスターと競うように巨大なのは一撃で仕留める為。その回転は貫通力を上げる為。リリィが本気でモンスターを殺すことを意識しているのが俺には分かった。
空気を纏う音を立てる氷柱。リリィはその掲げていた腕をモンスターへ向かって振り下ろした。
ゴゥッ!!
空気を裂く射出音を俺は聞いた。そしてそれを意識した瞬間には──────
グッシャャァァァッッッ!!!
比喩無しにそんな音が蟹型モンスターから立つ。ひっくり返った彼の顔面に向けて飛ばされた氷柱は、吸い込まれるように彼の顔を刺した。そしてその勢いは顔だけに留まらず全身をえぐり穿つ。
叫ぶ事も許されず、飛び散る外殻。紫色の血液。もしくは体液。その多量さと壮大さが彼の即死を物語っていた。
圧巻の光景に俺は呆然としていた。正直怖さもあった。まさかリリィがここまでやるとは、そして俺が知っている中でも相当に卓越した魔法を使うとは……言いようもない畏怖を俺は抱いていた。
でも……
「終わったよ人間……」
そう言って俺へ振り向くリリィの顔があまりにも悲痛な顔をしていたから、俺の恐怖なんてもんは些細なもんだったと端へ追いやってやった。
そうだよな、モンスターを殺めたこいつ自身が一番怖いんだよな。最初俺にこいつは倒さなきゃならないのかどうか聞いてきた。それはきっと倒さなくて良いならば、そうはしたくなかったからこそ出た発言だ。きっと俺の安寧スキルで大人しくなったモンスターと触れ合った事で、彼らに少しばかり感情的になってしまったのだろう。以前なら黒クロコダイルとかも平気な顔をして殺していた筈のリリィが、大人しくなったモンスターの一面をみて、逡巡するのも無理はない。彼女はまだ子供なんだから。
本当なら殺したくはなかったのに、俺の為にリリィはモンスターを殺めた。どうすればいいのか、何をすれば正解なのか俺には分からなかったが、不安気な彼女を見て俺は自分の腕に鞭を打ち、ギプスの左腕と右手を彼女の脇の下に潜り込ませる。そして思いっきり持ち上げると、まるで父親が子供にする高い高いのようになった。不安に驚愕が混ざった顔を見せる彼女に俺は言った。
「すげぇじゃねーか!リリィ、やったな!」
わざとらしくもあったかもしれない。でも俺が選んだのはひたすらに喜び、彼女を褒める事だった。そうする事で彼女のした事を肯定し、何も間違っていないと言ってやるのだ。他人からすりゃそれが間違ったやり方だとしても俺はそれを選択した。
その結果見せたリリィの少しだけ得意げな表情に俺は安堵する。悲しんでもいいし、後悔をする事も大切だろう。けれどその顔は笑っていてほしいと俺は思った。
「えへへ……」
笑う彼女に俺も笑って見せた。




