小さな小間使いの軽暴走 2
緊張の食事会を終え、俺はリビングのソファーでようやく治った動悸に安堵していたところであった。あの後も胃の許容量を軽く超える量をリリィに突っ込まれ、満腹になった体を労わる俺。
しかし忘れていた大切な事をふと思い出した。
「そういや、これじゃ仕事が出来ないじゃん」
左手のこの状況を見つめ返すと当たり前のことを口にした。利き腕では無いにしてもこの怪我の状態では満足に動く事も出来ない俺に『攻略屋』としての仕事は少しだけ辛いものがある。どうしよう……今夜にだって一件依頼が入っているのに。日をずらすと云う方法が最善ではあるが……依頼主の冒険者にそれは聞かないと承諾も得られるか分からないし、その為には依頼主と何処かで落ち会わなくてはならないのだ。
しかし不味い。俺は依頼主の冒険者とは最初の依頼詳細を話す場を設ける時以外は、次の依頼完遂時に落ち合う段取りしかしておかない主義である。
だから途中で何かあっても依頼を取り下げる事は出来ないようにしてあるのだ。これは俺なりのこだわりで、所詮自分は裏稼業者であると相手には印象付け、相手はそれなりの覚悟を持って来るようにする為のシステムにしたと思っていたのだが……
まさかの自分で自分の首を絞めるようになってしまうとは……馬鹿かな?
いや……それにしても怪我をしてからまだ十数時間しか経っていないのに、もう仕事の事を頭に浮かべてしまうとは……最早職業病かもやしれない。ってそれどころじゃないんだって。
仕方ない。今夜は体に鞭を打ってでも出るしかないか。
そして時刻は午後10時を回った頃である。リリィの献身的な介抱もあり、未だ左腕は痛むが、腹部の切り傷はすっかり良くなっていた。元々腹部の傷は特別深いものでもなかったし、リリィの治癒魔法にかかれば簡単に治ってしまうものであった。
左腕は使えないが、これならば仕事をこなすには十分だろう。だいたい元々危険はほぼない仕事だからな。昨日が例外的だったのだ。
俺は隣で寝息をたてているリリィにバレぬようにコッソリとベッドを抜け出した。今日のリリィは凄かった。家事を全てこなしながらも、俺が何かしようとすれば率先してそれを手伝おうとするし、逆に俺がやりにくかったぐらいだ。読みたかった本を音読するのは未だしも、トイレまでついてこようとするのはやめて欲しかった。リリィも恥ずかしいならば言わなきゃいいのにな。当然自分一人でしたさ。
ここからは俺が頑張る時間だ。彼女には迷惑ばかりかけられんからな。
って、あああああああ!!!??
「な、なんだよこれ!!」
思わず声を出してしまい俺は急いで口を塞ぐ。リビングに出た俺が観たのは驚愕の光景であった。
玄関の扉が分厚い氷に包まれていたのだ。いったい何の冗談だよ。まるで一つの芸術作品みてーになってるじゃねぇか。どうなってんの!? 異常気象かと俺が窓に駆け寄り外の様子を見てみるがいつもと変わらぬ闇夜が広がっているだけであった。一向に雪など降っていない。
「ま、まさか……!!」
幾ばくかの確信を抱き、俺は裏口の方へと向かう。すると……
「おおい!こっちもかい!」
玄関扉と同じく裏扉まで分厚い氷に飲み込まれているではないか。
明らかに自然現象ではない。人為的なものだ。こんな事をする人物を俺は一人しか知らなかった。
「─────なにしてるの人間」
裏口を呆然と見つめる俺の背中に浴びせられるその冷たい言葉に、俺はこの目の前の扉の如く震え上がった。ヒヤリとした言葉にゆっくりとしか振り返れなかった。
「……リリィ」
眠気まなこを擦るフワフワポンチョとレギンスのパジャマ姿の彼女。その見慣れたハーフエルフに今は緊張していた。
「と、扉が二つとも凍りついているんだ……」
「ああそれ、私がやったの」
やはりか。
「……なんで?」
「鈍いフリしないでよ。ホントは分かってるでしょ? ────人間がこうやって夜中抜け出さないようにだよ」
「ぬ、抜け出すだなんて人聞きが悪いな。俺はただ井戸に水を飲みに行こうと思っていただけだ」
「ふーん……ならキッチンの方に私が良く冷やした水があるからそれを飲んだ方がいいよ。冷えて美味しいし、一度は熱しているから衛生面も安心だわ」
「そそ、そっか……ありがとう。じゃあ飲ませていただきますかね……」
俺は出来るだけ笑顔でそう答え、余裕を繕う。しかし俺がそう答えてもリリィは一向に俺の前から動こうとはしない。
「な、なにか?」
「人間が飲むまで私も待ってる。一緒にベッドに戻りましょう」
「ええ? いいよ、恥ずかしいし」
「…………」
「先に戻ってろって」
き、聞こえてるのかな? なんだかリリィさん、先程から微塵も動かないから怖いんですけど……気の所為か目も怖い。睨まれているわけじゃないけど。ジーッと見つめるそのコバルトブルーの双眼が今は俺の背を冷たくする。
「─────ねぇ人間、嘘はダメだわ」
その言葉に俺の肩がビクついた。頭に氷柱をぶっ刺された気分だ。
「本当はお仕事をしに行くつもりなんでしょ?」
言い当てられた。図星だ。
「…………だったらどうした?」
くそ、誤魔化したってこの扉の状況じゃ外には出られねぇ。だったらとっとと説得する方向にシフトチェンジだ。
「俺の仕事は分かっているだろ? 俺の仕事は依頼が絶対であり、その完遂が売りだ。 骨折の一本や二本で休めやしないんだ」
「そうだね、そうだもんね」
「ああ、リリィにも分かるだろ? 俺はお前に止められても仕事には行くぞ!」
扉が氷漬けになってんのにどうやって行くってんだよと云うツッコミは今は無しで!
「誰も止めたりなんてしないよ」
「…………え? は?」
まさかの答えに二回も俺は返答してしまう。え、止めないの?
「人間のお仕事は大切な事。私もそのおかげで暮らす事が出来ているのは知っているもん。だから止めたりなんてしない」
おお、やっぱりリリィはいい子だ。俺の仕事に対して自分の反応や考えを見せても、それに反対はしない。理解のあるいい子だ。
「よかった……じゃあリリィ、さっさとこの氷を溶かしてくれ」
「うん、いいよ……けれど一つだけ約束して」
約束? ああきっと無事に帰ってこいとか言うんだろ? 任せんしゃい!俺は必ず帰ってくるからよぉ!
「分かったよ! 言ってみなさい!」
「─────私もお仕事に連れて行きなさい」
「ああ!分かっ───は?」
あっぶね! 今この子とんでもない事言いやがらなかったか!?
「リリィ……ごめん今何つった?」
「私を仕事に連れてって」
そんな私をスキーに連れ◯ってみたいなイントネーションで言うんじゃないよ。無理に決まってんだろ!
「無茶言うな!お前をそんな所に連れて行けるわけないだろ!」
「ふーん……そっか。じゃあ人間早くベッドに戻りましょう。夜更かしは体に毒よ」
「いやいや、ふざけんな。話聞いてたろ? 俺は仕事があるの!寝れないの!」
「だったら私も連れて行く事。でないと氷は溶かさないわ」
嘘だろおい。まさかこんな申し出……いや脅迫をリリィから受けるとは。困惑する俺と対比するように冷静にそう要求するリリィに少しだけ恐怖を覚える。
いや、声や表情は冷静なものであるが、瞳はギラついているではないか。このやろう……絶対に自分の要求は引き下げないつもりだ。
「リリィ、いい加減にしなさい。俺の仕事は命懸けだ、何が起こるかわからない。そんな場所に子供のお前を連れて行くことは絶対に出来ない。お前の命の保証が俺には出来ないからだ。わかるね?」
「わからないわ」
いや、なんでだよ。賢いお前なら分かるでしょ。
「危険だと言うなら尚更、今の状態の人間がお仕事に行く事の方が危険なのではないかしら? それに私は正直に言って人間よりも強いもの。確かに経験はないけれど、片腕の使えない貴方のサポートくらいはできるはず」
ぐ、ぐぅ……ま、まあ魔法とか使えるリリィさんは正直に言って俺よりも何十倍と強いでしょうよ。俺みたいに音や光で怯ませることもなく正面からぶつかり合って相手をねじ伏せられるでしょうよ。てか、さりげなくディスりやがって……
「だとしてもダメだ!いくら強くてもダメ!危険なんだ、ダンジョンは。お前が怪我をするところは見たくないし、もし死の淵に立たされるような事があれば─────」
「─────それは私も同じだよ人間」
リリィが言葉を遮った。
「……私ね、本当に昨日怖かったの。人間が死んじゃうって。……お医者様に診てもらっている時、助かる事を神様にお祈りしながらも、何度も後悔した。私が側にいればこんな事にはならなかったんじゃないかって……」
「…………」
「……あんな気持ち、もうたくさんだよ…私は人間を守りたい。勿論邪魔になるような事はしたくないけれど……今は…その怪我もあるし、人間の役には立てると思う。だから私を連れてって。それがこの氷を溶かす条件」
そう言うリリィの目は本気だった。俺がリリィを想うように、この子も俺の身を案じてくれていたのだ。
しかし俺にとってこの仕事は自分の意志で作り決めたもの。それにリリィを巻き込むと言うのは気が引けた。
やはり拒否しなくては。そう思ったのだが……
俺は自分の行動を省みる。こんな仕事をしておいて、リリィがそう申し出てくるのは時間の問題でもあったのではないかと。それは彼女をワイバーン達から救った時から予測出来たはずの結末であったのではないかと。
誰かを『試練』や『運命』から救い出すには大きな責任が伴うと、分かっていたはずだ。それなのに俺はリリィを衝動的に、贄として終わる『運命』から救い出した。ならば今のリリィの要求は、救い出した俺への責任とも言えるのではないか。そう思ってしまった。
思ってしまったが最後。俺の中でその気持ちがどんどんと膨らみ俺の心を虐めてくるのだ。
「ッあ〜!もう!……クソ」
……またコイツに言い負けるのか。俺はため息を一つつくと、リリィの頭をクシャクシャと撫でた。
「……指示はちゃんと聞くこと。約束出来るな?」
俺の言葉の意味をリリィはすぐに理解したのか、強い意志の瞳が揺らぎ、彼女の顔は一気に緩んだ。
「うん!」
楽しい事じゃないはずなのに、朗らかに笑顔を作る彼女を見ると俺は俺自身の甘さを自覚した。




