小さな小間使いの軽暴走 1
「本当にびっくりした」
「……うん」
「死んじゃってるのかと思った」
「……うん」
「傷を治癒しようにも、体に何か残ってたらそれも大変な事になっちゃうかもしれないし……だから凄く……何も出来ないことに怖くなった……」
「…………」
「人間の馬鹿」
「本当にごめん……」
なんで俺は床に座らされて謝ってるんですかね。俺とは逆に、目の前で立っているリリィは後ろで両手を結び俺を見下ろし、叱責してきた。
情けないことに今回ばかりは心配させた俺に反抗する気持ちは少しも湧かない。座りながら視線を落としていた俺が、少し視線を上げてリリィを見る。先程までわんわん泣いていた為に目は赤く、下瞼も少し腫れている。その目付きは少しだけ鋭くても、今の彼女の態度が心配だったという彼女から向けられていた情の反動だとすると、俺からは悪びれることしか出来なかった。
「お仕事だったとしても、そんなに怪我するような事したらダメだよ……」
これは好きで負った傷ではないのだけど……詳しく話せば彼女にまた心配を重ねてしまう。今はただ謝るだけがいいだろう。
「ごめんなさい……今度から気を付けます」
ぺこりと頭を縦に軽く振り俺はまた謝る。リリィの顔はまったく怒りの表情から晴れない。俺は自然とまたも視線を落とした。
「人間……」
「は、はい……」
「心配させないで」
俺がその言葉に頭を上げるとリリィはワンピースのスカートをはためかせ、半回転してキッチンの方へと去っていく。小言は終わりだと言うように。
ようやく解放された安堵感はあったが、俺の頭にこびりついたのは、去り際にチラリと覗いたリリィの悲痛そうな顔であった。彼女に言われた言葉もキツかったが、彼女の俺に見せないようにしたその表情がなによりも心を締め付けた。
きっとリリィは自分の立場上、俺の『攻略屋』の仕事を止めるように言う資格は無いと思っているのだろう。だから自分の主張は言いつつも決定的な否定……『そんな仕事は止めろ』とは一言も言わなかったのだ。そしてそれを窺わせる表情も見せない。あくまで見せたのは『自分が今回の事でどれだけ心配し怒っているか』という反応だけ。まるで母親の教育の様な怒り方だ。
子供のくせに自分の100%の主張と感情をぶつけてこないとは……いや、自然と俺がそうさせているのかもしれない。そして小間使いと主人という線引き。この関係性は、きっとリリィの中でも小さいものでは無いのだろう。だから感情を全てぶつけてこないのだ。
この関係性も少しずつほぐしていかなきゃな……俺の中にまた一つの目標が出来た気がした。
なんだこれは……
俺は目の前に広がる光景に言葉が出てこなかった。
大皿に盛られた大量のグリルチキン、ボウルのポテトサラダ、見たことのないスパイスが多量に入ったスープ状のもの、焼き魚、多種多様のパン、山盛りのフルーツ、そして軽く3リットルは入っているであろう大瓶に入ったミルクなどなど……一言でいえば絢爛豪華。私情を挟ませていただくなら、ぜってぇ食い切れない程の料理の数々……なんじゃこれ。
「お医者様が怪我を早く治すにはバランスの良い料理と休息が大切だって言っていたわ。だからこれを食べて人間には沢山休んでもらいます」
いや、言っている事は間違えてないけれど……こんな量を一度に食べられないっての軽く3食分以上はあるでしょこれ。
ダイニングテーブルについた俺は、絶句気味にリリィに告げる。
「リ、リリィ……流石にこんなに食えないよ」
「でも沢山食べなきゃ」
「まあ……出来るだけ頑張るけど。……取り皿を貰っても?」
「あ、そうだね。ごめん」
そう言ってリリィは俺に取り皿として大皿を渡してきた。無言の圧力を感じる。めっちゃ食べろというメッセージが。
まあ、プレッシャーは感じるが今はそれは置いておこう。目の前の料理の量は凄いが、見た目や香りはとても良いので食欲が湧いてくる。気が付けばもう昼過ぎであり、腹が減るのも無理はなかった。
さてと……どれから手をつけるかな〜などと料理を見渡しているとリリィが声をあげる。
「あ、希望があれば私が盛ってあげるよ」
「お!まじか、嬉しいね」
ちょうど片手が使えないのは料理を盛るのに不便だと思っていたところに、リリィから嬉しい申し出が来る。俺は嬉々としてリリィに欲しい料理を告げると次々と盛ってくれた。こういう事をしてくれるなら怪我をするのも少しは良いかもと思ってしまう。
「はい」
そう言って置かれる皿には沢山の料理がある程度の間隔を空けて盛られている。味が混ざらない様にリリィの気遣いが感じられた。
ガタンッ
盛られた料理に少しの感動を得ているとそんな音が立ち、俺はそちらの方へ顔を向ける。そこには自分の椅子を持ち上げて俺の隣に置くリリィがいた。
「何やってんだ?」
「私が食べさせてあげる」
……は?
「人間片手使えないでしょ? 食べ難いと思うから私が食べさせてあげるの」
いや、そんな気遣いは無用だ。利き手である右手は使えるし、食事をするのに不便はない。
「だ、大丈夫だって。一人で食べられるから」
「お医者様は無理はダメだって言ってた。それに私のミスでチキンを骨つきのものにしちゃった。それは片手では食べられないでしょ」
いや、かぶりつけばいけるでしょ。
「かぶりつけば良い────」
「───食べられないでしょ」
そのリリィの言葉を聞いた瞬間背中に寒気の走る何かを感じた。ゾッとしましたよ。ゾッとね。
「……はい」
「うん、じゃあ食べさせてあげるね」
リリィは満足気な顔をすると、隣に並べた椅子に座りナイフとフォークを取り出す。
「じゃあ何から召し上がります? お客様」
「そ、それならチキンからで」
「は〜い」
上機嫌な声だ。リリィはナイフとフォークを慣れた手つきで扱い、一口大のチキンをフォークに刺したのだが……
「……あ……あ…」
そこでピタリと止まり、何か言葉を出すのを躊躇っていた。そして横から見てもその顔は尖った耳まで次第に真っ赤になっていったのだ。どうしたんだリリィ。
片手を汁が垂れても大丈夫なように受け皿にして、チキンのついたナイフを俺に向けるリリィ。その顔は鬼灯のように赤い。眉間に軽く皺を寄せて、口をまごつかせる様子に何かを恥じているようだった。普段、雪のように白い肌の彼女が赤くなるとこれでもかと目立つ。いったい……
「…………あ、あ〜ん…して……」
……………
あ〜んして? あ〜んして……?
あ〜んしてぇぇぇ!!!???
その言葉を理解した瞬間俺の頬を高熱が襲った。そうして爆発寸前かのように真っ赤になるリリィを見て、この子がその台詞を言おうとしたが為に照れていた事を理解してしまった。
自分の言った言葉をすぐに後悔したように口を閉じるリリィ。もう何も言いたくはないと、唇に力が入っている様子だ。
俺が口を開くのを待っているのか、フォークを持ち、片手で受け皿を作った状態をキープする彼女。視線は俺をジッと見つめているが、時折少し逸らし、また俺を射抜くように見直していた。きっと俺が固まってしまった事にも気が付かないで。
正直言ってリリィがこんな大胆な行動を出来る子だとは思っていなかった俺にとっては藪から棒というもので、突然のことに俺の動悸が激しくなっていた。
いや、違うな……なんつーか…その動悸が激しくなったのはビックリした事もあるけれど……その……きっかけはビックリってのもあるけれど……今ドキドキしてるのは……ちょっと…
ほんのちょっとだけ……その……リ、リリィのそんな姿に…あ、愛らしさを……いや……その……ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ……か、か、可愛い……と思っちまった…からなのかもしれない……
ヤバイヤバイ!! キモイキモイ!! 俺は18だぞ!! 目の前にいるのはガキだぞ!! さらに言うなら俺の精神的年齢は38だぞ!ただの犯罪者思考じゃねぇか!!
でもリリィはハーフエルフだし……しかもこの世界じゃ前世の恋愛観の常識なんて適用されないし……
いや、ちげーだろ!!違う違う違う違う違う違う違う!! そんな考えが出る時点で俺は頭が可笑しいんだっての!! 煩悩煩悩!! 出てけよ煩悩!
だ、だいたい可愛いと思ったから恋愛観に繋がるってのがおかしいんだっての!!子供に可愛いとか愛らしいと思うことは至極普通なことであってだな!断じて変ではない! アーッハッハッハ!!おっかしいのーー!!
俺のそんな自己嫌悪との戦いを知らぬリリィの目は俺の迎えを待っていた。気の所為か瞳も潤んでいるように見える。そ、そうだ……リリィのこの行動や、対応に疚しい気持ちを感じないならば、この彼女からの厚意にゴチャゴチャした感情を抱く筈がないだろ! そ、そうさ、俺は別に不純な感情なんか抱いていない。これは子供であるリリィがきっと母親の真似事の様に俺に親切にしてくれているだけであり、そこに一切の邪な感情はないのだ!
「……に、人間……あ〜んだよ…わ、分かる?」
催促するように言うリリィ……いや言葉の意味は分かるけども!
もうもう!この『あ〜ん』に変な意味はないっての!俺、変な意味とは捉えるな!いけ、ジョン! 食らいつくのだ!
俺は意を決してリリィの持つフォークにかぶりついた。俺が逡巡しているうちに俺が『食べたくない』と思っていると勘違いし始め、少しだけ暗くなっていたリリィの表情がパッと花開いた。
「お、美味しい?」
口に広がる旨味と塩味、そしてハーブの香り。
「滅茶苦茶美味い」
そう言って申し分なかった。
俺の答えに未だ赤い顔のリリィは、安心したように微笑んだ。今までに食べたことのない味付けだったから、きっとリリィとしても怪我人の俺に力をつけてほしいと、パワーの入る試したことのない味付けを選んだのだろう。初めてにしては上手過ぎる味付けのバランスであったが。
「に、人間の為に作ったから……いっぱい食べて……」
そう言ってまたもフォークに料理を刺し、食を勧める彼女に、俺はまた少し照れてしまいながらもその厚意に甘えるのだった。
その台詞に意識をしてしまった俺の動悸はまた加速したけどね。
だがこの時の俺はまだ知らなかった。
このリリィの照れ混じりの俺への介抱が、彼女の『暴走』の序章に過ぎなかった事を。




