友人の過去に築いた関係を羨む。
2日後の定刻に差し掛かっていた時だった。働かない宣言をした俺であったが、実際休んでみると案外暇なもんで、久方振りの仕事に少しだけやる気が湧いていた。そして暗い森の夜道を腰に引っ掛けたカンテラの灯りを頼りにあるいている途中の事だった。
「待てジョン」
珍しくグリムロードが声をかけてきた。夜道を歩く俺からすれば突然の声掛けは驚くから止めて欲しいのが本音だ。
「びっくりするなぁ……なんだよ、どうした?」
「……この先から何か異様な雰囲気を感じる」
怖い事を言うな……しかし、竜であるグリムは俺の何倍もの生を重ねてきて、色々な経験だって豊富だ。こいつがそういうのならきっと何かあるのだ。
「……何かあってもスキルがあるから襲われはしないさ」
「……まあそうだが……一応、籠手の状態になっておくぞ」
そういうと彼は俺の左に装着した。頼もしい限りだ。
実はこの左手を覆う籠手、盾の役割も担ってくれる装備であり、剣や槍の攻撃であれば軽く防ぐ事もできるのだ。俺の低ステータスでも中々の防御力を発揮してくれるため、グリムには感謝している。
これさえあれば突然の奇襲でも左手を盾にすれば死にはしないだろう。
その後しばらく森を歩くと、少し開けた場所に出る。10メートル程の高さを誇る滝が俺の前に姿を現したのだ。少し前から滝が落ちる音が聞こえてはいたが、こうして目にするとやっと着いたなと少しだけ達成感があった。
岩肌を割いて流れ落ちる荘厳な水柱は、何百年もかけて作られた自然のオブジェとも言いたくなる。そして流れる水によって出来上がった池のほとりに、闇夜に紛れながらもひとりのローブを纏った人間が立っていることに俺は気が付いた。
「あ、あれがきっと依頼者だな」
俺はグリムに語りかけるように口にすると、その人物に向かっていった。
そうして接近するとフードを深く被ったその人物に声を掛けた。
「貴女がセシリアさん?」
俺の言葉にゆっくりとその人物も数歩、歩み寄る。
「─────ええ、そうです。お待ちしておりましたわ攻略屋様」
どうやらビンゴみたいだな。早速用件を聞くとするか。
俺がそう思い言葉を紡ごうとした時だ。彼女がローブのフードを取り払うと、美麗なる顔が現れた。驚くほどに美人だ。そう思ったのも束の間だった。
「──────そしてグリムロード様も」
その言葉に俺の心も、左腕に装着していたグリムロードも焦燥に駆られた。
グリムロードを知っている。その名を知っている事実だけならば、そこまで俺は動揺はしなかったであろう。彼もある種の界隈では著名な竜であるらしいからだ。しかし俺の左腕に装着されているがローブの下にそれは隠れているため、見ただけでは確認できるわけがないのに、俺の体の中にそれがいると、初対面の人間に一瞬で見破られたのだ……
只の依頼者ではないことは直ぐに分かった。
俺は素早く腰を軽く落とし、臨戦態勢に入る。ローブに隠れた中で、右手は既に投げナイフへと伸びていた。
くそ、美人だと思ったらこれかよ……凄く残念な気持ちを捨て、ジッと俺は目の前の女へ目を向ける。暗い中だが彼女の真紅の瞳が俺を見つめているのが分かった。というよりも……
あらま……ちょっと光ってないですか? あの目。不自然に夜の闇でぼんやりと灯る2つの光に、俺は人ならざる者の存在を予感した。
これはやべぇかもな……
肝が冷える。そんな感覚が襲った時だった。
「あら、何をそんなに恐れるのですか」
セシリアからそんなすっとぼけた様な言葉が飛んだのだ。
こんな状況を恐れるなってのが無理だろ! グリムロードの名を呼んで、しかも目が光る女って……身の危険しか感じないわ!
「とぼけるな! 貴様何者だ! ……人じゃねぇよな? グリムの名を呼んで何が目的だ?」
「グリム? それはまさかの略称というやつでしょうか、グリムロード様の」
そこかよ。どうでもいいでしょそこは!
「そうだが……そんなことより目的を言え」
「…………」
セシリアは黙っていた。
「……あ、あのー……」
「……略称で呼ぶなど……無礼千万……」
「は?」
「人間……貴様……グリムロード様とはどんな関係だ? 我々の冥王に対し、その言葉……万死に値するぞ」
セシリアの瞳が細まる。俺は蛇に睨まれた蛙の如く固まった。
あ、これ死ぬやつかも……てかグリム! 出てこいよグリム!! あの人お前を所望しているっぽいんだっての!!ずっと黙りこくってるけどあの人知り合いなんじゃねーのか!? 様付けしてるし敵ではないっぽいぞ!!
「…………」
出てきた。グリムです。俺の左腕を勝手に操って、ローブの外へ露出させました。今、俺の左腕から先はセシリアに向けられている状態です。
セシリアはそれを見て、最初何を向けられているか理解出来ない様子だった。しかししばらくする自身が見ている黄金の籠手が自分が敬称する人物自身であると気が付いたようだった。
「ああ! ああああ!! グリムロード様……おいたわしや、そんな姿にされてしまうだなんて!」
おいおい! なんか勘違いしてるぞこの人! 俺がグリムをこんな姿に変えてしまったとでも思ったんじゃねーのか!? まさにキッ!っと睨んでいることですしね! 絶対そうじゃん!
「おいおいおいおい!! グリム! 黙りこくってないで何とか言えよ! あのセシリアってやつ絶対ヤバイって!! なんとなくヤバイって分かる!」
俺は左腕を右手で叩きながら必死に呼ぶ。側から見りゃ自分の腕を叩いているキチガイじゃねーか! 早くグリム何とか言え!俺は砲撃状態じゃない籠手のままでも、お前が喋れることは知ってるぞ!
「はぁ〜〜……」
うわ……何そのため息……やっと出てきたと思ったら、滅茶苦茶デカいため息ついたよ、この竜。さっきまでの警戒しろって言ってた友人はどこ行ったんだ! 今がその警戒の本領を発揮するところでしょ!
「グ、グリムロード様ぁ!? 今御懐かしいお声を聞いた気がします! 私!」
メッチャ喜んでるじゃんセシリアさん。俺に向けていた殺意は何処へやら。彼女の浮かれた調子の声が辺りに響いた。
「……まさかクローエル・クワァイエルの名が俺の『元従者』の名だとは」
酷く沈んだ調子でグリムがそう言った。……元従者?
「ああ……グリムロード様! そうです私です! クローエルです! 貴方様の『右腕』、クローエルクワァイエルです!」
「…………」
なんだよ、身内かよ。滅茶苦茶ビビった俺が馬鹿みたいじゃん。
「この世界で封印されていたと聞きましたが……まさかそんな姿に変えられてしまっていたとは。今すぐお助け致しますので、少し待っていてください」
いや、違うでしょ。なんでそんな事言われるんだよ。グリム、ちゃんと話して。
「待てよクローエル。この姿は別に無理矢理されたわけじゃあない。俺が好きでしているだけだ」
「……本当に? 冥王と呼ばれた貴方様が、そんな矮小な存在の腕を守る小道具になる必要がどこにあるのです?」
「まあ、色々とな……で、お前何故この世界にいる? 『下』の世界を任せたはずだが……」
「…………」
下の世界? どういう事だろう。この二人が知り合いってのは分かったけどイマイチ話が見えてこない俺はついていけない。グリム、出来ればこの人について紹介とかしてくれませんかね?
「そうか……それもそうだな。おいクローエル、話を急ぐ前にまずは自己紹介だ。こいつは俺のダチの……まあ、お前も知っていると思うが攻略屋」
「どもー」
「んで攻略屋、この女が俺の冥界にいたころの部下、クローエルクワァイエルだ」
「……クローエルクワァイエルと申します。この世界ではクローエルの前にセシリアとつけていますが、どちらで呼んでいただいても構いません」
美人な部下だな。 ん? 冥界にいたころ? なにそれ。
「俺、こっちの世界に来る前は、冥界でダラダラしてた時期があったから」
「え、冥界って地獄でしょ?」
「そうだな」
「すげぇじゃん」
「ふん……まあな」
友達の思いの外とんでもない過去に驚いた。たまにあるよね、知り合いたての友達とか同僚とかに過去の事を聞くと、自分との経験値の差に驚く事。それに似てる。
まあグリムロードとはもう2年以上の付き合いですけどね。2年近く経っても教えてくれなかった過去か……なんか寂しいぞ!
「ふーん……あ、だから冥竜なのか」
「あ、そうそう」
初耳だわ。なんで今まで言わなかったんだよそんな面白そうな話。
「まあ、あんなくだらねぇ世界での出来事、お前に話すだけ笑いも取れないからなぁ……」
さいですか……結構面白そうだけどなぁ
「ぜんっぜんだぞ! 辺りはジメジメ、昼も夜も真っ暗、たまに雨が降ったと思えば、それもヌルヌルしてるし……温泉が湧いたと思えばすぐに毒沼に変わっちゃうし……死者の魂の呻き声がそこら中から上がるから安眠もできやしねぇ……最悪だよ」
すげぇ……冥界って想像通りなんだ。
「しかし、グリムロード様はそれを統治して豊かな世界へと変えてくれたのです」
セシリアさんが補足するように言う。
「冥界を跋扈していた、ならず達を焼き払い。弱い種族に手を差し伸べ、法を打ち立て秩序と平和を組み上げたのです」
「え、グリムが?」
「……はい。グリムロード様は冥界に於いて最高の革命家と名高いお方なのです」
俄かには信じられん……日々俺の記憶の情報を読み漁り、好きな時にブレスを吐くだけの竜がそんな存在だとは……
「おい、全部俺には聞こえてるからな」
あ、やべ……
「……まあなんだ、あの頃は他にやる事も無かったからなぁ。その頃はまだ地上に強者もいなかった時代だったから、冥界に降りて強い奴と戦うついでに少しくらい環境も良くすっかな〜ぐらいのノリで始めたことよ。たしかに善良な志ではなかったな」
「しかし、それによって冥界の民は救われました。勿論私も例外ではありません、貴方様に助けて頂かなければ今頃は地上にも冥界にも留まる事は出来なかったでしょう」
地上にも冥界にも留まれないって……なんかとんでもない話をしているな。え、てか冥界って……セシリアさん、もしかして人間じゃない系?
「ああ、そうだな。今はこんな女の形をしてるが……クローエルは正真正銘人間じゃあない」
「ええ!? まじかよ!! ショック!」
「だいいち人間なら冥界からでてこれないからな」
「グリムロード様の言葉通りです。この姿は仮初め。本来の姿は別にあります」
「どんなんだったかな……たしか『大ミミズ団子』みたいなのだよな?」
ええ……なにそれメッチャキモいじゃん……
カンテラの仄かな明かりでもセシリアさんの顔は美しくハッキリと見えた。艶やかな黒い髪、白い肌、薄い桃色の唇、赤く灯るルビーの瞳、細く形の良い長い眉毛。うーん……ローブに隠れて身は見えないが恐らく体型も悪くないぞ。見た目俺よりも少しぐらい年上の感じ? うーん……おねぇさん系だ。 悪くない。
「くそ〜……仕事を終えたらデートにでも誘ってみようと思ったのに……」
「あら、情熱的。 ありがたくお断りさせていただきますわ」
早速振られたよ。きっつ。
「まあ、ドンマイ」
ありがとうグリム。
「……で、話は戻るがクローエル! 攻略屋であるこいつをここに呼んだ理由はなんだ? それに何故貴様がここにいる? 冥界の統治を引き継がせた筈だが……」
少しだけ警戒した様なグリムの声にセシリアさんは澄ました顔をした。
そうだった。忘れていたけど彼女は依頼主だった。
「そんな事は決まっています。────グリムロード様、今すぐ冥界にお戻りください」
彼女の言葉にグリムが小さな溜め息を漏らしたのを俺は聞き逃さなかった。きっと予想通りの返答だったのだろう。それは落胆した様な溜め息だったのだから。




