記憶の彼方に置いてきた温もり
二人でベッドに入るとどうしても狭くなる。分かりきっていた事だったが、何とかなるだろうと思ってやってみても、何とかならんものは何ともならん。
カチコチとなる時計の音がやけに大きく聞こえた。
俺が壁側に、リリィが上がり降りする方に、俺達はベッドに横になっていた。
俺もリリィも何も言わない。明かりを消した部屋には夜光が入ってきていて、それが薄暗さを演出していた。寝る二人の間には妙な空間が空いていた。それが少し寒かった。
「ねぇ人間」
唐突にリリィが語りかけてきた。俺は仰向けであったが、彼女は俺に背を向けて寝転がっていたから、様子も分からずてっきりもう眠ったと思っていた。
俺は星と月を観ていた。庭の木々の丁度ぽっかり空いた葉の隙間から、それらが見えた。幻想的な月と星に想いを馳せ、なんとなくリリィを無視しても良いかと思った。背を向けているから、黙っとけば寝てると思うだろう。どうせ向こうから俺の様子も分からないんだし……
「なんで無視するの。起きてるでしょ」
何故ばれたし。
くそ、そうなると途端に気不味くなるじゃねーか。
「別に……星観てたから、ぼーっとしてた」
「そう……」
「なんだよ、早く寝ねーと成長できねーぞ」
色々なとこがな! なんてねー
「……あ、のさ……」
「あん?」
「す、隙間空いてて寒い」
「そうだな」
「つ、詰めてよ……この距離…」
「…………」
なんだよこのガキめ、一緒に寝ることだけじゃ飽き足らず、くっつくかくっつかないかの距離も狭めろと言うのか……なんか怖いな。
「キモいからヤダ」
「……ひど」
「そうして欲しいなら自分でやれよ」
そうだそうだ! 俺は今、頭で手を組みながら寝転び、空を見上げるという、なんともナルシストチックだが、イケてる男の黄昏を邪魔するでない。少しは酔わせろ。
どうせこいつのことだしそこまでしてくる積極性もないだろうと内心嘲笑していた。でも……
モゾモゾとベッドが軽く揺れる感覚があったかと思えば、俺の胸元から腹部にかけてピッタリと柔らかい感触が生まれたのだ。
確認しなくたって分かる。何が起こっているかなんて。けれども見ないという選択肢は俺にはなかった。
平静を保って視線だけを俺は、空から自分の胸元へと下ろした。そこにあったのは案の定銀色の頭髪であった。リリィだ。……リリィだ。
俺が頭の後ろで手を組みながら寝転んでいた為に、腕、脇、胸にかけて何の障害もなく晒されていた空間、リリィはそこに入り込み、俺へ密着してきたのだ。
正直動揺した。今までこいつに、こんなにも密着したこと、された事がなかった俺はどうしたってドギマギした。
「おい、リリィ? ……ッ…!!」
驚くべきことにリリィは俺の胸へと腕を置いた。小さく細い腕であったが、しっかりと少しだけ重くて、彼女の存在を実感した。
「お、おい……お前」
頰の熱さを俺は無視出来ない。なんとも情けないが俺はこんなガキ一人にベッドで抱き着かれただけで、激しく羞恥した。自分でも分からなかった。村の元気な子供が俺に抱きついてくることなど今までの人生で多々あったが、こんな恥ずかしく思ったことはなかった。
しかしリリィにそれをされると……どうしてか動悸が激しくなった。
「……あったかい」
「ふぇ!?」
「人間は……あったかい?」
「あ、ああ……あたたた……暖かい……」
「そっか……良かった……」
くそ、くそ! 治れよ心臓の音! リリィが抱き着いているのは左側の胸……動悸が激しくなれば俺がこの状況に緊張してるのがバレるだろが!! そんなの恥でしかねぇ!! どうしても抑えなきゃ!!
「人間の心臓の音……落ち着くね」
バレてんじゃないの!? これ!ちくしょうめ!
「どーでもいいだろ、さっさと寝ろ」
「……うん」
もういいさ、こうなりゃ何を言われても俺が緊張してないと言い張ればいいだけの話だ。考えるだけ無駄。もう爆音なる心音はバレてんですから。
「ねぇ人間……」
「なんだ?」
まさか……からかわれるか? 心臓の音……
「────人間は……どこにも行かないよね」
……は? なに、どういう意味だ。
一瞬で俺の頭はその疑問に支配される。
「リリィ、なに言ってる」
「……人間は私を一人にしないよね」
何かが俺の頭をガンと叩いた様な衝撃だった。
「お、おい……」
「……私……もう…一人はヤダ……お母さんもいない……里に帰ったって家にいればひとりぼっち……ヤダよ……」
こいつ……
俺は自分を恥じた。何が緊張だよ。馬鹿馬鹿しい。リリィはただ俺には安らぎと安心を求めていたに過ぎないんだ。こいつには安寧なる場所はもうこの家しかない。俺の側しかない。そう言っていたんだ。
こいつはまだガキだ。11歳って言えば前世の日本じゃ小学校5年生くらいか……女の子なら思春期に入って反抗期に入るぐらいの年齢だ。俺はリリィが普段から反抗的な態度をとるから、テッキリその兆候だと思っていた。しかし実態はこれだ。まだ数ヶ月しか関わっていない俺に対し、親の様な抱擁力と安らぎを求めている。
そりゃ里の狭いコミュニティと、親を失い、目の前で残酷な末路を見せられれば、年よりかは幼く育っていたって可笑しくないだろうに……俺はそんな事にも気がつかなかった。そしてあの街に留学して学校に行こうと言う持ち掛け……こいつの今の精神状態じゃあれをマイナスに捉えても仕方がない。
「……私は小間使いだもん……ずっと人間の側にいる」
「…………」
ようやく分かった。リリィが俺の元に小間使いとして派遣される事に同意している本当の理由が。きっと安寧スキルの恩恵にあやかりたいのも本音だったんだろう。けどそれだけじゃない……こいつは一緒に暮らしてくれる存在が欲しかったんだな。
「────当たり前だろう」
「……………」
「お前にはやってもらわなきゃならない事がいっぱいあんだっての。勝手にサボってどっか消えたら承知しねーぞ」
俺はもしかしたら何か間違った選択をしているのかもしれない。でも、俺は万能な人間じゃないんだ。今ここで言うべき事なんて知らないし、その先にある未来だって想像もつかないし、良い大人には成れてないかもしれない。
だから今はただこいつの安心することを言ってやりたかった。
「……ありがとう人間……嬉しい」
「いいっての」
俺は組んでた手を解き、左手で彼女の頭をしばらくの間、撫でてやった。リリィは礼を最後に何も言わずしばらくして、ようやく寝息をつきはじめた。
でも俺は眠りにつけずにいた。こいつの考えていること、感じていること、それを思うと目が冴えてしまったのだ。
きっと、彼女の闇も払ってやるのが俺の役目でもあるのかもしれない。そんな生まれたばかりの使命感を抱きながらも、俺は冴えた目を無理矢理に瞼で閉じるのだった。
朝になればリリィが天邪鬼に戻っちまっていることを願いながら。
お前に悲しみは似合わないぞ。




