罰
彼の言葉に広場は静まり返っていた。ただひとつ彼が静かに涙を流し、鼻をすする音が拡声魔法によって広場中に静かに響いていた。
誰も何も言わなかった。皆が憧れ、崇め、自分とは異なる存在であるとばかり考えていた『勇者』という雲の上の人が、こんなにも取り乱し、声を荒げ、苦しみや悲しみを告白するとは誰もが予想だにしなかったからだった。そして思うのだ。この人もまた自分達と同じたったひとりの人間であるのだと。
「叫ぶ事はないだろうアルフレッド」
冷静な皇帝の言葉を、今は皆が冷たく感じた。
「……す、すみません……取り乱してしまっ……て……」
「よい。もう其方の腹の内は見えた」
皇帝は足を組んだ。
「其方が如何にその乙女を愛していたかは重々理解した。 しかしだ、すでに亡き者をそんなにも愛したところで、今いる婚約者を蔑ろにし、泥を塗るような真似が許されるわけもないだろうに……それが分からぬほど其方も愚かではないだろう?」
勇者は涙を拭い、その目を皇帝に向けた。
「はい。然るべき罰は受けます」
「ふんっ……罰を受けるだと? 甘んじて受ける罰は最早罰ではないわ! そんなものただの其方を救う手立てをしてやるだけに過ぎぬ」
静かな怒りを皇帝は剥き出していた。
「……罰を受けると言うのであれば乙女アリスを花嫁に迎えよ。それがこの式を侮辱し、一度は婚約を破棄したお前の罰よな」
「それはできません」
即答だった。これには会場は一気に騒ついた。まさか帝の命に対し、即却下する者がいるとは。それは神への反逆にも等しい行為だと俺でも分かる。本当に世界を敵に回すつもりかよ……
「愚か者め! 罰を受けると言い放っておいてその答えか! この場だけでなく私さえもコケにするか!」
「罰は受けます。けれどその罰だけは受けられない。俺の花嫁はたったひとり、ミリアのみです。それは神にだって捻じ曲げられません」
言い切った! すげぇな勇者様! 自分の愛は神をも凌ぐと!やべーよ、ちょっとカッコよくて俺鳥肌立っちゃったよ!
この言葉には皇帝様も意表を突かれた様だった。少しの間があった。
「『貴様』……神を愚弄するか……」
「愚弄などしておりません。しかし私の愛を否定するのであれば私は神を相手にだって剣を取りましょう。数多の猛者達を相手にしましょう」
嘘など言っていない。ハッタリでもない! 勇者様の言葉は本気だ!この人はやる人だ! 俺には分かった! 俺には伝わった!
勇者の言葉をどう捉えたか、皇帝は突然大きく笑った。甲高い笑い声だった。
「ハハハハハッ……!! 神を相手取ると来たか!!」
広場に響く笑い声。その声に異様に恐怖心を煽られたのはきっと俺だけじゃなかったはずだ。
皇帝はひとしきり笑うと声を潜めた。
「─────首を刎ねるぞ、貴様……」
心を鷲掴みにするような声だ。まるで殺意の槍を投擲された様な感覚だった。すぐそこにある死。それを予感させた。
それでもアルフレッドは動じなかった。
「死して彼女の側に行けるならそれも本望」
言い切る勇者と、皇帝は見つめ合う。どちらも譲らぬと。しかしそれも永遠には続かなかった。
「死が─────望みへと化けたか……哀れだな」
「初めから俺は高尚な人間ではありませんし、出生だって平民です。哀れみを頂けるのは元より誉れであります」
皇帝様は小さく息を吐いた。
「……其方がこの場を無かった事にして、ここに集まった者らはどうなる。其方らを祝して贈呈物を用意し、ここに至るまでに費やした金も些細なわけではないぞ」
「……贈り物は確かに受け取ります。しかし、それらにかかった費用などは『私』が全て払いましょう」
会場がまたも騒つく。勇者様は言っている意味が分かっているのだろうか!? この会場の参列者全ての費用を自分が立て替えると言っているのだ。少なくても500人以上はいるのに……そんな富が彼にはあるのか!?
「それほどまでに其方が肥えているとは思えなんだ……」
「当然です。直ぐには皆様には返せません。しかし私の生涯をかけ必ず返します。必ずです」
それって途方もない事なんじゃ……そんな事は俺でさえ分かりきっているぞ。
でも勇者様は本気だ。というよりもあの場に立って、愛を叫んでから勇者は何一つ迷いもなく語っている。あの人はもう何も迷わぬ覚悟を決めているんだな……
「ちょっと待ちなさいよ!!」
そんな皇帝様と勇者の会話に割り込む者が一人。振られた花嫁、アリスだった。
「何勝手にもう婚約破棄の流れになってるのよ!! 私は認めないからね!! こんなの詐欺みたいなもんじゃない!! アルフレッド、このまま私をフルなら私は結婚詐欺で訴えるんだからね!! それが嫌なら今すぐ式をやり直すわよ!!」
完全に意識を取り戻した彼女のその言葉はたくましかった。でも俺が思うに、もうそんな脅し意味がないと思うなぁ……
「申し訳ないがアリス、それは無理だ。俺はもうキミとは結婚しない。訴えたいのなら勝手にやってくれ。俺は逃げも隠れもしない」
「な……そ、そこまで私との結婚が嫌だっての!?」
「嫌なんじゃない。君は素晴らしい女性だ、俺はそれを知っている。でも俺がこの世で愛してる人は一人だけだ。俺はその愛を君には向けられない」
あらま……
「何を勝手にスッキリしてんのよ!! 家だって建てたじゃない! 家具だって色々揃えたじゃないの!! あの家は確か貴方の名義よね!? 貴方に捨てられたら私はまたあのクソ田舎に戻らされるっての!?」
クソ田舎言うな! そのクソ田舎の民がここには揃ってんだぞ!
「そんなもの全て君に授けよう。家も家具も俺の服だって。身にするもの全てだ。それが君に出来る最大限の罪滅ぼしだ」
「バ、馬鹿言ってんじゃないわよ……そ、そこまでする必要なんてないじゃない!! ただ私と一緒になれば全て失わずに丸く収まるじゃないの!! 富も名声も貴方は今失いかけているのよ!? ……もし婚約破棄したとしても貴方は私を、寸前で捨てた最低の勇者って罵られるわ!! 誰も慕わない! 崇めない! そんな人生に転落していいってわけ!?」
「富も名声もカケラもいらない。俺にあるのはこの身と亡きミリアへの愛だけで十分だ」
「……ど、どうしてぇ……そんな…そこまで……っ…」
「全て失っても生まれてきた赤子の状態に戻るだけ……そこから人間は何度だってやり直せる」
いや、それは極論だろ。でも、勇者様が言うと説得力が半端ないですわ。確かにそうなのかなと思ってしまう。
「……わ、私………」
「君は俺に初めての恋をしたといつか言ってくれたね? すまない……俺があの時もっと自分の気持ちにしっかり向き合えていれば、君にこうして失礼な事をすることもなかったろうに……本当にすまない」
ん? 今勇者様の言ったことが正しければ、アリスは勇者様に俺の存在や、約束を魔王討伐の旅の最初から最後まで隠していた事になるな……あのやろー……
まあいいか……今となってはそれも可哀想な結末を迎えているし……
「だ、だったら……謝るくらいだったら……」
アリスは突然祭壇前から降り、参列者の一つのテーブルに向かうと、食事用のナイフを一つ奪い取った。
「今すぐ自害しなさい!! 私の言う事も聞けない男なんかいらないわよ!! さぁ早く! 今ここで!!」
軽く発狂状態のアリスの言葉を勇者は哀れむような顔で見つめた。その表情は恐らく自分への叱責でもあったのだろう。自分の行動や判断によってここまでアリスを追い詰めてしまったと言う事実に対する。
「─────もう止めよ、乙女アリスよ」
皇帝様の声が二人の間を突き抜けた。
「アルフレッドの意思は先程聞いたであろう。其奴に死は逆に褒美でしかない。それに其奴は私の帝国にとって財産であるからな、死なれては困るのだよ。フンッ、面白くもない……首を刎ねてやろうにも此方にしか損がないとは……全く、傲慢で理不尽な輩だ」
再び一息つくと、皇帝様は言葉を紡いだ。
「勇者アルフレッド、亡き愛する者の為に全てを投げうつ覚悟があるのだな?」
「当然。私には何が大切かようやく見えました」
アルフレッドの言葉を聞くと皇帝様は再び笑うが先ほどの高笑いとは違い。まるで嘲笑するかのような笑いだった。
「─────其方の勝ちだ。 この婚儀、全て無きものにしよう」
時が一瞬止まった。
その言葉を一瞬で理解し反応出来る者はきっとこの場にはいなかった。けれどその言葉を受け止めた勇者は震える声で静かに礼を言った。
誰もがどんな反応をしていいのか分からなかった。皇帝様の言葉をゆっくりと理解しても、愛を勝ち取った勇者、愛に敗れた新婦のこの両者を囲む者達には誰もがどんな行動で彼らを迎えれば良いのか分からなかったのだ。
────だから俺が担ってやったさ。
俺は勇者のファンだからな!!
両手を叩いて盛大な一人分の拍手を全力でかましてやった!!
「ジョン……」
俺の隣のカナリーが困惑した様な顔で見るもんだから、俺は目配せしてやる。お前もやんだよ! 俺一人の拍手じゃ足りねぇんだよ!!
やれやれといった顔をするカナリーだが、流石は俺の友達だ。俺に続いて拍手をかます。そうすればどうだい? ……二つだった拍手が四となり、八と……八十となり、二百となり、無限に膨らんでいった!!
割れんばかりの拍手が広場を包む。そうして次第にそれに混じって祝福の言葉だって。
こんなものは俺が起こしたもんじゃない。皆本当は思っていたんだ、この世界を救った男を祝してやりたいと、でもその身から出た弱くも強い、彼の人間性の露呈を簡単に受け止められるやつなんてそういないさ。憧れの存在、崇める存在、それの弱さと強さの源を知ったら誰もすぐになんて行動できやしない。でも……皆んな思ってた。彼を祝してやりたいと。
だからこれは何か一つのキッカケがあれば起こせた簡単な祝福だったんだ。俺はその美味しい役を我先にと奪い取っただけの人間なのだ。
そうするとどうだ? 俺のこの心に巻き起こる煌びやかな風!!
最高の気分だね!
俺は視線を感じてその方を見る。立ち上がり歓声巻き起こる人々の中で鋭い視線が人混み掻き分けて、俺を見つめていた。
花嫁姿のアリスが此方を睨んでいた。彼女は俺が一番最初に拍手をした事を見ていたのだろう。そうして俺に向けて口を動かした。それはきっと音のない言葉だった。けれど俺には分かった。
「────ふ・ざ・け・ん・な────」
フンっ……そりゃ怒るか。だが俺には関係ないね。
嘲笑う様な顔で彼女に笑い返してやった。おバカさん。
「乙女アリス」
歓声止まぬままに皇帝はアリスに声を掛けた。
「今回の婚儀は私の顔に免じて許せ」
皇帝にそう言われればアリスも嫌だとは言えぬ。静かに彼女はそれを飲んだ。
「まあ、しかし其方も不憫だ。今度私が何か縁談を持ってこよう。それが勇者を許した私からの罪滅ぼしだ」
「……ありがたき幸せでございます」
寛大な皇帝様はアリスへとフォローも忘れないようだ。彼女の気が少し晴れたことを俺はアリスの声の調子で勘付いた。アイツは昔から感情が声に見え隠れし易いのだ。
「静まりなさい民よ」
皇帝の言葉に参列者達は静まった。
「今回のこの一件、確かに勇者に私は許しをやった。しかしだ、その者には二つの罪がある。婚儀を破綻させ民を愚弄した件と、この私をこの場に呼んでおきながら式を破綻させ愚弄した件だ。今の拍手で其方達がこの者を許した事は分かった。しかし、私はまだこの者を許してはいない。であればこの者には罰を与えなければならぬのだ。その身分が勇者であろうが王であろうが平民であろうが、平等だ。罰する必要がある」
そんな……許されたと思ったのにこれかよ。あんなこと言っておきながら帝本人は許してないって……
でも勇者様を見るとそれは分かってたかのような顔をしている。勇者様……
「勇者アルフレッド、其方には『冥婚』を命ずる」
めいこん……なんだろう、なんか懐かしいというか……前世では何度か聞いた事のある単語だ。でもこの世界では聞いたことがないような……
「冥婚とは海を跨いだ東の大陸の文化の一つでな『死者と生者との間で行う婚礼の儀式』のことだ。其方にはそれをやってもらうぞ」
え、それって……
「こ、皇帝様……」
「私達の信仰するソクリーツ教には無い儀式だが……まあ、今回は罰として利用させてもらうとして特例とする……なんだ、其方の愛は生死も越えるものではなかったのか? 恐れをなしたか、勇者アルフレッド?」
皇帝様の声が、明らかにおちょくっているものに変わる。この人ってやつは……
最初から罰する気なんてさらさらなかったんだ……
勇者様の答えなんて分かりきっているくせに。
「その罰、全身全霊をかけ、受けさせていただきます!!」
勇者の歓喜の声が会場に響いた。粋な真似をする皇帝様だこと。
そして突如として皇帝様は立ち上がった。その体は案外小柄であった。遠くのこの距離でしかなかったが160センチもないと思う。まあどうでもいいけど。一体何をするつもりなのか。
「アルフレッド、因みに其方の想い人の墓は一体どこにある」
突然の問いに勇者様は一瞬呆気にとられるが、すぐに答えた。
「城下の外れですが……」
「そうか。では場所を変えるぞ!! この場にいる兵は帝国兵、王国兵関係なく、この場にある設備を全てその墓へと移動させる事に尽力せよ!!!」
え
ええええええええ!!!??
何言ってんだこの人!
「こ、皇帝様……何をするおつもりで!?」
今まで黙って見ていたミステリア国王もたまらず問う。そりゃ問うわな。
「簡単な話よ。私には暇がない。今日を逃せばしばらくはこの国にも訪れることなどできないからな、勇者アルフレッドと乙女ミリアの冥婚を今からするのだ」
「で、でしたらこの場で良いのでは? 今から全てを移動すれば式ができるのも夕方からになってしまいますぞ!?」
「ほう、貴様……死者にこの場に来いと言うのか? 」
「……っ…そ、それは…」
王はグゥの音も出なかった。
「それに冥婚ならば夜が相応しいのではないか?」
うーん。言えてる。……言えてるのか……?
「私は暴君でな。全ての者は私に従ってもらうぞ。……反論は許さん!! さあ、全ての者よ、墓場で式を挙げるぞ!!」
まったくよ、暴君は自分で暴君なんて言わねーっつーのに……しかし、すげぇ事を言い出す皇帝様だこと。
無茶苦茶で、先進的で、その上人の感情を揺さぶることが上手い上手い……
すっかり俺は貴方に心酔しそうだわ。最高に粋な王だよ。
でもきっとそれは俺だけじゃない。もうすでに兵は動き、参列者も皆、なんだか楽しげだ。きっとそれは自分達が何か大きな事の立会人になっていると実感したから。それもあるけれど、それ以上に勇者の『本当』の祝い事に協力出来るから。手を差し伸べてやれたから。
そう感じるからなんだろう。




