街へ行こうよ
「嘘でしょ……」
俺は新聞を毎日の楽しみにしているのだが、久しぶりの驚愕の記事に目は離せず、それどころか全身の毛穴が開くのを感じた。
全身から嫌な汗が噴き出す。
そこには身に覚えのある内容のものが記されていたからだった。
昨日19時頃、ロリエント領に住む住民達から青白い光の塔の目撃情報が挙がった。光の塔は夜中突如として発生し、情報によれば轟音と共に天空高くまで伸びあがっていたという。発生場所はフォーロット渓谷及びそれに連なる森と思われ、渓谷に住むエルフ達が何か関係性を持っているのではと付近に住む住民からは不安の声があがっている。領主ローレンス・ロリエントはエルフの仕業と断定するのは早計とし、守護兵隊から調査部隊を編成し派遣、問題があれば迅速に対応するとしている。この光柱の一件に他の領主も不安を隠しきれないと───
これ絶対グリムロードのブレスの事だ!!
やべぇよ、がっつり見られてんじゃねーか!!調査部隊を派遣? やばいな……エルフ達はこれから人間とも交流を深めていこうとしてるって言ってたから……もしエルフ達の里に調査が入ったら、彼らは素直にあのブレスもとい、『絶叫する聖歌隊』はグリムロードの仕業と証言するだろう。そしてそのついでに攻略屋の事さえも漏らすに違いない。だいいち俺からそう頼んでしまっているのだから。
これは困った、こうなると話は違ってくる。俺は仕事は欲しいからあくまで名を広めてくれとエルフ達に頼んだつもりだったが、こんなにも光柱としてグリムロードのブレスが注目されてしまうと、それこそ俺の平穏に影響をもたらしてしまうではないか。それはマズイ。それだけは避けなければ!!
あくまで俺は平穏に過ごしながらお金が稼げればいいだけなのだ。領主様から睨まれるなんてまっぴらゴメンだ。睨まれるくらいなら大人しくしているに限るよ。
そうならないようにエルフ達には釘を刺しておくか。
そうと決まれば出掛ける準備だ。朝っぱらからリリィが訪ねて来て小間使いとして暮らすことになったし、新聞を読めば驚愕の事実が書かれているし、リリィの要望で朝っぱらからお風呂にお湯を張ることになるし、災難続きであるが、へこたれている暇はない。
時間は刻一刻と迫っているのだから。
「ドタバタと……人間、どこかに行く準備でもしてるのか?」
その声と共にリリィが俺の背中に声をかけて来た。頭から体をシットリと潤わせ、案の定……俺の寝間着をまた勝手に着てやがる。完全にたった今入浴から戻って来ましたよと言った感じだ。まあいい。
「俺はこれから少しばかり、お前の里に行く。留守番してろ」
「よし、分かった」
いや、よしじゃない。俺はリリィの肩を掴んだ。だって留守番してろと言っているのに、こいつが明らかに寝間着に手を掛けながら自室(奪われた)に駆け足で行こうとしているのだから。
「留守番頼むな」
「分かったと言ってるでしょ!」
……俺の深読みのし過ぎか? 念を押すように言う俺の言葉に半笑いでリリィは答える。俺は彼女の肩から手を離すと準備に取り掛かった。
そうしてビンタを馬小屋から連れてくると、背中に少しだけ荷物を載せる。袋の中には色々と道具が詰まっているが、『攻略屋』の格好の為のローブと山犬の仮面もここに詰めた。村でその格好をするわけにもいかないので、ある程度進んだところでそのローブなどを身につけることにしたのだ。
よし、準備も出来たことだし行くか。俺はそう思いビンタの上に乗った。少しだけビンタの体が揺れる。二度。
二度?
「ってお前何やってる」
揺れと共に、俺の背中に感じた掴まれた感触に振り向いてみれば、そこには胸元のリボンが女の子らしい、ノースリーブの白のワンピースを身に纏ったリリィが座っていた。しかも片手で風の魔法を起こして、まるでドライヤーのようにして髪を乾かしながら、もう片方の手には櫛を握ったまま、俺の背中のシャツを握っていたのだ。
何か一つに集中したら?と言いたくなった。ってそうじゃないだろ!
「馬から降りなリリィさん」
「それは嫌よ、人間さん」
「え、なんで?」
「私の里に行くんでしょ、だったら連れて行きなさいよ。てか連れてかないのは非常識でしょ」
「別に長居するつもりはない。少し頼みがあって行くだけだから、すぐに帰って来るつもりさ」
「そう。じゃあ行きましょ」
「……降りて」
「いや」
「降りろクソエルフ」
「ついてく」
「ダメだ、降りろ」
「ヤダヤダついてく〜私は小間使いだもん〜離れない〜」
また駄々をこね始めたぞ。小間使いの働きなんてしないくせによぉ〜。よく言うわ。
風を止める事なくパタパタ腕を振り始めるリリィ。まじで餓鬼だな。まあ、今回ばかりは連れてけって言うのも分かるがな。それに連れて行けばリリィを置き去りにしてこれる可能性もあるし……いや、ダメだ!なんか面倒な事になりそうな気がする。こいつは自分勝手だからな。道中何か求められても困るし、面倒だ。現にこうして俺に風呂の準備をさせたし、どうせまたお高い石鹸も勝手に使っているし、こいつは俺への配慮が圧倒的に足りんのだ。明らかにお荷物だ。置いていきたい。
ブンブン腕を振るいながら暴れるリリィ。ビンタ……それでも動じないお前は優秀な友だよ。
彼女の体から石鹸の香りが漂う。それが俺の切なさを掻き立てる。ああ……俺の大切な大切な石鹸ちゃん……こんな人の気持ちも分からないエルフに消費されちゃって可哀想に……
哀れにも君の価値を分からぬこの子供に、身の糧にされてしまうとは悔しいだろうよ……
君のあらゆる花の香りを混ぜた優雅で嫋やかな香りは、他者から香るとしても俺の心を安らぎに包ませてくれるのね。俺は嬉しいよ。
芳しき……芳しき……この香り……香り……
……香りすぎじゃない?
俺は異様に香るこいつの体にスンスンと匂いを嗅ぐ。
「……お前、クサい」
「突然何よ!酷いよ、臭いだなんて!」
まあ、そうなんだけどそうじゃない。
「いや、そうじゃなくて……石鹸臭が半端ないんですけど……」
「そりゃ、人間のいい匂いの石鹸を使ったからね。あ、そうそう、私、体からこのいい匂いを放てる凄い方法を見つけたから、そのせいで凄い石鹸の香りがするのかも!」
え、なにそれ。
「……因みにどういう方法?」
「簡単だよ、お湯の中に石鹸を入れて、こねこねしながらお湯の中で溶かしてあげるの」
は?
「そうするとね、お湯の中から次第に良い香りが立ち昇って、シットリとしたお湯になるんだよ!すっかり私の肌もピチピチになっちゃった〜」
俺は急いでビンタから降りると、家の中に駆けた。そして浴室まで辿り着くと、いつもの石鹸を置いてある、浴室鏡の下に設けた石鹸ケースを見た。
そうして俺は愕然とした。あまりにも残酷な現実に俺は膝をついた。濡れることも厭わず。
「そ、そんな……」
ケースの中には消しゴムサイズに変わり果てた愛しき恋人がいた。
俺はもう怒る気力も起きなかった。こうなっては仕方がない。これを糧に未来に活かそう。やはりあのエルフは疫病神だ。ならばそれを未然に防ぐ方法を考えるのだ、ジョン・ウィッチよ。
もう悲しみを無駄にはしないよ。
「あ、人間。どうしたの?」
精魂尽き果てた俺を、自分が何をしたのか知らずにリリィはそう迎えた。清々しいほどに罪人は朗らかな顔を見せやがる。ぶん殴りてぇ。しかし子供を殴るわけにはいかない。
「ひだい!ふぃだい!!ひんげぇんひだぃぃ!」
だから両ほっぺを引っ張ってやった。これくらいは躾だ。これから人間の事を知っていくってんなら子供として躾もするのは当たり前だよな。
「二度と石鹸を湯船の中に入れんな。分かったな」
「ふぃれない!ふぃれない!ふぃれまふぇん!!」
こいつも俺が珍しくマジだと分かったのか、必死に謝罪してくるのでこの辺にしておく。
「しょうがない……エルフんとこ行ったら街に行くぞ、お前も来い」
「え! 本当!? やったぁ〜〜!」
街に行くのは俺のあの素晴らしき石鹸が街にしか売ってないからであってリリィを喜ばせる為ではない。こいつとは使う石鹸を分けよう。こいつには格安の石鹸を買ってやる。あと寝間着も分けるんだ。その為にもこいつには一緒に来てもらうのが一番手っ取り早い。そう考えたからだ。
なんだか敗北感はあるけどな。




