酷い話
さて、ここからどう動くかななんて俺は考える。今すぐこの距離からあのワイバーンもとい、赤トカゲを『殺し』たって良いが、それをしたところで、このエルフの里の危機を救うことにはならない。なんせ、あのワイバーンがいなければ、はぐれドラゴン共が里を襲うらしいからな。
「ドラゴンかどうかも怪しいがな」
まあ、ワイバーンをドラゴンと呼んでしまっているエルフ達であるから、はぐれドラゴンもドラゴンでない可能性があるが……それでも彼らが危機に陥ることには違いないのだから、軽率にモルティアを殺すことは出来ない。
乗り込むことを考える俺だが、いまいちタイミングが分からない。しかし、あまり逡巡していたらモルティアの気まぐれでリリィが、いきなり殺される可能性も出てくる。迷っている暇はないだろう。……もう考えるのも面倒だしいきなり乗り込んじゃおうか。
雑に答えを出し、俺は渓谷上から中へと降りようと考えた、そんな時だった。
リリィの乗った駕籠を開けようとする族長の動きが止まったのだ。そして暫くの沈黙があった。
「何をしているエルフの長よ、さっさと開けい。中の贄を確認するまでは、貴様ら下賤の者達からの献上を認めぬぞ」
何を躊躇っているのか、モルティアの要求にも族長は動かなかった。その光景に俺も降りるのはひとまず止めておいた。
「………で……す…」
空間に族長の途切れた言葉が放たれた。モルティアも族長のお付きの者も、何と言ったのか聞き拾おうと一つも音を立てず静まった。
「なんだ、しっかりと申せ」
はっきりとモルティアは言う。族長は覚悟を決めたように語気を強めた言葉を放った。
「モ、モルティア様!! ……失礼ながらモルティア様にこのエルフの族長バステア、請いがございます」
「……請いだと?」
請い? 何を要求するつもりだ、あの族長は。
「はい……」
「ふん、いいだろう。申してみせ」
族長はモルティアの許しに跪く。
「このバステア、この300年間エルフの長として今まで里を導き、貴方様へ忠誠を誓い、加護を賜ってきました。モルティア様の加護のお陰で里に竜が来ることはなくなり、作物は育ち、生活は安息を得ることができました」
「然り」
「それは貴方様が寛大なお心使いで、一年に一人の贄と里で取れた作物の六割の献上のみで、大いなる護りを下さるそのおかげです。まさに私達の守護神とも言えるお方でございます」
「たわいない」
「……しかしそれもこれまででしょう」
気分良く聞いていた、モルティアの表情が突如として呆気にとられる。
「貴方様の加護を受け300年……緩慢にですが、里の者達は700から200にまで減りました。作物は育つようになりましたが、貴方様に献上する分を考えれば、私達が食せる量を考えると、あまり多くはありません。そして貴方様の嗜好とする『子供ら』も今は10もいない。その子供達を抜いたところで残されるのは老いた者達や少ない若い衆ばかり……育たないのです。子供達が。このままでは里は衰退の一途を辿ります。ですから請いというのは……作物と贄、どちらかの撤廃です」
族長の言葉にモルティアは黙っていた。予想だにしていなかったのだろう。今まで散々持ち上げられてきた存在だった自分に、譲歩しろと要求されたことに。
「……本気で言っているのか」
「はい。誠でございます。一族長の身として嘘偽りなどございません。全ての者がいなくなる前に私には今の状況を変える責任があるのです」
「いや、そうではない」
「……え」
モルティアの口調がまるで分からないというものに変わっていた。
「我の所為で里が絶滅すると、本気で言っているのかと問うているのだ。我の所為で」
「い、いや……モルティア様の所為と言っているわけでは……し、しかし……里が廃れていくのは明白なのです……」
「それが我に関係あるか?」
は?
「ぶ、無礼ながら……モルティア様、それはどう言った意味で……」
族長バステアも俺と同じようで、理解できないモルティアの物言いに再度聞いた。
「子供達が少ない。作物が少ない。それは守護者様に捧げていてそれらを生み出すのが追いつかないからだ……それは責任転嫁ではないかね?」
「……え」
「子供がいないならば作れば良いだろう。その為に我は年のいった男も女も贄には要求していない。まあ、ごくたまに少し熟れた女を求めることもあるが……そんなものは片手で数えられるほどだ。そして作物が少ないならば、もっと量を増やせばよかろうて。土地がないと言うなら、この渓谷を出て森や人間どもの土地を耕せば良いだろう。貴様らエルフの魔法をもってすれば小さな村などを制圧する事も容易であろうに」
「そ、それは戦になるではないですか! エルフに略奪をしろと言うのですか!?」
「単純に言ってしまえばそういうことだな。いやしかし、現状を打破できる方法があるならば、そんな事をする必要もないが……ただの我からの提案だ。強要しているわけではない」
「…………」
「しかし我が言った策の様に、まだ現状を変える事が出来る方法はいくらでもあるのだ。それなのに、今の今まで加護を与えてきた我に交渉するとは……長よ、貴様らエルフには努力が足りん」
「ど、努力ですか」
「そうだ。自分達が今まで安心して暮らせてきた理由も考えず、今の状況を顧みて、そうなっている理由を相手にこじつける。それは怠惰な行ないだ。まずはどうすれば現状のままに、自分達の生活が潤っていくか方法を考えろ。この渓谷内で物事を考えるからダメなのだ。もっと外界との接触を含めた上で思考を働かせてみよ。さすれば自ずと解決策は見えてくるだろうに」
族長バステアは何も言わなかった。しかしそれも少しの間だった。
「……それではモルティア様はこれからも私達に対しての要求は変えてくださらぬと?」
「無論。これ以上その話を出すでない。貴様らの低脳さに虫唾が走るわ」
この状況を見ている俺に思うところは多々あるが……今あの状況に立っているのはバステア自身だ。彼女は今までの自分達に課せられていた運命を変えようとしている。リリィが里にいる子供達は人間と関わっていきたいと本当は思っていると言っていた。リリィが知っているならば、それを治める族長バステアだってそんな事は本当は知っているだろう。しかし、それを叶えられない今までの文化や習わしを、バステアはこうして、あろうことか凄惨たる悲劇をもたらしているモルティア自身に乞う事でその一歩を踏み出しているのだ。
それを今は見届けなければ。
切り捨てられたバステアの要求に、彼女はまたも黙っていた。しかし同時にモルティアもだ。その目線は彼女を見下していた。
「分かりました。申し訳ございませんでしたモルティア様」
「良い、だがこれ以降、そんな事を口にする──「では貴方様との関係も本日をもって終わらせていただきたく思います」
モルティアの言葉を遮る様にバステアは強くそう言った。
「……は? い、今なんと言ったエルフの長よ」
まさかの答えにモルティアも聞き返す。本当は聞こえていたのだろうが、認めたくない現実にそう言わざるを得なかったのだろう。
「本日を最後に、モルティア様から300年賜ってきた守りをこちらから破棄させていただきたいと申したのです」
「狂ったかエルフの長!! そんな事をすればたちまち里はドラゴンが襲いにくるぞ。貴様の可愛がる民が死んでも良いのか」
「全ては里の総意です」
「なにぃ……」
「このまま貴方様から守ってもらっていたとしても、いつかは滅ぶ運命にある事は皆分かっていました。それに区切りをする意思が私達には足りなかっただけ……しかしそうも言っていられない状況下にある事は、もう誰もが知っている事実です。ですから今日が裁きの時だとしても、誰もが文句はないと覚悟を決めています」
「そんな勝手な物言いがあるか! こちらは300年、貴様らを守ってきた。それを今すぐ今日限りで止めるだと!? 勝手過ぎるだろうに!」
「勝手でしょうね。しかし私達にも人間に対するプライドや、自分の命よりも大切なものがあります。一つの種族としての誇りです。自分達の仲間が習わしの一環で命を絶つ。300年の間、それは当然悲しかった……しかし里の存続がかかっているならば仕方のない犠牲だと皆に、自分に、私は言ってきました。けれど、ある巫女に選ばれた少女が里を抜け出し、あろうことか数日間、人間の村で生活していたのです。聞けば、死ぬのが怖く、そうしたのだと打ち明けてくれました」
俺にはリリィの事だと分かった。
「今まで巫女になった者は一人だって、そうは言わなかったし、儀式が怖くて里を抜けることなんて一度もありませんでした。それはあの子の親でさえ……けれど、あの子が恐怖で里を抜けたことで、私は当然の事を思い出したのです。『死』への恐怖。エルフとしての生活を捨ててまで逃げたい恐ろしさ……そんな当然の事を忘れていた私は、ようやく気が付いたのです。この習わしの歪みに。全く私は愚かで……里の皆にこの意思を直ぐに伝えてみれば、その少女の気持ちを理解している者ばかりでした。……当然反発する者もいましたが、そういった者も話を聞けば、里の習わしという抑圧を常識だと思い込んで無理矢理納得していただけだと吐露してくれました。……きっと私のみが最初からおかしかったのです。きっと私のみが、盲目的にこの習わしが『平和』なのだと信じ込んでいたんでしょう。まったく馬鹿げている話です。耄碌にも程がある」
塞がれた文化。閉ざされた世界で、一人の異端なる行動が、里の民の本当の意思を露呈させるキッカケになったのか。
その結果、彼女達は廃れていく事よりも、戦う事を選んだのだな。
「だから……モルティア様、誠に勝手ながら私達エルフは貴方様に対し、もう贄も食も貢ぐ事はありません。本当に今まで加護を与えて下さりありがとうございました。このご恩を里の者含め、私は忘れないでしょう」
それ以上バステアは何も言わない。それ故にこれでモルティアとエルフ達の関係は終わったと見えた。モルティアも、何を言ってもこの者達はもう従わないのだろうと確信している様だった。
「……フ、フフ…」
渓谷は静まっていた。
「フフフフフフ……ククククク…」
「アーーッッハッハッハッハッ!!!」
モルティアの堰を切ったような大笑いがどこまでも響いた。
「愚かだなぁエルフよ!! 何が民の総意だ! そんなもの最初から有ってないようなものだと言うのに!! お前らが選択したかのように言っているが……そんなもの最初からありはしなかったと何故分からん!?」
「……突然何を申しているのですモルティア様」
「平和? 衰退? 貴様らにそんな事を言える立場は最初からなかったというのに……俺との関係を断ちたいと言ったな。ああ、そうかい。いいよ、切ってやるよ」
「ほ、本当でございますか……」
「だが、里は全て焼き払うがな」
モルティアの口が歪んだ。
「え……」
「貴様らは自分達の身分が分かってなかった。いつからか対等だと思っていたか? 馬鹿どもが」
「そんなつもりはありません! 私達はただ貴方様に……」
「ああ、違う、その時点で違うだろ。お前らに俺の意見を否定されること自体間違っている。ただお前達は俺に返事をし、要求したもんを寄越してればいいんだよ!! そんな利口ぶった犬はこっちは欲しくねぇんだわ!!」
先程まで厳格で崇高な雰囲気をかもしていたモルティアの言葉や態度が一変。まるでチンピラのようなものになり、その相手を馬鹿にするような物言いに、族長バステアは絶望にも似た表情を浮かべていた。無理もない。自分達の崇めていた存在の本性が、こんなにも下品だとは思いもしなかっただろう。
「犬……いくらでもそう蔑んでくださって結構……し、しかし里を焼き払うなどと……そ、それだけは」
「何故だ。最初の出会いの時、既にこの村は壊滅寸前ではなかったか。俺達に攻め入られ、それを止めたのは俺だ。俺が止めなければ今頃は焼け野原に……あ……」
口を滑らせたとモルティアが黙ったのをバステアは見逃さなかった。
「わ、我々……? あの最初出会いの時、私達をドラゴンから救ってくれたのはモルティア様、貴方ではなかったですか!? ま、まさか……あのドラゴン共自体……」
あ、モルティアの配下ってことか。
「そーだよ、バーーカ!! 今頃気付いても遅えぇんだよ!!! 300年も騙されやがって!! ガキでもすぐに気付く嘘に騙されるなんてなぁぁ!! アーッハッハッハッハ!! プライドの高い種族、魔法の使える高位の血族ぅ? その実、頭の固い安直な発想しか出来ねー馬鹿だなんて傑作だ!!」
もう騙る必要もないとしたか、モルティアは開き直り、エルフ達を愚弄し、蔑んだ。長の顔からはもう絶望も無く、ただ、自分自身に重くのしかかっていた運命が、児戯にも等しい自作自演の嘘であったという現実に打ちひしがれるだけであった。だからだろう。その光も灯さない目からは、ただ静かに涙が流れ落ちていた。
「まあ、エルフで遊べないのと美味いもんが食えなくなるのは残念だけど……蹂躙するもの好きだし、いっか。今日はエルフの里を焼き払った記念日として俺の記憶に永遠に収めておいてやるよ」
そう言うと、モルティアは叫ぶ。よく伸びるその叫びに俺は既視感を抱く。モンスターが仲間を呼ぶ時にする遠吠えに良く似ていると思った。
その考えは間違いではなかったらしく、その声が止んだかと思うと数秒後、薄暗い闇を切り裂いて天空の彼方から多くの影が到来し、空を染め上げた。
「せっかくの蹂躙だ。皆で楽しまなきゃ意味がないだろ」
ニヤリとニヒルな笑いを晒すモルティア。彼の上には数十体のワイバーン達が空を回遊していた。
「やっぱりワイバーンじゃねーか!!」
そう叫ぶグリムは放っておくとして……
そんな光景を見せられた族長バステアの精神状態が俺は心配になる。
空に漂うワイバーンの群れにバステアの御付きの者も、駕籠を運んできた者達も慄いている。しかし彼女だけは何故か涙を流しながらも酷く冷静で焦燥さえ見せなかった。
そして置かれていた駕籠に寄り、その扉を開けた。
中にいるリリィを彼女は出してやる。広がっている光景を見せないようにリリィをバステアはしっかりと抱きしめてやっていた。
「まずはここにいるエルフ共を一掃し、開戦の狼煙としようじゃねぇか!野郎ども!!」
モルティアの声にワイバーン達は下卑た声を一斉に張り上げる。もうどうにも引き返せないのだろう。そんな事は俺にも分かった。
「300年前の続きといこうじゃねぇか」
モルティアの邪悪な声が響いた。
──嫌な気分だった。
蹂躙する者とされる者。この世界じゃそんなものは日常的に生み出されている。国や大きな街でもなければ、村は野盗に襲撃されるし、旅商人は獣やモンスターに襲われる。誰かの守りや強力な武器でもなければ、弱者は奪われ、騙され、泣くのみ。
多少マシだが、そんな行為は前世の世界にも腐るほど溢れていた。
他人の厚意を利用し、悪どい手引きをする者。いじめと称される暴行を平気な顔をして行う者。自分一人の成功の為に、何十人もの人生を代償に利益をあげる悪魔のような者。
数え切れないほどあの世界にも悲しみと、悪意が存在していたはずだ。俺だって人生の中で何度もその悪意に貶された経験があった。でもそれが珍しいかと言われればそうじゃない。
面が良いわけではなく、スタイルがいいわけでもない。生まれが裕福でもなく、能力が高いわけでもない。強みもなく、武器もない、弱く普遍的な弱者人間。そんなものはあの世界には腐るほどいた。
そして俺もその一員だった。そしてそんな存在は簡単に『悪意』の標的になる。ただ、単純な話。
──嫌な気分だった。
……この世界でそんな記憶を取り戻しても、今更あの世界で自分の受けた仕打ちや、結末をどうにかする事はできないし、する気もない。今あるのはこの世界での自分だけ。
俺はもう『弱者』じゃない。どれだけ低ステータスで、攻撃的なスキルを持っていなかったとしても、俺はもう『持たざる者』ではない。俺には弱者の気持ちが分かる。虐げられ、罵られ、裏切られ、幾度となく人生に絶望する彼らの気持ちが痛いほど分かる。
──嫌な気分だった。
だから……この『力』が神様から与えられた結果だとしても……
──嫌な気分だった。
所詮貰い物の力だとしても……
──嫌な気分だった。
俺は『誰かを救う為に』、自分のエゴで使役してやる。俺も好き勝手やらせてもらうぞ。俺は蹂躙する側だ。
「あ? なんだテメェは」
渓谷上から降り、モルティアへと歩む俺に彼はそう問いを投げた。頭痛が起きそうなほど嫌な声だった。
「エルフか?お前」
当然仮面とローブによって素性がバレる事はない。だからエルフかどうかも、彼らやリリィ達にバレる事もないだろう。だから全力で力を振りかざしてやるのさ。
「違う」
俺は答えてやる。
「私はただの攻略屋さ」
──嫌な気分にさせた責任……とってもらうぞクソトカゲ。




