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過ぎ行く日々

その日の帰り道に、必要な物は全て揃えた。


全てとは言っても、食事を与えるための銀の丸皿と赤い革製の首輪を買ったくらいだが。


黒猫のことは『彼女』と呼ぶ事にした。


その方が彼女も分かり易いだろうと思ったし、実際にそう呼んでみると、あたかも初めから他の彼女など存在しないかのように返事をし、僕の元へと近づいてくる。


彼女は分かっていたのだ。


生まれた時から、共に暮らす事が運命によって定められていることを。


なにせ、片時も僕のそばを離れないのだから。


ただ、1日に3度ばかりだけ、僕の元から姿を隠す時がある。


それは、レディの嗜みとしてまた、生物の生理現象として当然の事なのだろうが、その僅か6分の時間でさえも彼女が傍にいない不安に、僕は襲われてしまう。


しかし、その他はずっと僕の傍から離れる事は無かった。


寝る時も、さも当然が如く僕のベッドへと潜り込んできては僕の鼻先を、その淫靡でフワフワとした尻尾を使いコソコソとくすぐり、僕が笑顔になって抱きしめるといつも、僕よりも先に無垢な子供のような寝顔で安らかに眠るのだった。


お風呂でさえ、僕らは一緒に入っている。


でも、彼女は極力水に濡れることを厭う。


水を浴びてしまい、そのフサフサの服の下にひた隠しにしている、棒のように細い裸体を見られることを恥ずかしんでいるようで、浴槽の窓枠に設けられた小振りな棚に体を丸めて座り込むか、浴槽の縁にたってじっと待っているのが好きなようだ。


食事は1日に3回、僕と同じ時に、同じテーブルで、同じ料理の味付けを薄くした物を食べた。


そうしなければ、彼女は食事を取ろうとしないのである。


1度ならず誤って、餌という単語を口にしたら最後、彼女はカンカンに怒って、皿という皿、コップというコップへ八つ当たりし、この僕がもういい加減にしてくれと悲観に暮れるまで、この健気な暴挙を繰り返した。


そんな日には寝る時も、僕の頬へ甘く優しい接吻をすることも無く、その小悪魔のように愛らしい表情を布団の中へと潜り隠してしまう。


そうしてその1日、僕に冷たく接して当たり、僕があまりの寂しさにろくすっぽ睡眠も取る事も出来ず、次の日の朝を迎えると、いつも早めに起床する彼女が、昨日の出来事などすべてが夢だったかのように、またねだるように甘えてくるのだった。


彼女との生活は、瞬く間に時を流して行った。


滝のように猛烈な勢いで過ぎ去って行く時間の渦の中で、全ての世界が、僕と彼女だけで構成されていた。


僕の身体の小さなピースひとつひとつが、『彼女』から『彼女』へと生まれ変わって行った。


いや、生まれ変わったのではない、彼女は最初から最後まで彼女でしか有り得ないのだから。


年月は、糸の切られた凧のように風に吹かれつつ、それでも凪いで漂い、あっという間に過ぎ去って行った。


意識の中の出来事でさえ、まるで無意識の中の出来事のように。


夏には一緒に、近くの川辺へ出掛けた。


近隣にある小山から流れているのだが、都会からは程遠く離れているために、僕達2人を邪魔する人間は1人としていなかった。


言葉の通り、人間は。


夏のむっとするような熱気の中に漂う青々とした深緑の針葉樹から沸き立つ香りや、風に乗せられて鼻腔に届く、遥か遠くにある潮風の、あの粘りつくような湿気が僕達2人の心を漣立てて、世界に生在する生命が僕達2人だけならばいいのに、という妄想を現実にさせてくれた。


耳に届くのは、風に擦れる枝葉のさえずりと、2人が落葉を踏みつけた時にたてる響きだけだった。


また、2人の足元で鳴る2つの異なる足音が、あえて思考せずとも、僕が一人きりで無いという実感を脳に運んでくれる。


僕がわざと歩みを早めてみると、彼女は遅れまい離れまいと僕より少し早くだけ足音を早める。


こんな些細な物事が、僕にとっては他にとって変えることの出来ない幸せであり、また僕が僕たらんとする全てであった。


秋になると僕達はよく、家の傍にある湖へと足を運んだ。


彼女が、ここの砂浜で座りながら見る沈みゆく太陽の生命が大好きだったからだ。


彼女は、激しく燃えたぎる夕日が水面に溶けゆき、命を奪われる瞬間、もう耐えきれないとばかりに一声鳴いて、いつも僕の胸の中へと飛び込んできた。


彼女が発する温もりを感じながら僕は、終わりゆく太陽を、全ての答えがそこに隠されているのだと純粋に信じてただ、ずっと眺めていた。


僕が好きだったのは仔細に言うとこの太陽を見ることじゃない。


彼女の温もりを肌に感じ、もう何もかもが彼女で満たされていると感じた時に初めて見る太陽が好きだった。


自分の力では、手に入れることが出来ないもの、それがその中のひとつだった。


そしてもうひとつが、僕の腕の中で怯えて丸まっている彼女自身だった。


彼女は僕のものでは無い、彼女は僕と同義なのだから。


生まれ変わってまた2人だったとしても、ひとつになったとしても、そこに数という概念は存在しえないのだ。


地球の中に水と酸素があるように、僕の中に僕と彼女が居るのだ。


大気の中には水素が含まれているように、僕の中には彼女が含まれている。


それによって僕が生きるという行為が起こり得るのだ。


全ての者達は繋がっていてひとつだ。


しかし、それに気が付くものは少ない。


大地として繋がり、大気として繋がっていても、人間は果てしなく孤独で空虚な生き物だ。


そう、愛するただ1人の人を見つけるその日までは────



完全に主人公イッちゃってますねぇ…


人外に目覚めてますねぇ…


大丈夫なのでしょうか彼は…

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