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黒い子猫

僕は、自分の意識の外で激しく震えている自分の両手を、ただじっと眺めていた。


より正確には、これが本当に自分の手なのか、もしくは僕が寝ている間にどこかの闇医者が新たな研究成果を試すために取り付けた、他人の腕なのではないかと思いながら、アルコール中毒者のそれのような、まともにマグカップさえ掴むことの出来ないその震える両手をじっと見つめていた。


人間の死には、何度か対面してきた。


その中には、大切な家族も唯一無二の親友もいた。


しかし、彼らの死でさえも今の僕の状態にまでなる動揺を与えることは無かった。


彼らが大切じゃなかった訳では無い。


彼らの場合は唯、死という事象をそのまま額縁の通りに受け入れることが出来た。


それに、死した理由にも理路整然とした理由がべったりと張り付いていた。


重く粘つくコールタールの塊のような、死の理由と原因が。


彼女の死は、何の変哲もない平日の朝、それもたった1本の電話にて伝えられた。


相手は彼女の親戚か何かで、手当たり次第の連絡先へと報告をし続けた結果、当然僕の元へと情報が届いた。


家族の非業な死を伝える割には何一つ感情のこもっていない機械音声のようなそれで、彼女の死は僕の元へと届けられた。


「彼女は今朝方早くに亡くなりました。葬儀は来週の土曜日に行いますので────」


たったこれだけの言葉で、彼女の死は脈略もなく波紋状に広く伝わっていき、瞬く間に学校での話題のひとつとなった。


たった2日間だけの話題に。


学校から葬儀へと来た出席者は、教員が2名、同じ中学の友人が1名だけだった。


どちらも、誰かしらから無理矢理参加を義務付けられてきましたと、いわんばかりの苦々しく退屈そうな表情を、本来涙を拭うためのハンカチの下に隠して群衆の最中に紛れ込んでいた。


教員は納骨の後にそそくさと挨拶だけ済ませて帰って行ったし、友人の1人は山盛りにされたお菓子を大量に平らげていた。


心待ちにしていた至福の瞬間が訪れた子供のような笑顔で。


その幸福な笑顔の代償が、通常の3倍はある張り裂けそうな制服に収まった体積という訳だ。


彼女の親族の人々は、その友人を遠巻きに眺めていたが、ヤケ食いによって死の悲しみを紛らわせていると調子のいい解釈をして、暖かい眼差しで山と積まれていく菓子の袋を憂うように見つめるだけだった。


この葬儀の中で、誰よりも打ちひしがれ、憎しみを抱き、心から哀しみの涙を流していたのは僕一人だけなのだ、とそう思った。


僕の心は、地獄の火焔よりも煮えたぎり、真紅の溶岩が轟々とおどろおどろしく波打つ大地に飛び込んだとしたも、微塵も痛みを感じないほどに彼女の死によって傷付けられていた。


ナイフで切られた布が、引き裂かれた痕を残して永遠に塞がることの無いのと同じように、僕の心は真っ二つに分けられ、うなじの回転の先から足の先に住まう極小の細菌までの全てを使って、彼女の事を、思い出達を、取り交わした言葉の数々を愛おしんだ。


ひとつひとつ繋ぎ合わせたパズルピースの完成絵の如く限りなく小分けされた、ひとつひとつの全ての僕が彼女という媒体によって完築されていたのだ。


最早今の僕の身体はボクではない。


いわば、彼女自身なのだ。


僕という概念は彼女という存在で保たれていて、そしてまたそのお陰でこの宇宙に存在する事を許されているのと同義だ。


ともかく僕は、この目の前の現実を、燃え盛る業火によって焼かれていく彼女を受け入れることが出来ずに、虚ろな瞳から脳へと入り込んでくる全ての光景を、きっと映画かなにかの場面なんだろうと否定し始めたその時、どこからか迷い込んだ、美しくしなやかな体躯を持つ幼い黒猫が僕の右足へと体を擦り寄せ、愛情と興味の念を表したことで、儚く消え去っていく僕の意思をその猫へと移すことが出来た。


黒猫は、甘えるように小さな声で鳴いて、くるくると僕の足の周りを回り、また動きを止めて僕の顔をちらりと見上げてから、今度は強く、何かを訴えるような調子でもう一度鳴いた。


僕は、何も考えることなくその猫を────正確には何かを考えられるような状態ではなかったのだけれども────優しく、さりとて逃げられることの無いようにそっと抱き上げた。


黒猫は、ちっとも嫌がる素振りを見せずに、いやそれどころかあたかも僕の2つの手の中が、自分の居場所であり、唯一安らげる場所なのだとでもいうように大人しく抱かれていた。


その猫を近くでまじまじと見ていみると、左右の瞳の色が違っていることに気付いた。


僕から見て、右眼が深緑で左が薄灰色。


つまり、この猫から見た世界はきっと右が淡い灰色の無機質な世界で、左がノスタルジックかつ幻想的な緑色の世界に見えているのだろう。


実際はどういう風に見えているのかは、僕ではなくて彼にしか分からないことだ。


彼ではなく彼女か。


この黒猫はどうやら雌のようだから。


僕は、その彼女を腕の中に抱きながら、1+1さえもまともに計算できかねる今の思考状態でもうもうと考え始めた。


────どうして、黒猫の彼女と僕のたった一人の最愛の彼女が全く同じ呼称、同じ枠組みの『彼女』という言葉で使われているのだろうか────と。


この時からだろう、僕が著しく混乱を極めていったのは。


何故なら、等しく彼女と呼ぶ事の出来るその黒猫と、文字通り骨の芯までグズグズになってしまった彼女とをひとつの彼女、しかりて彼女とは正しく彼女だったのではないかと錯覚し始めたからだ。


僕の頭の中にその発想が浮かんだ時、僕はこの黒猫と一緒に暮らそうと決めた。




先行きが怪しくなって来ましたねー


話がややこしいですねー


んまっ!とりあえず彼らの生活はも少し続きます。

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