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9/14

 寺山君が本調子に戻らないままに十月は過ぎていった。


 図書室の窓は閉ざされ、ガラスの向こう側には紅葉の頭が見えた。びゅうびゅう吹く北風に巻かれるように散っていく。西高東低の冬型の気圧配置になると吹きこむ北風を木枯らしという。落葉を誘うから木枯らし。昔の人は頭が良い。


 身近でもっとも頭の良い寺山君は、秋空を背景に上の空。頬杖をついて物憂げな瞳を図書室へ投げかけているだけでも様になるのは、きっとお母さん譲りの整った顔と、長いまつ毛のおかげだろう。けれど今の寺山君は吹けば飛びそうで、少しばかり不安になる。それこそ風荒ぶ外に出れば、そのままどこかへ消えてしまいそうだ。


 あれ、北風?


「木枯らしってどうして北風なの?」


「と、言うと?」


 あまりに唐突だったせいで、寺山君は面食らった顔だった。


「西高東低だから北風って、少しおかしくない? 西風にならないの?」


 高きから低きへと流れるのが世の常である。川が流れ落ちるように、空気も気圧の高いほうから低いほうへと動く。それをして風と呼ぶのであれば、西の高気圧からは東へむかうべきではないか。


 寺山君は寝起きの頭をさますように、ぐっとのびをする。それから腕を組み、うな垂れて考え込んだ。これまでで一番長くそうして思案していた。やっとのこと決心したとばかりの顔をもたげ、さらさらと答えてくれた。


「たぶん、自転のせいじゃないかな。北半球と南では台風が逆回りするって知らない?」


「あ、それなら知っているわ」


「あれは自転でおこる慣性が働いているらしいんだけど」


 そう言って、寺山君は図を書き始めた。高の一字とそこから伸びる時計回りの矢印を下に向けた。その右側、つまりは東に低と書き、矢印の先からぐるんと半時計回りの線を低の字に引いた。


「簡単に書くと、こういうことだと思う」


「物知りだね」


「まあ、台風の動きからなんとなくね」


 そうか、知らなくとも、予想はつくのだ。しかしそうと知ってからでなければ、そんなに簡単には閃かない。


「木枯らしか。もう冬になるんだな。その前にすこし、出かけようか」


 私は言葉の意味を上手く理解できなかった。冬がくる。その前に出かけよう。内容はわかったけれど……。出かける。誰と、どこに?


 しばらく考えて遊びに誘われていることに気がついた。


 まったく唐突に、寺山君にしては無理やりに誘うものだから、私はまともな反応ができなかった。


 けれども断る理由はどこにもない。私はこくこくと、ふたつ肯いた。



 そのようにして、私たちははじめて約束を交わした。やはりはじめて男の子と二人、出歩くことになった。


 持っている服のなかで、なるたけ女の子らしいカーディガンを羽織って出かけた。歩調は自然と早くなる。空気はひんやりとしていたけれど、南中した太陽は暖かい。カーディガンだけにしてよかった。この上に重ねてしまうと、きっと汗をかいただろう。


 待ち合わせは校門前。いつもの通学路を、いつもよりずっとドキドキしながら歩いてみると、寺山君はもう到着していた。やっぱりどこか上の空だ。


「待たせてしまった?」


 目の前にノートを差し出すと、少し驚いたふうにのけぞる。


「いや、さっき着いたところ」


「そう。それならよかった。どこか行くの?」


「結局それが決まらなくてなあ」


 意外だった。わざわざ誘うのだから、なにか目的でもあるのではないかと思っていた。


「じゃあ私の行ってみたかったところ、付き合ってくれないかしら」


「いいよ」


 常々疑問であったのは、同級生の女の子たちの可愛らしい文房具はいったいどこからやってくるのか、ということである。私は近くのスーパーマーケットか文具店しか使っていなかったけれど、どうやら駅前の大きな雑貨屋には豊富な文具が揃っているらしい。そうと知ったのは小学校も六年生になっていて、いまさら宗旨替えをするというのも気が引けた。そのうちに一人で行く意気地もくじけていた。


 これも天佑だと思って訪れた雑貨屋は、ビルがまるごと店舗だった。想像していたものよりずっと大きい。休日の昼間ということもあって周囲はうごうごとした人の群れ。ここまで先導するように歩いてきたのに、いつの間にか寺山君の背中を見ていた。


「それで、どこ?」


「文房具が見たいの」


 ああ、なんと情けない。はぐれてしまわないように、寺山君の袖をつかんで後ろをちょこちょこ着いて行く。店内は暖房がきいていて暑いくらいだったし、恥ずかしさで変な汗をかいてきた。


 エスカレーターで五階まであがると、案内に文房具の文字があった。フロアがまるごと文具売り場だ。なんと広い。それに客層が変化したように感じた。一階には貴金属が売っていたし、二階の化粧品売り場も大人が多かったけれど、文具売り場ともなれば同じような年齢の人もたくさんいた。そういうことに気がつくと緊張が解けていく。


 品揃えはさすがのもので、塗料は全般揃っている。カレンダーや手帳はもちろんデッサン人形まで、机まわりに置くものは網羅しているのかもしれない。あれこれと感想を言いながら店内を歩いて、筆記具売り場をみつけた。


 ペンでできた剣山が連峰のごとく並んでいる。色もとりどりである。豪気なことにためし書きができるようになっている。


「すごいわ、ここ」


 筆談用ノートではなく、店の用意している紙に書く。この黒ペンは太いな。


「そう?」


「そうよ」


 このボールペンは、すべらないのになめらかな書き心地。赤色はどこかしら。


「俺は赤と黒の二色だしなあ」


 その字は書くほどに色が変わってゆく。そんなペンもあるのか。


 しかし内容にはっとする。寺山君と私のノート作りは似ている。黒を基調に赤がちょぼちょぼ目立つだけ。寺山君などは、その赤色すら稀にしか見ない。たしかにここは宝の山ではあるけれど、使わないペンなど無用の長物に他ならない。


 それなら使う予定のある、シャープペンシルと赤ペンを厳選しよう。せっかく可愛らしい文房具の倉庫まで来てもったいない気もしたけれど、買って使わないほうがもったいない。自分に言いきかせて商品を選ぶ。赤ペンはもう見つけてあるので、シャーペンだ。寺山君の使っている九八円のものを使ったこともあるが、あれはどうにも軽くていけない。もう少し重量があって、けれども機能の単純なものがいい。振れば出るものにも心惹かれるけれど、ノックのほうがはやい気がする。


 私がじっくり選んでいる間、寺山君は文句のひとつも言わなかった。しかし暇は暇であるらしく、ずっとペンの整理をしていた。ようやく選び終えたときには、陳列棚はすっかり見栄えが良くなってしまった。


「待たせてごめんなさい」


「ううん。いいのは見つかった?」


「おかげさまで」


 まっすぐレジに向かうのももったいないので、私たちは棚の間を縫うように歩いた。消しゴムだけでも驚くほど種類がある。消す目的ではない消しゴムまであった。そうして次はずらりと紙が並んでいた。ノートから半紙、画用紙まで。なんでも揃っている。


 ノートの棚を眺めていると、一角に目がとまった。淡く優しい色合いの表紙が四つ並んでいた。隅のほうに季節の花を添えてある。欲しいなと思ったけれど、夏の終わりに十冊組みの、色気もなにもない大学ノートを買ったばかりだった。人よりもノートを使うので買って無駄だということはないが、まとめて買いすぎるのも考え物だ。


「欲しいの?」


 ノートを手に考え込んでいると、寺山君が訊いてきた。


「ええ。でもまだ家にたくさんあるの」


「それじゃあ、俺が買おう。多くて困ることもないだろう」


 私は首を振った。


「そんな、悪いわ」


「すこし早いけど、クリスマスプレゼントってことで。それならいいだろう」


 と、寺山君は返事も聞かずに四冊とも手にとった。クリスマスなんてまだ二ヶ月近く先の話だ。早いなんてものではないが、よしてと言っても押し切られるだろうから、素直に甘えることにした。


 精算をすませると、寺山君は「メリークリスマス」と口を動かして袋を差し出した。私はそれを鞄にしまって「ありがとう」と、書いてみせた。

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