序章その一
「杉野、しばらく小説書いてなかったよな。どうして急に書く気になったんだ?」
高倉はたずねた。
「それはなあ、なんか書きたくなったからだよ。つまりなんとなくってわけだ。で、だ、これから読んでもらう小説は物語としての体を成していない。崩壊してる。」杉野は答えた。
「えっ、どういうことだ?」高倉は答えた。
「この小説は時々肝心なところでページが飛んだり、主人公が変わったりしてる。僕が君に解いてほしいのはこの小説、いやもはや小説という体を成していないのだから小説ですらない文章が何を物語っていた物語なのか、次々と起きる事件の犯人が誰なのか突き止めてほしいんだよ?」杉野は意地悪そうに言う。
「おいおい、そんなの夢落ちとかにされたら終わりだろが!そんなの解けるわけ・・・ないよ。」高倉はまじめに答える。
「じゃあ、ここで誓おう。この話は夢落ちではない、犯人は必ずいるが、自殺は自分自身が犯人として扱おう。」杉野は言った。
「そうか、少しは楽しめそうだし受けよう。解いてやるよ。この物語の真相をな。」
高倉は答えた。
「でもその代わり、次はお前が俺の小説を読むんだぞ。」高倉は続けて言った。
「いいよ、でもこの物語の真相がわかったらな。」杉野は答えた。
「じゃあ、読み始めてやるとするかな。」高倉はそういて最初のページをめくる。
毎日が憂鬱だ。
ここ最近、何もいい知らせが届かないくせに悪い知らせはやけに届く。
木のざわめきも、風の音も憂鬱に感じる。
人々の笑い声を人々が自分を嘲笑しているというように思えてきはじめた自分に嫌悪を感じながら、いつものように職場へと向かう。
また彼は嘆く。
一年前のこの頃は、毎日が楽しく仕方なかったのにと。
木のざわめきも、風の音も神の祝福のように感じられたし、人々の笑い声に混じり、自分も笑った。
そんな毎日は、もう戻ってこない。
シュレーディンガーの猫は、彼を見放したのだから。
それでも、自分は追い求める。
この残酷なシュレーディンガーの猫を捕まえて、自分の願う運命を手に入れると。
西都大学は、西都特別管理区にある大学であり、かつては帝京大といわれていた。当時は、日本の最高学府といえば東の帝都大、西の西都大だった。
しかし、第四時世界大戦の結果、日本はアメリア連邦軍による占領下に入り、すべての国公立大学は日本統治機構教育部の傘下に入った。
その結果、予算はアメリア日本占領軍の支配下の日本税収局が出すようになり、予算が激減。
優秀な研究者たちが海外に流出し、日本の大学は致命的なダメージを負った。
西都大も例外ではなく、多くの人材を失っていた。
そこで学長に就任したのが、豊永高明氏である。
彼は、脳科学者の世界的な第一人者で、アーベルト賞受賞者である。
彼は、以前日本脳科学研究所を立ち上げ、多額の予算をアメリア軍から獲得した相当な猛者であり、前学長であった先頭秀雄の弟子であったがために断れず学長に就任した。
彼は、三年間というごくわずかな時間、学長を務めたに過ぎないが彼の残した功績は数え切れないほどである。
まず、アメリア軍から多額の予算をせしめ、さらに優秀な人材をヘッドハンティングし、積極的に企業と提携することで多額の援助および寄付を獲得した。
その後、彼は東都大学長にも就任し、同様な手法で東都大を救った。
多くの優秀な研究者を輩出してきた西都大学は、今では世界最高学府の一つに数えられるようになっている。
そして、自分はその大学の教授であり、次のアーベルト賞候補とされている西岡高次である。
同時に当大学の研究所の一つでありながら、独立行政法人認定されている独立行政法人西都大量子重力理論運用センターのセンター長でもある。
そんな大層な要職についてなお、彼は昔の癖が直らない。
自分の研究に熱中しすぎて講義に行き忘れてしまったりしたことは数え切れないほどである。
まあ、それでもなんとか今まで平和に研究をしていれたのも愛する家族がいたからだ。
しかし、そんな幸せな時間もあっという間に過ぎ去る。
自分と妻の間に生まれた子供である西岡レナが、小学校からの下校途中、自動車にはねられて死んだのだ。
それ以来、夫婦仲は冷め切り、妻の連れ子の西岡美紀は私がちゃんとレナをしつけていればよかったのよと非難し、前の妻の息子である西岡海斗は、母さんがしっかりしつけてないからあんなことになったんだと私を擁護すると同時に妻を軽蔑する。
妻は愛人を作るようになり、自分は願望をただ実現するためだけに生きている。
家から歩いて三十分ほどで、ようやく西都大学の正門に着いた。
そしてそれから程なく、自分の研究室にたどり着いた。
「おはようございます、西岡教授。」いつものように助教授の米澤恵理子が声をかけてくる。
彼女は、自分の部下で東都大の助教授時代からの長い付き合いだ。
その研究者としての能力は高く、東都大にあのままいればゆくゆくは助教授、そして教授になれただろう。しかし彼女が、自分の研究室にいることには理由がある。
それは、西都大学量子重力理論運用センターの存在である。
現在のセンターは、国内外から優秀な研究者が集まっていて、同時に予算も豊富なために東都大学の教授になるよりも研究する環境としてはいいのである。
さらに現在彼女は、センターにおいて副センター長と同格のナンバー2なのだ。
そうみすみす辞めれる場所ではない。
さらに私は今月中に、メガロポリス国立大学量子重力センターへ異動が決まっているため、後任の教授が必要になる。
よって最近はみな媚を売っているのだ。
「ああ、おはよう。じゃあ、後は任した。」そして自分は答える。
「また、講義に学生の指導を押し付けるんですか。いい加減にしてほしいのですが。」彼女はあきれたように言った。
「わかった、じゃあ今日を持って西都大教授を辞任するから後任決めるまでの間教授代行に任命する。いやあありがたい。めんどくさい教授会もやってくださるのですならいつでも辞めますとも。」自分はわざとらしくそういった。
「教授、そんなつもりで言ったんでは・・・・。」彼女が困ったように答えた。
そこに、若い男が割り込んできて言った。
「教授、おはようございます。またお さ ぼ り ですか?」
「相変わらず口が悪いな、長居。いっそのことお前が教授やるか?」自分はおちょくるように答えた。
この男は長居建都。
うちの研究室の主任研究員だ。
研究者としての実力は相当なものであるにもかかわらず、口が災いして出世を阻んできた哀れな男だ。まあ、特に自分は哀れとは思ってないようだから救いようのない。
「いいすよ。そのかわり、この研究室がどうなっても知らないですが。」
「さすがに其れは困る。ただ、お前はそのうち重要な職に就く可能性もあるのだから行動を少しは慎め。」
「大学の裏サイトで散々たたかれている教授に言われたくないな、今まで何回講義をドタキャンしてきたんですか?」
「君だって、今まで何回左遷されてきたのかな。私が拾ってあげただけありがたく思ったほうがいいんじゃないかね。」
「別にクビにされてもかまわないんですよ。そしたらお国に帰って漁師になりますから。」
「ちょっとふたりとも!」米澤は叫んだ。
「すまんな。もうセンターの方に行くから講義よろしく頼むよ!」自分は言った。
「はあ、まったく。」米澤は呆れた。
西都大学量子重力理論運用センターは、西都大学から車で三十分ほどの場所に置かれている。
おそらく、西都大学神戸キャンパスよりも広いその敷地には数々の量子重力理論の応用するプロジョクトが共存していた。
そして自分は、ある研究を行っていた。
今朝のニュースの一面を飾った記事
「アーベルト賞の筆頭候補とされていた西岡教授の行方がおとといの19時に研究室を出てから行方がわからなくなっています。警察は大学周辺などの聞き込み・捜索を続けています。」
「おい、いきなりページ抜けしてるのかよ。何の研究をしてたかわからなくなるじゃねーかよ。」高倉は言った。
「じゃあ、ヒントを出そう。僕がページ抜けさせてるとき三つのパターンが存在する。一つ目は、情報を隠すもの。二つ目は、情報を重要なものとミスリードさせるもの。三つ目は、理由なく気が向いたから抜いたもの。」杉野は言った。
「じゃあ、今回のはどれなんだよ?」高倉は言った。
「それは、言ってしまったら面白くないだろ。」杉野はいたずらっ子のような笑みをうかべながら言った。
「おい、これを全部読んでもし、わかんなかったら回答を出すんだよな?」高倉は尋ねた。
「ヒントは出す、でも答えは教えない。」杉野は言った。
「あと、この小説には幻想とか、夢想とかないんだよなあ。」高倉は言った。
「ああ、それはない。すべて現実さ。」
「おい、杉野。いままでの登場人物をまとめると西岡教授、妻、息子、娘、助教、主任研究員、名前が出ていない副センター長でいいのか?」
高倉は尋ねた。
「ああ、それでいいよ。で犯人分かった?」杉野は答えた。
「これじゃあ、証明でいう仮定が少な過ぎる。」高倉は言った。
「ここでルールを一つ追加する。答え合わせは最後に行う。そして、答が正か、負かのみ答える。」
「おい、じゃあ俺をミスリードしている可能性があるんじゃ…。」高倉は尋ねた。
「まあ、そんなことやったら解けないじゃないか。流石にそれはしないさ。」杉野は言った。
「そうか、じゃあいいよ。でお前パンドラシリーズとこの小説関連してないか?」
「世界観はな、でもストーリにはあまり関連しないよ。」杉野は言った。
「パンドラシリーズかけよ。」高倉は言った。
「だが断る。」杉野は、笑ながら言った。
大学の前で
「いやあ、しかし物騒な世の中ですなあ小沢君。 まさかアーベルト賞受賞確実とも言われた人が失踪してしまうなんてなあ。」滝沢警部は言った。
「本当ですなあ、豊山氏ら以来のアーベルト賞受賞をみんな待ち望んでいたのにな。」小沢警部補は言った。
「まあ、感傷に浸ってないでとっとと捜査すっとしよう。」滝沢警部は言った。
「で、捜索はしたか。」小沢警部補は所轄の刑事たちに尋ねた。
「探しましたが、未だ見つかっておりません。」所轄の刑事の一人が答えた。
「しかし、周辺の聞き込みで大学近くの喫茶店の店長に話を聞くといつも帰りにうちに寄って、そのまま歩いて家まで歩くのに事件の当日は寄ってないようです。」
「では、もしかしたら拉致られたんかもしれんな。大学から喫茶までの間で。」滝沢は推測した。
「すいませんが、みなさんお引き取りくださいな。」一人の男が何人もの男を連れて入ってきた。
「ちっ、公安零課のお出ましってなわけだ。」
「警察庁公安零課の溝口です。本案件は、他国による拉致の線が疑われます。よって我々公安零課に全権が委任されましたので、お引き取りください。」男は言った。
「そうですか、じゃがんばってくださいな。」滝沢はそう言って警察車両に乗り込もうしとした。
「いいんですか?今度のヤマをあいつらに盗られても。」小沢は言った。
「逆らっても無駄だから、あきらめろ。さあ、帰るぞ。」滝沢は諭した。
そうして数分後には警察は引き上げ、公安だけが残った。
男はため息をついた。
「プルルルルル…。」その時男の持っていた電話が鳴った。
「上も心配されている。重力子爆弾、重力子発電などに応用できる量子重力理論が敵に渡ればそのときは、パンドラ事件のような悲惨なことになるとな。」
「しかし、ただの理論を作った人間を拉致しても何も害がないかと?」
「いや、彼はその応用研究でも相当の成果をだしていた。我が国としても彼の拉致は国家的大問題なのだよ。」
「だから私にこの事件の捜査を命じたということですか。なるほどね。」
「プロメテウス事件の後、すぐで申し訳ないがよろしく頼む。」
研究室の彼の引き出しなどを捜査したところ、何一つ研究書類が出てこなかった。
男は、他国のスパイに盗られたのではないかと推測した。