プリンアラモード
日常編が始まります。
晩秋の木枯らしがビルの谷間を吹き抜けていく。茶色くなった街路樹の下で学生たちは帰路を急いでいた。彼らの顔立ちはまだ若く、誰もが二十歳未満である。
その学生たちの間を縫うようにして一人の高校生が走っていく。彼は赤信号に立ち止まり、腕時計を確認すると、舌打ちを何回もした。
「足立屋の特別プリンアラモード販売、もう始まってるよ。補習なんかに引っかからなきゃ良かったのによお」
彼が肩を落として灰色の空を見上げた時、突風が吹いた。彼は反射的に顔の前へ手をかざしてバリアを張ったが、風に舞うイチョウの葉に当たり、バリアは粉々に砕けてしまった。葉っぱが鼻に張り付いた。
すると彼の後ろから笑い声がした。彼が振り向くと、失笑している女子高校生の姿があった。彼女の茶髪のエクステや、爛々と光る金色の目は、高圧的な雰囲気を放っていた。
「須藤君、相変わらずのポンコツバリアですのね。見ていて哀れで、同級生として何か施してやりたくなりますわ」
そう言うと、彼女はまた顔を綻ばせ口に手を当てた。
「嫌な奴に見られちまったか」
須藤の顔が渋くなっていく。
「ポンコツなんかじゃない。俺のバリアは龍を出せる」
「あらあら、また中二病患者的な発言ですこと♪ だから、いつまで立ってもあなたは最低レベル、H級超能力者なんですのよ。強くなるにはまず自分の弱さを自覚することね。A級からの忠告ですの。うふふ、須藤君をまた一つ賢くしてしまいましたね」
彼女は斜に構え微笑した。須藤は信号の色が変わるのを見て、道を急ごうと彼女に言った。
「ああ、分かった、分かった、御忠告ありがとございました、じゃあな」
しかし、横断歩道を渡ろうとすると、襟から身体が持ち上がり、強制的にお嬢様の方を向かされた。クレーンゲームで吊られた人形のような恰好になった。道行く学生たちはそんな彼を無視して先を急いでいくが、超能力を持つ子どもが集められる教育都市では、空飛ぶ人間は空飛ぶカラスより希少価値が低いのだ。
「まだなんか用事があるのか」
「ねえ、ここで会ったのも何かの縁ですし、今日こそ一緒に帰りましょうよ。近頃、この辺りに不審な影が現れるらしいの、自主研究でどうしても帰りが遅くなってしまうから、あたくし怖いわ」
「そんなもん、きっと超能力の仕業で珍しくもなんともねえだろうが。念動力を解いてくれ。俺は急いでいるんだ。早くしないと足立屋の限定スイーツが売り切れちまう」
「あらあら、須藤君はそんなに甘いもの好きだったのかしら。あたくしもまだまだ分からないことだらけね。なら今からあたくしの家によってってダージリンでも飲んできませんこと♪」
埒が明かない。須藤はしばし迷った後、両の手をお嬢様に向けた。できるだけ凄みを付けて言った。
「お前が離さないと言うのならいいぜ。これはもう超能力者同士の戦争だよ、茶色いわかめ」
「あら、あたくしの髪型はわかめなんかじゃありませんわ」
「知るか、女相手に超能力なんて使いたくはないが仕方ねえ。バリア発動! これでお前の出している念波的なものが途切れるだろう。降参するなら今の内だぜ」
須藤はお嬢様との間に一メートル四方のバリアを張った。が、お嬢様が近づいて指でつつくとあっけなくバリアは砕けてしまった。
二人の間に木枯らしが吹いていった。
「何ッ!」
「毎度まいどよくそんな悲しそうなリアクションが取れますわね。結果なんて分かり切っていることじゃないかしら。あなたのバリアは『あらゆる攻撃を通してしまう』バリアなんですもの。あたくしの念動力に比べたらなんて貧弱で可哀そうな能力なのかしら。もはや同情を通り越して、小動物の無駄な抵抗のような萌えさえ感じてしまいますわ」
「ぐぬぬ、にこにこわかめめ……」
「どうしてそんなに刃向かってくるのかしら」
お嬢様は首を傾げて尋ねた。
「A級のお前を確かに尊敬はしているよ。だがな、人の超能力を笑うような奴は、例え女だろうが俺はいけすかねえんだ」
「つまり、それってあたくしが嫌いということなのかしら」
「そうとも言える」
次の瞬間、須藤の体をつかむ見えない力が強まり、蛙の潰れたような声が須藤の口から漏れた。お嬢様は、微笑みながら顔色を真っ青に変えて冷や汗を浮かべていた。
「あ、あ、あ、あ、この誘い方も駄目なのかしら。あなたはいつになったらあたくしと一緒に帰ってくれるの? クラスのみんなはあたくしをちやほやしてくれるのに、あなただけ、あなただけがあたくしの誘いを断り続ける。こんなのってあんまりなの……」
「おい、様子がおかしいぞ、ちょっと落ち着け」
「引き留めてごめんなさいね、後日再チャレンジということで、今日はお詫びに目的地まであなたを送り届けて差し上げますわ」
お嬢様が腕を振ると、須藤は見えない力に押されて空高く持ち上げられ、命の恐怖を感じた。地上で手を振っているお嬢様に向かって、腹の底から声を出して呼びかける。
「こちらこそタメ口ですみませんでしたあああっ! 今すぐここから下してください、お願いします。人間砲弾からの紐無しバンジージャンプとか死ねます死にます」
「何言ってるか分かりませんけど、身体に念動力のオーラを纏わせているので、ちっとやそっとじゃ死にませんの。あと、須藤君はタメ口でいいですよ♪」
「聞こえてんじゃねえか、おいこら下せ」
「さようなら、また明日」
爆破音と共に須藤の体は射出され、上空五十メートルをくるくる回転しながら飛んで行った。
人の生とは偶然の上に成立している。思いがけなく死に瀕した時は、普段は気が付かない命の重みを噛みしめることができるだろう。
足立屋の店先に品の良いツツジの生け垣が無かったら死んでいただろうと須藤は背筋が空寒くなった。落下した時の音を聞きつけたのか、エプロンと三角巾を身に付けた女性が店から出てきた。頭から生垣に突っ込んでいる須藤を見て、都市の住人に特有の薄い反応を彼女は見せた。
「お、須藤じゃん。どうしたの?」
「お恥ずかしいですが助けてください」
足から引き抜いてもらい、脱出する。
「素敵なツツジの枝を折ってしまってすみません、足立屋のお姉さん」
「いいんよ、どうせ秋で花も葉も枯れちゃってんだから。それよりなんでツツジにダイブしてたわけ?」
「あんまり愉快な話ではなく、同級生のA級・念動力野郎に吹っ飛ばされました」
すると、足立屋のお姉さんは嬉々として目を光らせた。
「まじか、どこから?」
「この道を北へ行った三つ目の信号機から」
「おお、おおぉぉ……おおおっ。なんてハイパーな野郎なんだ! 逸材発見だな、私たちでスカウトしようじゃないか」
お姉さんは興奮した口調でまくし立てると須藤を店内へと引っ張っていった。
「あっ、そう言えば、限定三十個プリンアラモードが一つ欲しいんですが」
「そんなことはどうでもいい。後だ!」
「えっ、ここ菓子屋っすよ」
白い椅子と、テーブルの置かれた壁際の席まで案内される。お姉さんは壁のポスターを指差した。
「これを見ろ、須藤」
「おおおっ、そう言えば、今日でしたね!」
須藤も興奮してそのポスターを見つめた。タイトルには『第十一回サイキックグランプリ頂上決戦・発火能力者VS狼人間。王者の誕生を括目せよ』と書かれている。
お姉さんは鼻高々に解説を付け加えていく
「発火能力者のゼノ・マルクスは一千度の火炎を口から吐くS級超能力者。対する狼人間のバイゼル・バッハは三日三晩飲まず食わず寝ずに戦うことができる獣化能力者、同じくS級だ。今夜、アメリカのロッキー山脈で生中継の決勝戦がある」
「バイゼルの準決勝は俺も見ましたよ。南極大陸で凍結能力者相手に競り勝ったのは最高でした」
お姉さんは腕を組みながら何度も首を縦に振っている。
「だよな、分かる分かる。須藤、お前は超能力の浪漫を分かってくれる。ゼノも捨てがたいが、やはり私は同い年のバイゼルを応援したい。奴も私と同じ十九歳で、今年が最後の試合になるからな」
「そうか、お姉さん、今年でこの都市を出てくんすよね」
須藤が寂しげに言うと、お姉さんは黙って須藤の肩を叩いた。
グランド・ゼロから十二年経過した今日、二十歳未満の子どもに占める超能力者の割合は九十九・九九九九%までに高まった。「まったく同じ超能力はない」と言われるほど細かく比べれば超能力の種類は個人によって異なるが、一つだけ、どの子どもにも共通する特徴があった。
超能力は二十歳になった時に消えるということだ。これは超能力者たちを縛る唯一無二のルールであった。観測史上、ただの一人も例外はいない。
「お姉さん、能力が消えてもお店を続けられないんですか」
「それは無理な相談だ。日本に二十区ある教育都市は、超能力者の子どもたちを成人するまで外界から隔離すると同時に、外界から守っている。だから大人は特別な者たちしか入れない。S級超能力者にでもなれば別だが、私のD級超能力じゃなあ」
超能力は力の弱い方から強い方へと順に、アルファベットのHからA、そしてSによって格付けされている
「そんなこと言わないでくださいよ。お姉さんの能力は素晴らしいのに」
「私の話はいいんだ。さて、例の念動力者を来年のグランプリに誘ってみないか」
須藤はしばし腕組みした後、曖昧な返事をした。
「うーん、危険なことはしたがらないと思いますねえ。まず親がさせないでしょう。何せ、有名財閥の一人娘ですから」
「そうか、いいとこ育ちのお嬢さんなのか。なら勧誘は難しいな。まずはテレビ放送を見せて徐々に超能力ファンに洗脳していくところからか」
お姉さんは反社会的なことを口走っていたが、須藤は気にせず、今夜のテレビ中継の様子を想像するのに忙しかった。最強超能力者の二人が凌ぎを削って戦い合う様を思い浮かべるだけで生唾を何度も飲み込んでしまう。
「かっこいいだろうな」
何を隠そう、須藤も足立屋のお姉さんも大の超能力ファンである。自らも超能力者なのだから、超能力を持たない大人たちからしてみたらおかしな話かもしれないが、かっこいい超能力というものは万人の心を魅了してしまうのである。
超能力が弱い者たちにとって、強い者たちは特に憧れの存在と言える。
「あっ、そうだ、お姉さん。今日は限定プリンアラモードを買いに来たんです。俺、絶対強くなりますよ。お客さんがちっともいませんが、まだ結構売れ残っているんですかね」
「あぁ、あれは販売五分で売り切れた。あたしの超能力『カンフル』を練り込んだ超限定商品だからな」
「えっ……間に合わなかったんですか」
足立屋のお姉さんは力を使い、超能力増強効果を彼女の作った料理に付与することができる。一口食べれば、五分間、限界を超えて超能力を発揮できるという優れものだ。その一千倍の効果を持つ『ワイズマン』という麻薬も世の中には出回っているが、こちらには激烈な副作用があり法律により禁止されている。
肩を落として落胆する須藤を見て、足立屋のお姉さんはにやけると、カウンターの向こうに消えていった。
しばらくして白い小箱を一つ持って戻ってきた。
「お姉さん、その包みはまさか」
「須藤が能力を高めたがっていることは分かっている。一個だけ商品を取っておいたお姉さんの慧眼に感謝しろよ。お前はいつか龍を出すんだろ。食えよ」
須藤は震える両手でその箱を受け取った。
「これが足立屋のプリンアラモードの重み……俺、感動で手が震えて、落としてしまいそうです」
「龍が出るようになったら私を呼ぶんだ。そして、ツーショットと握手を頼むぞ。絶対だからな。あ、あとサインも欲しい」
「はっ、はい、約束します」
「頑張れよ。お姉さんは努力する若者を応援している」
お姉さんは「むふふ」と口をωの形にして、店員の所作に戻り、レジ打ちを始めた。
「御代は七百五十円です」
「五百円割引券は使えますか」
「そちらの券は合計千円以上のお買い上げでないと使えません」
「それじゃこっちのショートケーキ四百円も付けてください」
「まいどあり」
須藤はお姉さんに何度も頭を下げた後、足立屋の自動ドアから出て行った。
今夜の予定はもう確定した。夕飯の後、足立屋のプリンアラモードを片手に超能力バトルの生中継を楽しむのだ。コマーシャル中に素振りのごとくバリアを出していれば、グランド・ゼロの日に出したあの龍と今日こそ再会できるかもしれない。
「ああ、俺は幸せだ」
不法投棄の多い裏路地を帰りながら、夕日に向かって七色に光るバリアを須藤は出した。普段は屈折率がなく透明なバリアだが、空中の水滴と塵を適当な割合で混ぜることにより虹色にすることもできる。仕組みをよく知らずに須藤は作っているが、虹の発生原理なんかと同じだと思っている。
煌びやかな虹の光と、夕日の赤い光が干渉し合い、周りの自転車やゴミ袋に不思議な紋様が浮かび上がった。須藤は思わず見とれてしまった。ふとした瞬間、自分の超能力の別の使い方に気付いた時、須藤は堪らなく胸が熱くなり、満足感を覚えるのだった。
そんな時、ゴミ袋の山の下に黒い布で覆われた塊を須藤はふと見つけた。普通に歩いていたならば不法投棄の一角として見逃していただろう。しかし、周りの景色を隈なく見つめていたので、たまたま目に入ってきた。
その塊は動いていた。須藤が好奇の目を向けていると、腹の鳴るような不気味な音がその塊から聞こえてきた。
「まさか……」
須藤は即座に二歩後ずさり距離を取った。心臓が高鳴って、額に汗が浮かんでいく。塊をバリアですぐに囲んだ。
超能力者が集まる教育都市では何があってもおかしくない。つまり、誰かが作り出した怪物が街中を這いずっていても不思議ではない。
須藤の頭の片隅でお嬢様が口走っていたことが思い出された。最近、不審な黒い物体が街中で目撃されているらしい。
もしかしたら、これじゃないだろうか。
須藤は右手をわきわきさせながら黒い布の塊ににじり寄っていった。
「もしかしたら、かなり希少な特殊能力の産物かもしれねえな」
須藤は楽しんでいた。鼻息を荒くしながら生唾を飲み込んだ。超能力ファンの血が騒ぐ。
しゃがみ寄り、バリアを指で突いてわざと壊す。ぼろい布を持ち上げて慎重に中を覗き込んだ。