後日談
士官学校の食堂棟の屋上にある空中庭園はみんなの憩いの場である。
決して誰か一人の所有地ではない。
起床から就寝までの間は常に開放されているのだが、ここ数日は貸し切り状態になる時間がある。
ラファエル・ドラクールが庭園で花の世話をしている時間帯。
うろうろしていると邪魔になりそうで誰も庭園にはやってこない。
邪魔になりそうというか怒られそうで入っていけないのであるが。
ともかく、穏やかな時間が流れていく。
「ラファエル…ラファ?お茶が冷めちゃうよ?」
「ああ、だがこの害虫を処理してしまうまで…くそっ、アブラムシは厄介だな」
キク科の植物に好んでくっつくアブラムシの駆除に奮闘中のラファエルは真剣である。
薬で手早く駆除するのもいいのだが、ラファエルは環境に悪いし花が綺麗に咲かないと言って聞かないのであった。
「だから私も手伝うってば」
備え付けの椅子から立ち上がったレイラがのんびりとラファエルの側に近づいていく。
肋骨を骨折してから2週間たったが、治癒術が効いたのかほぼ完治に近い状態だ。
回復は順調でほとんど痣も引いている為、レイラはリハビリがてらに花の世話を手伝いにきたのだがラファエルに即座に却下された。
結局休んだのは怪我をしたその日と次の日だけで、3日目からは講義にも出たので大丈夫だと言っても休んでろの一言だ。
「レイラっ!!無理をするなと言ってるだろう?」
レイラの行動に気付いたラファエルがすぐに駆け寄ってきた。
「ラファエルの過保護っ!!」
レイラが機敏に動けないことをいいことに、作業用手袋を外したラファエルが怪我に負担がかからないようにさっと抱き上げる。
機敏に動けないのは肋骨を固定するサポーターの所為であって、怪我はもういいのだが。
むくれたレイラの頬に軽くキスをしたラファエルは背もたれの深い椅子にレイラを降ろした。
「そんなんじゃごまかされないんだから」
こういった軽いキスやスキンシップの多さは付き合うまで知らなかったラファエルの本性の一部だ。
意外なことにスキンシップ好きな一面を除かせるラファエルは、ことあるごとにレイラに触れてくる。
レイラもラファエルに触れたり触れられたりするが大好きなので気にしていないのだが、恥ずかしいので公衆の面前では控えめだ。
今はこの庭園にはラファエルとレイラしかいないのでされるがままになっている。
パーシヴァルやベルナルドたちがいたら、まずお姫様抱っこなんてさせなかっただろうが。
「せっかくだからお茶にするか」
ラファエルは道具を片付け、手を洗いにいった。
恋人たちの楽しいお茶の時間。
どこからか飛んできた白蜜蝶がちらほらと見える。
花を大事に育てているらしいラファエルにとっては害虫以外のなにものでもないのだが、レイラにとっては愛でる対象だ。
「ね、だからもう大丈夫なの。明日から実技にも復活するんだよ?」
自分がいかに元気で健康なのかを力説するレイラにラファエルは納得いかない顔をしている。
「現代の医学と治癒術師の腕を疑ってるわけじゃないんでしょ?どこが不満なのよぅ。レントゲンでは骨がちゃんとくっついてたじゃない」
大丈夫だということを証明したかったのか、レイラは立ち上がるといきなりバク転した。
「10点!!」
「何やってるんだっ、10点じゃないぃっ!!」
とたんに青ざめるラファエル。
今にもレイラが死ぬと言わんばかりの剣幕で椅子に連れ戻す。
しかもこれ以上危ないことをされてはたまらないというようにレイラをがっちりと抱えて自分の膝の上に座らせた。
「これじゃあラファエルがくつろげないよ?」
「構わん」
ラファエルが構わないというのであれば、レイラとしても構わない。
何といっても誰もいないのだ。
こんな甘い時間を過ごしてもいいではないか。
では遠慮なく、と言ってレイラは力を抜いた。
レイラを抱き上げるたびに思うのだが、華奢な身体をしているとラファエルは思う。
この身体でよくもあれほどルイードを翻弄したものだと感心するが、なんだか複雑だ。
レイラが何をしようとしていたかわかっていただけに尚更。
思わず見惚れてしまうくらいに綺麗だと感じた残酷そうな笑み。
跳躍するしなやかな身体。
鋭利な刃物を連想させる琥珀色の瞳。
脳裏に鮮やか焼きついてしまったあの時のレイラの姿をもう一度見たいと思う反面、二度と見たくないとも思ってしまう。
ラファエルはレイラのナチュラルボブカットに整えられたカラスの濡れ羽色の髪を一筋とって口付けた。
レイラは屈託のない笑顔でラファエルを見る。
レイラの笑顔に陰はいらんな。
これからレイラの笑顔を守っていこうと改めて誓うラファエルであった。
しばらくして、ラファエルの膝の上でくつろいでいたレイラが、そういえば…と切り出す。
「ユリってコ、正式に辞めちゃったんだってね」
彼女は言い出せなかっただけで、ルイードから何度かひどい目に遭わされていたようだ。
ラファエルが連絡を取ったときも、どこかおどおどした話し声だった。
何も話したくないと言ったユリに一生懸命説得したラファエルはやっとポツリと話してくれた内容に思わず冷や汗をかいたものだ。
結局ラファエルがあの時点でわかっていたことといえば、ルイードが暴力を振るっていたこととヤシュタ戦役で恋人を亡くしている事実だけであった。
確たる証拠もないので、士官学校側にルイードを拘束させるわけにもいかずに模擬戦での事件まで何もできなかった。
「お前は訴えを取り消したのか?」
ルイードの精神鑑定の結果、責任能力有りと判断された為に刑事事件として取り扱われるようになった。
但し、ユリ・マスターズに対する暴行容疑に関してだけであるが。
「私は模擬戦中のことだから、告訴するもなにも」
よくあることじゃないの。
そんなにあっさり言われても納得できない。
第一、そんなことがよくあってあまるかとラファエルはごちた。
「レイラ」
ラファエルがどこか咎めるような声で名前を呼ぶと、レイラは少し哀しそうな顔をした。
「ヤシュタ戦役で亡くなってしまった元恋人さんに免じてってことにしておいて」
きっと仲直りする時間も話し合う時間もなかったに違いない。
突然の悲劇に心が追いついていかなかったのだろう。
「レイラは告訴しないというが、学校側が黙ってはいないだろうな。証人にはなりたくない、か?」
「……その時になってから考える」
天涯騎士団の士官学校に所属しているのだし、学校がそう決定を下したのであれば従うしかない。
士官候補生は正式に騎士団に所属してはおらず、準所属扱いなので騎士団法裁判所に行くわけではないが、裁判所という場所は悪いことしてなくても気が引ける。
「そうなったら俺も行くから安心しろ」
ぽふぽふとレイラの頭を軽く叩いてラファエルはぎゅっと抱きしめた。
心地いい。
心地いいんだけど、何かが足りない。
「あ、そうだ!今日からサポーターなしでもよかったんだ」
サポーターごしにはラファエルの体温があまり伝わってこないので、早速外すことを思いついたレイラ。
善は急げ、っと言いながらラファエルの腕からすり抜けてサポーター相手に奮闘する。
制服を脱ぎ捨て、シャツを捲くってコルセットのようになっているサポーターの左側にある留め具を外す。
さらに。
「ほら、見て見て!痣、消えてるでしょ!!」
シャツを捲くったまま腹部を無邪気にラファエルに見せる。
白い肌が蠱惑的だ。
「そ、そうだな…はっ、はやく服を着ろっ!!」
ろくに見ようともしないラファエルにレイラは首をかしげる。
ここにパーシヴァルたちかレイラの女友達がいれば「どこまで鈍いんだレイラ」と溜め息をついていたかもしれない。
いちおうシャツを下ろしたレイラは顔を背けているラファエルを覗き込んだ。
「…………私を救護室に連れて行ってくれたときは平気で見たくせに」
今さら恥ずかしがることないじゃない、とのたまうレイラは確信犯なのか。
「あ、あの時はあの時だっ!だいた、だいたい、レイラは無防備すぎるっ!!」
顔を真っ赤にさせて言葉に詰まりながら怒鳴るラファエルは、はっきりいって恐くない。
スキンシップは平気なくせに、妙なところで純情だ。
「やっぱ、これってタイミングやばい?」
「マリスティア、見るなよ」
「え、ええっ?何するのよ、ユージン!」
「ラファエル、時と場所を考えろよな」
変なところで邪魔が入るのはお約束…といったことを大昔にマーフィーとかいう人が言っていたような気がする。
様子を見に来た悪友共が庭園で見てしまったものは、脱ぎ捨てられた制服とシャツ姿のレイラ。
「俺は何もしていないっ!!」
やましいことは何もしていない、と身の潔白を訴えるラファエル。
「じゃあレイラが迫ったとか」
ベルナルドがレイラを見てまさかという顔をする。
マリスティアはまだユージンに目隠しをされているが、顔が真っ赤だ。
「あ、みんな~。見て見て、痣が消えたんだよ」
レイラは嬉しそうにぽんっと腹部を叩いた。
見れば脱ぎ捨てられた制服の下にサポーターがある。
「なるほどね」
レイラはラファエルに腹部を見せていたのか。
わざわざ。
かわいそうなラファエル。
きっと鋼鉄の理性の持ち主なのだ。
健全な男子たちが心の中でラファエルに合掌しているころ、やっとユージンの目隠しが外されたマリスティアは庭園の状態を見てビックリしていた。
「わぁ~、すごいじゃないの!手入れが行き届いてる〜」
色とりどりの花が咲き乱れる庭園は、マリスティアたちが危惧していたように滅茶苦茶ではなく、むしろより整備されている。
「ふん、俺は花の世話は得意だと言ったはずだ」
ラファエルは得意げな顔だ。
実は空中庭園の花の世話は一週間でよかったのだが、やり始めると中途半端にはできなくて自ら期限を延ばしてもらったのだ。
「へぇ~、案外お前ん家の庭の花もお前が手入れしてたりね」
ベルナルドはラファエルの実家の広い庭に咲き乱れる花を思い出しているようだ。
「何故わかる?」
マジかよ。
ラファエルがひらひらのレースが付いたシャツを着て庭仕事に勤しんでいる姿を想像すると恐いものがある。
「そ、そうか。それはやりがいがあるだろうな…」
ユージンも嫌なものを想像していたようだ。声が震えている。
「で、みんなそろって何しに来たの?」
レイラが脱ぎ捨てた制服をはたきながらパーシヴァルに聞いた。
レイラの後ろでラファエルがキッとパーシヴァルを睨んだが、レイラは気付かない。
「ん、ああ、士官学校の調査委員たちがこの間のことについて聞きたいことがあるって」
「えぇ~、やっぱり?ラファエル、私行かなきゃ」
レイラは急いで制服を着ると、手早くお茶の後片付けを始めた。
「いい、俺がやるからレイラは行ってこい」
せっかくのお茶の時間を潰されて少し不機嫌になったラファエルがレイラの手からポットを受け取る。
パーシヴァルめ、余計な報告をしにきやがってっ!!
それは逆恨みというものである。
パーシヴァルたちは邪魔しにきたのではなくレイラを呼んできて欲しいと頼まれただけなのであるのだから。
いらいらとパーシヴァルを睨んだラファエルは、視線の先にとんでもないことをしでかしているレイラを発見して思わず持っていたポットを落としそうになった。
「レイラ、無理はするなと言っただろうがっ!!」
ラファエルが怒鳴ればパーシヴァルもベルナルドも元気なレイラの姿を見ておろおろする。
花壇を飛び越え出入り口に一直線のレイラは「もう治ったのー!!」と言いながら庭園のエレベーターに駆け込んだ。
確かに、もう大丈夫なようだ。
「レイラー、サポーター忘れてるってーっ!!」
ユージンが残されたサポーターをひらひらさせながら叫ぶ。
「ユージンにあげるー!!」
そう言い残すと、さっさと降りていってしまった。
「相変わらず素早いな」
「……あわただしいとも言うわね」
あっという間に視界から消えていったレイラをパーシヴァルとマリスティアは呆然と見送った。
サポーターをもらってしまったユージンはつい自分の腰にあててみる。
「うわっ、レイラって腰細っ!!ベルナルド、お前これ着けれるか?」
自分では無理なので比較的細いベルナルドで試すようだ。
「俺には無理だって、こんなに細いと…ユージン、苦しいっつーの!!」
無理やり押し込めるかたちでベルナルドの腰を締め上げるユージン。
いつの間にかマリスティアが加勢している。
「ほぉ。中世エウロパの貴婦人のようじゃないか、ベルナルド。なかなか似合うぞ」
ラファエルはレイラがいないのならばここにはもう用はない、と言わんばかりにテキパキと片付けながらちらりとベルナルドを見た。
趣味が考古学というラファエルは関連して歴史にも興味があるようだ。
そもそも腰を細く見せる意味とは…とうんちくを講義しはじめる。
「あ、ラファエルいいのか」
せっかく知識を披露していたのに、パーシヴァルに話しかけられて眉間に皺を寄せるラファエル。
こいつはどうしてこうも間が悪いのだろう、と思わずにはいられない。
ことのほかパーシヴァルはラファエルに関してのみタイミングが合わない。
シュミレーションでは結構相性だけはいいのに。
「レイラなら大丈夫だろう。ついてきてほしければちゃんと言っている」
レイラのことはすべて把握済みだと言わんばかりのラファエルはふんっと鼻を鳴らした。
「や、そうじゃなくて…あそこの柑橘系の木に黒蜜蝶が卵を産み付けてる…」
「何だと?それを早く言えっ!!」
傍から見れば漫才でもやっているように聞こえる。
パーシヴァルはどこまでも天然で、ラファエルはどこまでも突っ込む。
仲いいじゃんか、とベルナルドはこそっと呟いた。
ラファエル特製の自然に優しい石鹸を溶かした水溶液の入った容器を手に持ち、即座に柑橘系の木に駆除に向かうラファエルはどことなく生き生きして見える。
「ベルナルド、マリスティアも手伝えっ!!」
「ええぇ、俺たちもかよ」
レイラを捜しに来ただけなのにとんでもないことになってしまった。
花の世話なんて俺に似合うわけないじゃんっつーの!!
ベルナルドはうんざりした顔になったが、マリスティアはやる気のようだ。
「パーシヴァルも一緒にやりましょうよ」
「何ぃ?!パーシヴァルもやるのかっ!!…ようし、どっちがより多くの害虫を駆除できるか勝負だぁっ!!」
「俺も俺も~、みんなでやろうぜ~」
「俺は別にやりたくないんだが」
「何だと、逃げるのか?!」
「何をっ!!よし、いいだろう。受けて立とうじゃないか」
なんだかんだで結局みんなで害虫駆除をすることになってしまった。
癒しの空間、花咲き乱れるみんなの空中庭園。
今日は蝶々がよく舞う天気のようだ。