下
気持ち悪い。
思い出しただけでも悪寒が走る。
レイラはあのキスを忘れてしまいたくてあれから唇を何度も洗った。
ヒリヒリするが、あの感触がよみがえるよりマシだ。
鏡に映る白い肌に赤い唇をしたレイラ。
どこかしら艶めかしく見える。
「ラファエルに見られちゃった」
一番見られたくなかった人に。
悔しい。
悔しい、悔しい。
さっきはどんな顔をして会ったらよいのかわからなかったので、今朝は顔を見ないようにすれ違った。
ラファエルも目をそむけるようにしてレイラを明らかに避けていた。
あんなことがある前に戻れたら。
朝食でも講義でも、昨日のことがなかったかのようにルイードはレイラに話しかけてくる。
「私に話しかけないで」
「君はそんなこと言っちゃいけない」
表面的には優しく話しかけてくるルイードの目の奥は笑っていない。
『だいたい、貴方…ユリってコと付き合ってるんじゃなかったの?』
『ユリ?僕は君以外の人と付き合ったことなんてないよ』
『確か休学中だったはずよ。そのコの心配はしてあげないわけ?』
『誰のこと?』
昨日の会話を思い出す。
ユリとうまくいかなくなったから、今度は私と?
不可解だ。
1ヶ月前くらいからルイードと話すようになった。
それまではユリと一緒にいる姿しか見たことなく、話したこともなかったのだ。
私を『ユリ』と混同しているわけ?
ルイードはレイラを見てはいない。
レイラの向こう側に誰か別の人を見ているのだ。
それからレイラはワザとルイードを精神的に追い詰めるような言動をとった。
魔導戦闘機シュミレーションではユージンと組んで敵軍役を引き受け、見事なコンビネーションでルイードたちをあっさりと撃破した。
「やったね、ユージン!!私たち、いいコンビが組めそうね」
ハイタッチをして喜ぶレイラとユージンを睨んでくるルイードはだんだんと取り繕うことを忘れてきているようだ。
射撃訓練ではパーシヴァルに付きっきりで指導してもらい、爆発物処理講義では友人と一緒にベルナルドを囲んで講義を受けた。
ルイードを完全に無視する形で。
昼食時にルイードに捉まりそうになったが、ラファエルがルイードの服にコーヒーをこぼしたおかげで難を逃れた。
ぞんざいな仕草で「すまない」というと、ラファエルはレイラを友人の方にさりげなく押しやってくれたのだ。
ラファエルが今のレイラの立場を知っているはずがないのに。
話しかけてはくれないが、レイラにはそれだけで十分だった。
早く誤解を解いて、元に戻りたい。
しかし、そんなレイラの努力もむなしく昼休みも残りわずかとなった時間にとうとうルイードに捉まってしまった。
しかも事態は最悪な方向で。
「さっきのあれは何?」
建物の陰になる死角まで引っ張られるようにして連れてこられたレイラは、そのままの勢いで壁に叩きつけられる。
「僕に嫉妬させようとしているのか?」
顔は笑っているのに目が笑っていない。
「なんで私がこんなことされなければならないの?」
衝撃で息が詰まったが、レイラ平静を装って質問する。
「僕たちは付き合ってるんだよっ!!」
殴りかかってこられるような気がして、レイラはルイードを突き飛ばして駆け出した。
が、足を取られて転んでしまう。
反転して仰向けになると、防御の姿勢をとったが腹をルイードの膝で蹴飛ばされてしまった。
「うぅっ!」
女の子のお腹を蹴るなんてっ!!
ルイードの膝が思いっきり入った腹に激痛が走って、レイラの目の前は一瞬暗くなったが、なんとか気を取り直す。
目潰しは卑怯だとか言っていられない。
レイラはルイードの目に向かって手を払うと痛がるルイード隙を突いて今度こそ逃げ出した。
まずい。
ユリが休学した理由は知らないが、なんとなくわかった。
こんな奴を野放しにはできない。
決定的になるようなことが、この男の化けの皮を剥がせるような決定的なことがなければ。
取り繕うことができないくらいに激昂させるにはどうすればいいのか。
チャンスは意外と早くやってきた。
ナイフの模擬戦。
人の闘争心がむき出しになるこの授業で、貴方の化けの皮を剥がしてあげる。
「よし、始めっ!!」
教官の合図で模擬戦が始まった。
レイラは立候補してルイードを指名した。
もちろんもっともらしい理由をつけて。
ルイードは反対したが、教官をうまく納得させることができずにしぶしぶ試合を了承した。
ルイードが腰を落とし、ナイフを構える。
基本中の基本の体勢だ。
攻撃に出るとしても、防御に入るとしてもこの姿勢からだとどちらにもすぐに転じることができる。
「チェンバース、始まっているのだぞ!!」
教官がレイラに激を飛ばす。
しかしレイラはナイフを構えることさえしなかった。
そればかりか腰も落とさず突っ立ったままだ。
「…別に、このままでも」
静かに呟いたレイラは視線をルイードに向けてナイフを握っていない方の手で挑発した。
かかってこい、殺してやる。
「何やってんだよ、レイラ!」
心配したユージンが声をかける。
普段のレイラは絶対にこんなことはやらない。
「ちょっとレイラ、やり過ぎだよ!」
レイラの友人のマリスティアも不安そうにしている。
レイラの対人格闘術の成績は中の上といったところだ。
ルイードも接近戦はあまり得意な方ではないが、男女の差で軍配はルイードに上がるだろう。
レイラのあからさまな挑発行為にルイードはギリっと歯をかみ締めた。
「それで僕を挑発したつもりかい?」
先ほどからレイラがギリギリまでルイードを追い詰めていたために言葉ほど落ち着いては見えない。
精神の限界は近い。
「そっちからこないのなら、私がいく」
すっと目を細めたレイラが言葉通り動いた。
速い!!
あっという間に間合いを詰めてルイードの真正面から懐に入り込む。
勢いのある動きに真っ向から攻撃を仕掛けても、相手をやる可能性より自分がやられる可能性の方が高い。
ルイードは斜め後ろに飛び退き無防備になったレイラの後ろ首を狙った。
レイラは驚くべきフットワークの軽さでルイードのナイフの軌道から逃れて思いっきりしゃがみこむ。
それから振り向きざまに左手に持ち替えていたナイフでルイードの足を払いにかかった。
「くそっ」
よろけながら何とかレイラの攻撃をかわしたルイードは体勢を整えるべく間合いを取る。
しかし、レイラはそれを許さなかった。
地面を蹴って間合いを詰め、続けざまに攻撃を仕掛ける。
右から、左から、決してルイードに反撃の隙を与えないように。
どちらが優勢なのかはわかりきっていた。
「すげ…。レイラ本気出してる?」
いつもとはまったく気迫が違うレイラに驚くベルナルド。
息一つ切らさず、冷静というよりも冷たい表情を崩さないレイラが別人のように見える。
「あまり追い詰めるな…レイラ」
ラファエルは拳を握り締めてレイラを見守る。
そうこうしている内にルイードの息はあがり、ただ闇雲にレイラに向けてナイフを突き出していて隙だらけだ。
相手を翻弄するように動くレイラは時折何かを呟いている。
そしてルイードが顔を歪めるとわずかに口角を上げてじわじわと確実に急所という急所を狙う。
「何故決着をつけないんだ?」
パーシヴァルはこの不可解な模擬戦に気付いたようだ。
模擬戦の制限時間は5分だ。
もう1分も残っていないというのにレイラは試合を決めようとはしない。
「何考えてるのよ〜」
マリスティアはもう気が気でないらしく、隣にいた女子と手を取りあっている。
もうそろそろいいころね。
次にルイードが右足を後ろに引く瞬間がチャンスだと判断したレイラはタイミングをはかる。
「甘いっ!!」
ルイードが攻撃に転じる一瞬の隙を見逃さず、レイラが右肩をルイードの腹にぶち当てるような形で跳びこんでいく。
左手でルイードの右手を封じ込め、自身の右手のナイフをまっすぐにルイードの喉元に向けて突きつけ、その勢いのまま押し倒す。
あっという間だった。
実戦であれば、ルイードの首は確実に飛んでいただろう。
圧倒的な差を見せつける形で勝敗がついた。
「そこまでっ!」
ホッと息をついた教官が試合終了を告げる。
息を呑んで見ていた士官候補生たちもホッと息をついた。
こんなに気迫のこもったレイラは見たことがない。
尻餅をつくような格好のまま動けないルイードから離れながらレイラは耳元に冷たく言い放った。
「私は決して貴方を選ばない」
くるりときびすを返してレイラはナイフを収めその場を後にする。
ルイードのナイフを持つ手がわなわなと震えはじめた。
『ごめんなさい、もう貴方とは付き合えないわ』
『いい人よ、貴方と違って私を束縛しない人なの。ありのままの私を受け入れてくれるの』
『今度ヤシュタに行くわ……彼と』
『……これから先も、私が貴方を選ぶことはないわ』
『さようなら』
「何でだ……何で僕を拒むっ!!何で僕を受け入れてくれないんだ、ジニアぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫びながら、ルイードはナイフを握りなおした。
模擬戦用のナイフとはいえまともに食らっては大怪我をするか、当たり所が悪ければ命を落とす可能性もあるかもしれない。
試合終了の合図後に、しかも背を向けている相手に対して跳びかかるのは卑怯なことであり、禁止されている。
しかしルイードはレイラの無防備になった急所――心臓めがけてナイフを突き出した。
「ルイードぉぉぉぉっ!!!!」
それに気付いた教官が制止に入るが………
間に合わないっ!!
誰もが目をつぶった。
成り行きをただ見守ることしかできなかった者も、止めに入ろうと動いた者も。
―――キィン……カシャン―――カシャ…
金属と金属がぶつかり合う音がした後、ナイフが地面に落ちる音がした。
おそるおそる目を開けると、背中を向けていたはずのレイラが鞘に収めたはずのナイフでルイードのナイフを弾き飛ばしていた。
そして驚くことに、ラファエルが教官より速く2人の間に割り込み、模擬戦用ナイフではなく鋭利な刃の付いた実践用ナイフをルイードの喉元に突きつけている。
皮を一枚切ったのか、じわりと血がにじみ出ているのが見えた。
「1mmでも動いてみろ……保障はせんぞ」
ラファエルが冷たく光る濃い茶色の瞳で牽制する。
「うるさいっ、うるさいっ!!お前だな?お前がジニアを殺したんだ…お前がヤシュタなんかに、ヤシュタなんかにジニアをっ!!ジニアを返せっ!!」
ラファエルのナイフにも怯まず、ルイードが掴みかかる。
まさか本気で傷つけるわけにもいかないので、ラファエルは難なく避けながらナイフをベルトの鞘に戻すとルイードを易々と投げ飛ばした。
投げ飛ばされたルイードを教官と他の士官候補生…というか、ベルナルドとユージン、パーシヴァルがいち早く取り押さえる。
「ジニア?私はレイラ。レイラ・チェンバース」
剣呑とした眼つきでレイラはナイフを放り投げてもてあそぶ。
ベルナルドたちに押さえ込まれながらも立ち上がろうともがき錯乱したルイードがガクッと膝を折り力を抜いた。
「俺にジニアという名の知り合いはいない」
ラファエルも、変な誤解はするなとでも言いたげにうんざりとルイードを見下ろした。
「ああそうだ。警務官が貴様にユリ・マスターズに関して聞きたいことがあると言っていたぞ?」
ざわざわとしている士官候補生たちは、ユリという名前を聞いてあちこちで噂話を始めた。
タイミングよく駆けつけてきた他の教官と警務官の方をちらりと見ると、ラファエルはレイラに近づいた。
「危ない橋は渡るな」
レイラがもてあそんでいるナイフを受け取ると、ラファエルはベルトに留めてやる。
まだ気を張っているレイラはビクっとしたが、大人しくされるがままになっている。
「ラファエル」
ようやく緊張を解いたらしいレイラがぼんやりとした声でラファエルを呼ぶ。
「なんだ……どうした?レイラ、気分が悪いのか?っ、教官、レイラがっ!!」
顔色が見る間に悪くなっていくレイラにラファエルは慌てた。
腹をかばうようにずるずると座り込んでしまったレイラを、ラファエルは慌てて支えてやる。
「レイラ?レイラっ!!」
心配そうに見ていたレイラの友達が駆け寄ってくる。
「お腹…痛」
レイラの友達のマリスティアがレイラのお腹をそっとさすると、レイラは「うっ」とうめき声をあげた。
マリスティアはてっきり女性の生理現象かと思っていたのだが、様子が違う。
シャツをそっとめくるとそこには大きく内出血斑があった。
ちょうど肋骨の一番下の方が赤黒くなっていてその周りが広い範囲で青黒い。
マリスティアが息を飲む。
「これ、模擬戦で受けたわけないよね?」
「馬鹿野郎っ!!お前、こんな状態でなにをやってたんだっ!!教官、救護室に連れて行きます」
ラファエルがレイラをそっと抱え上げると救護室へと走り出す。
「あれ、折れてるぜ」
ユージンがラファエルの背中を見送りながら痛そうに顔をしかめる。
「あの状態からして、2時間はたってるな」
パーシヴァルが冷静に判断を下すも、その顔は厳しい。
「まさか、こんなことになるなんて」
今朝、ラファエルにルイードのことを話したときはこんなことはまったく予想していなかった。
マリスティアを含め、レイラの女友達はみんなして顔が青ざめている。
「ラファエルが事情をよ~く知ってるみたいだぜ」
今朝の剣幕を知っているベルナルドが含みのある言い方をした。
「そうね。後でしっかり教えてもらわないと」
マリスティアが締めくくると、全員でうなずいた。
「私とヤシュタ戦役で亡くなった恋人を混同してたみたい。黒髪以外共通点なんてなかったのにね。ユリっていうコと付き合い始めて思い出しちゃったのかな」
早くわかっていれば、もう少し優しくしてあげられたのかもしれない。
でもやっぱり無理。
彼のしたことは許せない。
「彼がこのまま士官学校にいたとしたら、いつかは問題になってたはずだもの」
ひどいことにならずにすんでよかったとレイラは言った。
何が「ひどいことにならずにすんで」だというのか。
結局レイラは右部第九肋骨を骨折しており全治2、3週間という診断が下された。
「助けてくれてありがとう」
起き上がろうとするレイラを制してラファエルは無理をするなと言った。
「俺が出て行かなくても……自分で対処できただろう」
レイラにはルイードが取るであろう行動がわかっていたはずだ。
わざとレイラが誘い込んだのだから。
「それでも、嬉しかった。だって、私の様子がおかしいって心配してくれて、色々調べてくれたんでしょう?」
心配に決まっている。
ドラクール家の名を使おうと即決させるほど、自分にとって重大だったのだから。
こんなことになる前に、レイラから相談してほしかったのだが。
「俺には相談しろと言うくせに、レイラは俺に相談してくれないのか」
そこまでは信用されてないのか。
顔を背けたまま話すラファエルは辛そうに目を瞑る。
「今回はっ!!」
勢いあまって肋骨に負担をかけてしまったレイラはあまりの痛さに涙ぐむ。
「今回は、ラファエルには絶対に相談できなかった。だって、ラブレターとかそんなのもらったって話できないよ。ラファエルだってしないでしょ」
「それは、確かにそうだが」
まあ、普通はしないよな…付き合っていない限りっていうか付き合っててもそんなことはしないと思う。
「だが、奴はお前を傷つけたんだぞっ!!」
レイラの右の腹に付いた痣が痛々しい。
ルイードに不意打ちで腹部を蹴られた時に肋骨を骨折までしていたのだ。
守れたかもしれないのに。
自分が知っていればレイラにこんな思いはさせなかった。
全力で守っていたのに。
もしもあの時、ラファエルがルイードにナイフを突きつけた時にこのことを知っていたら斬り付けていたかもしれない。
知らない方がよかった、か?
「それに、あ、あ、あんなとこ見られたら……」
レイラの声が小さくなっていく。
恥ずかしいとかそういうことではなくて、ラファエルに見られてしまった事が問題なのだ。
「悔しいっ!!あんな奴に……」
ギリっと唇をかむレイラはあの時のキスのことを頭から振り払った。
一応、誤解は解けたのだが、それが何だというのだ。
「俺は気にしてないから、レイラも気にするな」
気にしていない?
私の存在はその程度?
レイラの心がツキンと痛くなった。
「俺はそのままのレイラが好きだ」
真剣な顔をしてラファエルはレイラを見る。
「俺は自分勝手だから、レイラが俺に優しくしてくれたり、心配してくれたりするのは俺のことが好きだからと思いたい」
ただの優しさは欲しくない。
「いつも笑顔でいてほしいと思うが、今日のようなレイラも愛しいと思っている」
怒って、泣いて、そんなレイラの側にいたいと思えるくらい。
「断られるのは怖いが、俺の気持ちだから……知っておいてほしかった」
お前が、好きだ。
「………こんな時に、言うもんじゃないな」
ラファエルはレイラの顔を見ないようにして席を立った。
「今日は、色々あったし…ま、また明日」
「ラファエル」
緊張しているラファエルの耳にはレイラの声が届かなかったのか。
そのまま振り向かないラファエルにレイラはすがるように呟いた。
「ラファエル、ラファエル、ラファエル、ラファ…ラファ…」
ラファエルはレイラから涙声で自分の名前を呼ばれるとは思いもしなかった。
このままにはしておけないので、ラファエルはレイラの側に戻る。
「疲れているんだろう。気にせずに眠…」
「ラファっ!!」
痛いだろうに、レイラはラファエルの胸に飛び込んでくる。
「ラファエルが好き。大好き。そのままのラファエルが好きっ!!」
夢かと思った。
レイラが自分のことを好きであってくれたならどんなにいいかといつも思っていた。
ラファエルの胸で泣きながら「好き」と言ってくれるレイラは本物だ。
「レイラ……レイラ!!」
「痛っ」
思わず思いっきり抱きしめ返したラファエルはレイラの状態を思い出し力を緩めた。
「す、すまない」
両想いとは嬉しい。
嬉しいがこれだけは言っておかなければと思い立ち、ラファエルはレイラをベッドに戻して自分も居住まいを正す。
「悪いが、俺は気の利いたことが言えん性格だからな」
忠告するような物言いだが、ラファエルの顔はいたずらっぽく笑っている。
「それはじゅうぶん承知してるよ」
嬉しくて溢れ出てきた涙を拭きながら、レイラも微笑む。
「………独占欲も強い」
ラファエルがレイラの手を取ってそっと唇を這わせていく。
「右に同じ」
レイラがラファエルの濃い銀髪をなでる。
「レイラは束縛されるのは嫌か?」
レイラの手首に赤い痕を残すラファエルは上目遣いにレイラの瞳を捉える。
「心地いい束縛なら大歓迎」
レイラも同じようにラファエルの手を取ると、自分と同じ場所に赤い痕をつける。
「……一歩間違えると病的かも知れんが」
「それは心配してないよ。ラファエルは私の嫌がることはしないもの」
だって、ラファエルはわかってくれているから。
そのままのレイラが好きだとそう言ってくれたから。
私もそのままのラファエルが好きなのだ。
髪の色や目の色が違っても、ラファエルであればきっと好きになる。
「基本的にはな」
基本的には。
だが原則には例外はつきもので。
「嫉妬心からくる束縛は例外?」
「むろん例外だ」
きっとレイラに関わる男たちすべてに嫉妬してしまうんだ。
今までもそうだったから。
でも今はレイラが俺を好きだということを知っている。
きっとラファエルに関わるすべての女性に嫉妬するの。
今までも、そしてこれからも。
でも私は知っている。
涙を流すほど、ラファエルは私のことが好きなんだって。
先ほど、レイラを抱きしめていたラファエルの瞳からこぼれ落ちた涙は幻ではないはずだ。
「というわけだ。気にしていないわけがないだろうが」
ラファエルがレイラのあごをとらえた。
「な、何を?」
だんだん近づいてくるラファエルの顔。深い茶色の瞳が妖しげに揺れる。
思わず目を閉じてしまったレイラの唇にラファエルの唇が重なった。
一瞬だったのか、それとも長い時間がたったのか。
ラファエルがそっと唇を離す。
「思い出すのは、俺とのキスだけでいい」
にやりと笑ったラファエルがあまりにかっこよかったので、レイラは顔を赤らめた。
「で、お咎めなし?」
お見舞いの黄金林檎にかぶりつくユージン。
「あいつは病院送りだろ」
パーシヴァルは几帳面に林檎の皮を剥いている。
「そりゃないよな。レイラは被害者だぜ」
ベルナルドがパーシヴァルの剥いた林檎を片っ端から食べつくしていく。
「精神鑑定はこれからみたいだし、まぁいいかな〜と」
いい先生が付いてくれるといいね、と話すレイラは心が広いと言うかなんというか。
「レイラたちには何かペナルティあるの?反省文とか」
パーシヴァルが剥いた林檎を受け取りながら、マリスティアは近くにあった丸椅子を引き寄せて座る。
ラファエルは不可抗力(?)とはいえ相手を傷つけてしまったのだ。
「空中庭園の花の世話だけだ」
むっつりとした表情のラファエルが窓際の椅子の背もたれにもたれかかって空を見上げた。
「お前、花の世話なんてできるのか?」
ベルナルドがマリスティアと顔を見合わせながら「さらば安らぎの花園よ」と芝居がかった仕草で茶化す。
レイラはともかく、ラファエルには季節ごとに色鮮やかな花を咲かせてきた庭園の世話なんてできるわけがないと決めかかっているようだ。
「栄養やりすぎて枯らしそうだよね」
マリスティアが言えば、パーシヴァルももうんうんとうなずく。
「誰が枯らすかっ!!俺は花の世話も得意だっ!!」
眉間に皺を寄せて憤慨するラファエルにレイラ以外のみんなは首を横に振った。
「花は甘やかしすぎたら育たないんだよ?」
「誰かさんを命一杯甘やかしてるし、花にも同じことするんだろ」
「誰かさんは綺麗に咲き誇ってるけどな」
「ラファエルが栄養なのかもな、誰かさんにとっては」
「太陽かも」
「案外、必要不可欠要素なんじゃない」
『誰かさん』を連発するみんなに、よくわかっていないレイラとさらに眉間の皺を深くするラファエル。
「誰かさんって誰?」
きょとんとした顔のレイラが質問をすると、8つの瞳がいっせいにレイラを見た。
「わ、私?…私って花なの?!そんな、ラファエルの方が花って感じだよ。笑顔とかすごく綺麗だもん」
心底驚いたというように目が丸くなるレイラに、レイラ以外の全員が脱力した。
や、花はたとえであって…。
やはり気付いていなかったのか。
というか、ラファエルが花なのか。
付き合う前から、というよりもラファエルはレイラに出会ってからずっとレイラに甘かった。
どうやらラファエルのみならず、レイラは相当鈍いらしい。
俺なんかラファエルの笑顔なんて見たことないぞ、とパーシヴァルは思う。
「ラファエルが花ぁ?あ、あれだ。薔薇だよな。超絶我が侭な薔薇」
「そう言えばレイラもラファエルに甘いもんな」
ベルナルドとユージンが意味ありげにレイラを見た。
「で、どうなの?お2人の関係は」
さらっと質問するマリスティア。
単刀直入に聞けるマリスティアは最強かもしれない。
「マ、マリスティア。そういうのはさりげなく聞けよ」
ちょっぴり冷や汗をかいたパーシヴァルはラファエルをチラッと見た。
「……ラファエル、何してるんだ」
そして思わず突っ込む。
ラファエルが椅子からずり落ちていたのだ。
「うるさいっ!!」
ラファエルは顔を赤くしながらレイラの側に行くとお見舞いのフルーツ盛り合わせをユージンからひったくった。
「これはお前のじゃないだろうがっ!!」
ほとんど食べつくされてしまったフルーツは、じつはラファエルがレイラに持ってきたものだ。
「ごまかすなって。ラファエル、このパパイヤを返して欲しくば白状するのだーっ!!」
ユージンが隠し持っていたパパイヤを高らかにかざす。
「あぁ、私のパパイヤっ!!ユージン、それ私のなんだから食べちゃダメ!!ラファ…パパイヤ取られたぁ~」
楽しみにしていたパパイヤを盗られ、ベッドの上で泣きまねをするレイラにラファエルが即座に反応した。
後にユージンが涙ながらに「あの時はラファエルに本当に殺されるかと思った」と語ったらしい。
「ん~、おいしい。ラファエルありがとね」
「そうか、それは何よりだ」
パパイヤのように甘い雰囲気な2人を見れば、関係なんて一目瞭然だ。
「いいわね。恋人がいるって」
マリスティアはニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。
研究に打ち込むマリスティアにとってはまだ切実な思いというものとは縁がないらしい。
「ちくしょ~、俺も彼女が欲しい~!!」
「だよな。なんで俺たちいい男に彼女がいないんだっ!!」
健全な男子の反応を見せるベルナルドとユージン。
こちらは切実な思いでいっぱいだ。
「…青春、かな」
それ以前の問題で、すでに彼女がいるパーシヴァルは複雑な思いだ。
そういえば最近マンネリ化してきたよな……よし、久しぶりにデートに誘おう。
密かに彼女とのデートを画策するパーシヴァルであった。
何はともあれ、不器用なラファエルと鈍感なレイラの恋は始まったばかりである。
二人の恋に幸あれ。