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09. 逆転

 一.


 翌日、由貴(よしたか)は仕事を休んだ。剛三に殴られた左頬と右目が腫れ上がっているのと二日酔いとのダブルパンチで、まともに仕事が出来そうにない。

 店長の金切り声の説教を聞き流して、早々に電話を切った。

「だからさ……何で俺がいっつもこうやって高橋家の事情に巻き込まれるんだよ……」

 いてて、と痛む身体を庇いながら、起き上がって高橋家をよろよろと抜け出た由貴だった。

 周囲の好奇の視線を意にも介さず、節約の為電車に乗る。周囲の目は何ら気にならないが、自分で自分を客観視すると、どうしようもない羞恥心が襲って来た。

「いい年こいて何やってんだか……」

 親父さんの言うとおり、俺はまだガキだ、と、自嘲した。

 コンビニでビールとスポーツドリンクを、ドラッグストアで湿布と傷薬を買ってアパートに帰った。

 階段を上がって自室の方を見ると、光子(こうこ)が自分が持っているのと同じドラッグストアの袋を持って座り込んでいた。

 由貴は、少しだけたじろいで立ち止まってしまった。

「……お前、ガッコは? 何でいるの?」

「うん……学校は、サボっちゃった。加奈子ちゃんに代返頼んだからだいじょぶ。休み時間にこっそりメルチェックしたら冴子さんからメール入ってて居ても立ってもいられなくなっちゃって……。ごめんね、その傷、パパなんだって?」

 申し訳なさそうな、心配そうな目で自分を見る光子を見て、自分の中の先日の拘りがどうでもよくなった。

「ま、とりあえず鍵開けるわ。中で話そう」

 と光子を招きいれた。


 顔を洗って無精髭を剃っている間、光子が買い物の片付けとお茶の用意をしてくれた。暫く離れている間に、随分手際よくなったなぁ、と、鏡に映し出される光子を見て感心した。店でも、随分と気働きが聞く様になり、後輩たちが助かると喜んでいたことを思い出した。

 光子は、長い髪をポニーテールに結わい、制服のブレザーを脱いで袖まくりをした。

「はい、じゃ、座って? 先に手当て、してあげる」

 手当てをしながら、光子は穏やかな口調で話し始めた。

「パパに、私の進路の事、前向きな話をしてくれたんでしょ。ありがとう」

 由貴の左頬に消毒をする手が、そのままそっと由貴の頬を撫でた。

「私が将来、パパに残されても生きていけるように、って、説得もしてくれたんだってね」

 右目にあてがったガーゼを、顎で固定しながら両手でテープを切り取った。光子の唇が、かすかに由貴のおでこに当たる。

「パパが、専門学校への進学を認めてくれた、って冴子さんからメール来たわ。由貴のお陰よ、ありがとう」

 顔を由貴の目から離してテープで固定すると、そのまま右の頬にかすめる様にキスをした。

 不可解な焦燥感が由貴を襲った。

 目の前の女が、光子とは思えなかった。我侭で世間知らずで子供のように頼りない光子と、今目の前にいる光子とは、まるで別人だった。その目は、自分を兄のように慕い縋る様な、これまでの様な憧憬の瞳ではなく、自分の本性を見透かすような、哀れみを伴う、屈辱的な視線だと由貴には感じられた。

 それは、『大人』の視線だった。

 由貴は素早く光子を抱き込むと、髪を結んでいたリボンを解いて彼女の両の手を後ろ手に縛り上げて押し倒した。

「だから言っただろ、“叔父さんみたいな悪い奴には気をつけろ”って。来んなっつったのに来るお前が悪ぃんだからな。俺を馬鹿にすんのもいい加減にしろよ」

 瞳をより大きく見開いて驚くいた顔をしている光子の顎を、舌を噛まない様に右手で掴んで開かせた。捩り込むように自らの舌を口に押し込み掻き回すように光子を貪った。

「ん……っ!」と身をよじって逃げようとする光子の腰を捉え、左腕で力強く自分に密着させて固定する。

 スカートがはだけ、露になった大腿に感じる由貴の体温を感じると、羞恥のあまり光子の目が潤んだ。自分の中のどす黒い物を引き裂くかの様な攻撃性で、由貴が光子のシャツのボタンを食いちぎった時、光子が小さな声で呟いた。

「そうやって逃げても、私、逃がしてなんかあげないから……」

 由貴の動きが、止まった。

「……何……?」

 初めて光子の顔を見ると、先程の噛み付くようなキスで、光子の唇が切れ血が滲んでいた。

「私、ずっと思ってた。由貴は、いつになったら私を子供扱いしないで大人としてみてくれるんだろう、って思ってた。わかったの。由貴は、私の事を見てる余裕がないだけだ、って。嫌いな自分を見て逃げてるばかり。私がどう思っても、由貴がそのまんまの由貴を受け容れられない限り、寂しい気持ちからは逃げられないわ。私、逃げてなんかあげない。取り残されるのが怖いから、って、自分から切り捨てようとこんな事したって、私は由貴から逃げてなんか、あげないから」

 そう言い終えると、既に由貴に解放された上体を起こして、彼と向き合った。緩んだリボンから両手を引き出すと、その手をそのまま由貴の頭に廻し、自らの胸に抱きこんだ。

「ねぇ、由貴、私たち、ずっと一緒だったのよ。この七年、由貴は独りぼっちなんかじゃなかったのよ?」

 そのままの由貴が、私は好き、と、光子は由貴に囁いた。

 由貴は、光子の胸の中で、溢れる涙が止まらなかった。抱かれるままに、脱力したまま、ただ涙を流し続けた。


「ねぇ、何で急にそんなにオトナになっちゃったの、お姫サマ」

 泣き腫らした目から涙を拭い光子から身体を離すと、照れ臭そうに距離を置いて、膝を抱えて体育座りで煙草を口に咥えた。

 くす、と微笑んで、光子も姿勢を正して座った。

「パパにはナイショね。ちょこっと、冴子さんのお店でお手伝いさせてもらってたの、春休みの間」

 確かに、ただのスケベ親父のお客もいるけれど、冴子さんのお店はそれ程いかがわしいお店ではない、というのが光子の感想だった。

 色を求めて来る者もいるが、それ以上に癒しを求めて来るお客が多い事、女性客もいる事、母や姉など、母性を求めて甘えに来る男性客など、寂しがりや孤独を紛らせに来る者など、心が飢えている人が多かった。話を聞いていると、自分の幼さを感じる事が多く、また自分を見つめる勉強にもなった、と語った。

「私って、甘えん坊だと思っていたけれど、実はとってもお節介の世話好きだったみたい。私が幸せ、って感じる事って、自分のした事で誰かが元気になっていくのを見る事みたい、って、お客様に教えていただいた気がするわ。お姫様、っていうより、本当はお姫様付の侍女タイプだった、って事」

 そう言ってにこりと笑うその笑顔は、自分を肯定的に受け止める、自信に満ちた笑顔だった。

 ずるいな、と由貴は思う。

 まだガキの癖に、俺より先に成熟してしまって。

「……置いてくなよな、俺よりガキの癖に……」

 不貞腐れた態度で煙草の火を消して寝転がった。

 可笑しくて堪らない、といった様子で光子が笑う。

「私、今は冴子さんが由貴を見ると意地悪したくなっちゃう気持ち、解るかも。由貴って、ホント、カワイイね」

 むかつく! と由貴が投げた枕をキャッチして、また笑った。

「私、そういう由貴も大好きよ」

 言葉に詰まる由貴だった。

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