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01. 始まりの日

 一.


 ここはちょっとお洒落な街の一角にある、ちょっと小洒落た美容室。

 由貴(よしたか)は、自分を指名した客を確認すると、露骨に嫌な顔をした。

 彼は、この客が苦手だ。自分を「ユキちゃん」と呼び、彼ご贔屓の女性客の“笑顔がステキなヨシタカくん”のイメージを滅茶苦茶に崩壊させてくれやがる、由貴の弱点的存在だからだ。

 今日も「やほー、ユキちゃん、いつもの通り、よろしく」と、他の客をどん引きさせている事を意にも介さず直接由貴に指名して来た。

「……っしゃいませ……」

 如何にもかったるそうな顔で、由貴は彼女を上階の個室に案内すると、彼女専用のケープをセットし、仏頂面で懇願した。

「頼むからさ、いい加減に“ユキちゃん”は……せめて店では止めてくれよ、冴子」

 由貴は客がどん引きして指名が減ると訴えた。

「アンタも水商売してるなら、指名の貴重さが判るだろう」と、最後は懇願というよりも理解していないと批難する口調になっていた。

「そうねえ……ユキちゃんが、私を“お姉サマ”と呼ぶなら、考えてあげてもいいかしら?」

 意地悪そうな笑みを浮かべて、冴子は鏡に映る由貴に向かってウィンクした。

「……誰がお前みたいな汚ねぇ奴……」

 と由貴が言いかけたところで、入り口のドアが勢いよく「バタン!」と開いた。

「由貴! 私、今日から由貴んトコに住む!!」

「はぁ?!」

「へ……?!」

 突然の乱入者の、これまた突然の珍宣言に、姉弟は同時に素っ頓狂な声を上げた。




 二.


 乱入者の名は、高橋光子。「みつこ」と書いて「こうこ」と読む。由貴の常連客の一人にして、……何とも言えない複雑な関係。

 まだ女子高生の光子(こうこ)が何故こんな場違いに高級な美容院の常連なのか、と言えば、父親が自分一代で築き上げた大手建設会社の社長であり、その彼が目に入れても痛くない程の愛情を注いでいるたった一人の愛娘だからだ。

 父親の後妻である冴子が、光子にこの店を教えてやった経緯で、光子もまた由貴をご指名の上客となっている。

 受付で冴子が指名客と聞いて、遠慮なく飛び込んで来たのであろう。

 目が点になっている由貴を放置して、冴子がケープを外して席を立ち、顔を真っ赤にして息を切らしている光子をソファに促した。

 光子は大きなボストンバッグを抱えて出て来た様だった。

「こーこちゃん、どうしたの、この荷物。またパパと、喧嘩かしら?」

 このところ、光子は父親と険悪な関係が続いていた。所謂反抗期と言われるもので、何かと干渉する父親と対立していた事を冴子は気に病んでいたのだった。

 光子は冴子の穏やかな声を聞くと、次第に落ち着きを取り戻し、気が緩んだのか、しくしくと泣きながら語り始めた。

 エスカレーター式の高校を卒業後は、そのまま女子大へ行かず美容関係の専門学校に行きたいと言って反対された事。理由を問い詰められ、父親に大激怒された事。反抗心から、「自分一人でも生きていける!」と制止も聞かずに飛び出して来た事など。

「は……ん、それで、ユキちゃんの所に転がり込んで修行、って考え付いた訳ね?」

 冴子は意味深な笑みを浮かべながら得心した。

「――だからどーしてお前らはいつも俺を問題に巻き込むんだよ……」

 成り行き上、その場で一緒に聞くしかなかった由貴が、事の次第を聞いて床に跪き両手をついてがっくりとうなだれた。

 冴子は額に人差し指を当て暫く考えた後、一人得心した様にうなずくと、光子の肩を抱き寄せ頭を撫でながら、優しい声で諭した。

「いいわ。私がこーこちゃんを預かっている事にしときましょ。私の事務所で一緒に寝泊りしてる事にしておけばいいわ。その代わり、パパより先に音をあげちゃ駄目よ。私がパパを説得するまで、由貴に色々教わんなさい。この子なら、私も安心して預けられるから」

 パパにこーこちゃんの本気を判って欲しいなら、自分で生きる力を養いなさい、と勝手に話を進めている冴子に、すかさず由貴が食って掛かった。

「おいこらちょっと待て。今、“預かってる事にしておく”って言わなかったか? マジで預かれよ!」

 それはそうだ。由貴には仕事がある。冴子を通じて光子とは叔父と姪の間柄とは言え、そう年齢が遠いわけでもない。うら若き二十代男の一人暮らし、冴子の気紛れで子守を押し付けられ、あ~んな事やこ~んな事も、我慢我慢の毎日になるのか……?!

『……って、冗談じゃねーぞおい!』と、男なら誰でも由貴と同じ雄叫びを上げるだろう。

「あら、アタシだってこ~んなオイシイ機会を逃す筈ないじゃない? 久々に、独身気分を謳歌させてもらおーっと」

 コントの様なやり取りをしていると、冴子の携帯電話が鳴った。

「ユキちゃん、ぷりーず」という冴子の声に促され、渋々と由貴が冴子にバッグから取り出した携帯電話を渡した。

 電話の主は、光子の父親だった。今すぐ、相談したい事があるので自宅の方に帰って来て欲しいという彼に、快諾の返事をして冴子は電話を切った。

「んじゃ、そういう事で、後は宜しく、由貴」

 冴子は珍しくそう由貴を呼び、光子を託すと、何の施術も施さないまま自らコートをクローゼットから取り出して羽織った。

「店長にアンタの時間を買わせてもらっておくわ。ごゆっくり」と言いながら出て行った。


 取り残された二人に、気まずい沈黙が漂う。

 由貴にしてみれば、自由気ままなこれまでから、いきなり子持ちやもめの様な状況に身を置かれ、しかも、相手が相当な世間知らずのお姫サマと来ている。更にその父親が由貴にとってはただならぬ間柄の人間である。

 かと言って、鬼姉・冴子の絶対命令には、幼少期のトラウマで逆らえない。

 しかし、この状況は「娘命!」の親父殿から見たら未成年者略取というハンザイになるんじゃないか?

 などなど、いろんな不安と妄想が錯綜していた。

 光子は光子で、先ほどの興奮状態がおさまったら、自分の発言が恥ずかしくて溜まらない。

 思いつくまま咄嗟に義理の叔父に当たる由貴の名を出したはいいが、全く相手の意向を無視した我侭に、今頃自分で気がついたのだ。

 フォローしようにも、よりによって父に直接宣言してしまった為、どう考えても由貴に迷惑を掛ける事態を避けられない状況に、墓穴を掘った事を自己嫌悪していた。

「冴子さん、何で行っちゃうの?!」と心の中で冴子にあらん限りの文句を言っていた。

 先に沈黙を破ったのは、由貴の方だった。

「あのさ……自立したいって気持ちはわからんでもないけど、何でそこに俺を巻き込む訳よ……」

 姉貴には、ねーちゃんみたいな母さんみたいな感覚で、親しんでいたから判るけど、俺はこれまでも姉貴の付録みたいなもんだっただろ、と由貴は光子に無関係である事を主張した。

 みるみる光子の瞳に涙が溜まり、あっという間にぽろぽろと溢れ出した。

「ごめ……なさ……だ……っ……ひくっ……私……」

 言葉にならない声で、必死で自分の気持ちを伝えようとする光子を見て、由貴は更に動揺する。

 泣かせるつもりじゃなかった。そして、泣かれる事でこんなに自分がうろたえるとは思わなかった。

 そんな自分に自分で驚いたと同時に、何故か光子の頼りなさに保護欲が湧いて来る自分の負けを覚った。

 大きく溜息を吐いて、由貴は光子の隣に腰掛けた。

 光子の頭を右腕に抱え込みながら、淡々とした声で光子に言った。

「まぁ、何とかなるでしょ。鍵、渡しとくから、先に帰ってな」

 と言って、部屋の鍵を光子に渡した。

「姉貴が親父を引き止めてる間に帰っておけよ。でないと俺がお前の親父に殺されっからな」

 と苦笑する由貴を見て、初めて光子に笑顔が戻った。

「そうだよね、パパ、銃刀免許持ってるし、趣味の刀、いっぱいあるしね」

 由貴の笑顔が、瞬時に硬直した。

「ま、マジですか……」

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