返品十二石を押しつけられた研磨師は、原石を磨き直して帰る家を得ました
机が鳴った。載っていた青緑の石が跳ね、私の前掛けへ薄い粉を散らした。
「返品された十二石、すべておまえの判定ミスだ。冬入りを待つ必要もない。今日で出ていけ、ズラタ」
ヤヌシュ親方は返品票を私の署名欄へ押しつけた。上等石を出荷したとき、その欄には親方の名があったはずだ。荷札の墨まで親方へ忠義を尽くし、売れれば主人を選び、戻れば私を選ぶらしい。
「署名しろ」
親方は、私が相手のときだけ机を叩く。十二人の買い手がいる日は、同じ手を帽子のつばへ添える。よく磨かれた使い分けだ。
私は前掛けを外し、裏返して結び直した。上等候補を入れる青いポケットが内側へ消え、不良候補を入れる灰色だけが表へ出る。
「では、もう良品を分けません」
「何を勝手な——」
「良品を選べば親方の名になり、不良品は私の名になるのでしょう。最初から全部、不良品の籠へ入れます。責任の所在が明快です」
親方の顔に、研磨前の濁りが戻った。
「それでは出荷できない!」
「はい」
「はい、ではない!」
後ろの作業台から椅子が鳴った。
「上等の乳白石を選んだのはズラタです。親方ではありません」
「紫水晶の割れ筋を見つけたのも」
「俺たちは見ていました」
三人目は言葉を呑んだ。翌月の仕事を外す、と以前言われた職人だった。呑んだ言葉まで、親方は「全員が認めた」という証言へ加工してきた。原石より人間のほうが削りやすかったのだろう。
返品石を調べに来ていたレシェクが、私の足元へ視線を落とした。前掛けの内側、逃走用の銀貨袋が紐を引いている。そこからリブシェを見た。
「共同寝所より、うちの客室のほうが暖かい。南側の部屋なら朝も早い」
リブシェが、待っていましたとばかりに腕を組む。
「職人一人のために寝室の朝日まで測る工房主は初めて見た」
レシェクの耳が赤くなった。否定はしなかった。王都では、採用前に日照量まで調べるらしい。ずいぶん手厚い設備投資である。
「温かい食事も用意する。今日はうちへ来てくれ」
「食費なら給金から引いてください」
「いや、そういう話では」
「客室は不要です。今夜は共同寝所へ戻ります。荷物をまとめる必要がありますので」
十六歳の冬、熱で選別数が半分になった日、ヤヌシュ親方は私の寝床を石炭小屋へ移した。夕食の鉢も下げ、翌月の帳面には食費の借りまで足した。
食事と寝床は、手が動く者にだけ支給される。
私はその勘定を八年守り、銀貨袋だけは前掛けの内側から離さなかった。
* * *
王都の灯花市は、夜になると花の色が増えるという。
白い花弁を透かす青硝子、蜂蜜色の灯を抱く黄薔薇、赤銅の細工に絡む深紅の蔓。そんな景色の中央に食卓を出し、音楽を聴きながら夕食を取るのが市の習わしだった。
「今夜、空いているか」
レシェクは帳面を持っていなかった。見本石も、買い付け袋もない。工房主が手ぶらとは、なかなか大胆な商談である。
「灯花市へ行きたい。二人で」
用意されていたのは向かい合う二席だった。椅子の背には金茶の小花が編まれている。灰金色の髪に合うとリブシェが言い、レシェクが選び直させた花だそうだ。
なるほど。商品の横に研磨師を座らせれば、加工実演の宣伝になる。髪と花の色まで揃えるとは、王都の販売施策は細かい。
「販売のための同伴なら、リブシェのほうが適任です」
私は花飾りをリブシェの作業台へ置いた。
「私はまだ、そちらの工房の石を全部見ていません。今夜中に分類します」
「販売ではない」
「でしたら、なおさら私が席を使う理由がありません」
レシェクは口を開き、閉じた。石なら光へ向ければ内包物が見えるのに、人間は不便だ。
リブシェは花飾りとレシェクを見比べた。
「私と行く?」
「行かない」
「でしょうね」
灯花市の二席は取り消された。
私は工房に残り、乳白色、薄紫、葡萄茶の原石を三十八個に分けた。仕事はたいへん進んだ。
レシェクの予定のほうは、一歩も進まなかった。
* * *
「日没までだ」
ヤヌシュ親方が差し出した書面には、私が十二石を上等品と誤判定し、独断で加工したと書かれていた。
「署名しなければ、今月の給金は出さん。寝床も今夜まで。紹介状にも、命令違反と書く」
給金、寝床、次の仕事。三つを一本の紐で縛り、私の首へ掛ける。親方は昔から梱包が上手だった。
「ズラタが署名する前に、荷札を見てください」
レシェクが机へ置いたのは、剥がされた古い荷札だった。私の三角印が残っている。その上へヤヌシュ親方の丸印を貼った糊跡が、斜めの光で艶めいた。
次に仕入れ帳が開かれた。ひとつの取引の中に、私が選別した上等石と、返品後に私の名を足された不良石が混じっている。
「事務上の行き違いです」
親方は帽子を取った。商人組合の検査役ラースローが入ってきたからだ。机を叩いていた手は、ずいぶん行儀よく膝へ収まっている。
「同じロットの未加工石は」
「保管庫に六石あります」
レシェクが答えた。
「元の荷札は」
「ここに」
「仕入れ時の重量記録は」
「帳面のこの欄です」
ラースローは一つずつ確認し、返品石へ布をかけた。
「公開検品を行えます。三工房の職人と、この取引に関わった十二人の商人を呼ぶ。ただし再研磨で失われた重量は戻りません。石の価値がなくなっても、組合は補填しない」
ヤヌシュ親方が鼻を鳴らした。
「こいつに任せれば粉になる。だから私が判定を直してきたのです」
利益の出た石には自分の名を残しながら、私を誤判定者と断定する。濁りではない。これは混ぜ物だ。
私は布の下の石へ指を置いた。厚みが残っているのは一石だけ。表面に油を塗り、色むらを隠してある。削れる場所は一つだった。
「公開再研磨を求めます」
「ズラタ」
レシェクの声が低くなった。
「失敗すれば、削った重量も信用も戻りません」
「承知しています」
銀貨袋が前掛けの裏で腿に当たった。失敗しても、三日分は食べられる。四日目からは節約だ。五日目は考えない。人は計画に空白を残すことで勇敢になれる。
「私が削ります。全員の見ている前で」
ラースローが書面を返した。
「では、その責任認定書へは署名しなくてよい。日没までに署名するのは、公開検品の実施同意です」
親方の指が止まった。
今度は親方のほうに期限がついた。
* * *
検品台は北窓へ移された。
午後を通して光の色が変わりにくい場所だ。白布の上には、青緑の返品石が一つ、未加工石が六つ。元荷札、仕入れ帳、出荷時の重量票は、それぞれ別の立会人の前へ置かれた。
三工房の職人が壁際に並び、十二人の商人が半円形に椅子を置いた。中央にはラースロー。ヤヌシュ親方の椅子は、私の正面だった。
私は未加工石を一つずつ北窓へかざした。淡い青の奥に、細い銀色の内包物が斜めに走る。冬の枝へ朝日が絡んだような筋だ。六石すべて、角度はほぼ同じだった。
返品石にも、その筋がある。ただし表面だけが不自然に濃い。深い湖色の下で、細かな傷が油に塞がれている。
「削るのは、ここです」
蝋筆で端に印をつけた。
「なぜ中央ではない」
ラースローが訊く。
「中央から入れば色は早く確認できます。ただし、産地を示す銀色の内包物まで切れます。照合できなくなります」
「他に削れる位置は」
「ありません。この厚みで傷と内包物を同時に残せるのは一点だけです」
「外せば」
「石の価値も、私の主張も失われます」
商人たちの指が帳面の数字をなぞった。誰も励まさない。ありがたい。刃の角度は声援で決まらない。
ヤヌシュ親方が、壁際の若い職人へ顎を振った。
「おまえが説明しろ。ズラタがあの石を持ち出し、勝手に——」
「今はあなたが答える席です」
ラースローが遮った。
親方の語尾が消えた。
「この荷札を外したのは誰ですか」
「私は工房を守るために——」
「誰ですか」
「管理上の判断です」
「誰が外した」
「……私です」
若い職人が片手を挙げた。
「荷札が外されたのは七日前、夕刻の鐘のあとです。私は見ていました。言えば翌月の仕事を外すと言われ、黙りました」
もう一人が続く。
「その翌朝、上等石には親方の丸印がついていました。返品石へズラタの名を書き足したのは昨日です」
三人目は帳面の余白を指した。
「親方に、全員が判定を認めたと書けと言われました。俺は書いていません。でも止めませんでした」
ラースローは三人の名を証言欄へ記した。黙っていた期間も、別の欄へ載せた。
ヤヌシュ親方は帽子を胸へ押し当てた。
「私がこの者たちを育てたのです。未熟な徒弟を守り、損失を引き受け、工房をここまで——」
「過去の恩は、現在の重量を変えません」
ラースローは仕入れ帳を閉じた。
私は研磨皿へ水を落とした。粉を混ぜ、砥石の回転を確かめる。青緑の石を留め具へ固定すると、指先へ低い震えが伝わった。
そのとき、レシェクが私の横へ来た。帳面も証拠袋も持っていない。
「決着のあとも、私の工房へ来てほしい」
「採用のお話なら、検品後に」
「採用だけではない。石を磨かない日も、同じ家にいてほしい。食卓に君の席を置きたい」
十二人の商人を前にした証人の確保とは、ずいぶん長期の契約だ。
「証人を置いておく費用なら、判定の日までで足ります」
「費用ではない」
「住居も不要です。結果が出れば、私は一人で移れます」
レシェクの手が、空の腰帯を握った。いつも鍵束を下げている場所だった。
「……わかった。今は削ってくれ」
引き止めなかった。
砥石が回る。
石を当てると、最初は油だけが黒い筋になって流れた。私は圧をかけず、四分の一ずつ向きを変える。薄い外層が曇り、青緑の粉が水へ混じった。
「色が落ちている」
左端の商人が身を乗り出した。
「まだ染色とは確定しません」
私は石を水へ浸し、白布で押さえた。布に青い輪がついた。花びらの縁へ夕闇が染みたような、鮮やかすぎる色だった。
ヤヌシュ親方が立ち上がる。
「その女が今、色粉を混ぜたのだ!」
ラースローが研磨粉の器を取り、別の白布へ広げた。灰白色。水差しも無色だった。
「座ってください」
「こいつは昔から手癖が——」
「座るか、退席して検品放棄を記録されるか、どちらです」
親方は座った。椅子だけが大きく軋んだ。
私はもう一度、石を砥石へ当てた。
あと爪一枚分。ここから圧を誤れば、銀色の筋まで落ちる。
指先へ来る震えが変わった。外層より硬い面に触れたのだ。私はすぐ石を離し、洗い、北窓へ向けた。
湖色の膜の下から、細い傷が三本現れた。
一本は浅く、二本は途中で角度を変えている。原石の割れではない。回転皿へ斜めに噛ませたときにつく研磨傷だった。しかも傷の上から染料が入り込んでいる。染める前に、誰かが削っていた。
「拡大鏡を」
ラースローが受け取り、十二人の商人へ順に回した。
「この筋は、ズラタの作業だ!」
親方の声が戻った。反撃しない職人へ命じるときの太さだった。
「私はこの石を削っていません」
「証拠があるのか!」
「あります。親方がお持ちです」
「何を——」
「仕入れ時の重量は十八・四カラット。私の選別票にも同じ数字があります。今は十七・八。親方の工房で使う粗い皿なら、この三本の傷をつけた時点で少なくとも〇・四は落ちます。残り〇・二が、今の外層です」
ラースローが出荷票を持ち上げた。
「出荷時の記載は十八・三。傷をつけたあとに測ったなら、数字が合わない」
「帳面の誤記だ!」
「では、作業時刻は」
若い職人が答えた。
「六日前の昼です。親方が赤銅の皿へ載せました。ズラタはその時間、保管庫で未加工石を数えていました。俺と二人で」
「恩を忘れたのか!」
「質問にだけ答えてください」
ラースローの声は変わらない。
私は未加工石を返品石の隣へ並べた。銀色の内包物は同じ向き、同じ細さで光った。染色を落とした返品石だけ、端の色が薄い。産地の特徴を残しながら、偽装だけが剥がれていた。
よろしい。石は口が堅いが、嘘の保管には向かない。
ラースローが三本の傷を職人たちへ見せた。
「加工の判定を」
一人目の職人が傷の角度を見た。
「ズラタはこの向きへ粗い皿を当てません。内包物を切るからです」
二人目が、剥がされた三角印の荷札を持った。
「この良品を選んだのはズラタだ」
三人目が仕入れ帳へ指を置いた。
「この良品を選んだのはズラタだ」
壁際にいた職人たちが、一人ずつ口にした。
「薄紫の石もズラタが選んだ」
「乳白石の割れを避けたのもズラタだ」
「青緑の上等石を分けたのはズラタだ」
奪われた仕事が、一石ずつ名をつけ直されて戻ってくる。
十二人の商人が立った。
最初の一人が、自分の椅子をヤヌシュ親方から半歩離した。
「次月の買い付けは中止する」
二人目も離した。
「委託販売を終える」
「未決済品は組合預かりにする」
「監督印の品は再検品へ回す」
「今後の取引はしない」
木の脚が床を擦る音が、十二回続いた。
半円の端が閉じ、ヤヌシュ親方の周囲だけが空いた。
「待ってください。長年の付き合いがある。私は工房を守ろうと——」
帽子を胸に当て、親方は一人ずつ見回した。誰も椅子を戻さない。
胸の奥で、八年分の研磨粉が一度に落ちた。ざまあみろ、は少々下品なので口にはしない。粉と一緒に捨てておく。
ラースローは監督資格証を机へ置かせた。親方が拒むと、二人の商人が証人欄へ署名した。
「本日付で資格を取り消します。受領印を」
「異議を申し立てる!」
「可能です。資格証を返納し、取引記録を提出したあとで」
親方は親指を、赤い印泥へ押しつけた。受領欄に指紋が残る。ラースローは資格証の監督印へ太い線を引き、その場で組合の封筒へ収めた。
夕刻までに十二人の商人は取引札を回収した。
鉱山門では、守衛が親方の通行札を求めた。親方は昔の恩を語り、守衛の父親を雇った話まで持ち出したが、通行札の表には父親の名を書く欄がなかった。
金具が外れ、札は門内へ戻った。
ヤヌシュ親方だけが門外に残った。
私の決算は、翌日の夕方までかかった。
未払いの給金、私名義にされた返品記録、親方名義で売られた上等石。ラースローが数字を読み、商人が照合し、職人が印を押した。私の名は責任欄から消え、選別者の欄へ戻った。
すべてが終わると、レシェクは工房の小部屋にいた。
扉の近くへ椅子を置き、膝の上には一冊の契約書がある。机には温かい茶が二つ。仕事の帳面はなかった。
私は向かいへ座らなかった。
「私は、あなたの食事も部屋も、働ける私を保つための費用だと思っていました」
レシェクは口を挟まなかった。
「十六の冬、ヤヌシュ親方は、熱で選別数が落ちたその日に私の寝床を石炭小屋へ移しました。食事も下げました。翌月、食べなかった分まで借りにされました」
前掛けの内側から銀貨袋を出した。革紐は汗を吸い、灰色に毛羽立っている。
「だから、食べさせる、部屋を用意する、出かけようと言う、その全部に値段があると思いました。値段がないなら、あとで何を取られるのかわからなかった」
レシェクは契約書を机へ置いた。
「そう読まなければ眠れなかった日を、君の落ち度にはしない。彼が作った勘定を、これからの食卓へ持ち込ませない」
レシェクは最初の頁を開いた。
共同住居の賃借権は工房の雇用と切り離すこと。
病気や休業で出来高がなくても、居室と食費の負担条件は変えないこと。
工房を辞めても、本人が退去を選ぶまで六か月は居住権を失わないこと。
共同金庫の支出は、三人以上の確認なしに変更しないこと。
最後の欄には、レシェク、リブシェ、ほかの職人たちの印が並んでいた。一人分だけ空いている。
「私的な望みを、雇用条件にはしない」
レシェクは扉の前にあった自分の椅子を持ち上げ、壁際へ退けた。
「来なくても、君の腕への評価は変えない。断っても、今日の証言は変わらない。選ぶのは君だ」
扉まで、まっすぐ道が空いた。
私は契約を最初から読み直した。小さな文字も、裏面も、訂正印も見た。逃げ道を探すためではない。残る道が本当にあるか確かめるためだ。
「灯花市は」
「君と行きたかった」
「販売ではなく」
「販売ではない」
「判定精度の維持でもなく」
「違う」
レシェクの耳が、また赤くなった。
好意と雇用を別の勘定へ置く。私には初めての仕分けだった。
扉の外で、何かが床を擦った。リブシェが中央の椅子を引いている。
「夕食、冷めるわよ。中央を空けたから、契約を読んでから来なさい」
「まだ押すとは」
「押さなくても一皿は置く。押したら明日も置く」
「明日は仕事を休む予定です」
「なら、朝食も置く」
条件が悪化しない。恐ろしい契約だ。
私は銀貨袋を握った。三日分。四日目から節約。五日目は考えないための銀貨。
共同金庫の蓋を開けると、中には皆の袋が並んでいた。赤い革、紺の布、花模様の刺繍。私の灰色の袋を端へ置くつもりだったが、リブシェが外から手を伸ばし、中央へ寄せた。
私は自分の印を朱肉へ置いた。
契約書の空欄へ、三角の印を押した。
その夜、中央の席には白い豆の煮込み、焼いた根菜、金色の皮の丸パンが並んだ。私が遅れても皿は下げられなかった。
翌朝、私は仕事を休んだ。
昼まで眠り、夕方に外へ出た。戻ると窓には蜂蜜色の灯がともり、扉の内側から研磨皿を洗う音と、リブシェが鍋の塩を入れすぎたと騒ぐ声がした。
「ズラタ、遅い!」
中央の椅子が引かれた。
仕事をしなかった私の前にも、昨夜と同じ皿が置かれていた。




