しあわせのうた
「なんで私だけがこんな最低な」
私は息を吐いた。
ゴミまみれのアパート、机に突っ伏している。
卓上には食べ捨てられたカップ麺。
『みんな』
まただ。さいきん、幻聴が聴こえるようになった
「ダメなんだよな」
ひとり、つぶやいた。
◇
「なんかさ」
マックの店内。テーブル席。
私はいった。
「なんかさ」
もう一度。
「なんだよ」
目の前にいた、友人の希土氷織が苦笑混じりに。
「なんかこう、満た──」
視界がぶれる。
「みた、ミタ、満たされないんだよね」
そうだ。高校は中退した。だが、私、雨宮優里という女には学もない、頭も悪い。だが、世の中稼ぎ、食っていかねばならない。とは言ってもだ。売春などもってのほか。そもそも、自分の身体は貧相だし、タバコを吸っているせいで口臭もする。
仕事は、誰にでも出来る配達業。とは言っても、その働きぶりはよろしくないらしい。私本人は俗に言う<クズ>みたいで、自分のことは<まだ手遅れじゃない>と思っているし。
以前、ウーパーイーツでは配達中に腹が減り、つい<魔>がさして寿司をつまみ食いし客に怒られ、親方にクビにされ、アマゾソの配達では中の機っ、高い機械を壊してしまい、客に<また君か>と呆れられる始末だ。
生意気なガキにはパンチ。生意気な女にもパンチ。
強そうなやつには──土下座だぜベイベー。
そんなふうにその場しのぎで好き勝手生きてきて、もう二十一だ。
将来が不安になる。
「また洗濯して……」
独りごちると、
「どうしたんだよ」
希土が顔を上げる。
『なんでも』
幻聴。
「小指、短いんだよね」
銭の形をさせた手を見せる。希土は<はぁ?>と言った顔をしているが。
「毎日働いて」
私は、希土を鋭く見た。こいつはまだ大学生。気楽なものだ。
「働いて」
その目。
「働いて、働いて、じっと手を見る。働いて──」
タバコを取り出そうとするが、既に切らしていた。憂さ晴らしするように、くしゃりと丸める。
「タバコ切らすしさ」
コーヒーのカップを持つ。
「働いて──」
飲む。私はげっ、と眉を顰め、
「ここのコーヒーまずいしさ」
卓上にべっ、と吐き捨てた。周りの人の目。希土が苦虫を噛み潰したような表情をする。気にしない。
「いやでもさぁ」
丁字路に自分がいる。幻覚か?
「はた、はた、はた……働いて──」
また視界が歪む。
「働いて」
今度は遊園地。希土と観覧車に乗っている。
「じっと手を見ると」
私は、自分の手を見る。
「小指短いんだよね」
銭の形にした。
『なんで』
幻聴。
「彼氏もいないしさ」
「車もないだろ」
希土に突っ込まれる。
「いや、でもさぁ……」
言い訳を続けた。
外。
タバコの自販機。
年齢確認をし、小銭を入れてボタンを押す。
「お、お、押せば、タバコ買えるし」
ハイライトの箱が落ちてきた。
◇
家の部屋。安物のテレビ。
「テレビ、毎日、まいにちやってるし」
だが、希土は、
「つまんないよねー」
「え?」
「ドキュメンタリーも、深アニも」
「あぁ、ばかかよ」
歪む。
『しあわせは』
幻聴だ。うるさい。
「ほら」
希土がぽん、と手を叩く。
「でも刈谷だって、刈谷だって小指短いだろ」
「でも、ギター上手い」
「そうだったな」
配達先で知り合った女のことだ。どういう巡り合わせか、希土の友人らしい。今じゃ、こいつも友人なのだが……。
蛇口。手をかける。
「捻ればぁ、ひねればぁ」
回す。
「世の中楽しいこと」
希土が何か言っている。無視する。
「水、みず、ミズ出るし」
蛇口からの水。流れる音。排水口に吸い込まれていく。空虚だ。
「楽しいこといっぱいあるぜー」
希土の熱弁。聞こえない。
希土は立ち上がり、窓を開ける。
「見ろよ青い空!」
「AVジョユーか?」
「違ぇよ」
笑われた。
「キーボードってやつ?」
私は、目の前のキーボードを叩く。音が出る。
「働いてはたらいて。ハタライテ──」
いつまで続くのか、この苛立ちと不安。
◇
「最初はAだ」
刈谷だ。アコースティックギターを持ち立つ。この女は私と違って、ミュージシャンになるという希望に満ち溢れている。
「しあわせのうたを」
ジャン、と弦を弾く音。
「今」
希土も続けた。
「そしてDだ」
刈谷は弾いたまま、
「きみにうたってあげるよ」
「だろー? だろー?」
希土が、ニヤケつつ。やめてくれ。
「で、しあわせに」
「~~~っ!」
突如、脳裏に思い浮かぶ。
『しあ』
俯く。
『わせの』
ああ、そうか、やっとわかった。
『うたを』
あの幻聴は。歪みは。
コイツらが、私に──。
『きみにうたってあげるよ」
リンクした。現実だ。泣くな。私は、もう大人なんだ。
アコギの音色がアップテンポになる。
「しあわせのうたを ふたりのために」
「お年寄りには席をゆずろう!」
希土の謎の合いの手。
「ぷっ」
思わず笑いがこぼれた。
「しあわせのうたを 雨の日も 風の日も」
ジャァン、とリズムの速度が上がる。ふたりの声が重なる。
「しあわせのうたを みんなのために」
夜。こいつらが演奏している姿が見える。
「僕ら毎日働いてつら~い」
なんか……。
「マックのコーヒーまずくてつら~い」
なんか、わたし。
「彼氏に振られ雨に振られ……」
刈谷の歌声に、
「つらァァァァァイッッッ!!!」
私も叫んでいた。
刈谷も希土も笑い、速度を上げる。
「とにかく何でもかんでも つら~い」
花畑。
「だけど~~~~ォッ」
サビだ。盛り上がる。
「泣いてばかりいたって しあわせはこないから 思い通りにいって──」
◇
私は、道路のど真ん中を歩いていた。
「渋滞がどうしたっ!」
車が渋滞し硬直状態が続いている、その真ん中をずかずか歩く。
満員電車。朝早くから乗り、周りのスーツのリーマン達に叫ぶ。
「毎日通勤ご苦労さまでーすっ!」
渋滞した道路。
「道路公団も確かに悪いがっ! みんな頑張れっ!」
満員電車。
「ラッシュでも頑張れっ! 家族のために頑張れっ!」
脳裏に、ギターのエッジの聴いた音。
『しあわせのうたを』
なんか、
『きみにうたってあげるよ』
「上場企業に行きたいかーっ!」
ものすごく。
『しあわせのうたを』
「出世して成り上がりたいかーっ!」
そんな。
『雨の日も 風の日も』
きもち。
『しあわせのうたを』
空を見上げた。
『みんなのために』
花畑。
『みんなのために』
もう、ふたりの姿は見えない。
『みんなの』
ブー、というノイズ。
街中。交差点。
人通りの多い街を、叫びながら歩く。
「みんな頑張れっー! つらくても頑張れーっ!」
とにかく。
「ひとりでも頑張れーっ! 痛くても頑張れーっ!」
あれだ。
「寒くても頑張れーっ! 悔しくても頑張れーっ!」
みんな。
「歯を食いしばれーっ! 頑張れーっ! 頑張れェェェっ!」
かんばれ。
◇
気付けば、高いビルの屋上にいた。
高所から街中の景色を一望できる。風が気持ちいい。
「あっ」
気づく。振り向く。
いた。ふたり。希土と、刈谷。
息を吸う。
ジャン、と弦の音。
『ために』
幻聴じゃない。
そのまま二度、三度。ピックが弦を弾く音。
音の度に、脳内に色んな景色が見える。
「なんか」
街中。日差し。遊園地。花畑。公園。吐いたまずいコーヒー。花畑。交差点。花畑。
「わたし」
目の前のふたりが、焦った顔をしている。
こっちに走ってくる。なんでだろう?
強風が身体を切る。少し強いかな。
「しあわせだ」
私は笑った。




