ラベリング
20XX年、日本に【ラベリング制度】が導入された。
年齢性別から能力に至るまで、ありとあらゆる要素をデータベース上で分類し、制度やサービスを満遍なく行き渡らせるための基準にしようというのである。
公正公平な国家運営という御題目のもと、この制度は日本に浸透していく。
そこそこ名の知れた大学を卒業して、それなりの会社に入社。今もその会社に勤めて可もなく不可もない、平々凡々の生活を送るAにも、それに相応しいラベㇽが付与された。Aの両親は【ラベリング制度】が導入されるよりも前に亡くなり、兄弟姉妹もいない。天涯孤独というやつだが、気楽なので悪くない。
【ラベリング制度】が導入された時も、Aは気楽に、能天気に考えていた。
「国のお偉いさんのすることは分からないが、悪いようにはしないだろう」
異変が起こったのは、世界中で食糧不足が叫ばれるようになった頃だった。
ありとあらゆる手を尽くし、どうにもならないと判明した時。
日本政府は【ラベリング制度】を根拠とした食糧制限の実施を決定した。
要は、どうあがいても一枚しかないピザをより多くの人間達に分けるために、細かく切り分けようというのである。
では、誰に小さなピザで我慢してもらうのか?
白羽の矢が立ったのは、回復の見込みのない病人や老い先短い老人達だった。
公式にそれが発表された時、病人の家族や老人を支援する人々から抗議の声が上がった。 だが、国難の前にその抗議は虚しく、逆に抗議などけしからんと鼻息荒い人間達の攻撃の的になって、最後には抗議そのものがなくなった。 こうして、日本政府の決定に異を唱える人達はいなくなり、病人や老人達は静かに命を終えていく。 彼らと密接に関わる仕事に従事していた人達も、職を失う羽目になり、次の職探しに奔走する。 この時Aは、マンションの一室で自由な食事を楽しみながらそのニュースを耳にして、こう考えていた。
「可哀想だけど、非常事態だから仕方がないね」
食糧不足に改善の兆しがないという事で、二回目の食糧制限が実施された。
制限の対象になったのは、障がい者達だった。
元々国の制度で手厚く支援されていた障がい者という存在そのものが気に入らない人々にとっては、これ以上ないほど喜ばしい決定だったことだろう。
国家が「障がい者は不要」という太鼓判を押したようなものなのだから。
病人や老人達を排除した時以上の速度で高まる、障がい者不要論。
SNSでは特にそれが酷い。 その酷さたるや、無関係のAが見ても気分が悪い。
毎日のように報道される、障がい者やその家族の自殺。
それでもAは、報道を見て何とも思わなかった。
だって、自分には小指の先ほども関係のないことだったから。
【ラベリング制度】のもとに社会的に弱い立場の人々を切り捨てて、日本の経済と食糧事情はやっと落ち着きを見せてきた。 この頃には、時代にそぐわないとして人権ごと福祉制度が過去のものとなり、何が起ころうと自力救済が当たり前になっていた。
(食糧事情が落ち着いたなら、これからもこの生活は続いていくだろう)
何の根拠もなくそう信じていたAは、郵便受けに届いた一通の手紙でそれが間違いだったことを思い知らされることになる。
『食糧制限実施のお知らせ』という、借金の督促状かと勘違いするほど派手な封書。
いっそ、借金の督促状のほうがましだった。
自分が、切り捨てられる側になったなんて、信じたくなかった。
また深刻な食糧不足に陥らないようにと、予防的に実施された食糧制限。
そこで、遂にAは切り捨てる側から切り捨てられる側になった。
Aを心配する会社の同僚達からの食糧の差し入れが、切り捨てられる側になったAにとっては涙が出るほどありがたい。
(とっくの昔に切り捨てられた弱い人達も、こんな気持ちだったのだろうか)
切り捨てられる側になって、初めてAはそう考えるようになった。
自分には関係のないことだからで済ませてきた、切り捨てられた立場の人達のことを。
そもそも、公正公平とはなんだろうか?
人は、ひとりひとり違う。 誰ひとりとして、決して同じではない。
それを【ラベリング制度】で把握できる要素だけで判断し、将来ごと安く見積もるのか。
たったひとつの物差しや見方だけで判断できるほど、人間という存在は単純なのか?
この状況に陥って、Aは疑問に思った。
だが【ラベリング制度】や世間の反応に流されて、弱い立場の人々を切り捨てたのはAも同じだ。 どうでもいいと誤魔化すばかりで、明日は我が身かもしれないなどと考えもしなかった。 自分とは違う人達の気持ちを、置かれた立場を、思いやってこなかった。国ぐるみで不要と切り捨てられる屈辱を、悲しみを、考えようともしなかった。
やがて、AもSNSでの狩りの対象となった。
かつて不要と切り捨てられた、障がい者達のように。
毎日のように届く誹謗中傷に耐えきれなくなって、端末を解約し、部屋に閉じこもる。
唯一安全な部屋の中で「どうしてこんな事に」と涙する日々のなかで、無関心に切り捨ててきた人達への罪悪感がAの心を蝕んでいく。
そうしてAの足が、椅子に掛けられていく。 その先には、輪になったロープがある。
息を潜め暮らす日々に耐えられなくなったAは、自ら命を絶ったのだった。
やがて日本という国自体にも、食糧確保を理由にした国民の選別のツケを払う時がやってきた。 金持ちと天才と家柄のいい人間の三種類にまとめられるほど少なくなった日本国民。食糧供給の心配が無くなったと思ったら、国自体が回らなくなった。
農業を担う人間が、介護や看護を担う人間がいない。関連する制度を復活させようにも、そのための人員が確保できないと右往左往する羽目になっているが、当然の結果だ。
この国は、この世界は、一部の選ばれた人間達だけで支えきれるほど小さくはない。
中身のないグラスが、誰の喉を潤すことができるだろうか?
国というグラスを美しく保つことだけにこだわって、人間という中身を軽視した結果がこれだ。自ら人口を減らし、国民とはとても呼べない数にまでなってしまった。
僅かな日本人達はもうここでは暮らせないと、生まれ育った土地を離れていく。
日本を離れ、安住を求めて縁もゆかりもない国へと旅立っていく。
事実上の、日本国の滅亡だった。
(完)




