神様が告げた日に
あの日釣り上げた神様は、この日も変わらず小魚だった。
「お前、運が良いな。
俺はこの池の神だ。俺を釣り上げた褒美に、どんな願いでもひとつだけ叶えてやるぞ」
初めて魚を釣り上げた日から、二年と少しの月日が過ぎた。
「お前も明日からは、神殿の巫女になるんだな」
「お披露目の式は明日だけれど、巫女の籍は今朝の儀式で獲得済みよ」
山間の閉ざされた森の奥深く、池の畔でふたりが出会って二回目の、花咲く季節が訪れて。
「まさか、名前も知らない男に嫁ぐことになるとはね」
「語弊のある物言いは控えろよ、小娘」
「語弊はないわ、真実よ」
魚と二人で過ごしながら、考えに考え、出した答え。
少女は明日、正式に水神に仕える巫女となる。
「つーか、お前ももう、今までみたいに気楽に外出できなくなるんだな」
「いいえ、大丈夫よ。明確に外出を禁じる戒律は、存在してはいないから」
「自重しろよ。決まりってのは、やらかす奴が出る度に増えてくものなんだからな」
「折角こうして抜け出して、一生に一度の儀式用の装束を見せに来たのに、そういうことを言うのね、小魚は」
身に纏う、純白の装束の袂を揺らし、少女は微かに肩をすくめた。
「それじゃあ、一生に一度の祝いのついでに叶えてやるから、お前の願いを言ってみろ」
時折、何かのついでのように繰り返される魚の問いに、
「それじゃあ、あなたの名前を教えてくれない?」
少女はいつもと同じように、何の気なしにそう返す。
そして、幾度となく重ねてきたその言葉の応酬に、その日、魚が区切りをつける。
「俺の名は、旺珂だ」
突然の、思いもよらない魚の言葉に、少女は束の間、目を見張り、
「奇遇ね小魚、私もよ」
「……は?」
間抜けた声を出したきり動きを止めた魚から、ついと虚空に視線を移し、少女は無言で天を指す。
「私もね、どうやら小魚と、同じ名前だったみたいなの」
「同じ、とは……?」
はらりはらりと揺れながら、舞う桜の花びらを、つかまえようと手を伸ばし、
「名前が同じという意味よ。多分、音が同じなだけだと思うけど」
舞い散る花弁を諦めて、足元に落ちたひとひらを、少女はそっと摘み差し出す。
鼻先に差し出された花びらと、淡い桜の色をした、少女の髪とを見比べて。
「あぁ……桜の花、か」
呆けたように、魚は少女を見上げつぶやく。
「ねえ、小魚の名前は、どんな意味なの?」
「俺は、輝く白い玉、だな」
「綺麗な名前ね」
小さな魚が告げた名を、少女は静かに大切に、胸の内で繰り返す。
「でも、流石に自分と同じ名前は呼びづらいわね」
「そうだな。どっちがどっちか、分からなくなりそうだ」
薄紅色が舞い踊る、ひだまりの中で笑い合う。
そうして、ひとつの願いを叶えた少女は、秘めた決意を新たにする。
可能な限り、永く共にあるために。
あなたを守り、あなたの幸せを願うために。
そう強く、少女は魚を想うから。
その祈りは、消えることなく、幾久しく。
神様が釣れた日に・終
はじめは、もう少しちゃんとした異類婚姻譚のつもりで書いていたのですが、小魚の外見が小魚過ぎたからか、なんだかしっくり来ず…結果、こんな感じにおさまりました。
そして、次のおまけ小話ですが、大分悪ふざけをしております。『煮干し』という言葉に不安を覚えた方は、ご注意くださいませ。