表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

神様を釣った日に(三)

「ちょっと待て、小娘。

 一応、念のために言っておくが……この池に来てんのは、俺じゃなくて、お前だからな?」


 昇り切った太陽が真上から照りつける、池の畔のささやかな木陰で。


「ええ。困ったことに、そうなのよね」


「いや、この状況で、急に『わたしの所に来なくていい』とか言われて困ってんのは、お前じゃなくて、俺の方だからな?」


 許されるなら、このままずっと終わらせたくはないと。

 そう思っていた穏やかな時間を、その日突然、打ち切られそうになった、小さな魚は戸惑いながら。


「まぁ、そうでしょうね」


「そうでしょうねと来たか、小娘さんよ」


 こんな時にもいつもと変わらず、平然と魚を見詰める少女を見やって脱力する。


「でもね、毎日毎日、釣り上げる度に、今日こそは願いを言えと言わんばかりの小魚さんのその態度に、わたしもいい加減、辟易としているわけなのですよ」


 案の定、自分を見上げて憎まれ口を叩く魚を見下ろし、一息にそう言って。


 きちんと言葉にしなければ、こちらの気持ちを汲むこともできないのか、と。こちらも少し気抜けして、少女が大きく長いため息をつく。


 自分の願いは何だろう、と。伝説の水神とおぼしき小さな魚を釣り上げたあの日から、少女は毎日いつになく、それは真剣に考えていた。


 例えば、毎日釣りだけをして過ごしていたいだとか。

 自室から出ても、誰にも会わなくなりたいだとか。

 いっそ何もしなくても、退屈しなくなりたいだとか。


 きちんと真面目に考えて、考え続けてはいるけれど。どうしても、そのくらいしか思いつかなかった。


 しかし、それらは既に長年続けて、今日も繰り返されている、ただの少女の日常で。それが変わらないことが、誰にも邪魔されないことが、魚と出会う直前までの、少女の願いだったように思う。


「そりゃあ……まあ、それは、分からなくはないけども……」


 こうして魚と過ごしているこの時でさえ、何もしなくてもいいのなら、それに越したことはないのかもしれないと、そう思う部分は大きかった。


「だから、ちょっと一波乱起こして、この停滞気味の現状に、緩急をつけてみようと思ったの」


 少女が垂れた釣糸の先に、不意に強く吹いた風が、木の葉をひとつ水面に落とす。


「お前……当たり前のように波風立てるんじゃねーよ。

 しかも、思いつきでこんな大波を」


「わたしが思いつきで波を起こすのなんて、それこそ毎日のようにやっていることじゃない」


 風に吹かれて流れた浮子を、追って魚が右を向く。


「手で池をかき回して大波立てるのとは、明らかに種類が違うだろうが」


 魚の毎度の口上を聞く度に、魚が、少女の願いを叶えるためだけの存在であるかのように思えてきて。


 釣り上げた少女の願いではなく、ただ、釣り上げた人間の願いを叶えるだけなのだと、そう、言われているような気がしてきて。


「少し手法を変えただけで、狼狽えて怒って不貞腐れるだなんて、神様って、汎用性だけじゃなくて順応性も低いのね」


 機嫌が悪いのは、むしろこちらの方なのだと、少女は小さく息をつく。


「うるせーよ」


「お互い様よ」


 魚は、何でもないことのように言っていた。

 叶う願いはひとつだけで、彼は、再会なんて言葉は知らないのだと。


 その言葉は今も、つらく悲しく少女の中に響いている。


「それはそうと、願いごとについて色々と考えている内に、ひとつの疑問が浮かんだんだけど」


 言って少女は竿を引き、戻った浮子を受け止める。


「何だよ、疑問って?」


「小魚、毎日『俺を釣り上げた褒美に』って言ってるけど、それって、一番最初の日に釣り上げた時のことなの?

 それとも毎日の……例えば今日の、一日の始めに釣り上げた時のこと?」


「そういや、どっちだ?」


 軽く小首をかしげる少女に、問われて魚は絶句する。


「今までは全員、初日に願いを叶えてやってるからな」


 言われてみれば、魚は今まで、ひとりの人間に何度も釣り上げられたことがない。


「まあ、どっちにしても、わたしの願いが別のものになることなんて、絶対に有り得ないんだけどね」


「こんなに何度も俺を釣り上げてんのは、こいつだけだしな」


「……小魚、今のを聞いていないのは、流石に物凄くひどいと思うよ」


 天に向かった竿先を手首を返してくるりと回し、少女は諦めたような面持ちで、浮子を魚の真横に落とす。


「つーか、それはつまり、一番最初に俺に告げた願いを叶えてる……ってことなのか?」


「まったく……そうやって、好きなだけ考えてたらいいのよ、ほんとにもう」


「そう、不貞腐れるなよ。時間はまだ、いくらでもあるんだし。

 お前、明日も明後日も、晴れれば毎日来るんだろ?」


 穏やかに吹き始めた午後の風が、たくさんの木の葉を揺らして水面に散らす。


「当たり前でしょう? 雨季に入る前に、頑張って保存食をたくさん作るんだから」


 そうして、他愛なく過ぎる時間を、ふたり一緒に分け合って。


 今日も池の畔には、力強く釣り竿を掲げた気合だけは十分な少女と、未だ少しの不満がにじむ少女の視線を物ともしない、小さな水色の魚の姿。


 あの日から、変わらずふたり並んだままで。

 彼等がそれを望むから、これからもずっと。




神様を釣った日に・終

神様が告げた日に、に続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ