実は「ざまぁ」は難しい
下火となった感じはあるけど、依然として追放ざまぁは人気だ。
僕はこのざまぁが苦手なのだ。
書く前は簡単だろうと余裕ぶっこいていたのだけど、匙加減が難しい。
やりすぎたほうが読者受けはいい。
ただし僕個人としては「そこまでせんでも」と、やり過ぎに対して思ってしまうのだ。
ネット小説大賞のコメントでも、過剰なざまぁをしている作品は見送ったというようなことが書かれていた。
過剰なざまぁは一般受けしないと判断したのだと思う。
凶悪殺人犯などに対しては死刑が相応と考えるのに、なぜ追放ざまぁでは内容によっては「やり過ぎ」と思ってしまうのか。
自分でもよくわからない。
亜空の聖女ですら自分であんな展開にしておいて「やりすぎじゃね?」と思っていた。
確かにあちらの二人はやり過ぎた。死刑でも相応しい。しかし、あの二人が受けた仕打ちは死刑なんて生ぬるいものじゃなかった。
僕は自分の立場ではなくて、キャラのソアリスの立場で考えて話を作っている。
だからソアリスとしてはあれで正しい。
だけど作者の僕はやり過ぎと思っている。
あの作品が厳密には「ざまぁ」とは言えない気がしないでもないけど、それはそれとして。
ざまぁは難しい。
だから僕はざまぁじゃない作品のほうが書き手として好みだ。
逆風に立ち向かえる筆力がないから結局、今も追放ざまぁを書いている。
今作も実はざまぁどうしよっかなーとお悩み中である。




