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足枷2  作者: 沙羅 紫蓉
2/2

足枷2-後編

暴力的な表現があります。

苦手な方はご注意ください。

 放課後、和弘(かずひろ)はアルバイトの情報誌を手にしながら、図書室でぼうっとしていた。

 ぐぅ、と腹が鳴る。

 三日前に木嶋(きじま)に10万円を渡してしまった後、和弘が自由にできる金は財布にある2,000円程だということに、気づいて青ざめた。元々食が細く、食費がかからない方であるが、次に洋昌(ひろあき)と会えるのは一週間後だ。それまで2,000円で乗り切らなければならない。元々料理をあまりしないので、冷蔵庫に入っているのも飲料や調味料ばかりだった。不測の事態も考えて、できるだけお金を使わないようにすると決めていた。

 だが、洋昌と会ったとしてどうするのか。半月前に渡した10万がもう無くなったとしたら、洋昌だって疑問に思うはずだ。そうしたら、借金の事も木嶋の事も話さなくてはいけない。自分一人の解決は不可能だという事は理解していたが、頼る事にはためらいがあった。

 木嶋は三日前に来たばかりで、今日は家に来ていないだろう。そろそろ帰ろう、と情報誌をカバンに仕舞い立ち上がったところで、視界がぐにゃりとした。

「危ない!」

 いきなり腕を引かれた状況がわからず、茫然とした。

「さ、佐々木……」

「おい。大丈夫か?」

 佐々木に身体を支えられてやっと、自分が倒れかけた事を知った。

 周囲の生徒が注目している。貸し出し口のカウンターに座っている図書委員が心配そうな表情をしていたが、佐々木が対応しているということで、様子見をしてくれているようだった。

「ご、ごめん。ありがとう」

「貧血? 保健室行く?」

「大丈夫だよ。少しくらっとしただけだし」

 心配そうに顔を覗き込む佐々木に、慌てたように首を横に振った。

「それが怖いんじゃないか。少し保健室で横になった方がいい」

 佐々木の言葉に、やっぱりそうしようかな、と思った矢先に、ぐうぅ……と腹の虫が盛大に鳴いた。

「あ……」

 和弘の顔が真っ赤になる?

「腹減ってるの?」

「あっと、実はご飯食べてなくて……」

「え、いつから?!」

「朝から」

 誤魔化すように、ハハハと笑うが、佐々木は信じられないといった顔をした。

「朝から? マジで!? もしかして財布忘れた? 俺、金貸すよ」

 貸してもらっても返せない。和弘は慌てて首を振った。

「いや。大丈夫だよ。家に帰れば」

「そんなんで歩いてたら、途中で倒れるかもしれないじゃん」

 確かに倒れて病院のお世話になったら、金銭的に大変なことになる、と和弘が迷っていると、佐々木が図書室の時計を確認して「もう出来てる頃だな」と声を上げた。

「え?」

「ちょっと来いよ。ゆっくりな。急に動いてまた倒れるなよ。俺、鞄持つから」

 佐々木は和弘の鞄を取り上げると、佐々木は和弘の腕を引いて歩き出した。


 着いたのは調理室だった。中には人がいるのかガヤガヤとしている。佐々木はそーっとドアを引いて中を覗き込むと、開いたドアの隙間から甘い香りが漂ってきた。

「あ。大丈夫そうだ」

 そう言って室内に入っていった。手をつながれていた和弘も一緒に中に入る。室内では女子生徒たちがエプロンを畳んだり、皿を片付けたりしていた。

綾部(あやべ)三浦(みうら)

 佐々木の声に、同じクラスの二人が振り返る。

「まーた、お菓子狙いに来たの? 佐々木にあげる物なんて何もないよ」

「あ。でも、クッキーのちょっと失敗したところならいいんじゃない」

「三浦さん、優しいんだから」

「私は感想貰うのが楽しいから。てか、後ろにいるの鈴木君?」

「あ。本当だ」

 佐々木の存在を無視して話が進んでいる。

「なんか鈴木がさ、財布忘れたとかで、朝から何にも食べてないんだって。ここに来たらなんか貰えないかなー、と思って」

 その二人の会話を遮って佐々木が言った。

「朝から?? そうなの?!」

 別に財布を忘れたわけではないのだが……と思いながら、綾部の言葉にうなずいた。

「そんなの私、絶対耐えられないんだけど」

「マフィン食べない? 今日皆で作ったの」

 そう言うと、三浦が鞄の中をゴソゴソと探り出した。

「クッキーも食べなよ」

「そんな。大丈夫だよ。せっかく皆が作ったものだし」

「私、誰かに食べてもらうの結構好きだし、感想聞かせてよ」

「さっき空腹のせいで倒れかけたじゃん。それで歩いて帰ったら危ないよ。もらっとけよ」

 佐々木の暴露に、顔が赤くなるのを感じた。

「倒れたって、そりゃ朝から食べてないなら当たり前だよ!」

「そうだよ。他の男子なんか、ちょっと小腹が空いたからって、コンビニ感覚でウチ来るんだよ」

「いや、冷蔵庫感覚だね。お腹が減ったから、とりあえずキッチンの冷蔵庫を覗いてみましたって感じ」

 綾部がチラリと佐々木を見て嫌味を言う。

「ほら、マフィン。プレーンもチョコも、アールグレイの茶葉を入れたのもあるよ」

「あ、ありがとうございます」

 三浦が鞄から取り出したタッパーから、調理室のお皿にマフィンが移される。

「それだけだと喉が渇くでしょ。紅茶入れるよー」

 綾部がケトルのスイッチを入れた。

「あ。俺も食べたい飲みたい」

 調子のよい声で佐々木が主張する。

「佐々木は一個だけだよ。鈴木君に食べてもらいたいんだから」

 和弘はいつの間にか、調理室の椅子に座り、皿に山盛りのマフィンと、マグカップの前に座っていた。ついでに佐々木もちゃっかりと隣に座って、マフィンを頬張っている。

 甘い香りに誘われるように、口にしたマフィンはとても甘くて優しくて、温かかった。

「美味しい。甘い」

「そりゃ、マフィンだからね。甘いよ」

 綾部が笑いながら、カップに紅茶を入れてくれた。

「熱いから気を付けて」

 ふぅふぅと息を吹きかけてから一口飲むと、ふんわりと香りが口に広がる。佐々木達が楽しそうにおしゃべりをしている横で、その香りを楽しんでいた。 

 せっかくのマフィンも、三つ目は途中で食べられなくなりそうで遠慮した。

「美味しくないとか、そういうのじゃなくて、元々あんまり食べられなくて」

「そうなんだ。私なら三つなんてペロリだよ」

「まぁ、バターや砂糖がたくさん入っているから、お腹重たくなるよね」

「上手な感想言えなくてごめんね。本当に美味しい。とても気持ちの良いお菓子だと、思う」

 そう言った途端、二人に笑われて和弘はきょとんとする。

「気持ちの良いお菓子って、初めて言われた。あまったマフィン持って帰らない? 冷蔵庫に入れれば日持ちもするし、おやつに食べてよ」

 ラップに包まれた5つのマフィンが手元に置かれた。

「でも、こんなに悪いよ」

「私達は鈴木君に食べて欲しいと思っているんだけど、嫌だった? 迷惑だった?」

 三浦が残念そうな顔をするのを見て、思わず首を振る。

「嫌とか迷惑だなんて、絶対にないよ」

「それなら、はい。あとついでにクッキーも」

「あ、ありがとう」

 背後から「三浦うまいな」「でしょ」という会話が聞こえてきた。何が上手いのかはわからなかったが、マフィンとクッキーが手元にあることだけは確かだった。

「さーて、お皿も片づけたし、調理室出るよ。もうカギ閉めなくちゃ」

 先程まで、他の女子生徒もいたが、いつの間にか和弘達だけしか調理室にはいなかった。綾部の言葉に促されて部屋を出る。綾部と三浦は鍵を返しに職員室へ、佐々木は再び図書室へ向かうという事で、三人とその場で別れて帰路へとついた。

 クッキーと5つのマフィンが鞄の中に入っている。食べ慣れない焼き菓子でお腹が少し重い気がするが、気持ちは軽やかだった。

 皆でおしゃべりをしながら、マフィンとお茶を囲んだ。主に綾部と三浦の二人が話していて、それに佐々木がたまにチャチャを入れる。和弘は黙々とマフィンを食べ、お茶を飲んでいたが、そこに疎外感は全くなかった。たまに「鈴木、どう思う」と話を振られて、まごつきがら答えても誰も苛々した様子は無かった。

(優しい空間に、触れた気がする)

 和弘にとって初めての経験だった。


 次の日の朝、教えてもらった通りに温めたマフィンが一つ、皿に置かれている。

 朝食は抜くことが多いが、昨日の思い出に浸りたくなった。皿の横には木嶋のために買った茶葉を使った紅茶。安いパックの紅茶もあったが、上等なお菓子を食べるのなら、上等な飲み物を用意したかった。

 一口かじれば、バターの香りが口いっぱいに広がる。甘さに頬がきゅぅっとなる。

「うん。やっぱりこのマフィン、美味しい。甘い味、優しい味、温かい味……大好きな味」

 相変わらず平凡な感想だな、と思った。

 


「和弘」

 木嶋がそろそろ来るのではないかと和弘は恐る恐る家に帰り、姿が見えないと安心して玄関を開けたら、洋昌の靴があった。

「義兄さん」

 リビングにいた洋昌の、昔荒れていた時のような雰囲気に、部屋に入るのを迷うほどだった。

「これは、なんだ?」

 そう言って見せたのは、あの借用書のコピーだった。両親の部屋に置きっぱなしにしていたことを思い出した。

「それは……」

 言葉を探して言い淀んでいる間も洋昌の目が威圧してくる。見えない矢が洋昌の目から放たれて、虫の標本のように地面にはりつけにされそうだった。

「あの、実は――」

 なすすべもなく、木嶋が家を訪ねてきた事からすべてを洋昌に話すこととなった。

「内緒にしていてごめんなさい」

 うなだれるように謝った。

「借用書に押してあるのは、実印で間違いないな」

「うん。確認した。義兄さんが見つけてくれたのと同じだった」

「これは俺が預かろう。この木嶋さんの連絡先はわかるか?」

「あ。そういえば知らない。いつもいきなりうちに来てるから」

「そうなのか。……もしかして、お前、その木嶋さんて人、家に上げてるのか?」

「うん」

 そう言うと洋昌は顔をしかめた。

「ご、ごめんなさい。外で借金の事を話すわけにもいかないと思って」

「あのな。誰であろうと他人を安易に家の中にいれてはいけない。知っている人でもだ。もし無理に入ってこようとするのなら、その場で警察を呼べ……って、そう言えば、お前スマホ持っていなかったな」

「うん」

「俺が用意しておく」

「別に使わないし、必要ないよ」

 これ以上洋昌の負担になりたくなかった。

「馬鹿。こんな事になった時のために、すぐに連絡できる手段は必要だろ」

「……うん。ありがとう」

「これからは、何かあったらすぐに報告してくれ」

 和弘が頷くと、洋昌はやっと怒気を収めて安心したように頭を撫でた。

「明日は休みをもらっている。俺はいつものホテルを取ってる。明日は何か用事があるか?」

「何もないよ」

「じゃあ、遺品の整理を進めよう。そうだ。あと、冷蔵庫の中身がからっぽだったから、買い物に行くか」

「うん。一応、必要な物がないか冷蔵庫の中、確認してくるね」

 冷蔵庫を開けると、マフィンが無くなっていることに気づいた。

「あれ……」

「どうした」

「あ。もしかしたら冷蔵庫のマフィン、食べた?」

「あぁ。腹が減っていたから」

「そっか」

 あの優しいさを味わう事が出来ないのか。

「勝手にすまんな。お詫びに、何か甘いものを買おう」

「ううん。大丈夫だよ。ありがとう」

 そう言いながらも、ひどく落胆をしていた。

 近くの商店街へと言って買い物をした帰りに、和弘の好きなケーキを買って帰ろうと洋昌に言われたが、和弘はあまり食べたいとも思わず、申し訳ないと思いながらも断った。


 ホテルに帰った洋昌は、すぐにバッグを開けた。甘い香りが鼻をついて思わず舌打ちをして、どこか公園のゴミ箱にでも捨ててくれば良かったと後悔した。ラップにくるまれたマフィンを取り出して、忌々しげにゴミ箱に投げ捨てた。


 翌日は朝9時頃に来ると言っていたから、9時より少し前にインターフォンが鳴った時、洋昌だと思ってドアを開けてしまった。和弘が、洋昌は家の鍵を持っている事に思い至ったのは、ニタリと笑う木嶋を見た時だった。

 帰って欲しい警察を呼びます、と伝えて抵抗したが、押し入られてしまった。

「随分と、ひどい真似をするもんだねぇ」

 椅子に座る木嶋は苛々したように貧乏ゆすりをしていた。対応を誤った。ただただ木嶋を不愉快にさせて部屋に入れてしまったのだから。

「すみません」

 もうすぐ義兄が来てくれるはずだから、それまで刺激をしないように努めるしかない。しかし――

「あ?! 何様なんだ! 警察に連絡するだと!! おーれーがー、困っているお前のトーチャンとカーチャンに親切にしてやったんだぞ!」

 叫びながら力任せにテーブルにこぶしを叩きつけた。

 和弘は、しばらく聞いていなかった怒鳴り声と、暴力の音に、身体がすくんだ。

「俺が何をした?! 返して欲しいって言ってただけだろうが! それが違法なんか?!」

 和弘は震えながら顔を横に振る。

「犯罪者がいますぅ、自分は被害者ですぅって警察に言うのかよぉ!!」

 再びこぶしをテーブルに叩きつけた音で、震えていた足から力が抜けて、膝から崩れ落ちた。椅子を蹴って立ち上がった木嶋が山の様に高く見え、顔を真っ赤にして叫ぶさまは鬼だった。

「あ……ごめっ……ご……」

 胸倉をつかまれて、恐怖に身体が固まる。怪我をした左足が萎えて、動く事すらできない。

「なんか言えよ、オラ!」

 顔を近づけて怒鳴られ、だんだん息が浅くなる中で、木嶋の白目のところが黄色く濁っているな、という事だけがその時考えていた全てだった。

 再び何か叫ぼうと木嶋が息を吸い込んだ時、その身体が吹っ飛んだ。

「和弘、大丈夫か!」

「にい、さん……」

 茫然として洋昌を見上げた。

「なんで……」

「今日、来るって言っただろう?」

 そう一言言うと、立ち上がり木嶋に顔を向けた。

「あなたが木嶋さんですね。私の弟に行った行為は犯罪です」

「……は! お前も警察だのなんだのと、俺を脅すのか! 殴られたのは俺だぞ!」

 どうやら木嶋を和弘から引き離す際に、殴ったようだった。

「正当防衛です。これからは弁護士を通してやりとりをします。何も借金を返さないと言うつもりはありません。――今日はお帰りください。これ以上居座るようでしたら、こちらにも考えがあります」

 毅然とした洋昌の言葉に、分が悪いと感じたのか「ふざけんな!」と捨て台詞を吐いて、帰っていった。

「和弘」

 洋昌が手を差し出していた。

「……」

 その手を取ろうと右腕を上げると、右手がカタカタと震えていた。思わず左手で押さえて震えを止めようとしたが、できなかった。

「ほら」

 促され、震えたまま洋昌の手を取った。熱かった。

「怖かったな」

 そう言われて、ようやく「怖かった」と言葉が出た。涙がポロポロと流れて止まらない。苦しそうに顔をゆがめた洋昌は、「もう大丈夫だ」と和弘の背中を優しく撫でた。

 

 どれくらいたったのか、ずっと抱きしめられていた和弘の気持ちも、ようやく落ち着き、二人はお茶を飲んでいた。

 いまだに和弘の目は赤く腫れていたが、表情は穏やかだった。

「あの借用書は法律的に問題があるものだ。お前を脅すこともしてはいけないことだ」

「法律的に、駄目、なんだ」

「そうだ。弁護士に相談して、駄目なものは駄目だと言ってもらうことができる」

「でも借金は返さなくちゃいけないんでしょう?」

「俺が少しずつ返していくよ。心配するな」

「……あの、この家を売れないかな? そうしたら返せないかな」

「家を? 前も言ったが、この家はお前のお父さんが遺した大事な家だ」

「うん。でも僕一人で住むのは大きすぎるし、義兄さんに借金を負わせたくはない」

「それなら、お前はどうやって暮らすつもりだ?」

「あ……」

 今住むところが無くなれば、新たに借りなくてはいけない。しかし、そのお金を稼ぐすべが今の和弘にはない。

「だったら、一緒に住まないか?」

 俯いていた顔を上げると、洋昌は真剣に和弘を見ていた。

 その視線から逃げるようにまた俯いて、意味もなく自分の腕をさすった。暴力を振るわれる事のなくなった身体からは、傷が消えてしまっている。

 暴力をふるうことのできる存在を両親が求めていたから、殴られている間だけは、両親は和弘を捨てることはしなかった。逆に捨てられなかったからこそ、殴られていた。

(僕は何も、持っていない……)

 洋昌の差し出す手は何を求めているのかわからなかったし、何も求められない存在になる事に、ずっと恐怖を感じていた。

 だがあの調理室で、求められることなく与えられた時の経験が、和弘の心を少し柔らかくした。一歩だけでも、進んでみても良いのではないかと思った。

「うん。僕も一緒に住みたい」

 小さく「迷惑じゃなければ」と慌てて続けた。

「迷惑なんて、そんなこと絶対ない」


 着古したスウェットを着てでっぷりした男は、喫茶店の椅子に縮こまりながら座っていた。

「高橋さん、大変素晴らしい働きでした」

 和弘には木嶋と呼ばれていた男――高橋は「ありがとうございます」と言ってペコペコ頭を下げた。この小心者が一度演技を始めると、あれ程様変わりするのかと洋昌は内心驚いていた。しかしだからこそ、和弘が街中ですれ違ってもあの借金取りの男だと気づかないだろうと踏んでいた。

「これはお約束の報酬です」

「はっ、はい!」

 封筒を差し出せば、高橋は飛びつくようにして受け取り、中の札束の枚数を数える。

「確かに、確かに」

 またペコペコと頭を下げる。

「あ、忘れていました。これは弟さんから受け取った金です」

 おずおずと懐から封筒を出して、洋昌に差し出した。

「ありがとうございます」

 中身の確認もせずに受け取る。

「あの、一枚も抜き取ってませんから」

「大丈夫です。信用しておりますので」

 そもそも返された方が意外で、律儀な男だと思った。そして報酬を確認してから、返す辺りが用心深い。万が一報酬が正当に払われなかった時に、黙って10万は持ち帰ろうとしていたのだろう。用心深い人間は、余計な事に首を突っ込まない。例えば、今回の依頼の意味を知りたがるとか、いびつな兄弟の関係を探るとか。

「また何かありましたら、お願いします。成瀬社長にもよろしくお伝えください」

 高い紹介料を支払っただけあるが、あの社長は良い人材を紹介してくれたものだ。

「はい。どうぞよろしくお願いいたします」

 相変わらず何度も頭を下げて高橋は帰っていった。



 震えて静かに泣くアレを見た時、身体に快感が走った。今まで経験した事も無い快楽に、もしかして女がイク時に感じているのは、これなのかもしれないと思う。

 そして「一緒に住みたい」と自分を望む言葉に、年甲斐もなく心が躍った。強引にあの家から引きずり出すこともできたが、望まれたかったのだ。自分が手を掴むのではなく、アレから握りしめて欲しかった。

 今何を考えているだろう。

「俺の事を考えろ」

 どんなことをしても手に入れると決めていた。例えアレが不幸になろうとも。

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