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足枷2  作者: 沙羅 紫蓉
1/2

足枷2-前編

暴力的な表現があります。

苦手な方は避けてください。


『足枷』

https://ncode.syosetu.com/n8547gc/

の続きです

 父親が苦しんでいる事を知っていた。

 欲しくて欲しくてしかたがないソレが、目の前で幸せに笑っている姿に少しずつ狂っていった。

 遵法の精神など欠片も持ち合わせない父親が、ソレだけには世間体だとか常識だとかを持ち出して手を伸ばせないでいたが、結局は臆病なだけだった。ソレに蔑まれるかもしれない事を、憎まれるかもしれない事を、そして何より愛を拒絶されるかもしれない事を恐れていた。

 俺は恐れない。欲しいのなら手に入れる。俺はアレが欲しい。



 事務所は雑居ビルの5階にあった。斎藤が重そうな磨りガラスのドアでインターホンを押そうとすると、中から何かが壊れる音と叫び声がした。

「いやだねぇ」

 目の前の部屋のさらに奥で何が起きているかは、なんとなく予想できた。だから今すぐに回れ右をしたかったが、事前に部屋の中の相手と約束をしているのだから逃げ帰るわけにもいかない。

「おい。早く押せよ」

 不穏な音などまるで気にしない洋昌が、後ろでせっついてきた。

「はいはい」

 インターホンに備え付けられているカメラに向かって、愛想よく笑顔を作るとボタンを押した。すぐに中からドアが開き、日に焼けた黒いスーツを着た男が「お待ちしておりました」と言って二人を招き入れた。部屋に入ると途端に怒鳴り声が鳴り響く。詳細はわからないが、「セネガル」「今日の海外送金」「間違えた」といった単語が聞こえた。

 客が来たんだから取り繕うことくらいしろよ、と斎藤は呆れたが、奥からの怒声は消えない。自分達と似たり寄ったりの人種だから隠す必要はないと思ったのか、はたまた、お前も下手をしたら同じ目にあうぞと言った警告か。

 黒い革張りのソファに座り、出された茶をすすって10分程待ってようやく静かになり、奥の部屋から巨体の男が出てきた。奥の部屋を覗くようなことはしないが、あの部屋には死体になる予定の人間が何人いるのやら、と考えて斎藤はうんざりする。

「……すまんな。少しゴタゴタしていた」

「いえ。お元気そうで何よりです。内藤さん」

 巨体の男が目の前のソファに座り斎藤に声をかけるが、顔はいまだに真っ赤で、身体の中に抑え込んだ怒りが、蒸気に変わって出てきそうな様子だった。逆鱗には触れないようにさっさと話しを進めて帰ろう、と斎藤が思った矢先に洋昌(ひろあき)が口を開いた。

「差し出がましい事を言います。海外送金はいくつかの銀行を経由するシステムになっています。もし海外送金で何かトラブルがあったのでしたら、すぐに窓口でストップをかければ、もしかしたら経由途中の銀行で止められるかもしれません。もちろん正規の銀行取引での話ですが」

 内藤の眉が寄り、怒りの炎がチラリとその顔に灯されたのを見て斎藤は冷や汗をかいた。

「経由した銀行で決済されてしまったらお終いです。時間との勝負です」

 洋昌のそれがダメ押しだったのか、内藤は隣に立っていた男に「おい、表に連絡しろ」と静かに言うと、それを受けた男はすべて了解した顔で頷いて、奥の部屋へと足早に入っていった。

「内藤さん、私達はそちらの内々の事に安易に首を突っ込むような、失礼な真似をしたいとは思っていません」

「大変失礼をいたしました。思わず言葉が出てしまいました」

 すぐに二人で弁明して謝罪したのが功を奏したのか、内藤も少し落ち着いた様子だった。

「……ところで、斎藤先生は元気かな?」

「父は先日ぎっくり腰をしました。それで今は動けなくて、元気に不満をわめいていますよ」

「そうか。それなら見舞いに行かんとなぁ」

「それは父も喜びます。ところで先日ご連絡いただいた、風営法の認可を持つ会社を買いたいという件で、私の知り合いを紹介したいと思います。鈴木洋昌です」

「先程は失礼いたしました。鈴木です」

 内藤はチラリと不愉快そう目を洋昌に向けた。

「内藤だ。ずいぶん若そうだな」

 洋昌はそれに答えずにこりと笑い、商談に入った。

「仙台一番の歓楽街、国分町あたりにいくつかソープとキャバクラの店を出している会社が、売り先を探しています」

 求めているエリアの案件に、内藤が興味を示した。

「株主も一人で、()()()()()()()()()なので、交渉も難しくはないかと思います」

 さらに続けた洋昌の言葉に、内藤の機嫌が少し上向いたことを斎藤は感じた。

「資料はあるか」

「はい」

 どうやら今回の商談は無事に終わりそうだと、安心して斎藤はぬるくなった茶をすすった。



 和弘(かずひろ)はため息をつきながら廊下を歩いていた。ギリギリまで粘って図書室にいたが、閉まる時間だと追い出されてしまった。

 夕日が差し込み、長く伸びる影が、自分と同じく左足を少し引きずるような動きをしているのを見て、この影は自分の分身なのに悩みが無くていいな、などと和弘は馬鹿な事ばかり考えていた。

 いきなり義兄の洋昌と再会して一か月が経とうとしていた。様々な手続きについて、すべては最近再会した義兄が行い、ほとんど何もしていないのに、目まぐるしい一か月だったように和弘は思う。

 5年ぶりに再会した洋昌は、ひどく優しい。自分を保護すると宣言して生活費を渡し、忙しい仕事の合間を縫って和弘の住まう家を訪れる。

「鈴木」

「あ、佐々木君」

 後ろから声をかけてきたのはジャージ姿の佐々木だった。

「まだ残ってたのか?」

「うん。ちょっと図書館に。佐々木君は部活?」

「そ。園芸部の」

 スポーツが盛んな高校であるし、佐々木は背が高く体格も良いから、運動部に入っているかと思っていた。園芸部だと聞いて和弘は目をぱちくりとする。

「園芸部だったんだ」

「意外だろ。よく言われる」

「う、うん」

「なんか元気無いように見えて、 あんまり根掘り葉掘り聞くつもりもないけど、その、大丈夫?」

 両親を亡くしたことを心配した言葉に、はっと佐々木の顔を見る。

「うん。大丈夫」

 和弘の心がほっと温かくなる。

 家から近いという理由で選んだ高校だが、ここを選んで良かったと和弘は何度も思う。

 身体が小さく足が不自由であり、いつも汚い服を身に着けていた和弘は、小学校中学校といじめの対象だった。無視なら良い方で、暴力だったり私物を壊されることも日常茶飯事だった。壊された物の代替品を用意するため、親に相談すれば殴られた。縦笛をどこかに隠されて失くした時になど、親に言う事も出来なかった。しかし、いつも縦笛を持参せずに授業を受ける生徒に業を煮やした音楽教師から、紛失したのなら買うようにと親に連絡したと言われた時の絶望を、今でも度々思い出しては心の鼓動が早くなる。

 高校では嫌な事をされないし、何か困っていておずおずと近くのクラスメイトに声をかければ、嫌がらずに答えてくれる。自分の意見や主張を問われ、答えればそれを尊重される。そういったコミュニケーションが自分にも許されるのは初めてだった。

「そっか。その、俺はあんまり細かい事は得意じゃないけど、何か困ったことがあったら言ってよ」

 いつもクラスの輪の中心にいる佐々木も、そうやって気にかけてくれる。

「あ、ありがとう。でも大丈夫」

「気のせいならいいんだ。それにしても鈴木は結構細いから、今にも倒れそうで心配」

 そう言って、和弘の腕をつかんだ。

「ほら、俺の手で手首つかんでも余裕すぎるくらい細い」

 あまり接触に慣れていない和弘はビクリとする。その様子に慌てて佐々木は手を離す。

「ごめん、いきなり」

「全然。ただびっくりしただけで」

 驚いてはいたが、体温の高いその手に掴まれて不快感はなかった。逆に少しくすぐったい気持ちだった。

「うん。びっくりさせてごめんな」

「気にしないで」

「あ。もう行かないと。じゃあな」

「また明日」

 佐々木が廊下を走る背を見送りながら手を振った。

 彼のような人だったら、今の問題も解決できるのかもしれない、と思ったが、また馬鹿な事を、と和弘は頭を振ってその考えを振り払った。


「和弘君」

 できるだけゆっくりと帰路を歩いていたが、いずれ家には着く。すっかり暗くなった中、家のドアの前には一人のでっぷりとしてスリーピースのスーツを着た男が立っていた。

「あ」

「待っていたよ。困るじゃないか。こんな遅い時間に帰ってきてもらっちゃ!」

「木嶋、さん」

 別に約束したわけでもないのに、強い口調で言われてビクリと身体が固まる。

「廊下で込み入った話をするのは和弘君も困るだろう。……ね?」

 木嶋が和弘の肩を掴み、ゆっくりと撫で上げる。その手の生暖かさに背筋がぞくりとする。

「はい」

 鍵を開ければ、木嶋は家人よりも先に家の中に入っていった。

 木嶋は借金取りだった。一週間前に突然、半年ほど前に両親が3,000万円もの金を借りてたという一枚の借用書を持って現れた。高額の借金が突然発覚し和弘は驚いたが、さらに利息が毎日1万円ずつ発生していて、一回も返済がされていないという言葉に衝撃を受けた。

「あの、お茶です」

 紅茶を出すと、

「はぁ、ずいぶん良い茶葉じゃないか。こんなものを買う余裕があるのなら、利息分だけでも返して欲しいものだねぇ」

 そう嫌味を言った。

 和弘とて高額の借金が発覚した直後のこの時期に、欲しくて買ったわけではない。先週来た木嶋が、和弘の出した緑茶を一口飲んで「客に、しかも金を貸してもらった人に、こんな出がらしのようなお茶を出すなんてなぁ」などとくどくど嫌味を言われ続け、「また折を見て来るからな」と念押しをされたものだから、デパートで高い茶葉を探して買ってきたのだ。

「すみません」

 何を言っても嫌味しか返ってこないだろうと、うつむいて謝ることしかできなかった。

「それで。返済の都合はできたのかい」

 迷った挙句、食器棚の下の引き戸を開けて、細々とした書類を入れている箱の中から、封筒を出して木嶋に渡した。中には生活費が入っていた。

「それが、まだ色々と整理中で。預金通帳も、まだお金が下せないんです。あの、それで少しだけなんですけど」

「ふん」

 その封筒をひったくると、中を確認してため息をついた。

「たった10万じゃねぇか」

「でも、1日1万円の利息なんて……」

 洋昌からもらった大事な金なのだと思うと、つい反論してしまった。

「あ? お前の親も納得しての契約だったんだぞ? どうしてもすぐに都合をつけて欲しいと懇願されて、俺も頑張ってかき集めて貸した3,000万だぞ? だからその手間賃としてこの利息だ。あの借用書、偽物だったか?」

 そう言われて、かすかに芽生えた反抗心もしゅんと消えてしまった。

 木嶋から証拠として渡された借用書のコピーには、両親の名前が書かれ、その下に印鑑が押されていた。木嶋が帰った後に慌てて二人の実印を確認してみると、確かに受け取った借用書と同じ印影だった。以前両親の部屋を片付けていた時に、洋昌が見つけてくれた印鑑で、「実印と言って、大事な契約や借金をする時に使う、本人しか使えない大事な印鑑だ。無くなった人のだが、大事にしまっておけ」と言われたから間違いはない。

「すみません」

「はぁ。すみませんすみませんと言っていれば、金が生まれるとでも思ってんのか?」

 何に使ったのかわからないが、二人の銀行口座にも家の中にも3,000万円の影は無い。和弘としても返したくてもどうすればよいのかわからなかった。

 それから一時間ほど家に居座り、嫌味を言って帰っていった。

 和弘は机の中にしまい込んでいた借用書と実印を取り出して、見比べて確認した。

「やっぱり同じ……」

 両親の部屋に行って、借りたお金が少しでもどこかに隠されていないか、古い雑誌のページをめくってまで探した。

 どちらも何度も何度も繰り返した行為だった。

「やっぱり何も、無い……」

 借用書を握りしめ、ため息が出たと同時にポロリと涙がこぼれた。

「……うぅっ、う……っ」

 泣き声を厭う両親はもういないのに、口を手で塞いで静かに和弘は泣いた。



『……うぅっ、う……っ』

 静かに嗚咽を漏らす和弘の声を、洋昌はうっとりとリビングのソファで聞いていた。子どもだろうと大人だろうと泣き声は不愉快なものだが、スピーカーから流れ出る和弘のそれは甘美なものだった。

 ――ピンポーン

 チャイムが鳴る。そう言えば、斎藤が来るんだったなと思い出した。借金取りはもう家から出たから、監視は必要ないだろうと判断してノートパソコンをシャットダウンした。

「よう。内藤さんの使いだ。日本酒持ってきたぜ」

 マンションのセキュリティを解除して、部屋に着いた斎藤は一升瓶を抱えていた。

「へぇ。仲介手数料は充分な額を提示されたのに、さらにおまけまでつけてくれるのか」

「そっちじゃなくて、外国送金の方だ。すぐに銀行に行けってアドバイスのおかげで送金ストップできたそうだ」

 斎藤は勝手知ったる足取りで、家主よりも先にリビングへと進んだ。

「あー。あれか」

「あのなぁ、内藤さんを怒らせやしないかって、あの時はヒヤヒヤしてたんだぜ。あれで金が戻って来なかったら、お前の印象も悪くなるだろうし」

「まぁ、結果うまく行ってよかったな」

「細かい事は聞かなかったが、ひどく機嫌が良かったから、相当な額の損失が回避できたんだと思う」

「ふぅん……それなら、その感謝を形でもらう方向に誘導できないもんかな」

「お前……ヤクザにモノねだるなんて、いい度胸だな」

「この酒の一本で釣り合いがとれる程度なら、これで済ましてもいいがな。ヤクザと一般人の間に、変な貸し借りは無い方がいい。これ冷やすか」

「冷やして飲もうぜ」

「お前も飲むのかよ。冷凍庫に入れるか」

「俺はビール貰う」

 勝手に冷蔵庫を開けて、中からビールを取り出した。

「お前、お使いしてんなら、もっと礼儀正しくしてろよ」

「もう使いは終わったからな」

 そう言ってステップを踏むようにリビングのソファに向かった。

「まったく」

 同じく洋昌もビールを手にしてソファへ向かう。

 ――トゥルルルル

 洋昌のスマートフォンが鳴った。缶をローテーブルに置きながら確認する。

「外そうか?」

「いや。あの風俗店の売主だから大丈夫だろう」

 そう言って電話に出た。

『いやぁ! 鈴木さん! 成瀬です~。今回はお世話になりました』

 少し訛った機嫌の良いだみ声が聞こえた。

「成瀬さん。こちらこそ、お世話になりました」

『ナイトウ社の社長さんも良い方で、契約は無事に結べそうです。ですからお礼の電話をと思いまして』

「ご親切にありがとうございます。お力になれたのなら幸いです。他に何か細々とした事でお困りは無いですか? そちらの会社の社長さんはどうですか。何か彼女がご不安になるような事があるのでしたら、その後の経営にも差しさわりが出ることもあるので、心配しております」

『あぁ、彼女は私が懇意にしている方で、お願いして社長さんになってもらいましたから、経営には参加してもらっていません。今回で退任してもらいます。それ含めて、お店の女の子やお客さんについてなど、細かい事についてトウナイ社さんにも説明していますし、色々とご理解いただいています』

「さすが成瀬さんです。私の心配は不要でしたね。そういえば、高橋さんも、とても良いお仕事をしてくれています。良い方をご紹介していただいて大変助かりました」

『おー、それは良かった。彼は能力もあるし、口も堅い人間なので色々なお客さんから信頼されていて、私も自信を持って紹介できる方なんですよ。お互い、気持ちのいい取引にしたいもんですねぇ』

 だみ声で大きく笑って、電話は終わった。

「どちらもご機嫌に契約を交わしてくれたようで、安心したよ。本当にタイミングよく売主が見つかったものだ」

 成瀬の声が漏れていたのか、斎藤がニンマリとしていた。

「仕事の依頼をした会社が、まさか俺の客にもなるとはな。止まらない愚痴をニコニコ愛想よく聞いていた甲斐があった」

「お前も大人になったなぁ。昔なら椅子の一つでも蹴り上げてただろう」

「丸くなったものだよ。さて、今回は予想外の収穫もあったことだし、乾杯でもするか」

「ああ!」

 二人で勢いよくビールをあおった。

「そういえば言おうと思っていたんだが、会社名がナイトウってどうよ。可愛い可愛い自分の会社に、自分の名前を着けたいって気持ちが抑えられなかったのかも知らんが、暴対で大変なんだから、ヤクザは隠れておけよって思わねー?」

 洋昌の言葉に、斎藤がビールを吹き出した。


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