第4話
それから、彼女はまたしても当て所なく街中を歩き回っていた。
お洒落なレストラン街では、キラキラとネオンが輝き、恐らく恋人たちが食事などしながら彼女がチョコを渡し、今夜の予定を楽しく話し合っていることだろう。
「……………」
彼女は無言のまま歩いていた。
何となくお腹もすいてきたような気もする。
どこかでご飯でも食べようか───
そんなことを思っていたところ、とあるレストランの前に通りかかった。
どこでもいいやという気持ちで、彼女はそこに入ろうと扉に手をかけようとした。
すると───
「きゃ……」
突然、扉が勢いよく開けられて、もう少しで春子にぶつかるところだった。
「あ……神山さん……?」
「あ………」
出てきたのは神山楽人だった。
だが、春子は彼の顔を見たとたん、ぎゅっと心を鷲づかみされた気分になった。
彼は泣きそうな顔をしていたからだ。
なぜかはわからない。
彼は別に泣いていたわけではなかった。
はたから見たら、不機嫌そうな表情をしてるとしか見えなかっただろう。
しかし、彼女には彼が今にも子供のように泣き出しそうに見えたのだ。
そして、思わず───
「あ……?」
神山が驚いて微かな声を上げた。
それもそのはず、春子は自分よりも頭一つ分背の高い神山を引き寄せて、ぎゅっと両手で抱き締めたからだ。
それはまるで大木にセミが止まっているような格好だった。
考えたらとても恥ずかしい格好のはず。
だが、彼女の思考は、ただもう彼が泣き出すのを止めたい一心だったのだ。
だから夢中で彼女は神山を抱き締めていたのだった。
「春ちゃん………」
彼の声が少し震えた。
春子はそれを感じ、ますます彼をきつく抱き締めた。
静かに夜はふけていく。
それから二人は近くの公園のベンチで並んで座っていた。
手には温かい缶コーヒーが握られていた。
「寒くない?」
神山が優しく春子に聞いた。
彼女はううんと首を振った。
「……………」
「……………」
しばらく沈黙が流れる。
この公園には彼らだけでなくほかにも何組かカップルがいた。
微妙に距離をおいてベンチに彼らは座り、それぞれがそれぞれの世界で愛を語らっているようだった。
なにせ今夜はバレンタインデーだから。
「彼女に別れてくれって言われたんだ……」
ぼそっと神山が言った。
春子はハッとして顔を上げ、隣に座る端正な顔立ちの青年を見つめた。
もう泣きそうな顔ではなかった。
缶コーヒーを両手で握り締め、じっと前を見つめている。
「もともとさ、浮気性の女だったんだけどさ、俺本気で好きだったんだ、そんな女でもさ。友達には言われてたんだけどね、あんな女別れちまえって。俺と付き合う前だって二股だか三股だかしてたってことらしいけど………けどさ、ゲクトのことをすげー理解してる女でさ、俺、彼のこと聞いてくれる女に出逢ったの初めてで……真剣に聞いてくれたんだぜ。俺がゲクトのこと熱く語るとさ、女どもってみんなホモじゃねーのとか、あんたゲイなのって聞いてくるヤツいて、あったまきてたんだよ」
ああ、そうか───
春子は納得した。
神山のような、いわゆる美少年タイプの男が、他のキレイな男に対して執着見せると、男はともかく、女はみんな同性愛に見てしまう傾向がある。
それは春子でもそう見てしまっただろう。
春子もそういうものに興味がないわけではなかったから。
「だけどさ、キョウコだけは違ってたんだ。俺がゲクトはかっこいーだの、歌サイコーだのって言っても、うんうん、わかる、わかるよ~って親身になって聞いてくれて……すげー俺嬉しかったんだ。だから好きになって付き合ってくれって頼んで………でも、今日、別れてくれって……他に好きなヤツできたからって………」
静かに春子は彼の話を聞いていた。
そして、彼女はひとつ気付いた事があったので、それを正直に彼に伝えた。
「あのね、神山さん……」
「楽人でいいよ」
「あ、うん……じゃあ、楽人さん……あたし、その彼女さんのこと知らないけれど、でも話聞いてて思ったんだけど、浮気性で二股とかしてた人が、好きな人ができたから別れるっていうの、なんかしっくりこないのよね。そんなに性悪女なら、他に好きな人ができたらあなたに黙って二股かけるような気がするけれど………」
「……………」
「おせっかいかもしれないけれど、もう一度彼女に確かめてみたら?」
「でも………」
「あ、もしかしてかっこわるいって思ってない?」
「そっ…そんなこと……」
「じゃあ、約束して。もう一度彼女さんに聞いてみて」
「う、うん……」
「よかった。せっかくのバレンタインだもの。もしかしたら誤解かもしれないのにホントにそのまま誤解のまま別れちゃったら……」
「ありがとう、春ちゃん」
神山は立ち上がると、座ったままの春子にニコッと笑ってみせた。
春子はそんな彼を眩しそうに見つめた。
「俺、もいっかい彼女に聞いてみるよ、ホントのこと」
「うん」
春子も立ち上がった。
「うまくいくといいね。あ、うまくいくおまじない…ってほどじゃないけれど、このチョコあげるよ」
「え……? だってこれって……」
「あーそうだった……えとね、あたし彼氏いないの。当然これあげる人もいなくて……うーん、そんな縁起でもないチョコなんてダメだよね……ごめんね……」
春子がひっこめようとしたチョコだったが、神山はしっかと掴んで言った。
「ううん、ありがたくもらうよ。そうだな、きっとうまくいくと思う。なんかそんな気がしてきた。ありがとう。なんかさ、俺たち今日初めて逢ったのに、ずっと前から仲良くしてたみたいな気がしてきた。これもゲクトのおかげだな」
「うん、そうだね……」
「じゃ、俺行くわ。そうだ。ケータイの番号教えてくれない? 今度絶対おごらしてよ。お礼したいから」
「うん、わかった」
二人はケータイの番号を交換した。
そして、神山は手を振りながら去っていった。
あとには手を振り見送る春子だけが残った。
何となく淋しさが心に残ったバレンタインの夜だった。