ミシン走法
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ちいっ……聞いたかつぶらや。とうとう年明けの体育、持久走だってよ。かったりい〜、「腹いてえ〜」でどうにかサボれねえかな。
つーか、なんで冬場に走らにゃいけねえんだ。身体は縮こまるし、こけたら痛いしで、つれえことばっか。俺たちは修行僧かっ、て。
――夏だと、脱水症状とかの心配で、もっと悲惨なことになる?
まあなあ、そういう理由の想像はできるけどよ。冬の寒さのただ中で、夏の暑さを考えてみろっていうのも、難しいさ。
「暑かったなあ」って記憶はあるが、それを肌で実感レベルまで高めるのは、そうそうできねえ。どうしても目の前の寒さの印象が、先にくるわ。
どうして冬に、外を走るのか。
実はこの質問、俺は別の人に尋ねたことがあるんだ。ほとんどがお前のような答えを返してくれたが、中には少し変わったことを話してくれた人もいたな。
お前の好きそうな話も混じっていたし、聞いてみないか?
友達のおじさんの話なんだけどな。おじさんが学生時代に、ちょっと特徴的な走りをする女の子がいたそうだ。
もも上げ走り。陸上競技の練習などで実践されるフォームのまま、彼女は徒競走や持久走に臨んだんだ。
もも上げ走りの要点は、ももを高く上げることにあらず。地面の蹴り方、足の切り替え、身体の軸と姿勢。これらを意識して行うことで、効果はぐんと上がるのだとか。
そして彼女の走りは、この三つのうち、特に前の二つを重視した走り方だったらしい。
彼女の蹴るところ、じゃりが盛大にまき散らされる。そしてその切り替えの速さたるや、テレビで見るトップアスリートたちに引けをとらない。いや、ひょっとしたら上だったかもしれない、とおじさんは語ったそうだ。
走りのスピードそのものは、速くもなく遅くもない。ただその、地面を足で滅多打ちにするかのようなスタイルは「マシンガン走法」「ミシン走法」だのと、クラスのみんなが勝手に名づける有様だったとか。
学校の先生も、当初はその走りを注意し、成績にも響くと告げることもあったらしいが、彼女は無言の反抗。走りを変える様子を一切見せなかったんだ。
その頑固さ、漢らしいとも思えたが、おじさんはあるきっかけから、彼女のことを、少し気味悪く思うようになったんだ。
おじさんと彼女は、ちょうど隣同士の下駄箱を使っていたらしい。
フタのついた下駄箱で、開けてびっくりラブレターから、嫌がらせの物品までしまえるという、ユーティリティなスポットだ。
その日は習い事があって、おじさんは真っ先に教室を後にした。授業が長引いたために、他のことがどんどん後ろ倒しになって、いつもよりゆとりがなくなっている。
下駄箱の前で、おじさんはろくすっぽ箱に眼を向けないまま、ふたをあけて中の靴を取る。そのまま降り口に放って、思わず目が点になった。
輪ゴムでできた靴、とおじさんは一瞥して思ったらしい。
トンと音を立てた靴は底以外には、「枠」しか存在しなかったんだ。何も拘束のないサンダルとは違って、ちゃんとその輪郭のうちにおさまるようになっている。
ぱっと顔を上げたおじさんは、自分が彼女の下駄箱を開けてしまったことを悟った。ほどなく、階段から別の生徒たちが降りてくる気配がして、おじさんは靴を元に戻し、足早にその場は去ったそうなんだ。
だが、次の日からおじさんは、彼女の足下を気にするようになる。
どうやら登下校の際、彼女は普通の靴を履いているらしかった。黒のスニーカーだ。だがその下に履く靴下は、同じ黒い色をしていたのさ。
そして休み時間や体育の折、彼女は件の枠だけの靴に足を入れる。あの「ミシン走法」「マシンガン走法」を披露するときだけだ。
彼女はたくさんのジャリを足へ浴び、下へはさむことになっているだろうに、それを意に介した様子を見せない。あのフレームを成すゴムらしきものがちぎれたりすることもなく、おじさんのように意識しているか、よっぽど近くにこなければ、この異状に気づきづらいかもしれなかった。
――なぜ、このようなことをしているのか。
おじさんの疑問は止まず、ついにひと気の少ないところで、彼女を問いただしたらしい。
彼女はおじさんがついたことに関して、少しのあいだ目を丸くした後で、こう語った。
自分はいわば「麹」などに当たるものを、地面に撒いているのだと。実際、彼女はおじさんの前で、その枠だけの靴を脱ぎ、ひっくり返してみせる。
おじさんが考えていた通り、足と靴底にはさまれていた小石たちが、ザザアと音を立ててこぼれていく。その石たちも、はさんでいただろう靴底も、ともにぐっしょり濡れて、元の色をますます黒ずませていた。
彼女はもう片方の足で、わずかに積もった小石の山を崩し、地面にばら撒いていく。
――この学校の地面って、実は少し膨らんでいる、といったら信じる?
靴下に残った石たちをぱっぱと払い落しながら、彼女はつぶやく。おじさんの返事を待たないまま、更に言葉は続いた。
――ここってね、戦争中に大勢の人が亡くなったところらしいんだ。最近のものじゃないよ、もっともっと昔のこと。
あまりに汚れすぎちゃったからね。直に足を踏み入れちゃうと、祟りがあるんだよ。だから代わりのきれいな土をよそから持ってきて、ちょっとだけ地面を膨らませているんだ。
……ああ、「麹」って言い方はふさわしくなかったかも。パンとかをじかに膨らませるわけじゃないし。うーん、じゃあ……空気かな。自転車のタイヤに入れる、空気ってところ。
汗とじゃりを混ぜ込んだ上で、こうしてうまいこと潜り込ませないといけないんだ。そのためには、あの靴の方が効率がいいのよ。
特に冬の間。他のものが芽吹く前にやっておかないとね。
彼女はじゃりを撒いたあたりに立つと、また例の「ミシン走法」をし始める。
あれはじゃりを飛ばし、また足の下にはさみ込むばかりが目的じゃなかった。彼女の汗がしみたじゃりを、土の中へ埋め込んでいく意味合いもあったのだろう。
卒業まで、彼女の走法は続き、後でおじさんが聞いたところ、以前の在籍生の中にも「ミシン走法」によく似た走りをする子がいたらしい。
そしておじさんが卒業して20年あまり。久々に帰省したおじさんは、件の母校が無くなっていることを知ったんだ。地震によって校舎が倒壊したため……とは聞いたけど、本当の理由かどうかは怪しい。
ひょっとして、あの「ミシン方法」をする子が、何かしらの理由で絶えたのではないかと思っているのだとか。