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無声

前話で一区切りついたので数話閑話を書きつつ、次の構想を練ります。

 秋の終わりが始まろうとしていた。


 風は乾き、陽の光にもどこか透明な冷たさが混じり始めている。拠点の小窓から差し込む朝の光は弱々しく、昼を迎えても気温はほとんど上がりそうにない。


 青年は、時計の秒針が規則的に立てる音で目を覚ました。アラームは必要ない。日頃からの習慣である程度決まった時間に目が覚める。時計の針も正確な時刻を指しているわけでもなく、青年が拠点として構える前からここにあっただけのものだ。


 天井を見上げる。そこには古びた雨染みの跡。だが、その周囲には彼自身が取り付けた補修材のパッチがいくつも貼られていた。かつて雨漏りがしていた場所だ。今は静かに、ただ季節の移ろいを知らせる光だけが差し込んでいる。


 青年はゆっくりと起き上がり、薄手のジャケットを羽織る。卓上コンロに鍋を置き、湯を沸かしながら缶詰を選ぶ。温めた食事。そろそろ残りが少なくなってきたインスタントコーヒー。青年はしみ出す苦味と微かな香りを味わった。


「ふぅ……」


青年の息が漏れる。目を閉じ、安っぽい苦味と香りを吐き出した。


朝の習慣を終えると、青年は備蓄庫へ向かった。倉庫の一角に仕切りを設け、自分用と取引用の物資を分けている。棚には種類ごとに分類された物が、ラベルとともに整然と並んでいた。「自分用」には、調理済みの缶詰や簡単な衛生用品、わずかばかりの衣類がこじんまりと一角に置かれている。


 一方、「取引用」には弾薬、電池、乾燥食料、簡易医薬品などが揃えられている。量も多く、棚二つ分以上はある。いずれも需要の高い品だ。高い需要とは言っても、消費者は残り少ない。最近は注文は月に数回にとどまっている。


(そろそろ冬にかけて燃料の補充がいるな)


 青年はチェックリストに目を走らせ、順に在庫を確認していく。




 正午を回った頃、青年は作業台に座り、古いラジオの修理を続けていた。分解されたラジオはすでに通信機能を失って久しく、彼が持ち歩いている実用的な携帯ラジオとは別のものだ。あくまでこれは“手慰み”。黙々と何かに没頭する時間は、彼にとって大切なひとときでもある。基板の焼け跡を新しい部品で埋め、ハンダゴテで接着する。


一度だけ、「ジ……」と音が鳴った。だが、すぐにまた沈黙。


「……一歩前進したかな」


 彼は肩をすくめるように小さく笑って、工具を片付けに入った。


 そのとき、外で音がした。金属が何かに弾かれる、乾いた音。青年は即座に立ち上がり、壁際のラックからナイフを手に取る。足音を消すようにして裏口へ向かい、そっと扉の隙間から様子をうかがった。


動くモノはない。地面には、傾いていたトタン板が倒れているだけだった。風が強くなってきたのだろう。緊張を解き、ナイフを鞘に戻す。たったこれだけのことで、今日の予定が崩れる可能性だってある。この世界では、「何も起こらなかった」という事実こそが最上の収穫だ。




 午後は記録の時間だった。青年は倉庫の一角に設けた簡易デスクに座り、ノートを開く。元々は物資管理のために始めた記録だが、今では探索や取引の行動ログも兼ねるようになっていた。

 

日付を記し、以下のように短くまとめる。

 「備蓄整理。衛生用品の残量確認」

 「ラジオ(旧)修理失敗。通電反応あり」

 「拠点裏手、風による倒壊音確認」


主観や感想はメモ程度に欄外に。青年は文字を連ねる手を止め、一瞬だけ空白を見つめた。

書くべき「事件」がなかった一日。それでも、こうして書いておくことで、何も起こらなかったことがかえって強調される。書くことが尽きると青年はノートを閉じ、ゆっくりと背もたれに身を預けた。



 日が暮れると、青年はメインの照明を落とし、古い電池式のランタンを灯した。黄ばんだプラスチック越しに、柔らかな光が倉庫の壁を揺らしている。遠くで風の音が鳴り、壁のどこかが軋む。


ラジオは、一台が動作しているはずだが、今夜は電源を入れなかった。情報よりも静けさが欲しい夜もある。青年はランタンの傍に腰を下ろし、ただ明かりを眺めていた。感情は動かない。記憶も掘り起こさない。ただ、無音と光に身を任せる。


 「今夜も、何もなかった」


 その価値を知っているからこそ、彼は目を閉じ、心の奥底で静かに礼を言った。

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