交誼
深夜、銃声が響く。発砲音の余韻が消えると、再び外は、異様な静けさに包まれた。青年は、寝袋から体を起こし、トレーラーの外で焚かれる炎を見つめる。
抗争は青年を足止めし、青年が運動公園に足止めされて3度目の夜が開けようとしていた。
抗争地帯から少し離れているはずの拠点周辺にも、死者の群れがちらほら現れ始めている。
(……おかしい)
青年の中に、違和感が膨らんでいく。
朝。追加の物資提供について、高野が数人を引き連れて拠点を訪ねてきた。青年は朝食に提供されたスープの最後の一口をすすり、様子を伺う。対応していた勝田が手招きで青年に合図を送る。
青年が到着すると、バリケード越しに高野が口火を切る。
「抗争中のグループの一つが、ほぼ半壊の状態だ」
その言葉に勝田は感嘆符を上げながら、眉を上げる。対照的に青年は顔をしかめる。高野が続けた。
「追い詰められた残党が、起死回生のためにお前らを狙っていると報告があった。」
一転、勝田の表情が引き締まる。バリケードの強化作業は、まだ半ば。抗争に巻き込まれれば、拠点そのものが危うい。さらに悪い報せが続く。
「奴ら……ゾンビどもを意図的に誘導してきてる」
青年の違和感の正体が明かされた。言葉を聞いた瞬間、全員が表情を硬くした。以前、外に出た勝田たちの装備を見られたのだろう。不利を悟った彼らは直接の攻撃を避け、こちらの疲弊と自身らの損耗を抑えながら攻撃する一挙両得の手段を取った。
「このままじゃ後手に回る。数を減らすしかねぇな」
高野の言葉に青年も頷く。手早く追加で提供する物資を積み込み、掃討に向けた打ち合わせを始めた。
拠点の前に装備を整えたメンバーが集まる。人数は6人。うち、4人が小銃を携え、のこりの2人は使い込まれた白く曇った透明の盾と手斧を持っている。6人の中に勝田と青年の姿も見えた。
日没まであと数刻、陽には赤みが増してきている。
「参加してくれて助かる」
「いつまでも、長居してられないからな」
勝田と青年は力のこもった目線を交わす。勝田が号令を出しバリケードの門が開かれた。視界には既に数体の死者。事前に打ち合わせた盾の2人前衛にした陣形を取る。1体ずつ順に手斧やナイフで死者を一度に集めすぎないように処理していく。
だが、それでも――
「まずい、近いぞ!」
高野の部下の叫びが響く。盾で押し留めるメンバーの陰でもう1人が周囲を見渡す。朽ちた貨物トラックを示されると、6人はジリジリとにじみ寄る。全員の顔にはすでに疲労が見え、肩を上下させながら息をしている。
トラックの裏側、来た方向とは逆側を青年が軽くクリアリングし、安全を確かめる。6人はトラックのコンテナ部分を背に反転。両脇に盾の2人が側面を警戒する隊形に変化する。後ろを守る壁として使いながら腐った手を伸ばして追い縋る死者に向き合った。
「撃て!」
勝田の号令に青年も標準を合わせ引金を絞った。事前に指示された通り、初撃は弾薬をばら撒く。視界に映る死者は歩みを止め崩れ落ちた。すかさず青年は残弾を確認。残り少なくなったマガジンを腰のポーチに仕舞い、新たなマガジンを差し込んだ。
「よし!みんなよくやってくれた。発砲音にまたよってくるだろう。ある程度ここで戦う。弾切れが重ならないように撃ち始めをずらしてくれ」
全員が視線を勝田に向けないまま反応を返した。住宅の切れ目からまた死者がふらふらと姿を見せる。勝田の再びの号令によって発砲が再開した。少し間を置いた青年も再び銃を肩に当て、弾を節約しようと正確な照準を意識して息を短く吐いた。
青年が3度目の弾倉を交換した。6人の前方20メートルほど先に約20、左側面に1体の動かなくなった死体が転がる。左の1体からはまだ斧が深々と食い込んでいる。
「左、また来てる!」
勝田の怒鳴り声。斧を抜き取ろうとしていたメンバーをフォローする様に、青年は周囲に声を上げながら銃身を旋回させた。斧を回収しようとしていたメンバーは一度、斧から手を離し盾を構え直す。正確に頭部を捉えた青年の弾丸によって死者は盾に寄りかかる様にして崩れ落ちた。再び盾を持ったメンバーが斧に手を掛け、力任せに引き抜く。粘性のある赤黒い液体が飛沫となった。
青年の汗が目に滲む。銃を握る手が震えはじめる。
だんだんと数が増える死者たち。地に伏した死体に死者は足を取られ距離は保てている。――そのとき、誰かの叫び声と共に何かが宙を舞った。空気を裂く破裂音。火炎瓶が、死者の群れのど真ん中で炸裂した。炎が死者たちを包み込み、腐臭と黒煙が立ち上る。
死者の行進の切れ目。青年は死者とは明らかに違う動きをする陰を視界の端で捉える。他のメンバーは依然、照準を定めており、視界が狭まっていたのか気づいていない。小銃を構え直しながら声を張り勝田に知らせる。
「おい!見えたか?俺らを見てる奴がいた」
「誘導してきたヤツがまだいたのか。追いかけたいところだが…」
「今は、無理だな。撃っても当たらん」
小休止に青年は構えた銃を下ろす。半端に使った弾倉から弾を抜きつつ、空になった弾倉に押し込みながら一息をつく。他メンバーも警戒を続けながらも構えを解いた。交代で水分を補給し、再び姿を現した死者へ銃口を向けた。地にふせる死者の数は既に誰も数えていない。
掃討を終え、拠点に戻る。疲労と安堵が6人の身体中を支配する。青年は、倒れ込むように腰を下ろした。撤収時、タイミングが重なった高野たちもこの日はバリケード内に入った。共有する数度の物資、情報のやりとりでの一定の信頼度を認められた。さらに疲労した勝田が腰を下ろしての話し合いを望んだからだ。
抗争グループの動向、掃討した死者たちのおおまかな数、そして青年たちを見ていた陰。一通りの情報共有を終えると、陽は完全に落ちきり、焚き火の炎がその場の全員の顔を照らしていた。話しが尽き、立ち上がった高野がふと、夜空を仰ぎ見ながら呟いた。
「…うちの嫁がな。喘息持ちだったんだ。発作を起こした。……酸素吸入器は手元にあったんだがな」
高野は、煙草を取り出し、火をつける素振りをして、やめた。青年たちは静かに耳を傾ける。
「電気さえあれば、救えたかもしれなかった」
低く、搾り出すような声。
「だから…俺は、絶対にもう一度、電気を取り戻す。どんな手を使ってでもな」
青年は、静かに拳を握った。高野のその執念が、単なる物資目当てではないことを悟る。
翌朝、再び高野たちが訪ねてきた。
「抗争の決着がついた。あんたらにゾンビを仕向けてたヤツも死んだよ」
再び招き入れられた高野は腰も下ろさずに告げた。青年、勝田その他数人のメンバーは一瞬安堵するが、再び緊張感を取り戻す。高野が隣にいた高校生ほどの少年の肩を叩きながら続ける。
「こいつがな、発電所を占領したグループの会話を聞けるとこまで潜入してくれた」
青年は目を感心とともに腕を組む。勝田たちも「へえ」と声を漏らした。少年は高野に促されるように盗み聞いた内容を説明した。
「ヤツら近くの民家に陣取って、発電所を直す計画を話してました。あと機械いじれるヤツはいるみたいですけど、専門じゃないみたいで少し揉めてましたね。部品を集めるとかなんとか言ってました。あと…その…それで、自分許せなかったのは、ここの、その…」
少年は偵察してきた内容を話すが、後半、言いずらそうに口ごもる。勝田や青年たちは首をわずかに傾けながら言葉を待つ。高野が顎をしゃくるように更なる説明をさせる。
「電力をちらつかせて、ここの女性たちを…その、差し出させようって相談までしてて…従わなかったら攫ってやるって笑いながら喋ってて…」
「ふざけたこと抜かしやがって」
少年が口ごもった理由に青年は合点が行った。
(思春期だねえ)
ずれたことを考える青年の隣で話を聞いて怒りを露わにする勝田。高野が少年を下がらせ勝田に提案を持ちかける。
「うちら、合併しねえか?俺らは知っての通り、少人数で発電所を取るのに人手に不安がある。おたくらは今後に不安が残る。合併しちまえば、身内だ。奴らみたいに電気をちらつかせて支配なんて意味がなくなる。勝田さんあんたに代わって俺がここをまとめようとも思わんしな」
高野の言葉に勝田は顎に手を当て、考え込む。青年は無言のままだ。周囲のメンバーは隣同士で相談を始めざわつく。
数刻考えた勝田は青年に一度目線を向けるが、すぐに考え直したように首を捻り、周囲のメンバーと少し離れた場所に移動した。高野が輪に加わらなかった青年に話しかける。
「あんたはいかないのか」
「あぁ、言ってなかったっけ?俺は外様なんだよ。ここには取引で立ち寄ったんだが、足止めされてるだけだ」
「その割には随分信用されてるな」
「ここのグループができてすぐから付き合いがあるからな」
高野は全てを説明しない青年の言葉に納得いかない顔をする。青年も質問を返す。
「この辺は珍しいな、こんな小規模のグループが乱立するなんて。感染が広がってもう3年だ。だいたいは1人で転々とするか、ある程度大きなグループにまとまるもんだ。事情があるのか」
「俺らは去年、秋田から南下してきたんだ。冬がしんどくてな。他の連中は俺たちがきた時はまだ、1つのグループだった。仲違いして分裂だな」
「なるほどな」
勝田たちが戻り、高野との会話を終える。勝田たちは真剣な表情で未だ立ったままの勝田たちに視線を向ける。
「その話。乗ろう」
「いい返事が聞けてよかった。よろしく」
高野が差し出した右手に頷きながら勝田が応える。高野以外のメンバーが自己紹介を交わす。青年は目を細めて眺める。もうすぐここでの5度目の夜が始まる。青年の出発は近い。