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或る文学作品

小路のきせき

作者: 栄啓あい

 私は、高校の帰りの電車を降りて、雑踏の中、ホームの階段を上り、広いコンコースへ出て、少し立ち止まり、息を整えて、一気に改札を抜ける。


 ここ鷺橋駅は、郊外の大きな駅だ。


 郊外と言っても都心から一時間くらいで、わりと大きな市街があるので、買い物などには不自由しない。


 私が住んでいるのは、隣の北鷺橋駅だが、今日は本を買いに定期圏内の鷺橋駅に繰り出したってわけだ。


 改札を抜けると、いすぎるくらいの多くの人の流れに乗って、建物を出た。


 建物を見ると、やはり駅ビルってだけあって、大きいと気づく。


 だが、鷺橋のある本屋にしか売ってなかったほしい本を買えるという情報を聞きつけた私は、スキップ…とまではいかないが、足取りはとても軽かった。


 ロータリーのバスの音。


 ほかの高校生の話し声。


 いろんな音がまじりあっている。


 スターバックスを横目に見ながら、さらに奥へ進む。


 コーヒーの匂いがした…かと思えば、香水の匂い、加齢臭の臭い。


 いろんな匂いが混じりあい、そういうのも人を通るたびに意識せざるを得なかった。


 そして人通りの多い大きな道から反れて、静かな小路に入る。


 右へ左へ何度も曲がっているうちに、目的の本屋に着いた。


 この本屋は、本屋界では、大手有名チェーンの、あの「草木書店」の本店だ。


 こんなところにあるこんなにボロボロのビルが本店だとは思わないよね。


 でも、五階まであって、日本の草木書店でやはり一番大きいのだ。たぶん。


 その本屋に入ると、やはり古くからある本の香りが立ち込めて、幸せな気分になる。


 この匂い、本好きにはたまらないよね。


 三階に上がり、目当ての小説の場所へ行く。


 …文庫、…さんの…あった!


 私が最近好きな作家さんは、案外マイナーな人なので、探しに行かないとないのだ。


 だから、見つかるとすっごく嬉しい。


 すぐさまレジに向かい、本を読み取ってもらい、お金を出そうとする。


 すると、500円玉が落ちてしまった。


 すぐに見つかるものだと思ったのだが、見えないところで挟まってしまったっぽい。


 私は必死で探したが、見つからない。


 幸い後ろにお客さんはいなかったものの、これは大ピンチだ。


 すると、さっきまでカウンターの向こうにいたお兄さんがとなりにいた。


 「どうかなさいましたか?」

 「五百円玉が落ちてしまって…」

 「そうですか。では少し失礼します」

 

 そう言って、すらっとした長身のその人はしゃがんで、懸命に探してくれた。


 どうやら二つのカウンターの隙間に挟まってしまったらしい。


 するとお兄さんはこれまたすらっと長い腕でカウンターの一つを思いっきり動かし、隙間を作って、五百円玉を取ってくれた。


 そしてまたカウンターをちゃんと戻し、わたしの手の中に置いてくれた。


 めっちゃかっこいい、この人。


 「ありがとうございます!」

 「いえいえ、よくあることですから」


 そして、その五百円玉と、百円玉、五十円玉、十円玉を一個ずつおいた。


 「ちょうどお受け取りします…こちら、レシートになります」

 「あ、あの、本当にありがとうございます!」

 「気にしないでください」


 そのお兄さんは、キラっと爽やかな笑顔を見せてくれる。


 本当に優しい人だった。


 ネームプレートを見ると、きへんに存在の存という、読めない珍しい名字だった。


 私はレジの前からはなれ、頭を下げながらお店を出た。


 「ありがとうございました!」


 お兄さんのその声は、しっかりと輝いていた。


 お店を出ると、やはり小路の静けさは変わらなかった。


 私は先ほどのことを思い出しながら、ぼーっと歩いた。だけど、いつまでたっても先ほどの大通りには出てこない。


 なんでだ…


 いつもの私なら、ここでGoogleマップを立ち上げているであろう。


 しかし、今は充電は電池切れだ。


 どうしよう…


 そんなとき、ギターとハーモニカの音楽が聞こえた。


 ちゃーんちゃん、ちゃんちゃちゃんちゃん、ちゃーんちゃん、ちゃんちゃちゃんちゃん


 私は、そのかすかな音を目印に、その方向へ行ってみることした。


 するとそこには、いかにも放浪したようなホームレスのような、だからと言って清潔感がある、不思議なオーラをした人がギターを弾きながら、固定したハーモニカを幸せそうに吹いていた。


 聞いたことのない曲だ。


 だけどなぜか自然と引き込まれる。


 周りの人は不気味なほどにだれもいなかった。


 私は曲が終わるまでずっと聴いていた。


 曲が終わると、自然と拍手してしまった。


 「お嬢さん、音楽とか好きなのかい?」

 「あ、はい、だいすきです!」


 そして、その男の人にちょっと近づく 


 男の人は、歯のない口でニッと笑って言った


 「そうかいそうかい。それで、なんでこんなとこまで来たんだい?」

 「えっと…道に迷ったんです」

 「そうかいそうかい。ここは迷った者しかたどり着かんからなあ。どこに出たいの?」

 「あ、駅前に」

 「んだば、ちょっと道教えるから待ってて」


 この人も…さっきのお兄さんと同じような感じで、見た目に反して案外優しかった。


 そして、道順を書いた紙を渡してくれた。


 え、ちょっとまって…迷った人しかたどり着かないって?


 「あの…迷った人しかたどり着かないっていうのは…?」

 「ああ、そうだべ。ここらはもう廃ビルとか空き家とかばっかでな。普通の人はな~んも用がないとこだから。迷った人ばかり来るのと、夜は犯罪グループとかに占領されるくらいだべさ」

 「そうなんですね…」


 確かに、周りは廃ビルやツタで荒れた家とかが多かった。


 「君、鷺橋の子?」

 「えっと…一応そうです。北鷺橋のほうです」

 「北鷺か。俺もそうだ」

 「本当ですか!?」

 「俺は嘘つかんからな」


 しばらくなにかわからない沈黙が流れる。


 そして寂しげにその人は言った。


 「俺はもう二カ月くらいこんなことをしておる。妻も子供もいるんだがな。ある時、喧嘩になって、妻に出てけと言われた」


 その人は、遠くを見つめながら続けた。


 「離婚とかはしとらんからまだ妻と子供はいるわけだが…すっかり離れ離れになってしもうた。家は寝るためだけに帰ってきて、それ以外はずっとここにおる。なんもないのはつまんねえから、大学の時にちょっとばかしやってたギターをまたやってみた。それが案外はまったものだ。こうして今でも生きてられる」


 私は何も言えないまま、さらに続ける。


 「子供はもう大学生で書店員のバイトをしていて、どこにおるんだかわからんが、あいつは今でもうまくやっておるのだろうな。愛想もいいし、優しいし。どうしておれはこんなんになってしまったのだろうな」

 「えっと…私が言えることじゃないですが、がんばってください!きっとまた元に戻りますよ!」


 私は気持ちを振り絞って言った。


 本当はよくわかっていなかったけど。


 「もうおれは家族に合わせる顔すらない…」


 私は、どうしていいかわからなかった。


 「…一曲聴かせてください!今弾きたい曲を!」

 「…聴いてくれるのか…?」

 「もちろんです!あなたの曲、好きですから」

 

 私はまっすぐにその人の目を見て言った。


 「…それじゃあ、一曲歌おう。自分で作った曲だが。『悲哀』という曲だ」


 そして、弾きだした。


 ただの初心者の曲、とかそういうものではなくて、きちんと構成されていて、ちゃんと曲になっていた


 その曲は、その人に最も染みることであろう。


 しかし、私自身にも染みる歌だった。


 やはり、その人には、なにか惹かれるものがあった。


 人生って何だろうか。


 はかないものだ。


 ときに失敗するけれど、


 ときに成功する


 でも、それでいいんじゃないのかな?


 それが人生ってもんだと思う


 私はそんなことを思った。


 曲が終わると、また拍手をしていた。


 「ありがとう。なんか気持ちが楽になっよ」

 「こちらこそ、すごい心に染みました」

 「……早く帰んな。遅くなるよ」

 「…はい」


 でも、私は立ち止まった。


 「あの、明日も来ていいですか?」

 「…まあ、おれの気分次第かな」

 「じゃあ、明日もこれたら来ますね!」

 「たどり着くかわからないけどな」


 そして、その人と別れた。


 そういえば、名前をきいていなかった。


 明日聞こう。


 

 次の日、学校から帰ると、また鷺橋の駅で降りた。


 気持ちを落ち着かせるために、草木書店にちょっと入り、息を整えた。


 今日も昨日のお兄さんはいた。


 ちゃんと家に帰って調べると、『栫』と書いて、『たてしば』と読むらしい。


 本屋で気持ちが落ち着くと、昨日もらった地図を頼りに、歩いてった。


 入り組んでいて、本当にたどり着けるかわからなかったけど、ギターの音も微かに聞こえて、なんとか昨日のところまで来られた。


 しかし、そこにはあの人はいなかった。


 目の前の廃ビルの裏にいた。


 ちょうど一曲終わったところらしかった。


 「こんにちは」

 「ああ、おまえさんか。よく来られたな。今まで誰も戻ってこれなかったというのに」

 「そうなんですか…」

 「それじゃあ一曲聴いてくれ。『嬉々』だ」

 

 そして弾き始める。


 ギターの音が私の心に語り掛けてくるような


 歌が世界に平和を願っているような


 でもハーモニカは一種の遠吠えのような


 そんな気持ちにさせされた


 やはり私はこの人の歌が好きだ。


 何か喜びの中に哀愁のようなものもあって、懐かしくなる。


 なんていうか


 ノスタルジアのような感覚になる


 曲が終わると、また自然と拍手がこぼれた。


 「ありがとう。おれもおまえさんのおかげで元気になったよ」

 「あの、あなたってお仕事とか何されてたんですか?」 


 そう質問すると、ごそごそとリュックから何かを取り出した。


 それは、名刺だった。


 「一応まだ会社に籍は置いているんだがね。もうあんまり行っとらん」


 そこには


 『栫 裕二』と書いてあった


 「たてしば…ゆうじ…?」


 栫という文字を見て、とっさにあの書店員さんの顔が出てくる。


 もしかして、あのお兄さん、この人の息子?


 「おお、よく読めたな。おまえさん、漢字強いのか?」

 「いえ、そうじゃなくて…」

 「どこでこの読みを知ったんだ?」


 別れた息子の話をするのも暗くなると思い、良い感じの嘘を考えたが、思いつかず、真実を言ってしまおうと思った。


 「息子さん、そこの草木書店に今います」

 「えっと…どういうことだ?」

 「昨日、五百円玉を拾ってもらったんです。栫さんという20代くらいのお兄さんに」

 

 やはりお父さんのほうの栫さんは戸惑っていた。


 「人違いなんじゃないか?」

 「じゃあ、特徴を言います。髪はきれいに梳いた黒髪で、目鼻立ちもよく、とてもやさしくて、甘く、でもはっきりした声で、長身ですらっとしていて、長い腕とか、しゅっとしていて、カフェで働いていそうな人でしたっ!」


 やばい!これじゃあ栫さん(息子さん)の好きなところをあげているみたいじゃないか!


 ん?栫さんが好きなのかな?


 「それは、うちの息子だ。あいつは昔からよくモテた。色々羨ましかった。あいつと関わるのが楽しいということもあったんだが、妬みのようなものもあったのだ。それがいつしか、こんな結果になってしまった」

 「会いに行きませんか?今から」

 「おまえさんに意志をくれた。そうだな、いまから会いに行きましょう」

 「はい!」


 二人でそれから草木書店の本店へ行った。


 「いらっしゃいませー」

 「こんにちは」

 「あ、昨日の!」

 

 そしてお兄さんはぎょっとした顔になった。


 「お父さん…どうしたの?」

 「…すまなかった。あんなに言って。おれがやっぱり全部悪かった」

 「あ、いや、えっと…ちょっと待ってて」


 お兄さんは、裏に入り、しばらくして、エプロンを外して戻ってきた。


 「ごめんごめん。今休憩入れてきたから」

 「本当に、ごめんなさい」

 「なんでお父さんが謝るの?」

 「だって…おれが悪いわけだし…」

 「えっと…あのときは、僕や母さんはちょっと色々言いすぎたし、実際二人もお父さんのこととは関係なくイライラしてて当たっちゃっただけみたいなものだから。こちらこそ、ごめんなさい」

 

 私は二人の言っていることがわからないから、何も入れずにただぼボーっと見ていた。


 「でも、浩平は、色々おれのせいで苦しめたこともあったし…」

 「それはお父さんのせいじゃない!僕は…自分自身で自分を苦しめていたんだ…お父さんは、悪くないって母さんも言っている。だから家に戻ってきて!」

 「母さんが…?」

 「うん、母さんも後悔していて、最近は元気ないからさ。」

 「そうなのか…それなら…戻ろうかな」

 「戻ろう。一緒に戻ろう」

 「ありがとう…」

 「一人で行きたくないのなら、僕、一応あと一時間くらいで終わるから、それまで待ってほしい」

 「…わかった。一時間待つから、一緒に帰らせてくれ」

 「はい、じゃあ、バイト戻るから。君もありがとう」

 「あ、いえ、大丈夫です」


 そして、お兄さんと別れた。


 あんがいすんなり仲直りしてよかったと思いながら、隣にいるお父さんのほうを見た。


 お父さんは、シミやクマがあるが、うれしそうなのはすごいわかる。


 目の下のシミが、悲しそうな涙から、うれし涙に見えるようになった。


 「あんたも本当にありがとう」

 「いえ、私は何もしてないですよ」

 「あんたのおかげで仲直りができたもしれない。まだ妻とは仲直りできる自信がないけど、がんばる決心がついた」

 「じゃあ、がんばってください」

 「そうだね。がんばるよ」


 お父さんとお兄さんが仲直りしてよかったと思う反面、あの歌が聴けなくなると思うと、ちょっと寂しくなってきた。


 「あの…」

 「なに?」

 「よかったら、連絡先交換してもいいですか?」

 「してくれるのかい。こちらこそ心強いよ」

 

 お父さんはそう言って、スマホを取り出した。


 そしてLINEを取り出した。


 このお父さんがLINEなんてギャップがすごくてちょっとびっくりしたが、快く交換した。


 「また、このギターとハーモニカを使って、良い歌を歌ってください!私、栫さんの歌好きなので!」

 「あ、ありがとう…」

 「それじゃあ、がんばってください!」

 「気を付けるんだよ!」


 そして、私は幾度か振り返って帰った。


 


 後日、栫さんからLINEがあった。


 栫さんは無事、妻と息子さんと仲を取り戻したようだ。


 というか、前よりも良い関係になったようだ。


 そして、会社も復帰しながら、ギターもたまに北鷺橋とかで路上ライブみたいなことをやっているらしい。


 今度行ってみようかな。と思いつつ、しばらくその人に会う機会がなかった。


 でも、あの二日はずっと忘れられなかった。


 私はいいことをしたのかわからないが、栫さんのお兄さん、いや、あの家族が好きになったのかもしれない。


 栫さんのお兄さんが特に好きになったのかもしれない。



 学校帰りに北鷺橋で、たまたまお兄さんに会った。


 「あ、君は」

 「お久しぶりです」

 「えっと…久しぶりだね」

 「はい!」

 「この前は、ありがとう。お父さんが家に戻ってきてくれて、家はすごい円満になったよ。」

 「ありがとうございます…えっと…その…あの…」

 「どうしたの?」

 「好きです」

 「えっと…あの…え?」


 私は顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。


 「僕も、好きです」

 

 私はうつむいたまま驚いて、ゆっくりと顔をあげた。


 すると、やっぱりそこには、優しい栫さんが、爽やかに立っていた。


 私は栫さんの家庭が好きだ。


 夕焼けはピンク色とオレンジ色、そして藍色が混ざっていて、私たちをより色づかせているような感じがした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 好きでした! やっぱりハッピーエンドっていいですね。 文章の運び方とか綺麗だと思いました。
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