災い防ぐとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? これは市内放送?
ふんふん、行方不明者が無事に保護された、か。ひとまずは安心ね。あのちょっと前に放送していた人でしょ?
私たちも、歳をとってボケたりしたら、勝手に外をふらふらして迷惑をかけちゃったりするのかな? 自分でも、まずいことをしているって自覚もないままに。
なんか、やあねえ。どうか一般的な認識は保って、この世とおさらばしたいものだわ。人生の最後が、誰にも理解されない終わりっていうのは、すごくさびしいと思うの。
つぶらやくんは、自分の感性に自信はあるかしら? 別に芸術的な意味合いに限らず、自分が認識している、あらゆることに対してね。ひょっとしたら、自分だけものすごくずれてしまっているかもよ?
私自身、ちょっと昔にそんな体験をしたことがあるの。そのときのこと、聞いてみない?
私が小さかった頃のこと。家で留守番を任されていた時、あの「ピーンポーンパーンポーン」という、市内放送始まりの合図が鳴った。
当時の私の家は、あのスピーカーのほぼ隣に位置するところにあったもんだからさ。窓を閉めていたとしても、うるさいのなんの。たいていは午後4時から6時くらいに流れる、「赤とんぼ」のメロディを聞くんだけど、今の時間は真っ昼間だった。
「――連絡します」
お姉さんと呼ぶには、少々歳をとっているおばさんの声が響く。
「今日は、地域防災の日です。身の周りを、もう一度点検しましょう」
何度か聞いたことのある呼びかけだったけど、今日はその音量がひときわ大きく感じたわ。耳の奥までずんと響いて、思わず身震いしてしまったくらい。
私はベランダの窓の近くへ。騒音をばらまいた背の高いスピーカーを見上げる。周囲の建物を大きく越え、四方に顔を向けるそれは、もうこそりとも音を立てていなかった。
それから一時間ほど。買い物に出ていた母親が帰ってくる。
袋がどんどん玄関口に並べられていき、待ち構えていた私が、それらを台所へ運んでいくのが、お決まりの流れ。
分かるものは、そのまま冷蔵庫に入れていいというお達し。とはいえ、私はさほど機能に詳しいわけじゃない。せいぜい、野菜は野菜室。お肉はチルドルーム、お魚はパーシャルルーム。アイスや冷凍食品は冷凍庫で、残りは他の部分という認識程度だった。
いつも通り気楽に、惰性でやって終わる仕事。でも、その日はそうはいかなかった。
牛乳などの飲み物類が入った袋を持ち上げたとたん、握った手にしびれが走る。
手放してしまうほどじゃなく、私は我慢して台所のテーブル上まで袋を引き上げた。ぱっと持ち手を離して見てみると、重さがもろにかかった部分。人差し指から薬指にかけての指の根元が真っ赤に腫れあがっている。
他の袋を扱うときも同じ。指の先に吊るそうが、腕の中ほどに引っかけようが、そこの部分にじんじんと痛みが広がるの。最後のほうなんか、涙がにじみそうになっちゃったくらい。
仕事のあと、私は洗面所に直行して手全体を冷やしたわ。
最初に袋を持ち上げた指の付け根部分は、青タンになっていた。最も色が濃い根元部分を中心にして、そのまわりにもぽつぽつと、粉をまぶしたような薄い紫色の斑点が浮かんでいる。
その色合い、その配置。もう背筋がぞわぞわしちゃってね。そばにあったピンセットの先で、何度も突っついたり、こすったりして、どうにか消せないか躍起になっちゃったわ。
結局、一時的に赤くなった肌の色に隠れてしまっても、彼らが私の肌からいなくなることはなかった。あの袋を提げた指先も、腕の中ほども、時間とともに重さのかかった部分の色が、どんどん青黒くなってしまったの。
おかしいことは、夕飯以降も続く。
私ね、茶碗レベルの軽いものを持つのにも、痛みを感じるようになっちゃったの。冷蔵庫に入れるときとは逆の、なんの問題ない手を中心に使ったにも関わらずよ?
取り皿持っておかずをよそる際だって、皿を持つ手と取り箸を握る手が、震えないように一生懸命だったわよ。そして時間を置くと、あの青タンとなってくっきり現れちゃうの。
その日のお風呂は、いつもより長くもらった。お湯に石鹸に、ボディソープに、シャンプーやリンスだってこすりつけたわ。
お父さんが使っている整髪料やシェービングクリームもこっそり拝借して、試したりもしたの。でも一向に効果は上がらず、私は悶々とした気持ちで布団へ潜り込む。
こんな身体、誰にも見せたくなんかなかったわ。
翌朝。事態はなおも悪い方向へ。
手や腕だけでなく、私の身体を支えている足にも、同じような兆候が見られたの。歩くのはまだいいけれど、走ったり階段の上り下りをしたりするのは、もうおっかなびっくりだったわ。変な体重のかけ方をした時なんか、足の付け根から腰のあたりまで、骨がせり出すんじゃないかと思うほどの、痛みが駆け抜けるものだから。
正直、学校を休みたかったけど、親にいったら絶対に理由を問いただされる。かといってこの痛みとか、醜く腫れあがった肌とかをさらせば、病院沙汰にされかねない。
私は病院が苦手。だからこのままどうにかこらえて、自然に治るのを期待することにしたの。昇降口で上履きに履き替えるとき、靴下を脱いで確認した足の裏は、もう完全に青タンまみれになっていたわ。
しんどさしか残らない、学校の時間が終わる。
やたらとびっこを引き、給食のトレイを受け取るときも脂汗をにじませる私を、心配してくれる子は何人かいたわ。
そのたび「なんともない」と返して、切り抜けていく私。放課後にはもう、普段ならなんてことない地面やアスファルトが、延々と続く足つぼマットのよう。私の足の裏のそこかしこで、えぐり込まれるような痛みが走ったわ。
家に戻って、すぐお風呂場へ飛び込む私。昼間からずっと、服がこすれるたびに身体全体がぞわぞわしていたから。
予想通り、私の体中であの青タンが花を咲かせている。おそるおそる指を伸ばすと、触れた肌も、触れられた肌も、一瞬燃え上がりそうな熱を感じて、手を引っ込めちゃったわ。お互いが離れると、もうそれらは何も感じない。
私は泣きそうだったわ。幸い、顔にはこれらが浮かんでいないけど、もしこれから先もこの痕がなくならなかったら、どうすればいいだろう?
そう思うや否や、私の体中がにわかにかゆくなりだした。
見ると、私の首から下にかけて、咲き誇る青タンたちが、おのずからぶるぶると動いているの。やがて私の皮膚の内側で、あたかも垂れ落ちる絵画の絵の具のように、私の染まっていない皮の部分を染め上げていく。
単純に広がっているわけじゃなかった。色が垂れ落ちていくにつれ、もともとの位置にあった青タンの色が薄れていく。彼らは身体を伸ばしているんじゃなく、移動していたのよ。
半ばパニックになった私が、手のひらでバンバンと、動きゆく青タンを叩いていくけど気にする様子も見えない。そうこうしているうちに私の体中の青タンは、両足の先へ集まっていく。
タンスの先に指をぶつけたときを、何倍にもした激痛。私は奥歯を噛みながら、うずくまりかけたとき、指先から勢いよくほとばしったものがあったわ。
青タンが、そのまま表に現れてきたような、どろりとした液体。それが両足合わせて10個の爪の先から噴き出したの。
閉め切ったお風呂場のガラス戸に、その身を存分にぶつける液体は、私の内側でやったようにその表面を垂れ落ちる。けれども何秒も経たないうちに、湯気も出さず消え去ってしまったの。
呆然と見届けた私だけど、爪の先には、まだあいつらの残りが入っている。懸命にお湯につけると、今度はわずかながら色が薄まったのが確認できた。
体にはもう斑点は残っておらず、数日後には爪の色も元に戻ったの。
それ以降、私はいままで体調を崩したことはない。健康体そのもので、お医者さんからもびっくりされるくらい。
ひょっとしたらあの時、私の身体から悪いものがすっかり出て行ってしまったのかもね。防災の字のとおり、災いを防いでくれたのかも。
あとで知ったんだけど、あのとき防災の日の放送を聞いた人って、私以外には誰もいなかったのよ。