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十七番

前回読んでくださった方々、ありがとうございます。今回は、本当に筆が進まず書きたいことと、書けることの齟齬に苦しみながら書きました。稚拙で無意味な駄文ですが、もし読んで下さったら嬉しいです。

17番はハタチの痩身で朗らかな男だった。よく見ると顔つきは割と端正にできており、黒縁眼鏡をかけて髪は短く清潔に刈り上げられている。パッと見た感じは、そのスッキリとした顔立ちと主張の強いアイウェアの作用でなんとなく好印象を受けるような風態だった。


ただ話してみるとだいぶ印象は変わる。会話をすると所々で怯えてるかのように声が震えて、吃音(きつおん)してしまうのだ。そして、その際に顔の右半分の頬の周りが軽く痙攣してしまう。この(ども)りと引き攣りは随分と悪印象を相手方に与えてしまうと思われる。それ故に17番は、相手の機嫌を伺おうと、必要以上に他人の顔を覗き込んでしまうようであった。


この機嫌を伺う悪癖は、本人なりの気遣いから来るように思うが、向けられた方は恐らく良い気はしないであろう。その見た目からは予想外な吃音と痙攣で面食らう状態なのに、さらに覗き込むような作り笑顔を向けられたら、はっきり言って薄気味悪いのである。


そういった所作に相手が引いてしまう事をなんとなく理解しているのか、17番はあまり積極的に他人と交わろうとしない程があった。ただ元来は話好きであるらしく、最初の壁さえ越えてしまうと、彼は随分と明け透けに自分のことを語り出すようなところがあるらしい。そう言った意味ではこの虚牢の共同生活は自然と最初の壁を溶解していくのだった。


この狭っ苦しい虚牢(ころう)では常にお互いのパーソナルスペースが交わってしまう。また部屋の奥に設けられている閑所(かんじょ)などは、いわゆる和式型であり一応はコンクリート壁で囲われているが、看守が外からも監視できるようにと、腰高より上はガラス張りになっており、(くそ)など気張っている際には、その苦悶の表情を他の囚人や看守に存分にご披露せざる得ない塩梅となっている。


そんな狭い非日常空間に数人の男が文字通り糞味噌一緒にぶち込まれていれば、否が応でも会話を交わし、最低限の友好関係は気付いておこうという気持ちになり、自然と会話や気遣いが増えていく。そう言った作用は多大に17番を安心させていくらしく、彼は時間の経過と共に吃音と痙攣が減っていき、それに自信をつけたのか、宗介との会話も増えて、やがてこの地に流れ着いた経緯を披瀝(ひれき)に語り出すようになっていった。


「ぼ、僕は、本当のお父さんが誰だかわからないこ、こ、子供なんですよね」


という導入としては実に引きがある序章で始まる17番のストーリーに宗介は思わず心を乗り出した。


ただやはり慣れてきたとはいえ、宿痾(しゅくあ)の吃音癖は遅々として話の腰を降り、また語り部としても、物語の作り手としても非才である17番の話は、堂々巡りや逆走どころか、遁走までしだす程であり、なかなか理解しがたい内容であった。しかし、そこは宗介の今まで経験が生きる。彼はまるで17番の三国語を翻訳するかのような合いの手で、話を(つまびら)かに整理していくのだった。


要約すると17番は東北一の繁華街である仙台のホステスの元に生まれたらしい。ホステスはわずか18歳にして17番を身籠り未婚の母として育て始めた。しかし、程なくして若い未婚の母が子育てと水商売を両立することは甚だ難しく、また未婚のまま妊娠するような少し貞操の(たが)の外れたこの若母は、早々に新たな間男を(こしら)えてしまったようであった。こうなってくると若母としては17番の存在がちと邪魔になってくる。


もちろんそこには母性からの子育てに対する義務感や責任感はあったであろう。しかし、なにぶん若母はまだ文字通り若く、成人前にしてコブ付きで水商売の世界を渡り歩くのは些かハンデでもある。さらに新しい間男との関係においても、このコブは過去の房事の積悪の切れ端のようであって、なにかと引け目となってしまう。そこで若母は3歳になる17番を自らの故郷である福島の実母に預けることにしたのだ。


こうした経緯から17番はわずか3歳にして親元を離れて、祖母に育てられる羽目となる。その祖母も若いおりに離婚しているらしく、女手一つの苦労も知っているためか、当初は協力的だったらしく、これを受け入れたのだ。そう。あくまで当初は。


17番の話によるとこの母方の血筋は、どうも短絡的かつ激昂型で、いわゆるヒステリーというエレメントを御多分に含んだ稟性(ひんせい)であるらしかった。若母と祖母は三日も寝食を共にするとお互いにフラストレーションを溜め込んでしまい、それが臨界点に達すると烈火のごとく激しい抗争が始まるのだった。


お互いに憤懣(ふんまん)すると、高圧的に睥睨(へいげい)しあった後には、とても親子とは思えぬ物言いで声高らかに詬罵(こうば)を仕合う。そして、それでも収まらぬ時は取っ組み合っての悶着となり、結句としては血の繋がりを一切無視したかのような、激しい打擲(ちょうちゃく)までも浴びせ合う格好となるのであった。


この異様な光景を目の当たりにする彼の心中は、もはや、計り知れない負担があったであろう。たまの余暇(よか)にしか帰ってこない生母が戻ってくるたびに、育ての祖母と揉めて折檻し合うわけなのだから。そして、生母にしてみても実子に会いに行くたびに、親と揉めてしまうのは大きな負担でもあったのであろう。こんな関係は長く続くわけもなく。ある日、母と祖母は今後の修復が望めないほどのに互いを激しく削りあい、その結末として二人は永劫に(たもと)を別つことになったのだ。


ただこの顛末の後にも彼には、母一人子一人の慎ましいハートフルな生活は訪れなかった。女を捨て切れぬ母は17番との生活に必ず間男を挟む格好となったからだ。その間男は文字通りの間を埋める為の男であり。度々変わったり、出戻ったり、ダブったりと、多種多様の同属による輪廻であった。人格形成に於いて多感な幼少期に彼は、実に沢山の「父親もどき」と触れ合うことになったのだ。そして、それらの亜種の父親はどれも彼に愛情を注ぐことはなく、案の定邪険に扱い、暴力の行使など常習的にされるのであった。


「6番さん。これ見てくださいよ」


と珍しく吃ることもなく17番はほき出すと、背を向けてグレーのスウェットトレーナーを脱いで、左肩あたりを見せてきた。そこには醜い肌の爛れが広がっていた。その生々しい火傷痕に思わず宗介は息を飲んだ。


「小四の時に、一緒に暮らしてたし男に焼かれたんですよね。ガ、ガ、ガスバーナーで。笑っちゃいますよね。でもこれがバレると母親が困るからって、僕は病院も行かずに半月も学校休んだんですよ」


その語り方は、如何にも同情を誘おうとする演出が施されていて、内容が薄ければ嫌悪感を抱く部類であったが、中身が中身なだけに宗介にしては珍しく額面通りに受け取り、その取ってつけたような寂寥感にすらも同情した。そして、彼の不幸な生い立ちを思い、自然と緘黙(かんもく)してしまったのだった。


その後の17番の人生は、もはや不幸という揺るがし難い背景に覆われているレクイエムのようだった。彼に取っての不幸は、古びた銭湯の富士図のように不動であり、色褪せてもなお主張をやめなかった。


児童相談所から養護施設に始まり、高校中退、母の自殺未遂、丁稚奉公(でっちぼうこう)先からの逃亡、母の失踪、日雇い人足の生活、ネットカフェで寝泊まり、路上生活と、まさに絵に描いたような転落は続き、やがて彼は飢えからの無銭飲食、万引きを繰り返して逮捕される。そして、何度目かの捕縛時に、その常習性を強く咎められて、彼の処遇は裁判に委ねられたようだった。


しかし、この落ちぶれた成れの果ての奉行所にて、彼は人生で初めての良心に出会う。


この時に彼の弁護をした国選弁護人は若く情熱を秘めた賢女であったらしい。彼女は17番の生い立ちに同情の念を抱き、彼の更生と社会復帰に尽力した模様であった。17番もそんな弁護士の良心に心を改め、更生を誓い、裁判時には反省の弁を述べ、更生プログラムを披露するなどして、異例の保護観察処分という判決を勝ち取ったようであった。そう、見事に17番は社会に復帰するチャンスを手にしたのだ。


ただ、この差し伸べられた(たなごころ)に彼はすがりすぎてしまったのだ。その結果として、見事にこの掌は返されてしまったのだ。釈迦は手のひらを返したのだ。


裁判が終われば弁護士と被告人は他人になってしまう。また後の更生を見守る保護観察官だってあくまでも他人である。更生施設の施設員も含めて、彼の逮捕事情を知る者は全てが他人であり、彼の更生と未来は彼次第である。そして、彼は自分という人間を誰よりも信じていないのだ。強い自分なぞ知らず、人生において常に弱い自分と共に生きてきたのだ。父親もどきの振りかざす打擲に背中を丸めて耐え、学校でのいじめにも不登校を選び逃げてきた人間なのだ。


差し伸べられた掌に身を寄せて、安堵と安寧を覚えた最中の、この手のひら返しの様な突き放しは、彼を闇に落とした。僅かに射した光彩を希望に生きてた彼は深い闇に堕ちてしまったのだ。それは月夜に流れ雲が月灯りを遮る程度の事だったかも知れない。ただ心に灯りを持たない彼にとって、その暗闇は恐怖であり、久遠に感じてしまったのだ。持たざる者が何かを持った時に、それは全てを意味するのだから。その全てが途絶えた感覚は、瞬く間に人を奈落へと突き堕とす。常に希望は諸刃として絶滅を携えているのだから。何も持たず生きてきた彼は何かを手にして、それを一瞬で失ったのだ。


彼は施設を飛び出し、またネットカフェ生活に逆戻りする。やがて飢餓から再び無銭飲食と万引きに手を染め、ほどなくして彼は派出所のおまわりによって捕縛されるのだった。そう、彼は結句として、この流刑地行きのラインに再び舞い戻ってきたのだ。


「僕は捕まった時に、どこかホッとしたんですよね。あぁこれで、さ、さ、三食ごはんも食べれるし、屋根のあるところで眠れるって」


穏やかに語る17番の顔を見て、何だかこれが正しい顛末(てんまつ)ではないかと宗介は思ってしまった。そう、これが17番にとっても、社会にとっても一番いいことのような気がしたのだ。


それはオプティミスト故のご都合主義の考えかも知れないが、少なくてもこの若者の現在の姿は、彼なりの最高の生き方ではなくても、最低の状態とも宗介には思えなかったからだ。そして、もし自分が17番だとしたら、きっと同じような運命を辿ってしまう気がしたからだ。


前回の逮捕時に差し伸べられた掌は彼にとっては、変な夢を見させるだけのものだったのではないか。掌を差し伸べた善人達は、間違いなく善人ではあるとは思う。ただその行動を疑わない善良な心は、結句として17番に絶望しか与えてないのではないか。尽力した弁護士も、寛大な処置に伏した裁判官も、更生しろよと声をかけ拘置所から送り出した警察署員も、彼らは十分に自分の(ほどこ)した掌に満足したであろう。善業を誇りはしなくても、心の奥に温まるような満足感を得ているはずだ。彼らの何気ない良心からくる同情は何も間違っていない。


しかし、その施すという気まぐれは与えられた側にとっては、多大なのだ。地獄を生きた人間は、一時の優しさで天にも昇る心地になるのだ。そして再びそこから堕ちる地獄は、一層の痛みを伴う絶望でしかないのだから。地獄に巣食う餓鬼にとっては、甘美(かんび)僥倖(ぎょうこう)も麻薬でしかないのだ。いっときの快楽は永劫に続く無間地獄への気休めにしかならないのだ。




その日の夕刻、17番に移送の令が下ったようだった。彼はその旨を留置係の署員から伝え聞くと、静かに了承の意を伝えた。物悲しい背中は彼の諦めを語っているようであった。


翌日、宗介は例によって午前中は取り調べであった。朝食を済ませて、取調室に向かう際に、簡素的に17番と惜別の挨拶を交わした。再会を約束するわけもなく、お互いの前途を軽く励まし合うだけの簡素な別れだった。一週間以上を同室で過ごした為か、もうあまり会話することが残っていないような気もした。なんとも言えぬ寂寞(せきばく)だけが包み込む別れだった。


これっきりで宗介はもう二度と17番と会うことはなかった。そして、13年経った今は、当時を思い出して筆を走らせているが、もうこの17番の顔も声も、本当のところは深く思い出せないのだ。しかし、彼から聞いた話、彼と過ごした時間、彼の立ち振る舞いなどから、言いようのない寂しさを感じていたことだけは今でも鮮明に覚えているのだ。


他人は己を映す鏡だという物言いがよくあるが、まさに17番は鏡のようであった。彼の環境に生まれ落ちたなら、ほとんどの人が彼と同じ生き方しかできないと思えるからだ。ただそんなことは実際にはあり得ないのだから考えて見ても仕方ない。人は生まれた瞬間から自分としてしか生きられないのだから、自分が終わる時に自分を介して見ていた全ての世界が終わるのだから、生まれた時から、必ず終わる世界を自分として生きることしかできないのだ。


17番が消えた虚牢は不思議と広くも狭くもならなかった。彼が消えた後、元々彼は存在してなかったのではないかと思うほどの無変化だった。虚空は距離も質量もない無間であるかのようだった。


宗介は背中を壁につけて、いつもの体制で対面の壁を眺めていた。いつの間にかこの環境に慣れてしまった。捕縛(ほばく)されて、この虚牢に落とされた時は激しく狼狽(ろうばい)した。しかし、非日常は三日も経つと日常になってしまうのだ。激動の日々も振り返ると、それは単なる一日に過ぎないのだ。己にとっての長く感ずる一日も、世界にとっては繰り返された一日に過ぎないのだから。


捕縛された初日は、急転直下の自分の状況を飲み込めずに、宗介は窮鼠(きゅうそ)の様に毛を逆立てて暴れもしたのだ。青天の霹靂の様な天変地異に脊髄反射のような罵詈雑言をぶちかまして、警察官と激しく悶着もした。しかし、あっさり取り押さえられて虚牢にぶち込まれると、彼は少しずつ冷静さを取り戻し、マストな状態を諦め、クレバーに立ち回りベターを選ぶように心掛けた。


そして、虚牢に入り3日もしたら持ち前の適応力と、厚顔な気質で、虚勢も御多分に含みながらも、捕虜の様な生活に対応して見せたのだ。しかし、いくら器用にこなしたところで、当時の宗介はまだまだ社会経験にも人生経験も乏しい無辜(むこ)なる若人だった。


そこには、若さゆえの過ちや、小さなミスなどいくらでもあったのだ。それでは次章からは話を少し前に戻して、此度の宗介の犯した罪と、警察官との衝突、そして、捕縛に至るまでの経緯を書いていこう。


つづく

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