虚牢にて
森本せんたです。今回は私小説です。平賀宗介という主人公は言うまでもなく僕です。事実に基づいたフィクションです。軽い気持ちで読んでみてくださいね。感想書いてくれたら嬉しいです。
甚だやることのない時間だけが流れていた。全くもって暇である。薄ばりのカーペット敷きの床は硬く、横になっても腰骨や肘や膝など、どこかしらが痛む。やはり一番肉厚な臀部を床に接地させる体制が一番無理がなく、楽なのである。それ故に必然的に床に座り、コンクリート壁に寄っ掛かって本を読むのが、留置人のマストな姿勢となるのだ。まったく辛い生活だ。とにもかくにもやることがないのだから。
宗介が事件を起こし、10人体制のおまわりに家宅捜査された上にパクられてこの虚牢にぶち込まれて、すでに7日がたっていた。昨日の取調べの際に悪態の限りを尽くし、おまわりと散々揉めあった結句として、一応の調書には署名捺印をしてきた。それらの書類は一度、検察側に送られる予定らしく、それを宗介を断罪するべく肩を回している、お上の忠犬(検察官)が精査する段階であるようだ。まったくもって甚だしいのである。
昨晩、なからめんどくさそうに接見にきた弁護士を名乗る初老の男は、国選弁護人ゆえに仕方なしに来たという程であって宗介の話を聞き、なるほどこれは無罪であって、ことを順調に片付ければ、すぐにこの監獄から出せるなぞ調子のいいことを言いつつも、イマイチ動きが鈍い。
他にも案件を抱えてるだの、今回の件は下手に動くと逆に良くないだの、言い訳ばかりをほき捨てて、一向に進展せぬ事態の言い訳ばかりを列挙してくるのだ。
こうなってくると「白痴でも弁護士になれるんだなこのウスノロめ!」と罵詈の一つでもこの魯鈍な弁護人にぶつけてやりたい気持ちであるが、なにぶん今の宗介は容疑者であり、裁判所から接見禁止令も出ている身であり、外で動き回れるのはこの白痴弁護人だけである。喉仏をくすぐる程に込み上げてくる罵詈と雑言は、今後の我が身のためにひとまず溜飲して堪えたのだった。
かような事態の硬直具合にやるきも失せ、暇を持て余し手に取った漫画にすら飽きた宗介は、読んでいた漫画雑誌を床に投げ捨て、はぁとため息をついた。するとその様子に気づいた17番の男が話しかけてきた。
「どうしたんですか、6番さん?た、た、ため息なんかついたりして」
宗介は下を向いたまま答える。
「いや、暇でね。尻は痛いし、漫画は読み飽きたし、なんだか疲れちゃってね」
それを聞いた17番も読みかけの週刊誌をポンと床に投げ
「まったくそうですよね。まだ昼飯には随分と時間があるし、ひ、ひ、暇ですね」
そうたのだ。全くもって暇なのだ。ちなみに6番とは、7日前にこの虚牢施設にぶち込まれた際に、こちらの運営側から与えられた宗介の新しい名称であった。どうやらここの運営団体は便宜的なのか、それとも懲罰意識からなのか、容疑者の段階から既に名前を没収する決まりがあるらしい。そして、名前を没収したままだと生活上に不便な為か、簡素な諱を与えて、愚者たちを管理する様子らしいのだ。
しかし、不思議と宗介はこの6番という名前を気に入っていた。中学から高校までテニス部に所属して、中学時には県の大会で活躍して、そのままスポーツ推薦で高校に進学するほどのスポーツ少年だった宗介は密かに背番号に憧れていたのだ。
いくらテニスが強くとも学生スポーツの花形はサッカー、ベースボール、バスケットボールである。テニスなぞマイナースポーツであって、女子たちが目を輝かせて応援するのは花形スポーツだけなのだ。そして、それらの花形のスポーツにおいてはレギュラーに当確すると背番号が与えられる。この番号にはそれぞれ意味があって、輝かしいものがあるのだ。
サッカーで言えば10番、ベースボールで言えば1番などは、ことさら輝きを放ち、本人以上の意味を持つ。もはや、それが本人のアイディンティティになるほどの大義を秘めているのだ。
それを随分と長い間、羨望の眼差しで見ていた宗介は背番号というものに、少なからず甘酸っぱい憧憬があった。それ故にこの与えられし6番という人生初の背番号はあまり嫌いになれなかったのである。むしろ平賀宗介という22年の人生の山や谷の過程が染み付いて使い古した名前よりも、今しがた生まれた6番という名前の方がなんだか初々しく価値があって、自分にしっくりくる気がしていたのだ。
「6番さんは、確か早めに出られそうなんですよね?今日は取り調べとかないんですか?」
「えぇ、まぁ弁護士はそう言ってたんですけどね。ただ、なんだか頼りないオヤジなので実際はわかりませんね。とりあえず拘留延長はされるだろうけど、15日目位までにはなんとかするとは言ってたんですが」
「それは良かったですね。僕はそろそろ拘置所送りされるみたいなので、もしかしたら6番さんより先にここを出るかも知れませんね。まぁ拘置所は割と厳しいところなので、少しでも長く僕はここにいたいんですが」
「そうなんですね。僕もせっかく17番さんと仲良くなれたので、なるべくは長く居てもらいたいですね。17番さんが抜けた後に、あっちの居室にいるようなヤクザがこの部屋に補填されたら困りますしね」
「あはは、た、た、確かにそれは嫌ですね。僕は6番さんが来る前に一緒だった人が強姦犯だったので辛かったですよ。まったくこればっかりは運ですからねぇ」
などと、6番と17番は過酷な状況に慣れてしまったが為の場違いな会話を牧歌的に楽しんでいた。するとそこへ寝転がっていたルームメイトの24番も入ってきた。
「どちらにしてもこの部屋は、同年代同士だし、性犯罪者や殺人犯やヤクザもいないから平和ですよね。僕は前に入った時にヤクザと一緒で随分と神経を減らしましたよ。いや、あれは辛かった」
などと、一昨日だかも聞いた話を焼き直してきた。どうやら24番は少し知恵遅れの気配があるのだ。なんだか挙動が不審であり、シャバにいた時の一応の武勇伝らしきものもあるのだが、どうにも頭の弱さが目立つのだ。虚勢を張る姿勢に加え、さらに一種の先天的な脳の遅れを存外に醸し出していた。
おそらく24番はシャバの生活においても、その遅れを不良仲間などになじられ、おちょくられて生きてきたのであろう。そんなことを感じずにはいられないほど彼は色々と遅れていた。
ただ、この施設内では、かようないじめの様な仕打ちは受けないで済むのだ。虚勢やハッタリすらもこの虚牢には持ち込めないのだから、もちろんコネクションも生まれの良さも関係ない。入居時にそれらの武装は玉ねぎを剥くような塩梅でわしゃわしゃと引き剥がされてしまう。生まれたてのような状態で、見窄らしい服に着替えさせられて、新しい簡素な名前とともにゼロからスタートして、ゼロのまま生活をして、やがてゼロのままここを出されるのだ。留置施設の中は虚空なのだ。
24番は差し詰め前回の懲役時にも語ったであろう無意味で虚勢にまみれた話を繰り返す癖がある。歳は28らしいが今回で3度目の逮捕らしく、空き巣などの窃盗で1度目は執行猶予がついたが、程なくして2度目のそれを繰り返し、見事に執行猶予分と重ねて懲役5年ほどの裁定をくらったらしい。
そして、5年の服役後に晴れてシャバに出るも彼は繰り返す。程なくして再び窃盗を働き、逮捕され、今回もまた実刑は確定らしかった。今は留置施設での2クールの取調べを終えて起訴されて、拘置所がいっぱいのために、いわゆる拘置待ちとして裁判までの期間をここで過ごしているらしい。
そう言った意味では17番と24番の状況はほぼ同じであり、彼らは起訴されていて、裁判で争う材料もなく、まるで工場のライン作業のようにレールに乗せられた状況なのである。品質を保つために拘置所に送られて、裁判という名の検品で最後のチェックを終えた後に刑務所に出荷されていくのだ。おそらく不良品として弾かれることなく、彼らは無事に納品されるのであろう。上質な犯罪者であるのだから。
ただ新人ながらエース級の6番を与えられた宗介は、留置の段階から不良品として見られていて、出荷まではされない模様であった。そもそもの品質段階から納品先の刑務所の基準を満たしていないようで、裁判所での検品の前に弾かれる可能性すらあるようだった。
また、万が一に裁判に進んだところで最高でも執行猶予という佳作止まりの成績しか与えられないであろうことは明白であるらしく、ことさらこの施設内では小物であった。つまり、宗介と彼らとでは品質に格段の差があるのだ。不良品の不良など刑務所からは所望されないのである。
ただ宗介の視点からだと、一見同じに見える17番と24番には大きな違いがあるように感じていた。そして、それは彼らとそれぞれ話すうちに確信へと変わっていったのだった。
話をわかりやすくする為に、先に24番から書いていこう。一言で片付けてしまえば24番は本物のクズなのである。生い立ちや、仕事、状況、さらにはこの終末の場所、いわゆる流しそうめんでいったら最終地点のザルのような掃き溜めに落ちた経緯など、全てが自らのだらし無さと、勝手と、自制のなさが招いているのだ。
24番は幼き頃から学校にも通わずに赴くままに生きていたらしい。生まれ持った白痴の症状が多少あるにしても、彼は自ら全てを怠ける方に選んでいるのだ。親御さんは普通の勤め人とパート主婦らしく、妹は専門学校を出て服飾関係の仕事に従事してマトモに生きているらしい。
裕福とまでは言わないが、そこそこの暮らしをしているにも関わらず、彼は15歳の頃から常習的に盗みや、非行を繰り返しており、鑑別所に行ったことすら自慢する恥ずかしい男であった。
1度目の逮捕の時は、親心からか両親が彼を引き取り、保釈補償金まで用立てして、彼の公正に尽力したらしい。ところが彼は裁判が片付き、有罪の上に執行猶予がついたにも関わらず、改心することなく素行不良を続けて、親御さんの善意と親心を反故にしたのだ。
そして、あまつさえ家の金を盗み、再び好き勝手に遊び始めたらしい。執行猶予の身でありながら悪目立ちする格好で虚勢を張り、素行の悪い連中とつるむことで、さらに虚勢を重ねていきドラッグなどにも手を出していったのだった。
当然、親御さん達はそんな素行不良を見過ごすこともなく彼に再三の注意をしたらしいが、彼はそれを暴力でねじ伏せて、ますます不良化したらしいのだ。
ただ世の中は割とマトモに出来ているもので、くだんのような素行を繰り返していると当然にして報いを受けるのだ。彼は親の金を使い果たしたのちに、再び窃盗を働き、1度目の逮捕時に全ての指紋を警察に押収されてるがために、呆気なく逮捕されたのだ。そして、その逮捕で親御さんも24番の人間性を諦めて、彼が服役してる最中に全ての連絡を断ち、彼を今後の人生において無きものとすることに決めたようなのだ。
つまり彼は自らの意思でこの最終地点のザルに堕ちていき、自らの意思で刑務所に出荷されて行ったのだ。ただここにおいては彼は異常ではない。この留置施設に行き着く人間は十中八九が24番のような人間なのだから。
宗介もそれは十二分に理解していた。宗介はこのザルには落ちてしまったものの、若い時分から節制や勤勉は並程度にこなしてきたタイプの人間だったからだ。ただ、18歳の時に親が破産する憂き目にあい、その後は土方仕事に従事して生計を保つことになった。しかし、そんな状況でもキチンと金を貯めて、20歳で上京してからは、割とマトモな仕事に就いて暮らしてきた。そういった経緯もあり、土方に従事してた頃なぞは24番に似た気質の人間を沢山見てきたので、そういった人間を割とすぐに判断できる見識が備わっていた。そして、この様な掃き溜めには、こういった人間ばかりだと言うこともすぐに理解できたのだ。
ただ、その様な予備知識が有りながらも、どうも17番に対してはそう言った落伍者に染み付いた小狡さや、狷介さを感じなかったのだ。彼は虚栄心も薄く、目つきもどこか怯えている風で、さらには必要に他人の顔色を伺って喋る悪癖があったからだ。
そう言ったタイプの人間は割と実社会においてもいるのだが、その様な、いわゆる気の小さくて用心深い人間がこの最終地点の腐ったザルまで流れ着いていくことは、どうも理解ができなかった。
その不思議は何故か宗介を強く惹きつけた。そして、宗介はそのミステリーを解くためにも、留置されてすぐに17番とコミュニケーションを取ってみようと決心したのだった。
それからと言うもの宗介は、ゴザを引いて乞食さながらに摂取する昼食の際などに、細身の割に健啖家にできてる17番に自分のパンを分け与えたり、夕食のまさに臭い飯という形容がドンピシャな弁当のおかずを少しだけ分け与えたりして、この20歳になりたての若者との距離を詰めていった。
するとこの兄が弟にする様な優しさは、17番の心の壁を容易く壊していく様であり、17番は宗介に心を許し出していったのだ。そして、割と早い段階で、17番は此度の己の逮捕された経緯を宗介に話してくれる様になったのだった。
続く