勝利の宴
尾張の織田信秀が三河の松平広忠を降した、という情報は時を置かずして京都や周辺諸国にも伝わっていたようである。
越中国(現在の富山県)の日蓮宗の僧侶・日覚が、九月十二日付けの越後国(現在の新潟県)本成寺宛ての手紙で、「京都より来た楞厳坊という僧から聞いた話」として三河争奪戦の顛末を語っている。
――三州(三河)ハ駿河衆(今川軍)敗軍の様に候て、弾正忠(信秀)先ずもって一国を管領候。威勢前代未聞の様にその沙汰ども候。
――岡崎(松平広忠)は弾(信秀。弾正忠の略)えかう参(降参)の分にて、からがらの命にて候。弾ハ三州(三河)平均(平定)、その翌日に京に上り候。
この手紙を読むと、「今川軍が敗北し、信秀が三河国を我が物にした」「松平広忠が信秀に降参して、命からがらの有様であった」という噂が京都で流れていたことが分かる。
また、信秀は広忠を降伏させた「その翌日に京に上」ったとも記されている。
信秀上洛の記録は同時代の他の史料には見当たらないため、信秀が本当に上洛したのか否かは今のところ不鮮明である。ただ、もしも信秀が京都に赴いたのが事実だとしたら、朝廷や幕府に織田軍の勝利を喧伝して「三河国は信秀の好きにしてもよい」と認めてもらうことが目的だったのかも知れない。
実情においては、信秀はこの時点で三河国を完全に制圧したというわけではないが――京都や周辺国の人々の間では、
「織田信秀が、三河国を管領する立場になった」
という噂が流れていた可能性がある。
三河国をめぐる信秀と義元の戦いは、第一ラウンドは信秀の勝利であると言っていいだろう。
* * *
居城の尾張古渡城に帰還した信秀は、重臣たちを集めて、勝利を祝う宴を開いた。
その夜の祝宴は、家臣たちの多くが前代未聞の大戦果に沸き立ち、飲めや歌えやの乱痴気騒ぎとなった。
ただ、信長の家老たち――林秀貞・平手政秀・内藤勝介らは、浮かない顔で黙り込んで酒を飲んでいる。
(全体を見たら、織田軍は連戦連勝の快進撃であった。しかし、その中で信長様だけが手痛い敗戦を経験してしまった……。織田軍の大勝利は良きことだが、我らは手放しで喜べぬ)
そういう苦々しい思いが、三人の胸中にはあったのである。
初陣において、信長にはいっさいの落ち度が無かった。それなのに、今川家の姦計のせいで想定外の敗北を喫してしまったのだ。家老である彼らにしてみたら、信長に対して申し訳ない気持ちと自分たちの不甲斐無さを責めさいなむ思いでいっぱいで、とてもではないが宴の乱痴気騒ぎに加わる気にはなれない。
特に、一番家老の秀貞は、留守居を言い渡されたせいで信長のために刀を振るうことすらできなかった自分を情けなく思い、欝々とした気分に囚われていたのであった。
「うぃ~、ひっく。おや? そういえば、信長様のお姿が見えませぬな。せっかくの祝宴だというのに、信長様はどちらにいらっしゃるのだ?」
べろんべろんに酔っ払った重臣の一人が、宴の席を見回しながらそう言った。
勝介がその無神経な発言にチッと舌打ちし、その重臣を殴るために立ち上がろうとしたが、政秀が無言で勝介の袖をつかんで制止した。
「信長様は……数日前よりお加減が悪く、那古野城でご療養中じゃ」
秀貞が歯切れの悪い言い訳をする。しかし、それが嘘であることは、その場にいただいたいの者たちが察していた。
信長は、人生初の戦で負けたのだ。生真面目な性分の彼が、こんな盛大な祝勝の宴に平気な顔をして出られるはずがない。
「……おぬし、少し悪酔いしたようだな。ちょっと外に出て、頭を冷やして来い」
さっきまで家臣たちと酒を酌み交わして談笑していた信秀が、「信長様はどこか」と不躾な発言をした重臣にニコリと微笑み、そう告げた。
顔は笑っているが、目は笑っていない。両の眼に怒りの色が含まれているのは誰が見ても明らかであり、その声はゾッとするほど冷たいものであった。
酔っ払いの重臣も、さすがに自分の失言に気づいたらしい。主君に「宴から出て行け」と言われたのだと察した彼は、呂律の回らない口調で「し、承知しました……」と言い、逃げるように退出していった。
「やれやれ、すっかり場がしらけてしまったのぉ。おい、権六。何か芸をやれ、芸を」
宴の席がシーンと静まり返る中、織田秀敏(信長の大叔父。信秀の叔父)が勝家に無茶ぶりをした。
勝家は「え⁉ ま、またそれがしがですか……?」と嫌そうな顔をする。この重苦しい空気の中で、この前のような剣舞を披露したら、機嫌の悪い信秀に八つ裂きにされかねない。
勝家がどうしたものかとあたふたしていると、その横の席に座っていた重臣――秀貞の弟・林美作守が唐突に「殿。少しよろしいでしょうか」と口を開いた。
「先ほど信長様の名前が出ましたが……。こたびが良い機会だと思いますので、お世継ぎの件で拙者の意見を申し上げたいと存じまする。お許しくださいますか?」
(急に何を言いやがるんだ、こいつは)
重臣たちの多くが、嫌な予感を抱きながら美作守を見つめる。
どこにでも空気を全く読めない人間はいるものだが……。世継ぎの信長のことでピリピリしている主君に対し、美作守は一番言ってはいけないことを口にしようとしているのは明白だった。
(いかん。弟は酒が入ると、思っていることをズケズケと言ってしまう悪癖があるのだ)
秀貞は顔を青ざめさせたが、もう遅かった。
「何だ、言ってみろ」
信秀は、微笑を顔に貼りつかせたまま、そう促した。深酒のせいで判断力がかなり鈍ってしまっている美作守は、信秀が怒っていることも分かっていないらしく、「それでは」と真面目腐った赤ら顔で言葉を続けた。
「戦国の世において覇を唱える武家の棟梁とは、家臣や領民たちの誰もが『頼もしき御大将』と仰ぎ奉ることができる人物でなければいけませぬ。戦に勝ち続け、家臣領民に富みをもたらしてくださる御大将こそが、織田家の次期当主にふさわしゅうござる。
……されど、ご嫡男・信長様の初陣は、惨憺たる負け戦になってしまいました。初陣であのようにたくさんの死者を出してしまうなど……。こう言っては何ですが、父親である信秀様の顔に泥を塗ったも同然。そんな戦下手の信長様が、将来頼もしき御大将となる可能性は低いかと愚考いたしまする。ここはいっそのこと、信長様を廃嫡し、文武両道に秀でた勘十郎信勝様を織田弾正忠家のお世継ぎとなされるべきかと」
「美作ぁーッ! おぬし、よくもぬけぬけと‼ 古渡城で留守番をしていたおぬしは、信長様の見事な大将っぷりを見てはおらぬであろう‼」
怒髪天を衝いた勝介が、刀の柄に手をかけ、猛然と立ち上がる。慌てて政秀や周りの重臣たちが制止しようとしたが、数人がかりでも怪力の持ち主の勝介を止めることはできない。三、四人の重臣たちを軽々と吹っ飛ばすと、勝介は美作守に斬りかかろうとした。
(お……弟が勝介に殺されてしまう!)
狼狽した秀貞は、勝介と美作守の間に割って入り、「し、しばらく……しばらく待たれい! 弟は酔っ払っているのだ! 許してやってくれ!」と悪鬼のごとき形相の勝介に詫びた。
「なぜ兄上が謝るのです。拙者は、織田家の将来を思い、意見したまで。何も悪いことをした覚えは……」
「だ、黙らぬか、愚弟め! お世継ぎの話など、このようにめでたい祝勝の宴でするべきではないことぐらい分かれ! 第一、信長様がお世継ぎであることは、ずっと昔に信秀様がお定めになったのだ! おぬしごときが口出ししてよいことではない! 出過ぎた真似をするな!」
秀貞はハラハラしながら、悪酔いしている弟を叱った。
上座の信秀は、完全に笑顔が消え失せた無表情でこちらを凝視している。先ほどの重臣の失言で機嫌を大いに損ねていたのに、その怒りの火に美作守は油を注いでしまった。信秀も酒が入っているので、怒りに身を任せて美作守を斬り捨ててもおかしくない。頼むからもう余計なことは言わないでくれ、と秀貞は心の中で叫んでいた。
「さ……さあ、殿様に土下座して謝るのじゃ」
「ですから、拙者は、織田家と我が林家の未来を憂えて正論を言っているだけなのです。信秀様や信長様は、兄上を蔑ろに扱っておられる。心優しい信勝様ならば、きっと立派な武家の棟梁になり、林家を重用してくださると拙者は――」
「い、いい加減にせぬか!」
堪りかねた秀貞は、弟を殴って黙らせようと拳を振り上げた。
しかし、誰かが後ろから秀貞の右腕をガシッとつかんでそれを止めた。振り返ると、信秀だった。信秀は秀貞を乱暴に押しのけると、路傍の石ころを一瞥するように美作守を見下ろして――。
「うごふっ⁉」
顔面に、強烈な蹴りを喰らわせていた。鮮血とともに、折れた二本の前歯が、呆然としている秀貞の膝の上に転がる。
美作守は、床に激しく頭を打ちつけて気絶してしまったらしい。白目を剥いて動かなくなってしまっていた。
「……秀貞」
「は、はい!」
「そなたの弟ゆえ、これぐらいで許してやる。だが、しばらくの間はこいつの顔を見たくない。俺がよいと言うまで、領地で蟄居(自宅に閉じこめて謹慎させること)させておけ。……もしも、今後、俺の前で同じようなことをほざけば、追放か切腹じゃ」
「し……承知いたしました。寛大なご処分、ありがとうございまする」
弟はもう殺されると思っていた秀貞は、胸を撫で下ろし、信秀に泣きつくように礼を言った。
信秀は、小姓たちに命じて気絶した美作守を別室に運ばせると、「おのおのがた、よく聞け」と重臣たちを見回して言った。
「織田弾正忠家の次期当主は、幼少期より武家の棟梁としての教育を叩きこんできた信長じゃ。俺の志を継げる者は、信長しかおらぬ。世継ぎの件で異論を申し立てようとする者は、誰であっても反逆者と見なすゆえ、しかと心に留め置くのじゃ」
「ははぁー‼」
信秀の厳粛な言葉に、信長の家老である政秀や勝介、秀貞が真っ先に賛同の意を示して平伏した。
その次に、戦場で信長の見事な采配をこの目で見た最初槍の勇者・織田造酒丞ら数名の武将たちが平伏する。
だが、「信長が初陣で負けた」という事実しか知らない重臣たちの中には、いささか不安そうな面持ちで「は、ははぁ……」と少し遅れて顔を伏せる者が四、五人ほどいた。
信秀は家臣たちの反応を抜け目なく観察して、
(すぐに頭を下げなかった家臣どもは、忍びを使ってしばらく監視する必要がありそうだ。この織田弾正忠家で、家督をめぐる骨肉の争いなど絶対に起きてはならぬ)
と、わずかだがそんな危惧を抱いていた。
(チッ。戦は勝利に終わったが、今川家は要らざる頭痛の種をまいてくれたようだ……)
心の中でそう呟いた信秀は、不意に頭に鈍い痛みを感じ、小さな目眩を起こしてふらつきかけた。
「と、殿。大丈夫ですか?」
そばにいた秀貞が慌てて、信秀の体を支える。
「大事ない……。ちと興奮しすぎただけだ」
俺はまだまだ若く、隠居するまでたっぷり時間がある。父として、信長に盤石なかたちで家督を譲ってやれるようにしなければ。それが、織田弾正忠家の当主である俺の役割だ……。
信秀は、自分にそう言い聞かせていた。
おのれに残された時間があと四年半ほどしかないことなど、知るよしもなく――。
※「信秀が三河を管領し、松平広忠は命からがら降伏した」という情報を記した僧侶・日覚の手紙に関しては、
・谷口克広氏著『天下人の父・織田信秀――信長は何を学び、受け継いだのか』(祥伝社新書刊)
・『今川義元 (中世関東武士の研究27) 』(戎光祥出版刊)に収められた村岡幹夫氏の論文(『織田信秀岡崎攻落考証』)
などを主に参考にしました。




