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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 三章 乱世の下の青春
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竹千代人質・後編

竹千代たけちよをここへ呼べ」


 日没まであと半刻。広忠ひろただは手にしていた空の盃を庭へ乱暴に放り投げて割ると、侍女にそう怒鳴った。


 世継ぎの竹千代を差し出すことに猛然と反対する家臣たちから逃げ、奥御殿に引き籠った広忠は、数刻の間酒を浴びるほど飲んで無為の時間を悶々と過ごしていたが、とうとう決断したようである。


 竹千代を信秀に引き渡す。これしか松平家が生きのびる方法はない、というのが広忠が出した答えだった。


 政秀が伝えた情報の真偽は分からない。しかし、今はとにかく織田家に従わなければ、岡崎城は明日の夜には織田軍の手によって炎上していることは間違いない。


(織田は本気だ。平手政秀の刃の切っ先のごとき殺意に満ちた眼が、そう物語っていた。降伏せねば殺すぞ、と……。俺にはもうこの選択肢しかない)


 広忠は自分にそう言い聞かせる。

 これは必要な犠牲だ、これは必要な犠牲だ、と心中で五、六回ほど呟いている間に、六歳の竹千代が侍女に連れられて部屋にやって来た。


「父上、お呼びでしょうか」


 竹千代は、怯えを含んだ声音で、酩酊して顔が真っ赤な父にあいさつをした。

 酒に酔っている時の広忠は、「お前の母親(広忠の前妻・於大おだいの方)の実家である水野家は、俺を裏切った。お前には、裏切り者の血が混ざっている」と幼い竹千代を責め、時々暴力を振るうことがあったからである。


「チッ……。父を、そのように鬼を見るような目で見つめるな」


 織田へと人質に送る前に何か親らしい言葉の一つぐらいかけてやるべきか……と直前まで悩んでいた広忠であったが、離縁した前妻によく似ている竹千代の黒々とした大きな瞳を目にすると、そんな父としての情は途端に消え去ってしまっていた。


 自分が今、このような苦境に立たされているのは、前妻の兄・水野みずの信元のぶもと(竹千代の母方の伯父にあたる)が松平家を裏切って織田方についたからである。

 水野家という強力な同盟者を失った広忠は、三河国内での孤立化を防ぐために、渥美半島の雄・戸田康光(やすみつ)の娘を後妻に迎えた。その結果、戸田氏と今橋の地をめぐって争っていた今川義元と敵対関係に陥ってしまい、織田と今川の両軍に三河国を挟み撃ちされるという事態になったのだ――。

 広忠は、そう根に持っていた。


 何もかも広忠本人の誤った判断が招いたことなのだが、ここまで精神的に追いつめられると、他人のせいにでもしなければ心を保てない。


(俺を裏切った水野家が悪い。水野家の血を半分引いている竹千代がその罪を償うべきなのだ。俺が後に織田家から離反して竹千代が殺されたとしても、後妻の真喜姫に男子を産ませればよい。俺はまだまだ若いのだから、子供などいくらでも授かることができるだろう)


 広忠は、酒の勢いを借りて、我が子をおのれの心から突き放した。そして、ただ一言、「人質として尾張へ行け」と言い渡すと、竹千代と目を合わせることもなく荒々しく席を立つのであった。


「殿……。竹千代殿に何か他にお言葉を――」


 そばに控えていた継母の真喜姫がさすがに哀れと思い、夫にそう呼びかけたが、広忠は振り返らない。平手政秀に竹千代を引き渡すことを告げるべく、評定の間へと戻って行った。


 竹千代はしばらく呆然としていたが、やがて父の姿が消えた屋敷の廊下に向き直り、「はい、分かりました」と幼いながらもしっかりとした声で言って丁寧に頭を下げた。侍女たちは、そんな竹千代のいじらしい姿を見て、おのおの涙ぐんでいた。


「……また、捨てられた……」


 顔を伏せている竹千代がそう小さく呟く声は、その部屋にいた真喜姫や侍女たちの耳には届いていない。


 竹千代は、広忠から「お前の母は、裏切り者の妹だ。お前のことも見捨てて、実家に帰った」と聞かされている。

 政治や戦争などまだ理解できない年齢の子供が、事情も詳しく教えられないまま「尾張に人質として行け」と父親に突然言われたら、今度は父上に自分は捨てられたのだと思ってしまうのは仕方のないことであった。


 事実、この後の竹千代は孤児のごとく心細い境遇に陥る。

 江戸幕府を開いて二百五十年の天下泰平の世を築くことになる徳川家康の波乱の人生の幕開けであった。




            *   *   *




 こうして、竹千代は織田家の人質となり、身柄を尾張へと送られたのである。


 これまで語られてきた通説では、


 ――松平広忠は嫡男の竹千代を今川家に人質として差し出そうとしたが、駿府すんぷに護送する途中で田原の戸田氏に奪われ、尾張の織田信秀に売り渡された。


 とされてきた。


 だが、同時代の史料でそのような「竹千代強奪事件」があったという記録は一切見当たらない。竹千代が織田方に奪われた、という物語が語られるようになるのは、江戸時代以降のことである。


 近年の歴史研究家の間では、


 ――人質強奪事件などは無く、織田軍に攻められた広忠が降伏の証として竹千代の身柄を信秀に送ったのだろう。


 という意見が出てきている。


 恐らく、「神君家康公の父親の広忠は、織田についたり今川についたりして右往左往するような人物であった」と歴史書に記すことをはばかり、「広忠は一貫して今川義元への義理を守った」ということにするために竹千代強奪事件という史実(・・)が創作されたのだと思われる。


「歴史は勝者によって作られる」とよく言われるが、どうやら、こういった徳川中心史観による歴史の改ざんは、徳川家(松平家)が明日の運命さえも知れぬ「敗者」であった時代からあったようである。

※竹千代が織田家の人質となった経緯の新説については、柴裕之氏著『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)を主に参考にしました。



※次回の更新は、7月28日(日)午後8時の予定です。

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