母恋い
歴史上、土田御前と呼ばれている信長の生母――この物語では彼女の法名・報春院から春の字を取って「春の方」と呼ぶことにする――については、その人柄や経歴など分からないことが多い。
その生家すら、美濃可児郡の土田氏説、尾張海東郡の土田氏説とあり、苗字が「ドタ」なのか「ツチダ」なのかさえはっきりしないのだ。
分かっていることといえば、織田信秀が最初の正室を離縁した後に迎えられた二番目の正妻であったこと。
夫の死後は信長の同母弟・勘十郎信勝と同居し、信勝が信長に殺されると、弟殺しの罪を背負った信長の元へ行ったらしいこと。
そして、信長死後は、孫の信雄に保護され、最終的には息子(信秀六男)・信包の領地であった伊勢国安濃津(現・三重県津市)で亡くなったこと。これぐらいである。
信長を主人公にした物語の多くでは、型破りな性格の信長を嫌い、すぐ下の弟の信勝を可愛がって兄弟対立の一因を作ったとされる。
だが、彼女がそのような行動を取ったことを証明する史料はない。そして、信長と信勝が本当はどのような兄弟であったのかも、後世の我々は知るよしがないのである。
永遠に、物語の中で想像を膨らませるしかないのだ。
* * *
病に倒れて以来、春の方の高熱はずっと続いていた。
侍女たちの話によると、先日の那古野城乗っ取り騒動があって以来、彼女の体調はあまりよくなかったらしい。信秀は戦後処理のために勝幡、那古野、そして清須を駆けずり回っていたため、妻の異変に気づいてやることができなかったのだ。
どうやら、あの日、今川氏豊の使者が勝幡城に現れた時に、
「信秀殿がお倒れになりました! 大変なお苦しみようで、遺言をご家来衆に託したいと仰せです! 急いで那古野にお越しください!」
と、大声で騒いだらしい。それを聞いた春の方は、その場で気絶してしまったのだ。
彼女は生来おっとりとしていて、気弱な性格だったため、「信秀危篤」の報せを耳にして体調に異変をきたしてしまったようである。
その後、それが信秀の狂言だったことが分かり、春の方の体調はいったん回復したように見えたが、夫が危篤だと聞かされた時の心労が彼女を弱らせていたのか再び倒れてしまったのだ。
「しまったな。極秘の作戦だったのだが……お春にだけはこの計画を事前に話しておくべきだった。氏豊の使者が狼狽のあまり城で大騒ぎするとは、考えてもいなかったからな。主人に似て、その家来もお人好しだったのだろう」
信秀は、吉法師を膝の上に座らせ、改築する予定の那古野城の見取り図を眺めつつそうぼやいていた。城のどのあたりの防備を強化するか早く決めたいのだが、さすがに妻のことが心配で考えが上手くまとまらない。
居室には、信秀の弟たち――与次郎信康と孫三郎信光もいる。それに、信康の幼い息子(後の犬山城主・織田信清。幼名が不明のため、以降は信清と呼ぶ)が父の横に座らされていた。
吉法師は、姉のくらからもらった菓子の包を小さな両手で大事そうに持っている。従兄弟の信清は瞳を猫みたいにギラギラと輝かせて、その菓子を虎視眈々と狙っているようだ。
「義姉上がご回復なさるまでは、那古野への引っ越しはやめておきましょう。初夏に催される津島の天王祭(牛頭天王を祀る祭り)で義姉上の病の平癒を祈れば、きっと体調も良くなることでしょうし、それまでの辛抱です」
信康が、吉法師の菓子に手を伸ばそうとした息子の頭をペシッと叩き、そう言った。
信康は信秀の弟たちの中で一番の常識人で慎み深い性格なのだが、息子の信清はなぜか他人の物を横取りしたがる悪癖がある。年の近い吉法師が物分かりのいい賢い子なのに、私の倅は将来どうなるか不安だ、と常日頃からぼやいていた。
「いや、もしかしたら京に落ち延びた今川氏豊が呪詛をかけていて、そのせいで義姉上は倒れたのやも知れぬ。俺があの時、奴を殺そうとしたのに、兄上が逃がすからこんなことになったのだぞ。今からでも遅くはない。俺が京まで行き、氏豊をぶち殺してきてやる」
一段の武辺者・信光が、物騒なことを言いだした。
信光は、たいていは物騒なことを口走っている男で、次兄の信康とは正反対な性格である。ただ、猪突猛進なだけの武将かといえば、そうでもなく、策謀で何人もの敵将を屠っているという二面性を持つ人物だった。
信秀は、穏便な意見が多い信康と、過激な意見しか言わない信光の両者から助言を受け、「今回は、こちらに理がある」と思ったほうの意見を採用してきた。那古野城乗っ取り作戦も、最初に言いだしたのは信光なのである。
だが、今回の件は信康の言う通りだ、と信秀は思った。
「氏豊は哀れなまでに真っ直ぐな男だった。俺を呪うのなら分かるが、か弱い女を呪い殺そうなどとは考えないだろう。もう、あいつのことはそっとしておいてやろう。一度は友と呼んだ男だからな……。
それに、よく考えたら、吉法師に津島の天王祭をまだ見せてやったことがなかった。今年はじっくりと見物させてやろう。我が弾正忠家を長年支えてきてくれた津島の人々の祭りを目前にして、那古野へと引っ越すのは領主として不義理かも知れない」
信秀がそう言っている横で、父の隙をうかがっていた信清が、またもや吉法師の菓子に手を伸ばした。しかし、吉法師もなかなか目ざとく、片手で信清の手をペチンと払う。
「一個ぐらいくれてもいいじゃないか、吉法師殿のいじわる!」
「これは、吉法師が食べるのではない。母上にあげるのだ。姉上が、言っていた。この『あかだ』というお菓子は、『こーぼーだいし』というえらいお坊様が病よけのお菓子として津島の御社にお供えしたものだから、病気の母上もきっと元気になると。だから、だれにもあげられないのだ。吉法師も本当は食べたいけれど、食べないのだ」
米団子を油で揚げた菓子「あかだ」は、現代でも愛知県津島市の名物菓子として知られている。かつて弘法大師空海が津島牛頭天王社(津島神社)にこの菓子を供えたことが始まりとされ、これを食べたら病魔が退散すると言われていた。
「おお、吉法師は親孝行な子じゃな。腕白なばかりで父の言いつけを全く守らぬ我が息子とは大違いだ。ならば、今から母上の元へ行って、菓子をあげて来たらどうだ」
信康が微笑ましそうな目で吉法師を見つめ、そう言った。吉法師は顔をちょこんと上げて、父の信秀を見つめる。少し不安げな表情だった。
信秀は、嫡男として厳しく育てるつもりの吉法師が春の方のいる奥御殿に足を運ぶことをあまり喜ばない。
春の方は気立ての良い女性だが、際限なく優しすぎるところがある。それは、側室の子であっても信秀の子供なら「我が子」として分け隔てなく接し、大勢いる側室たちのことも姉妹の面倒を見るように生活の世話を焼くなど、夫の信秀にしてみればとてもありがたい寛容さだった。
そして、吉法師も、そんな母の優しすぎる部分を多分に受け継いでいるようである。普段は離れた部屋で暮らしている側室腹の弟や妹たちとたまに会ったら、自分の分まで菓子をたくさんあげるし、身の回りの世話をしている侍女たちにすら、「吉法師様は、本当にお優しいお子様ですわ」と人気がある。目下の者に対してとても優しく接する子供だった。
人々の上に立つ者として、目下の者に慈悲深いのは悪いことではない。だが、度が過ぎると、人という者は優しい人間を侮るようになる。時にはその優しさにつけこみ、陥れようとする恐れもある。信秀が心優しかった今川氏豊を那古野城から放逐したように、だ。
実際、春の方が甘すぎる性格なのをいいことに、彼女の目を盗んで寺参りなど物見遊山に出かけて仕事をさぼった奥女中が昨年数人いた。
そのことが発覚し、信秀は彼女たちを手打ちにしようとしたのだが、春の方が「私がきっと言い聞かせますので、どうか許してあげてくださいませ」と必死に止めたのである。信秀は、奥を取り仕切る立場の春の方が助命嘆願をしたため、やむなく怠慢な女中たちの命は助け、城から追放するだけにとどめた。
他人になめられるというのは、厳しい戦国の世を戦う武将にとっては命取りになりかねない。信秀が吉法師を春の方からなるべく引き離し、乳母のお徳に養育させているのは、性質が非常に似た母親と深く接することで吉法師が目下の者に侮られる甘い人間になることを恐れていたのである。
(……しかし、吉法師はまだ五歳だ。母親が病気の時ぐらい、見舞いに行かせてやってもいいか)
心が揺らいだ信秀は、「……うむ。行って来てやれ」と小さく言うのであった。
吉法師は、パァッと笑顔を輝かせ、母がいる奥御殿へと走って行った。
* * *
「待て、待て、吉法師殿。俺もついて行く」
吉法師が菓子を持って奥御殿に向かおうとすると、まだ菓子を諦めていない信清が追いかけて来た。吉法師が春の方に菓子をあげた後、春の方にねだっておこぼれをもらおうという魂胆なのだろう。
母に全部食べさせてあげたい吉法師は、廊下を走る速度をゆるめず、足が遅い信清を引き離そうとした。しかし、背後でドタンと信清が転ぶ音が聞こえると、ため息をつきながら立ち止まるのであった。
「う、うう……。痛い」
「男がそんなことぐらいで泣くな。ほら、手を貸してやるから立て。慌てて走るからだぞ」
「この城は広すぎる。部屋から部屋へ移動する時、すごく疲れるから嫌だ」
信秀の居城・勝幡城は、とにかく広い。幼い子供が小さな歩幅で城主館を歩くのは、けっこうな大冒険だった。
前に、信秀が飛鳥井雅綱という公家を尾張に招いて蹴鞠会を催したことがあったと書いたが、その時に雅綱に同行した山科言継(この物語の序章で、上洛する信長軍を恐れて宮中の台所に宝物を隠したあの公家)が日記の中で、
「信秀が勝幡城の新しく造った館に入れてくれたが、その立派さに目を驚かされた」
と、信秀の城の豪華さをわざわざ書き記しているほどだった。津島港が生み出した莫大な財力の成せる業である。
信清はそんな広大な城でたびたび迷子になって辟易しているようだが、冒険好きの吉法師はもっともっと大きな城に住んでみたいと思っていた。
「あら、吉法師殿ではありませんか」
吉法師が信清を助け起こしていると、奥御殿のほうから歩いて来た少女に声をかけられた。
少女の名は、お里。吉法師にはお転婆な異母姉とお淑やかな異母姉がいて、お転婆なほうが食いしん坊のくら、お淑やかなほうがこのお里だった。後に信清の妻・犬山殿となり、敵味方に分かれた弟と夫の間で板挟みになる運命を背負っているが、それはもう少し先の話のことである。
「姉上、こんにちは! お元気でしたか!」
吉法師は愛らしい笑顔で元気いっぱいにあいさつをした。隣にいた信清がビクッと驚くぐらいの声の大きさだ。滅多に顔を合わせることがない病弱な姉と会えて、よほど嬉しかったのだろう。
普段、後継ぎである吉法師は独りだけ特別豪華な部屋に住み、家来たちに囲まれて剣術や学問に励んでいる。他の兄弟姉妹は別の場所で暮らしていて、幼い弟や妹は広い城内を歩き回れる年齢ではまだない。だから、吉法師が弟や妹たちと会う機会はなかなかなかった。
年上のきょうだいにも、吉法師はあまり会えない。
側室腹の兄である信広と秀俊は、そろそろ武将として戦場に出る年齢が近づいてきているため、勉強のため父・信秀や大叔父・秀敏に付き従って城を不在にする日が多いのである。
二人の姉の場合はどうかというと、活発な性格のくらが遠く離れた奥御殿から吉法師がいるところまでわざわざ遊びに来てくれるので、多くのきょうだいの中で彼女だけが唯一の例外である。男の子の遊びにも付き合ってくれるし、吉法師はくらが大好きだった。
もう一人の姉のお里はというと、生まれつき病弱なため、こうやって部屋の外に出て来ること自体がとても珍しい。今日は、数日ぶりに体の調子がいいので、館内の庭を散策しようとしていたのだ。
賢いとはいっても、吉法師はまだほんの五歳児だ。大勢いる信秀の子供たちの中で自分だけが別の場所に置かれ、特別扱いされていることの意味をまだよく分かっていない。そのため、
(たくさんの兄弟や姉妹がいるのに、自分だけが一人っ子みたいなのは何だか寂しい)
と、感じていた。だから、こうしてたまにきょうだいと会えると、吉法師はすごく嬉しいのである。
心細やかな少女であるお里は、吉法師の満面の笑みからそんな気持ちを察したようで、言葉にできるだけの親愛の情をこめて、
「はい、元気でしたよ。以前、風邪を引いた時に吉法師殿がお見舞いにくれた私の姿絵のおかげだと思います。元気そうに笑っている絵の中の私を見ていたら、本当に力がわいてくるようでした」
そう言い、ニコリと微笑んだ。それを聞いた吉法師は喜び、
(病よけのお菓子で母上の病気が治らなかったら、母上にも絵を描いてあげよう)
と思いつくのであった。
ちなみに、姉弟が和やかに会話をしている横で、信清はつまらなそうな顔をしている。女はちょっと遊びで殴ったり蹴ったりしたらすぐ泣くので嫌いだ、と思っているのだ。目の前の少女がやがては自分の妻になる未来など、想像もしていない。
「吉法師殿が奥御殿の近くにいるなんて、珍しいですね。春の方様のお見舞いにいらしたのですか?」
「はい、そうなのです。このお菓子を母上に……」
吉法師は頷き、津島の菓子「あかだ」をお里に見せようとした。
しかし、菓子の包を持つ右手に激しい痛みを突然感じ、「あっ!」と悲鳴を上げながら包を足元に落としてしまったのである。
吉法師は、お里の背中から飛び出して来た、自分よりも一回り小さい男の子に、手を思いきり噛まれていた。
※信長のもう一人の姉である犬山殿は、実名が分かっていません。この物語では、「お里」と呼ぶことにします。犬山殿は信長の死後に織田信雄(信長の子)から弥勒寺郷を化粧料(女性の相続財産)としてもらっていて、その弥勒寺の別名が「大里の大坊」というので、そこから一字をもらって「お里」としました。
ちなみに、信長の二人の姉であるくらと犬山殿(お里)のうち、どちらが年上かは分かりません。