弾正忠、居城変えるってよ
「さあ、吉法師様。どこからでもかかって来なされ」
「木刀を落とさぬようにしっかり持って、敵である我らの動きをよーく見るのです」
ここは信秀の居城である勝幡城。
城主館の広々とした庭で、吉法師は小さな木刀を重たそうに持ち、二人の大男――内藤勝介、青山与三右衛門と睨み合っていた。
勝介は、家中では「向こう傷の勝介」と渾名されていて、その名の通り顔や体の前面のあちこちに刀傷や槍傷がある。しばしば蛮勇を発揮し、雑兵たちに混ざって敵陣に突貫するため、怪我が絶えないのだ。ちなみに、体の後ろには、嫉妬深い妻に浮気を咎められた時にできた爪の引っ掻き傷しかない。
与三右衛門もかなりの剣の使い手だ。先日の那古野城での戦いでも、勝介と共に大いに暴れ回った。ただ、与三右衛門の場合は、その武勇よりも「由緒ある寺の土地を押領しようとして、殿様に叱られたせいで押領に失敗した間抜け」という悪評のほうが目立っており、本人としては大きな功名を立てて名誉を回復させたいようである。
とにかく、両者は並みの武将が束になってかかってきても返り討ちにできるような、豪勇の士なのだ。そんな猛将が、二人がかりで五歳児に「かかって来い」と言っているのだから、実に大人げない。
「む、むぅ……。二人がかりなんて、卑怯だぞ」
吉法師は頬を膨らまし、そう抗議した。幼心にもこれは理不尽だと思ったのだろう。
「ハッハッハッ。吉法師様、戦とはかくの如く理不尽なものなのですよ。戦場では、本陣に敵軍が突入して乱戦となれば、敵兵に囲まれて大将が命の危機にさらされることも稀にあるのです。敵を卑怯だと罵っている内に討ち取られてしまっては、末代までの恥ですぞ」
吉法師の数歩後ろに控えている平手政秀が笑いながらそう言う。笑ってはいるが、その手には木刀が握られていて、吉法師が臆して前方の敵から逃げだしたら打ち据えるつもりである。
「平手たちったら、酷いわ。吉法師殿はまだ五歳なのに。大将が危険な目にあわないようにお守りするのが、家臣であるあなたたちの役目でしょ? 小さな吉法師殿をいじめている暇があったら、あなたたちが剣術の稽古をしなさいよ」
縁先から吉法師の剣の稽古を見物していた姉のくらが、菓子を頬張りながら文句を言った。
くらは自分に懐いている弟の吉法師のことを大変可愛がっており、政秀たち家来が吉法師に厳しい修行をさせようとすると、いつも怒るのである。
「くら様。平手殿たちは別に吉法師様をいじめているわけではないのですよ。吉法師様に立派なお世継ぎになっていただきたいから、心を鬼にしているだけなのです」
姫様を叱るわけにはいかず政秀たちが困った顔をしていると、吉法師の乳母・お徳が政秀たちをかばった。
お徳は吉法師が三歳の時から養育係として仕えている女性だ。信秀は、織田弾正忠家の跡継ぎである吉法師に英才教育を施すため、尾張の豪族たちの妻の中から賢女の誉れ高かったお徳を選び、城に招き入れていた。
この春、夫の池田恒利を亡くしたばかりだが、葬儀を早々に済ませると息子(後の池田恒興)を連れて城に戻り、吉法師の乳母の役目を続けている。
くらが女中たちから聞いた噂話によると、信秀が「早く戻って来い」と急かしたらしい。今は出家して養徳院と名乗っているが、信秀は還俗させたがっているとも聞いた。
(……その内、父上のお手付きになるわね、この女。好色な父上がこんな美しい未亡人を放っておくはずがないもの)
くらは意味ありげな視線でお徳を見つめたが、そういう色恋沙汰に疎い堅物のお徳は、自分が政秀たちをかばったから姫様は怒っているのかしら、と思っていた。
「あの、姫様……?」
「何でもない。それより、やはり二対一は卑怯だわ。林が加勢してあげてよ」
くらはお徳からそっぽを向き、室内で書見をしていた林秀貞に話を振った。
「え? わ、私ですか? 私は先日以来、腰が痛くて……」
秀貞は、信秀の家臣団の中でも最大の勢力を持つ林家の当主のくせに、なよなよとしていて頼りない雰囲気の男である。学識は豊かで、武術も弱いわけではないのだが、いつも及び腰になりがちなのだ。そのせいで、この間の那古野城での戦いでも、敵の死体につまずいて転び、腰を痛めてしまった。
「頼りないわねぇ。だったら、信広殿が兄として吉法師殿を助けてあげてください」
今度は、別の家臣と剣の稽古をしていた織田三郎五郎信広に声をかけた。
信広は信秀の長男だが、側室の子のため、三男の吉法師よりも格下の扱いを受けている少年である。同じく側室の子であるくらとは年齢も近いため、昔はよく遊んだ仲だった。
「……俺が加勢しても、内藤と青山には勝てないさ。こいつら、化け物みたいに強いからな」
信広は将来自分の主君となる幼い弟をチラリと見ると、少し嫌そうな顔をして言った。くらは信広の複雑な気持ちなど知るよしもなく、「もう! 意気地なし!」と信広を罵るのであった。
(この姫様は、なぜこんなにも奔放に成長したのやら……)
勝介、与三右衛門は呆れて、菓子を次々と口に放り込んで怒っているくらを見つめた。
「隙あり!」
ぺちん、ぺちんと二人の尻に木刀が叩きつけられる。吉法師が、わがままな姫様に気を取られていた勝介と与三右衛門の背後を襲ったのだ。もちろん、五歳児の振るう木刀など大した威力はないのだが、すっかり油断をしていた二人は情けない声を上げて驚いた。
「しまった、やられた!」
「ひ、卑怯ですぞ、吉法師様!」
勝介と与三右衛門は抗議の声を上げたが、吉法師はニコニコと可愛らしく笑っている。
「戦とは、理不尽なものなのだろう? なあ、平手の爺」
「左様、左様。さっきのは、よそ見をした二人が悪いのです」
政秀は微笑んでそう答えつつ、こういう機転が利くところは信秀様譲りだな、と少し感心していた。
* * *
「おう、吉法師。俺の自慢の家来をまとめて二人も倒すとは、やるではないか」
廊下をドカドカと乱暴に歩く音が響き渡り、つい先ほど清須城から帰還したばかりの信秀がやって来た。ずいぶんと機嫌がよさそうだ。どうやら、那古野城をめぐっての評定は信秀の思惑通りに行ったらしい。
「殿、お帰りなさいませ」
林秀貞、平手政秀、内藤勝介、青山与三右衛門ら家来たちがその場でかしこまると、信秀は「うむ」と頷く。
「喜べ。武衛様(斯波義統)と守護代様(織田大和守達勝)は、俺に那古野城の支配を任せるとおっしゃってくださった」
「おお、それは祝着至極。では、早急に、先日の戦で燃えた市場や寺社の復興に取りかからねばなりませんな」
「うむ、平手の言う通りじゃ。那古野は上方と東国を結ぶ交通の要衝なうえ、台地に立つ堅固な城は我が軍の防御の要となるはずだ。我らの手でもっと栄えさせねばならぬ。差配は平手に任せるゆえ、頼んだぞ」
「ははっ」
信秀と政秀。二人は大の働き者という共通点があり、とても気が合う。忙しくなればなるほど楽しそうにしているという、変わった主従だった。
「殿……。わ、私は……」
秀貞が痛む腰をおさえながら遠慮気味に言った。
二十七歳の秀貞は、信秀より二歳年下で、少年期からこの働き者の主君にそば近く仕えてきた。
しかし、信秀は家督を継ぐと、父・織田信貞の代から政治・外交で敏腕を振るっていた政秀を頼って多くの仕事を任せるようになったのである。
四十六歳の政秀は経験豊富で、弁も立つし、端々《はしばし》にまで目が行き届く。そして何よりも、主君にどこまでも誠実な男だ。まだまだ経験が少ない秀貞などよりも、信秀が頼りにするのは仕方がない。しかし、心のどこかで、
(子供の頃から仕えてきた信秀様をジジイに盗られた……)
という一抹の寂しさがあるのであった。
「おお、新五郎(林秀貞の通り名)。もちろん、お前にもやって欲しいことがあるぞ」
秀貞の弱々しい声を聞いた信秀は、(こいつ、まだ腰が痛むのか。仕方がない奴だなぁ)と思いながらも、幼友達の家来に優しく声をかけてやった。
「お前には、熱田の加藤家を当家の味方に引き入れて欲しいのだ。林家の子女を加藤家に嫁がせるか、それともお前の兄弟の嫁に加藤家の娘を迎えるか、それは任せる。とにかく、縁組によって加藤家との繋がりを強くしてくれ。加藤家が俺の指図に従ってくれるようになれば、熱田の港は俺の物になったも同然だからな」
那古野城の南――同じ愛知郡にある熱田の港は、熱田神宮の門前町でもある。この港を実質的に支配していたのが、莫大な富を持つ加藤家だった。
加藤家は東加藤家と西加藤家に分かれ、両家とも伊勢湾に面した土地に邸宅を構えて手広く交易と漁業をやっている。すでに津島という大きな港を持つ信秀は、加藤家を従属させることで熱田の港をも得ようと企てていた。これが、信秀が那古野城を奪った目的の一つであった。
信秀がそこまで港を欲したのは、港から獲得できる利益が凄まじいからだ。
この当時、港は入港する船に関税をかけていた。たとえば、上杉謙信の領国である越後の柏崎港と直江津港の関税収入を合計すると、一年で四万貫(三十万石に相当)の収益があったとされる。
信秀が領する津島港は、越後の港よりも交易が盛んである。津島港と熱田港の関税収入を合わせると、恐らく三十万石を遥かに上回る収益が出るはずだ。つまり、たった二つの港を支配するだけで、一国の大名に匹敵する力を得ることができるのだ。
だが、お金に音痴な秀貞は、そのへんのことがよく分かっていないらしい。
(また豪族との縁組か。私はもっと武士らしい仕事がしたいのだが……)
秀貞はこの間も、津島の豪族・大橋氏と縁組をして、自分の息子と大橋氏の娘を将来結婚させる約束をしていたのである。
私には平手殿のように難しいお役目は任せられないと信秀様は思っているのだろうか、と顔には出さないが少し不満だった。
豪族と縁組して味方に引き入れるなどという仕事は、信秀の家臣団の中で最大の派閥を持つ林家の当主・秀貞だからこそできる役割なのだが、そのことにも秀貞は気づけていない。
「承知……いたしました……」
「何だ、せっかく仕事をやったのに元気が無いぞ。泣きたくなるほど腰が痛いのか」
「い、いえ。別にそこまでは……」
「二、三日自宅でゆっくり養生しておけ。夏が来るまでには那古野城に引っ越すから、忙しくなるぞ」
信秀がニヤリと笑ってそう言うと、秀貞だけでなく、勝介や与三右衛門も、
「えっ、居城を勝幡から那古野に移すのですか⁉」
と驚いた。政秀だけはあらかじめ聞いていたらしく、平然としている。
この時代、戦国武将は先祖代々の拠点から別の城へと移るということは、滅多に無かった。武田信玄は躑躅ケ崎館、上杉謙信は春日山城、毛利元就は吉田郡山城から生涯動かなかった。北条氏にいたっては、早雲の子・北条氏綱が拠点に定めて以来、歴代当主が小田原城で住んでいる。だから、秀貞たち家来が仰天したのも当たり前なのだ。
それに対して、織田信長はその生涯で那古野城→清須城→小牧山城→岐阜城→安土城と次々と拠点を変え、とてもフットワークが軽かった。その父である信秀も戦略に応じて拠点を移す柔軟性を持っていたのである。むしろ、信長は父からこの身のこなしの軽さを学んだのだろう。
「なぜそんなに驚く? よく考えてみろ、お前たち。勝幡城の西には何がある? 数年前、清須の守護代様(織田大和守達勝)と争った時に、守護代様に扇動されて俺の背後を襲う気配を見せた一向宗の勢力がいるのだぞ。西に勢力を広げようにも、奴らをつつくのは危険すぎる。だったら、東に向かうしかないではないか。津島港に近い勝幡城も重要な拠点だが、尾張の西の端っこ近くにいてもこれ以上は大きくなれんのだ」
「な、なるほど。言われてみれば、たしかに……」
秀貞たちはようやく納得したが、やはり急な話なので尻込みをしているようである。
そんな家臣たちの不安を吹き飛ばすように元気な声を上げたのは、吉法師だった。
「何を不安がっているのだ? とても楽しい所かも知れないのに。嫌な所があったら、みんなで、新しい城を住みやすく、よい所にすればいいではないか」
「ワッハッハッハッ! そうだ、吉法師の言う通りだ。吉法師は、俺に似て賢いな!」
信秀は、まだ幼い息子が早くも自分と似たような思考をするようになっていることに満足して吉法師の頭を乱暴に撫で、「もう一度言うが、夏までには引っ越すからな。皆々、そのつもりでいるのだぞ」と一同に念を押すのであった。
だが、くらだけは、なぜか「私には関係ないことね」といった顔でお菓子を食べ続けている。
かくして、大引っ越しの準備が始まったのである。しかし、この那古野への引っ越し計画は、微妙にずれこむことになってしまう。
この日の夕方、吉法師の生母である春の方が、急病で倒れたのだ。
※貿易港の税収入に関しては、武田知弘氏著『「桶狭間」は経済戦争だった 戦国史の謎は「経済」で解ける』(青春出版社)を参考にしました。
※信長の生母(歴史上、土田御前と呼ばれる)は、実名が不明です。この物語では「春の方」という名前を創作して呼ぶことにします。(彼女の法名の報春院から「春」の字を拝借しました)
※同じく、信長の乳母(養徳院)も実名が不明のため、この物語では「お徳」と呼ぶことにします。(これも養徳院から「徳」の字を拝借……安易すぎる!!)
※ちなみに、信長の異母姉のくらは、実際の本名です。