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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 三章 乱世の下の青春
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両軍動く

 天文十五年(一五四六)十一月。

 今川家の宰相・雪斎せっさいは精鋭を率いて東三河に討ち入り、戸田軍が立て籠もる今橋城への攻撃を開始した。先鋒は、天野あまの氏や井伊いい氏など遠江の国人衆たちである。


 松平まつだいら広忠ひろただは、今川と手を組んだ信秀の動きが気になって、舅の戸田とだ康光やすみつの救援どころではないだろう。そもそも、広忠は恩人である今川義元と対立すること自体、不本意だったはずだ。広忠軍が敵として戦場に現れることはない、と雪斎は踏んでいた。


(とはいえ、戸田の兵はなかなか手強い。広忠勢の増援がないと思って油断をしていたら、思わぬ苦戦を強いられるだろう。まずは遠江の国人衆に城の外構えを崩させて、守りが手薄になったところで今川本隊の精鋭兵を突撃させるか……)


 このいくさでは、今川軍の強さを三河の諸侍たちに見せつけねばならない。渥美あつみ半島で勢力を振るう戸田氏を叩き潰すことができたら、周辺の三河武士たちも義元の威光に屈することだろう。


 そんなことを考えつつも、雪斎には一つの懸念があった。


(信秀とはいちおう協力関係にあるが……。あの短気な男が、我らの想像以上にがんばりすぎたら困ったことになりそうだ。西三河の戦場で信秀が今川軍を遥かに上回る戦果を上げて武名を轟かせてしまった場合、三河における義元様の名声が霞む恐れがある)


 事を急ぎすぎて思いもよらぬ敗北を喫すれば、元も子もない。しかし、慎重を期してもたもたしていたら、友軍に手柄を全て持っていかれる可能性もある。いずれ敵となるべき男と友人のふりをして共に戦うのは、なかなか骨が折れそうだ。


「来春になれば、信秀が軍を動かすであろう。それまでに、ある程度の戦果は上げておかねば。……天野隊、井伊隊、前へ出よ。戸田の兵を蹴散らせッ」


 馬上の雪斎は、凍てつく向かい風に逆らうように、采配をビュッと振った。天野隊と井伊隊が、城から打って出て来た戸田兵と激突する。


 両軍が血煙を上げて戦う中、天から淡雪が舞い落ちてきた。


 この温暖な地でもう雪か、今年の冬は厳しい夜営が続きそうだ、と雪斎は戦況を見守りながら思うのであった。




            *   *   *




 雪斎の予見通り、信秀が三河攻めの軍事行動を開始できたのは翌年の春のことだった。


 出陣が遅れた原因は、これもまた雪斎の予測していた通りで、武衛ぶえい様の斯波しば義統よしむね(尾張守護)が不倶戴天の敵である今川家と手を組むことに難色を示したからである。ここぞとばかりに、反信秀派の織田彦五郎(ひこごろう)信友のぶとも(ケシカラン殿・因幡守いなばのかみ達広みちひろの子。信秀の主君・織田大和守(やまとのかみ)達勝みちかつの養子)と坂井さかい大膳だいぜん(織田大和守家の家宰)も猛反対したため、清須きよす城で行われた評定は大いに紛糾した。


「美濃で大敗北を喫してまだ二年しか経っていないのに、また戦を起こすつもりか! 我が父を戦場で死なせたくせして……。ケシカラン、ケシカランぞ!」


 二代目ケシカラン殿・信友にそう責められると、さすがの信秀も得意の弁舌を振るうことができない。信友の実父・達広は敵将に首を取られ、あの大混戦の中では遺体すら回収してやることができなかった。敗戦の原因の半ばは達広の戦場における勝手な振る舞いにあるが、そんなことを息子の信友に面と向かって言えるほど信秀は残酷な性格ではなかった。

 それに、信友は、信秀の主君・達勝の養子になっている。将来は信長の主君となるであろう信友に対して、下手に無礼な態度は取れない。何とも扱いの難しい相手である。


(いつもなら、寛故とおもと殿が坂井大膳らと激論を戦わせ、反対派の者たちが疲れてきたところで俺が一気にまくしたてて奴らを論破してやるのだが……)


 盟友である織田藤左衛門(とうざえもん)寛故(骨左衛門ほねざえもん。清須三奉行の一人)は病が重くなり、居城の小田井城で療養中である。寛故が不在となると、彼との巧妙な連携が取れず、信秀は評定でいきなり矢面に立たざるを得なかった。


 同僚だった初代ケシカラン殿とは違って、目上の立場にある二代目ケシカラン殿。そして、老獪で陰湿な坂井大膳……。この厄介な二人を一度に相手にして論陣を張るのは、精神的に非常に疲れた。


 信友と大膳を何とかあしらいつつ、むっつりと不機嫌そうに黙っている武衛様・義統に対する必死の説得を続けたが、結局、話し合いは年明けの初春までもつれこんでしまった。


 最終的に信秀を救ったのは、主君の大和守達勝(尾張下半国守護代。信友の養父)と義弟の伊勢守いせのかみ信安のぶやす(尾張上半国守護代。信秀の妹・岩倉殿いわくらどのの夫)である。


 老齢である達勝は例年よりも厳しい冬の寒さが体にこたえたのか、持病が悪化してしまい、春になるまで評定に顔を出すことができなかった。しかし、自分の代わりに評定に出席させていた養子の信友が信秀を追いつめていると聞き、ある日突然、


「こぉら、信友ッ! 尾張の行く末は信秀に託すべきじゃと、何度も言い聞かせてあったであろうが! 私怨を忘れられぬのであれば、守護代の地位は譲らんぞ!」


 憤怒の表情でそう怒鳴り散らし、杖をつきながら評定の間に姿を現したのである。


 達勝は普段は好々爺然としているが、いったん怒ると、猛烈な勢いで家臣たちを叱責する激しい気性の人物。自分の養子であろうが、容赦はしない。


「ひ、ひぃぃ⁉ お……お許しを! し、しかし、信秀は無謀な戦ばかり繰り返していると私は考えて……」


「黙れ! そなたごとき青二才に何が分かる!」


「ご、ごもっとも!」


 赤鬼のごとく恐ろしい形相の養父に叱られた信友は、情けない声を出して縮み上がった。下手に逆らうと杖で滅多打ちにされることを知っているからである。


(信友様は、実父のケシカラン殿よりも素直で扱いやすい方だが……。全く根性がないのが困ったところだ。このような体たらくで、反信秀派の旗頭になれるだろうか)


 泣きべそをかいて養父に謝罪している信友を横目に見て、坂井大膳はチッと小さく舌打ちした。


 だが、大膳も達勝に杖を投げつけられて半殺しの目にあいかけたことが何度もある。これ以上の反抗は命がけになってしまうだろうことは、ふてぶてしい性格の大膳にもよく分かっていた。せっかくここまで信秀を追いつめることができたというのに、無念だ。今回はもう諦めるしかないだろう。


(邪魔だ……。信秀を倒し、この私が尾張国を思いのままに動かせる立場になるためには、我が主君・達勝様は非常に邪魔だ。もうかなりの年なのだから、とっととくたばればいいのに……)


 怒り狂う達勝に恐縮したふりをしつつ、大膳はそのような不遜なことを考えていた。


「信秀よ。達勝殿がうるさい二人を黙らせてくれたぞ。あとは武衛様を説得するだけじゃ」


 もう一人の守護代である信安が、信秀の耳に囁く。信秀は頷き、義弟の信安と共に義統を説き伏せにかかった。


 まず、信秀が、



 西三河に侵攻するにあたって、今川との連携が何よりも有効な策であること。


 いずれは、義元とは手を切って、武衛様のために遠江国を今川家から取り戻す所存であること。



 などを理路整然と説いた。


 さらに、美濃の情勢に詳しい信安が後に続き、



 土岐とき頼純よりずみ斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)が縁組で和解して、北の美濃国で戦乱が当分は起きる心配がない今こそが、三河に攻め込む絶好の機会であること。


 利政は謀略の多い男なので、数年先には美濃で再び戦が起きるかも知れない。そうなれば、三河やその先の遠江に攻め込むどころではなくなってしまうであろうこと。



 を、懇々切々と説明した。温和な性格の信安は、坂井大膳などと喧嘩腰の論陣を戦わせるのは苦手だが、こうやって面と向き合って理論的に相手を説得するのは得意なのだ。

 あと、自分の領地の近くの美濃で前回のような大戦が起きるのはなるべく避けたいので、信秀の軍事的関心が三河に移るのは大いに歓迎だったのである。それで、武衛様を説得するその舌も、いつもに比べて雄弁なものになっていた。


「……む、むむう。信安と信秀がそこまで熱心に言うのならば……。憎き今川と一時的に手を組むのもやむなしか。分かった、信秀を三河攻めの陣代(主君の代理で戦争を指揮する役)に任命しよう。今川と共に三河を挟み撃ちにせよ」


 懸命な説得の結果、ようやく武衛様が折れてくれた。信秀はホッと胸を撫で下ろす。


(やれやれ、一時はどうなることやらと冷や冷やしたぞ。達勝様と信安様が助け舟を出してくださらなかったら、危ないところであった。

 やはり、美濃での敗戦が、俺に反感を抱く者たちに勢いをつけさせてしまったか。評定で、ここまで追いつめられることは今までになかった……)


 朝倉あさくら宗滴そうてきの奇策のおかげで、尾張に勅使ちょくしが到来して、信秀の武名に大きな傷がつくことは何とか防ぐことができた。しかし、反信秀派の坂井大膳らにしてみたら、「美濃にわざわざ攻め込んで、まむしにこっぴどく負けた」という事実は、信秀を攻撃する格好の材料となってしまったのである。これからも、事あるごとに美濃での敗戦をあげつらわれることになるだろう。


(三河に攻め込むからには、俺に反発する奴らがぐうの音も出ないほどの大戦果を上げねば……。

 しかし、美濃での敗戦を取り返すほどの戦果となると、矢作やはぎ川以西の西三河を攻め取る程度では足りぬような気がする。信光のぶみつの主張を採用して、今川義元と対決する覚悟で三河全土を占領することを目論むべきであっただろうか……?)


 一瞬、信秀はそんな迷いにとらわれた。


 しかし、織田・今川の共同作戦はすでに始動してしまった。今さら後悔しても仕方がない。居城の古渡ふるわたり城に帰還した信秀は、


「陣触れじゃ。ただちに出兵の準備をせよッ」


 と、家臣たちに命令した。


 信秀は、この三河攻めで、嫡男の信長に華々しい初陣を飾らせるつもりである。

<付録:1547年時点での信秀を取り巻く尾張衆たちの関係図>

尾張国内ではそろそろ寿命を迎えつつある人もあり、ちょっとずつ人間関係の変化が起きる気配を見せています。混乱しないように、定期的に関係図を載せていきたいと思います。

名前の左側に〇があるのは親信秀派(本人含む)、×があるのは反信秀派です。旗幟不鮮明な人物は△です。

また、名前の右側の(  )には信秀との関係、続柄を記しています。



      [上四郡守護代]       [伊勢守家の一族]

      〇織田伊勢守信安(妹の夫)…〇織田与十郎寛近(織田一族最長老)

                         △織田宗伝


 [尾張守護・武衛様]

 〇斯波義統(大殿)


                   

      [下四郡守護代]        [清須三奉行]

      〇織田大和守達勝(殿様)…〇織田弾正忠信秀(本人)

      ×織田彦五郎信友(若殿) 〇織田藤左衛門寛故(母の実家)


                       [大和守家の家宰]

                       ×坂井大膳(たぶん織田一族ではない)

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