今川義元登場
駿河国――駿府の今川館。
紅葉乱れる庭園に面した部屋の縁側で、今川義元は静かに坐禅を組んでいた。政務に忙殺される日々の中で、ささくれ立った精神を落ち着かせるため、時折こうやって四半刻(約三十分)ほど坐しているのだ。
できれば、臨済宗の寺院で仏道修行していた頃のように、雪斎と丁々発止の問答を重ねてみたいが、内政・外交・軍事のあらゆる方面で重きをなす黒衣の宰相は義元以上に多忙である。
「義元殿の玲瓏たるお顔は、若い頃の氏親(義元の父)様にそっくりですねぇ……」
部屋に入って来てそう呟いたのは、母の寿桂尼だった。息子の美しくも凛々しい横顔に亡き夫の姿を重ね、穏やかに微笑んでいる。母が坐禅をする義元に見惚れて喜んでいるのはいつものことなので、義元は特に集中を乱されることなく赤く燃え上がる庭園の自然に目を向けていた。
余談だが、この時代の臨済宗の坐禅は、曹洞宗と同じく壁に向かって坐禅をする「面壁坐禅」を行っていたようである。壁だけを見つめていると、集中して坐禅を組むことができるのだ。ただし、修行方法を誤って禅病という精神の病にかかってしまう者もいたらしい。
栴岳承芳と呼ばれていた僧侶時代の義元も、わき目もふらず修行をしていたところ禅病にかかり、数か月にわたってその不可思議な病状に苦しんだ経験があった。
義元の集中力があまりにも高くて感受性が強すぎたため、極度に精神が研ぎ澄まされてしまったのだろう。本来ならば常人の目には見えないもの――物の怪の類が見えるようになってしまったのである。
義元の眼にはその物の怪が神々しい御仏の姿に見えたが、兄弟子たちの話によると、それは悪霊たちが修行者を惑わすために御仏に化けて現れているのだという。
「あなたは今、魔境に陥ろうとしています。それ以上はおよしなさい。坐禅とは、心の修行をするためのものです。このまま面壁坐禅を続けて、心が壊れてしまっては元も子もない。
妥協を許さずおのれに厳しすぎるあなたの気質が、裏目に出てしまっているのでしょう。もっと心に豊かさを持ち、臨機応変に修行すべきです。寺の外に広がる自然を眺めながら坐禅を組むほうが、あなたには合っているのかも知れない。これからは、壁を背にして坐禅をしなさい」
少年の義元にそうすすめてくれたのは、教育係の雪斎だった。それ以来、義元は雪斎と向き合って問答を行うか、こうして外の景色を眺めながら坐禅をするようになったのである。
「……新右衛門か。息子の太刀筋はいかがであった」
パサリ、と紅葉の葉が義元の膝に落ちる。半眼にしていたまぶたをゆっくりと開き、義元は背後に立つ白髪交じりの偉丈夫にそう言った。
「まあ、いつの間に……。音もなく部屋に入って来たので、まったく気づきませんでした」
さっきまで息子の美貌に見惚れていた寿桂尼が、小さな驚き声を上げる。さすがは天下無双の剣豪・塚原新右衛門(後の塚原卜伝)だ。呼吸の音すら聞こえるほど静かなこの空間で、いっさいの足音も聞こえなかった。
だが、新右衛門のほうも少々驚いているようだ。後ろから歩み寄る自分に振り向きもせず「新右衛門か」と言い当てた人間は、剣の極意を開眼して以来、誰一人としていなかったからである。
「ふむ……。拙者が後ろにいることがよく分かりましたな。今川義元様が剣の達人だという噂は聞いたことがなかったが……。ぜひ、一度立ち合ってみたいものですな」
「本気で気配を消していたわけでもないのに、大げさなことを申すな。天下無双の兵法家であるそなたがその気になれば、私など簡単に殺せるだろう。私が背後に立つそなたに気づいたのは、この紅葉の葉が教えてくれたからよ」
義元は膝の上の紅葉をつまみ、その赤々とした輝きを見つめながら静かにそう言う。
「なるほど。完全に、心が自然の中に溶け込んでおられたか。拙者が無意識に放っていた気に驚いて落葉した紅葉の心の声を聞き取るとは、さすがは雪斎禅師の教えを受けたお方じゃ」
そう感心しつつ、新右衛門はどさりと座った。寿桂尼は二人が何の話をしているのか理解できず、戸惑い気味にまぶたをしばたたかせている。
「ご嫡男の龍王丸(後の今川氏真)様は……そうですな。まだ九歳だというのに、驚くほど呑み込みが早い。この数日しごいただけでも、相当な上達です。龍王丸様が成人なされた頃に、拙者が駿府に数年滞在して剣技を叩きこめば、免許皆伝も夢ではないでしょう」
「そうか。龍王丸は何でも器用にこなすからな。和歌や蹴鞠もすでに大人顔負けで、名人の域に達しつつある。
……だが、五歳から十代の後半まで厳しい仏道修行を行っていた父の私とは違い、あの子は生まれた時から今川家の嫡男として大事に育てられてきた。それゆえ、たいして苦労を知らぬのがいささか気がかりだ。『世の中は何でも自分の思い通りにいく』と甘い考えを持った人間にだけは育って欲しくない。龍王丸に剣術を本格的に指南する際には、半殺し程度は許可するので、心も体もたくましくなるように厳しく鍛えてやってくれ」
「承知いたした。……では、拙者はこれにて失礼いたしまする。西国にいる弟子たちに会いに行く用事がありますので」
新右衛門は過去に二度の廻国修行を行っていた。修行の旅を終えた後、故郷の鹿島(現在の茨城県鹿嶋市)に戻って塚原城の城主におさまっていたが、二年前に愛する妻を亡くしたことをきっかけに、我が活人の剣を人々に伝えるための三度目の廻国修行に旅立ちたいという思いが強まってきていたのである。しかし、家臣たちからは「隠居するのは、せめて御家を継ぐ養子を定めてからにしてください」と止められていた。
そんな折に、二度目の廻国修行で弟子にした西国のある侍から懐かしい手紙が届いたため、「まあ半年ぐらい領地を留守にしても、家臣たちも怒るまい」と思い、黙って城を出て来たのである。放浪癖がある人間が放浪することを誰も止めることはできない。新右衛門が駿府を訪問したのは、そんな西国への旅の寄り道に過ぎなかった。
「新右衛門。しばし待て」
新右衛門が一礼して腰を浮かしかけると、義元が呼び止めて、パンパンと両手を叩いた。
すると、近習が部屋に入って来て、義元と新右衛門の間に眩い光を放つ黄金の塊を丁寧な所作でそっと置いた。新右衛門はその金塊に目を落とし、困惑げに顔を歪める。
「いや、ご子息に数日剣を教えただけでこのようなものをいただくのは……」
「やるとは言っておらん。この黄金は、灰吹き法という朝鮮伝来のやり方で採取したものだ。新右衛門は知っておるか」
「はあ……。たしか、十三年ほど前に博多の豪商が朝鮮の者を日本に連れて来て、取り入れた技術でしたな。拙者も聞いたことがありまする」
「うむ。当初は石見銀山(現在の島根県大田市)でこの技術が使われていたが、数年前から生野銀山(現在の兵庫県朝来市)でも用いられるようになったらしい。
その灰吹き法の噂を京から遊びに来ていた公家から聞いてな。早速、但馬国の生野から灰吹きの術を持つ者を数名招いてみたのだ。どうだ、なかなか良質な金であろう」
「なるほど……。灰吹き法とやらが駿河でも実用化されれば、金の産出量はいっきに増えますな」
新右衛門はどっしりとした重みのある金塊を手のひらで遊ばせながら、そう感心した。
駿河国には、梅ヶ島金山・富士金山・井川金山などたくさんの金山がある。今川家では、義元の父の氏親の代から金山開発に勤しんでいた。しかし、昔ながらの砂金採取のやり方では、それほど多くの金を採ることはできない。義元は新しい技術の灰吹き法の噂を聞き、飛びついたわけである。
灰吹き法は、鉱石から不純物を取り除き、金や銀を抽出できる画期的な技術。これを駿河国内の金山で導入することができれば、今川家は大量の黄金を手に入れることができるようになるはずだ。
「我が領国に灰吹き法を本格的に取り入れるため、もっと多くの吹工を当家に招きたいと考えている。明日にも我が家臣を西国へ再び派遣するつもりなのだが……。
実は、前回、但馬国に遣わした家臣が何者かに襲われて怪我を負ったのだ。おそらく、生野銀山を有している山名氏(但馬国の守護大名)が技術者を流出させまいと妨害したのであろう」
「ほう、それは物騒ですな」
「但馬守護の山名は愚かだ。そのように役に立つ技術を独り占めにするのは、天下万民のためにならん。
……そこで、だ。そなたには、西国へ行くついでに、我が家臣の護衛を頼みたいのだ。やってくれるか?」
「それぐらい、お安いご用でござる。人のために使ってこその我が活人剣。黄金がたくさん手に入れば、駿河の民たちも豊かになることでしょう。明朝、今川様のご家来とともに西国へ出立いたします」
新右衛門は力強く頷き、今度こそ立ち上がった。義元が「頼りにしておるぞ」と言うと、新右衛門は「お任せあれ」と笑って部屋を去って行った。
「……あれあれ。護衛の報酬金の話もせずに、意気揚々と行ってしまいましたね。よかったのでしょうか」
寿桂尼が呆れてそう呟くと、義元はフフッと笑った。
「新右衛門の剣術は、人を殺すのではなく、活かすための剣。銭のために人助けをしているわけではないので、要らないのでしょう。
ああいう第一級の才を持ちながら無欲な男は、私は好きですよ。使い勝手がいいので。……まあ、もしも本人が強く求めたらこの金塊をくれてやりましたが」
「……はあ。そういうものですか。人を活かすための剣、という理屈が私には分かりませんねぇ。しょせん、刀は人を殺すためにしか使えませんよ」
「ともかく、但馬に家臣を遣わそうとしていた時期に、城を家出してきた天下無双の剣豪が駿府を訪れてくれて助かりました。冬には三河国へ攻め込むゆえ、当家の腕の立つ武者を西国に遣わしている余裕はありませんでしたから……」
「ええ。一刻も早く、灰吹き法を取り入れねばなりませんね。今川家は二か国を支配する大大名と言われてはいますが、駿河と遠江は尾張国に比べて米の収穫高が少ない……。数年後に尾張の織田信秀と雌雄を決する際、このままでは遅れを取りかねません」
今川義元時代の駿河・遠江の石高は、後世に伝わっていない。だが、豊臣秀吉の太閤検地の記録『慶長三年検地目録』によると、
駿河国 十五万石
遠江国 二十五万五一六〇石
とある。
ちなみに、尾張国は五十四万一七三七石だ。駿河・遠江の二か国を合わせても、尾張の石高を下回っていたのである。(もちろん、四十年ほどの時代の隔たりがあるので、あくまでも目安にしかできないデータだが)。
豊穣の大地・尾張国と戦うためには、国内の商業を活性化させ、さらに金山開発を進めることで石高の差を埋めるしかない。
「三河国さえ領国にできたら、何とかこちらの国力が上回るのだが……(三河国は、太閤検地の記録によると二十九万七一五石)。
何はともあれ、今のうちだけは信秀と仲良くしておきたい。確実に勝てるという自信を持つ前に、尾張の虎に牙をむかれたら困る」
「それで、雪斎が言い出した『今川・織田同盟』という奇策を採用されたのですか。あの好戦的な信秀が上手く我らの誘いに乗ってくれたらよいのですが……」
「安心してくだされ、母上。あの雪斎が、しくじるはずがない。そろそろ吉報を携え、帰国することでしょう」
雪斎に絶対的な信頼を寄せる義元が、寿桂尼に微笑みながらそう言った。
簡単には他人を信用しない義元だが、幼い頃から自分を守ってきてくれた雪斎のことだけは手放しで信じている。逆に言えば、母の寿桂尼と師の雪斎以外の人間の進言は、一笑に付して退けることが多かった。
(幼い頃から僧として峻厳な修行の日々を送ってきたせいでしょうか。他人にも自分にも厳しすぎるこの子は、よほど第一級の人間の言葉にしか耳を貸そうとしない。その点、天下の名僧の雪斎は義元殿にとってこの上なく最適な補佐役ですが……。雪斎がいなくなった後、義元殿が雪斎の代わりとなる補佐役を見つけられるか少々不安ですね)
寿桂尼は義元に微笑み返しながら、密かに我が子の完璧主義的な思考を危ぶんでいた。
もしも寿桂尼や雪斎がこの世を去ったら、義元は政の全てを自分で決めようとするかも知れない。それは君主として危険な道であり、果てしなく孤独な道になることだろう。
しかし、義元ほど優れた国の統治者はこの天下に一人としていないことも確かだ、とも寿桂尼は思う。
領国を広げ、富ませる方策を次々と打ち出し、着実にそれを実行しつつある。病弱だった兄の氏輝の才の十倍はあるだろう。もしかしたら、今川家の庇護者であった北条早雲に匹敵する将器を備えているかも知れない。
(義元殿の才ならば、私と雪斎の寿命が尽きるまでに、今川家を日ノ本最強の大名家にすることも不可能ではないでしょう。命ある限り、私たちが支えなければ。この子が、東海の覇者として天下に名を轟かせる日が来るまでは……)
今川家の尼御台・寿桂尼は、いつもおのれにそう言い聞かせ、雪斎と自分がなるべく長生きできるように毎日御仏に祈りを捧げているのであった。
その雪斎が尾張から帰還したのは、塚原新右衛門が西国へ旅立った翌朝のことである。
※作中における今川義元の「修行中に禅病にかかって云々」というエピソードは、私の創作なので史実ではありません。
いちおう元ネタはありまして、江戸時代の白隠禅師(臨済宗中興の祖)が禅病にかかった逸話をヒントに創作しました。
白隠禅師というと、最近では『京都寺町三条のホームズ』で「白隠禅師と赤ん坊」のエピソードが紹介されていたので、気になる方はアニメや原作小説をチェックしてみてください。(ヒロインの葵ちゃんが可愛いですぞ!!)
※ちなみに、塚原卜伝(新右衛門)が三度目の廻国修行に出るのは、1557年(桶狭間合戦の3年前)のことらしいです。今川氏真が卜伝から剣術を教わったのも、たぶんそれ以降のことだと思います。
今川義元と卜伝の絡みを書きたくて、卜伝さんに無理やり「プチ家出」をしてもらいましたが……。実際に戦国時代に領主が城を家出したら、家臣たちにブチ切れされるでしょうね(汗)
上杉謙信「そやな。そやな。領地を放り出して家出するのはあかん!」
長尾政景「お前が言うな」←家出した謙信を説得した一人




